食事は好きだ。口いっぱいに広がる幸福感が、自分は生きていると実感させる。親しい仲との食事のひと時も好きだ、その幸せを分かち合うことができるから。
しかし、料理の才は私にはなかったらしい。今まで作り上げたものは、どうみても焼け焦げたあとの塊ばかり。見た目はともかく味ならと口にしても無味にしか思えず、とても人前に出せる代物ではなかった。数をこなせば上達すると信じ続けてはいるのだが、なかなか成果が得られずにいる。
そんな私でも、唯一、作れる料理がある。それは、——
『幸せな食卓の囲み方』
「どうかしたの?」
ぼうっとした意識で空を見る自分に、チセリートが案じて声をかける。反射するまま視線を前に戻して、キィザはなんでもない、と返事をした。
「ならいいんだけど」
からんと耳触りの良い音が響いた。兄は氷だけが残ったミルクティーのグラスをくるりと回し、一息つく。もう一杯頼もうかと尋ねれば、大丈夫だと返された。ついでに、俺にはもっと食べてくれとも。
今日は兄と久々の外出をする日だ。互いの希望が特にないまま行きつけのカフェで過ごすうち、テラス席を吹き抜ける薫風に俺は思わず微睡んでしまう。
「最近仕事はどう?」
先ほどのグラスをコースターに戻して、兄は何気なく訪ねてきた。
「仕事…あれを仕事と言っていいんでしょうか」
「助手も書庫の整理も立派な仕事だよ」
ううん、と唸る俺を横目に、兄の表情は楽しげだ。
「僕はね、キィザが一人でも頑張ってると思うと本当に嬉しくて」
「もう、何回目ですかそれ……」
感極まるようにして顔を覆う兄に、俺は半ば呆れながら呟く。先生の所へ行ってから耳に胼胝ができるほど聞いた話。もう子供じゃないんですよと伝えても、兄にはいつまでも赤ん坊に見えてしまうようだ。
「うまくやってますから」
「本当に?何かあったらすぐに言うんだよ?」
「心配しすぎです」
元々過保護な面はあったけれど、それが増したような気がする。どれもこれも自分が甘えてきてしまった証拠だろう、兄には十分世話になったし、これからもその恩を返していくつもりだ。
それよりも、と兄が続ける。
「やっぱり、何かあったでしょ」
先ほどと似たような問いかけに、俺はため息をつく。
「何のことですか」
「僕には分かっちゃうんだから」
この人には敵わないな、と顔が緩む。俺は意を決して、先刻あった出来事を話し始めた。
「実は——」
***
「——先生?」
兄との約束のため、いち早く支度を済ませて玄関へと向かうキィザは、台所に立つ人影に思いがけず声を上げる。
「ああ、キィザ」
呼び声に気づいたその人物は、笑顔でこちらに振り返った。手には折りたたまれた洋紙と見覚えのある菓子の本を持っており、今からなにをするのか容易に想像できた。
「……もしかして、何か料理でも?」
「まあな」
久しぶりに作りたくなって、と先生は答えた。その言葉に俺は思わず顔をしかめる。まずい、と気づいたときにはもう遅く、先生はその一瞬の反応を見逃さなかった。
「なんだ、何か不満でもあるのか」
形の良い眉をひそめて、咎めるように言われてしまう。
……正直に言うと不満しかない。何せ先生の料理は……。
——前に一度、先生の手料理を食べさせてもらったことがある。
しかしそれはもう食べ物ではなかった。炭の塊、ダークマター。かろうじて分かるのは前菜だろう皮ごとぶつ切りにされた野菜のみ。見た目より味、とすら言えないほどの視覚と嗅覚の暴力に、俺はすぐに席を立ち去ろうとした。実際に腰が少しだけ浮いた。
しかしわずかに残された良心が、出されたからには食べなければと訴えかける。ましてや作ったのが先生となると……。
俺は震える手でスプーンを持ち、元が何だったのかわからないソレをおそるおそる掬い上げる。瞬間、ひ、と声を上げそうになるのを慌てて抑えた。
にちゃり。炭だと思われたそれからは考えられない感触が匙越しに伝わる。横目で先生を見ると、満面の笑みで早く早くと催促していた。
キィザは意を決して、両目を固く閉じる。……明日無事に生きていますように。そう願いながら——口に含んだ。
……正直、その後の事はよく覚えてない。気が付くと見慣れた天井がそこにあった。
キィザ、と呼びかけられた方へ顔を向けると、ベッドの横に先生が座っており、俺が目を覚ましたことに安堵の表情を浮かべていた。どうやら自分はスプーンを咥えたまま意識を失ったらしい。慌ててベッドに運んで今に至る、ということを先生から訊かされる。すまん、と申し訳なさそうに俯く彼女に、それ以上なにも言えなかった。
後にそのことをユノンさんやアルフレッドさんに言うと、ユノンさんには声を大にして笑われ、アルフレッドさんにいたっては「よく食べたな……」と物凄い目で見られた。自分だってなぜ口にできたのか分からない。あの時の自分は魔王に立ち向かう勇者だったかもしれない——
なんて。くだらない思考は置いて、しかし、とキィザは思い返す。先生はよほどショックだったのか、それ以降自分に料理を振る舞うことはなくなった。なのに今、先生はキッチンにいる。……どういうことだろう。