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「エルヴィン、俺だ」
「入れ」

エルヴィンは机から顔をあげる。リヴァイは部屋に入ってくると、ソファにどさりと座った。部下に紅茶の用意だけ頼んで、エルヴィンはその向かいのソファに腰掛ける。

「起きたか」
「いや。今日は1日ぐっすりだ」

既に外は暗い。ランタンの光でしかリヴァイの顔は見えなかったが、随分と眉間に皺が寄っているせいで、まるで般若のようになっている。

トロスト区にて巨人に勝利したその日、ナマエは血まみれでゴーグルに抱えられて壁の上に帰ってきた。
医療班の診断は、ひどく残酷なものだった。死んでもおかしくない、ぎりぎりの状態でナマエは生きているというのに、左足首の粉砕骨折はきっと上手く繋がらないだろう、これからは松葉杖で生活するしかない、などと言う。
もう2度と戦えないだろうと告げられてホッとできるほど、ナマエは若手というわけでもない。もう既に歴戦の兵士の域に達している彼女にとって、それはきっと死ぬよりも辛いことだ。

しばらくして、部下が紅茶を持ってきてくれた。彼にお礼を言って、そのまま今日は業務を終わりにしてもらう。リヴァイと2人、紅茶を飲んだ。

「それで」

リヴァイは足を組む。

「ナマエをどうするんだ。考えてあるんだろう」
「技術班を立ち上げてもらう」

技術班?と首を傾げるリヴァイに、兵器開発のための組織だと説明を加える。

「ナマエはものが作れるからな」
「そういうことか。まあ、お前はナマエを死なせないだろうとは思っていた」
「当然だ」

むしろ、とエルヴィンは思う。

「今回の怪我は、正直ちょうどよかった」

その包み隠さぬ物言いに、リヴァイはちょっと黙って紅茶を飲む。

「……調査兵をやめてほしかったのか」
「ああ、そうだ。ここ最近はずっと、どう言って調査兵をやめて、技術班を立ち上げてもらうか考えていた」

ナマエが訓練兵の時から、エルヴィンは彼女に目をつけていた。立体機動装置を改造してしまったというナマエ・ヤーシュラット。
訓練兵としての成績は下から数えたほうが早かったが、技巧科ではなく調査兵団を希望しているらしいと知った時点で、エルヴィンは彼女を自分の班に引き抜きにかかった。技巧科への信頼は薄い。自分で使える、技術者が手元にほしかった。

壁外では凡人は呆気ないほど真っ先に死んでいく。ナマエがエルヴィンの班でなかったら、きっと初回の壁外調査で死んでいただろう。改造した立体機動装置を使った動きは決して悪くはなかったが、いかんせん身体の使い方がなってなかった。ナナバが特訓をつけて、ようやく一皮剥けたのだ。
それでもエルヴィンは、毎回ナマエを比較的安全な位置に置いていた。そして何人かのメンバーには、ナマエの命の優先順位が高いことを伝えていた。ナマエを死なせるつもりは1ミリもなかった。

技術は重要だとわかってはいたが、エルヴィンはナマエと関われば関わるほどそれをより強く実感した。実感すればするほど、彼女の命は他の調査兵よりもどんどん優先順位が高くなっていった。

「そんなにあいつの技術が重要なら、なぜ初めから技術班を作らなかった?キースはお前の話は聞くだろ。何より、あいつは調査兵としては平凡すぎる」

リヴァイの問いに、エルヴィンはそうだな、と頷く。

「下手に技術班を作れば、いまごろ憲兵団に引き抜かれたか、あるいは殺されていた。この壁の中で、技術者の立場というのは難しい」

以前、エルヴィンが入団したばかりのころには、調査兵団にも形だけの技術班があった。
形だけなのには、理由があった。優秀な技術者は、なぜか軒並み揃って技巧科か憲兵団に引き抜かれるのだ。知見を兵団跨いで広く伝えるため、などとほざいてはいるが、そうではないことは明らか。なぜなら頑なに引き抜きに応じなかった技術者は、どこかで事故で亡くなるからだ――エルヴィンの父のように。
そうして気づかぬうちに、調査兵団の技術班はなくなっていた。巨人の捕獲ができなくなったのも、そのころだ。きっと、駐屯兵団も同じような状況だろう。

立体機動装置が発明されたのは70年前、固定砲台もその後すぐ開発されたというのに、それ以降の技術進化が大変緩やかなのは、そういう背景があった。
中央は、発展や進化に否定的である。新しいものを形にできてしまう技術者の立場というのは、実に危うい。

だから、ナマエは本当に掘り出し物だったのだ。
ものを作る技術を持ちながらにして技術班のない調査兵団に入りたいなどと言う、ナマエ。エルヴィンはこれまで、中央に目をつけられないように10年以上、彼女をできる限り生かしてきた。

「つまり、あいつを手元で生かしておくために、技術班を作るタイミングを見計らっていたんだな」
「そういうことだ。正直、ナマエはいつ死んでもおかしくない。彼女は、優秀すぎる」
「お前やハンジの要望をほとんど叶えているところを見ると、そうなんだろうな」

技術のことなど正直さっぱりではあったが、エルヴィンは確信していた。ナマエは、技術者として逸材だ。どんなに突拍子がなくても、こちらの考えたことを豊富な知識と技術によって何でも本当に実現してしまうのだ。

