いつものように笑って
「え、#name1#さん?」
「はい?」
「いや、はい?じゃなくて、」
「もう大丈夫なのかよ」
「あー、うん…心配かけてごめんね」
見慣れた寮の廊下を歩きながら、さて、これからどうしようか。と一人思案している最中だった。ちょうど前から歩いて来たらしい綴くんと万里くんが、そう言って心配そうにこちらの様子をうかがっていた。
「これから稽古?」
「はい。もう時間もないんで」
「そっか、そうだよね」
「#name1#さんがいない間に、春組や他の組の奴らにも意見貰って、色んなところ見直したんです」
「うん」
「出来れば、見てほしいんすけど」
至くんが言うには、今回のことは全て千景さんの嘘でなんとか纏まったらしい。もちろん、一括りに纏まったとは言っても、それはあくまでも表面上の話であり、中には納得がいかないと彼に意を唱える者もいたそうだが、結局は何も話せないと口を閉ざす千景さんに、それ以上の追求はしなかったようだ。
わたしのことについても、本当に申し訳なさそうに謝っていたらしい。
あれから、未だ本人とは直接話せていないが、わたしとしては第三者からそんな話を聞けただけでも十分すぎるくらいだ。
頭ではとっくに理解している千景さんは悪い人ではない、という事実を、その話はこれ以上ないほどに肯定してくれているのだから。
「ふふ、楽しみだなあ」
「#name1#ちゃん」
「ん?」
「おかえり」
ルンルンと、少し浮かれ気味に前を歩くわたしに向かって、何気なくそう言った万里くんに、思わず言葉を失ってしまった。
おかえり。言われた言葉は、ただそれだけだ。
特に、なんの変哲もない。ただの、いつも通りの挨拶なはずなのに。
それが、どうして今はこんなにも胸に突き刺さるのだろう。
「っはは、なんつー顔してんだよ」
「あ、いや……」
「#name1#さんにしては珍しいですね。やっぱりちょっと寂しかったんすか」
「ほう、言うようになったじゃない…綴くんのくせに」
きっと、わたしのことを気使ってなるべくいつも通りに接してくれているのだろう。
聞きたいことなど山ほどあるはずなのに。それでも、わたしがここを空ける前と変わらずに、笑って言葉をかけてくれる二人の優しさに、思わず頬が緩んでしまった。
稽古に向かえば、当然のことながらそこには千景さんを含めた春組のメンバー全員が揃っているだろう。
いづみの話では、既に千景さん以外のメンバーはいつ舞台に出ても大丈夫な状態だと言うが、問題はその千景さんだ。曲がりなりにも数日間はこの劇団の団員として稽古に参加していた分、最低限のセリフや流れは頭に入っているだろうが、心配なのはその心情だ。
ここに戻ってすぐ、本人と話す間もなく至くんの所に向かって、そこで思いがけず時間を労してしまったが為に、わたしがあの人と顔を合わせるのは例の部屋以来だ。
大丈夫だろうか。密さんとの何かがきちんと決着したからこそ戻ってきたであろう今の千景さんにとって、わたしの存在は余計な罪悪感を生む材料になってしまわないだろうか。
「#name1#ちゃん」
「ん?」
先に稽古場へ向かった綴くんに着いて行こうとしたところで、なんとなく躊躇って足を止めてしまったわたしは、隣から聞こえる自分を呼ぶ声に振り向いた。
「手出して」
「え、」
「いいから」
早く、と言われるがまま右手を掴まれ、意味も分からずその手を上に向ければ、自分の前に差し出されたわたしの手の平をスッと引き寄せた万里くんが、いつかのようにそこへ唇を近付け、呟いた。
「行ってこいよ」
「え……」
「ほんとは、会ってほしくねぇけど」
「……」
「#name1#ちゃんが俺以外の誰かの為にいつまでもそういう顔してる方がムカつくから」
「万里くん、」
「これはせめてもの悪足掻きな」
そう言って、言葉と同時に指先へ送られたのは、ほんの少し唇が触れるだけの可愛らしいキスだった。
「いつもの#name1#ちゃんなら、ここでなーに?って嬉しそうに笑ってくれんだけど」
困ったように眉を寄せて、こちらをのぞき込むようにして言われたその言葉に、これが今の万里くんの精一杯なんだということを気付かされた。
彼は大人だ。例えどんなに言葉にしたいことがあっても、無闇矢鱈にそれを相手にぶつけるような馬鹿ではない。故に、こんなにも遠回しな言い方なのだろう。
行ってほしくない。しかし、このまま放っておけば、現状は何も変わらない。当事者であるわたし以上に、そのことを理解し、必要だと認識している万里くんからの言葉に、胸が痛くなった。
「万里くん」
「なに」
「ありがとう」
「……」
「万里くんのおかげで頑張れそう」
「そら良かった」
すくい取られた手をゆっくりと離して、少し先にある稽古場へもう一度足を踏み出した。
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