「リヴァイ、時期が来たんだ。彼女が入団して――12年経ったか。ようやくだ」

エルヴィンは、今、技術班を作るべきだと確信していた。
エレンという人類にとっての切り札が見つかると同時に、まるで入れ替わるように彼女は前線に出られなくなった。これが、時期でなくてなんなのか。
それに、もうそろそろ片手間では追いつかないような兵器の開発もしてほしいと思っていたところだ。

「時期か」
「ああ。彼女は、これからも生きてこそ真価を発揮する。どんなに彼女が辛くても。……リヴァイ、君と同じだ」

リヴァイは、エルヴィンを下から睨む。

「てめぇもそうだろうが」
「いや、私は違う。死ぬべきときはくる。団長というのは、そういうものだ」
「……」

しばらくじっと視線を交わす。それからリヴァイは、仕方ねえな、とでも言うようにソファに深く背を預けて、紅茶を飲んだ。
同じように紅茶を一口飲む。それにしても、面白いこともあるものだとエルヴィンは思う。

「ナマエのことを、随分気にかけているな」
「あ?」

ナマエが生きて帰ってきて、彼女の怪我の状況がわかってから、リヴァイは空いている時間のほとんどを彼女のいる病室で過ごしていた。夜でさえも。たまに覗けば、彼はいつもベッドの横に座って目を閉じるナマエの顔をただ見ていた。
これまで、リヴァイはほとんどナマエの見舞いに行ったことはない。彼女が過去2度、壁外から単独帰還したときでさえ、駐屯兵団のところへ迎えには行っても、見舞いには行かなかった。他の部下や接点の多い仲間の見舞いには行くのに、不思議だとは思っていた。
普段のコミュニケーションで支障があるわけでもないので、特に指摘することもなかったのだが、今回のリヴァイの――あえて言葉を選ばずに言えば、ナマエへの執着はちょっと驚くほどだ。

「見舞いにすらほとんど行ってなかったのに、珍しいじゃないか」

リヴァイはため息をつく。

「何を言ってやがる。今回は、ハンジが巨人の研究で手一杯だからだ」
「違うな」

手に持つカップを指で撫でる。

「ハンジに俺が見ておくって言ったんだろう?」
「……なんでお前がそれを知っている」
「当たりか」
「あ?」

綺麗に鎌にかかったことに、エルヴィンは、はっと笑う。お返しに、舌打ちが返ってきた。
リヴァイの眉間の皺が深くなる。

「同僚として、今回は面倒を見るべきだと思った。それだけだ」
「同僚として、か」
「ああ、同僚としてだ」
「……リヴァイ、それは、無自覚なのか」

そう問えば、リヴァイはエルヴィンから視線を外す。
明らかに彼は、同僚として、なんて思っていない。

「……珍しくうるせえじゃねえか、エルヴィン」

エルヴィンは肩をすくめる。

「大事な部下だからな。ナマエも、君も」

目の前の不器用な男は、少し考えるように黙る。
彼の言葉を待ってエルヴィンも黙れば、彼は諦めたように口を開いた。

「……俺はもう31だ。青くせえガキじゃねえ。自覚くらいある」
「そうか」
「……」
「本気で誰かを想うことはなさそうだと、勝手に思っていた」
「……避けるようにしている」

そういって彼は、紅茶のコップに目を落とす。なぜ、とエルヴィンは尋ねる。
リヴァイは息を吐くように言った。

「大切なものは全部呆気なく消えていくからだ。――だから、大切なものだと思いたくない」

エルヴィンは目を僅かに見開く。想定以上の答えに、少しだけびっくりした。

「……ずいぶん大切なんだな」

そう言えば、リヴァイはコップをかちゃりと置いて、立ち上がる。紅茶もいつの間にか飲み終えたらしい。

「何度も言うようだが、他と変わりねえ、ただの同僚だ。……俺は行く、明後日からの計画の詰めがある」
「今日の夜も、明日も、見舞いには行くのか」
「……なんでもいいだろうが」

行くんだな、とさすがに察した。

「そうか、わかった。後々のことは、心配するな」
「余計なことは言うなよ」

しっかり釘を刺された。

「わかっている」

ぱたん、とドアが閉まった。

エルヴィンはひとり、残った紅茶を飲む。


『大切なものは全部呆気なく消えていくからだ。――だから、大切なものだと思いたくない』

地下街出身の彼らしいといえば、彼らしい言葉だ。
いったいなぜナマエなのだろうと考えて、ふと、2人の言葉を思い出す。

『あの人の立体機動、綺麗だねえ』
『あいつの立体機動、普通じゃねえな』

紅茶をテーブルに起き、エルヴィンはそういうことか、と独りごちた。

単純なことだった。2人とも、立体機動を心底楽しんでいた。だから、最初からお互いをよく見ていた。
ナマエはリヴァイの飛び抜けた立体機動をよく見ていたし、リヴァイもナマエの独特な立体機動をよく見ていた。

――よく見ていれば、互いの状況にも変化にも敏感になる。そうなれば。

そうなれば、優しい2人はどちらもそれを気遣うだろう。
かつて昔、ファーランとイザベルが死んだときに、ナマエがリヴァイに彼らの腕章を渡したように。
ちょうどいま、ナマエが調査兵団をやめなくてはならないときに、リヴァイがナマエの目覚めるのをずっと待っているように。

「自然な流れだった、ってことだな」

エルヴィンは満足する。
リヴァイとナマエには辛い立場を背負ってもらうことになる、とエルヴィンは直感していた。2人がそれでも幸せになれる道も、もしかしたら、あるのかもしれなかった。