見覚えのある、港。懐かしい、港町。
記憶とは僅かにズレがあっても、ここへくるたびにあの頃を思い出す。
「……10年ぶり、だね」
海を超えると空気も変わるのだろうか。なんだか味が違う気がして、ナマエはゆっくり深呼吸する。隣でリヴァイも目を細めた。
「ああ、10年ぶり、だな」
「……ただいま、パラディ島」
「ただいま」
▽
天と地の戦いが終焉を迎え、パラディ島と連合国とが和平条約を結んでから、25年もの時が流れた。
ようやく子どもたちも全員自立し、最近初孫ができた。時折彼らがナマエたちの家に遊びに来ることはあっても、高齢となり既にそれぞれ仕事からも引退したナマエとリヴァイは、日々ゆっくりと流れる時間を2人で共有していた。
「もう、船や飛空艇に乗るのも難しくなるね」
そう、ナマエが言ったのはついひと月前ほど。
25年間、ナマエとリヴァイは仕事の傍ら世界中を飛び回って調査兵団らしく報告書なるものを書いてきた。生活、遊び、街並み、思想、技術、生態系。そんなものを気まぐれに取りまとめた報告書が、家には何十冊と整理されていた。
だが、歳をとるにつれて明らかに体力も落ち、古傷も痛むようになっては、未だ元気に歩けたとしても海を渡るのには限界が来る。
「最後にパラディ島だけは、行きたいと思わない?」
「和平条約を結んでいるとは言え、また面倒なところを選ぶな。俺もお前も、あっちでは一部の人間にとっちゃ『悪魔の象徴』みたいなやつだろうが」
「そうだけど、でも行きたいよね?」
「わかったわかった。パラディ島なら、アルミンとヒストリアには事前に話を通しておく必要がある。連絡を入れておく」
「ありがとう」
パラディ島は、ナマエとリヴァイにとっては故郷にあたる。どちらも、動けなくなる前にここにはもう1度来たかった。
リヴァイが手を差し伸べてくれる。その暖かい手を握って、ナマエはゆっくり船を降りる。
結局、ナマエの右足首は一生治らなかった。一方でリヴァイは、失った右目と右手の指数本以外はいつのまにか治しきっていた。時間はかかったとは言え、一時期は同じように足を悪くしていたのに驚異的な復帰力だ。アッカーマンの力は失われたはずなのに、彼の気力は彼の気質そのものでもあったらしい。
松葉杖をことり、ことり、と前に進める。リヴァイも荷物を持って並んで歩く。
港町は活気に溢れていて、ナマエはなんとなくホッとする。
港町に建っている建物は、ナマエが昔ここにいたころとはだいぶ様変わりしている。それでも港の麓や、町の区画割りは当時と同じで、ナマエはその頃のことをまるで昨日のことのように思い出すことができた。
リヴァイが会合で港町に来たときには、視察も兼ねてよく散歩をしたものだ。
「……よくここを一緒に歩いたな」
同じことを考えていたことに、ナマエはちょっと笑う。
「視察という名目でね」
「名目だと?違うだろ、ちゃんと状況を把握する必要はあった」
「そうだけど、楽しみだったよ」
「あ?ただの仕事だろうが」
いまちょっと照れたな、とナマエは笑う。リヴァイは割とわかりやすい。
「実はリヴァイが港町に来てくれるの、結構助かってた」
「助かっていた?」
「うん」
港町に住んでいたころ。
これは、リヴァイにもハンジにも話していないが、女性ひとり乗り込んできたということもあって、ナマエは時折性被害に合うことがあった。未遂で済んだからよいものの、当時一番辛かったのはなによりそれだ。ナナバの特訓のおかげで2人くらいまでならまだ撃退できたが限界はあるし、仲良くなった義勇兵やマーレ工兵が助けてくれても被害はなかなか減らなかった。
なのに、リヴァイと一緒にいることはそれだけで抑止力になったらしかった。彼が港町に来るようになって、一緒にいるところを見られるようになってから、各段に被害は減った。人類最強の名は伊達ではない。よって、ナマエとしては実利もあったのだ。
ただそのせいで、逆に別の憶測も生まれるようになったわけで。
「でも、みんなうるさかった。リヴァイとどういう関係かって、あのときたくさん聞かれた。恋人なのか、私はリヴァイを好きなのかどうかって」
「そうか。で、なんて答えた」
「え。わからないって答えたけど」
リヴァイの眉間に皺が寄って睨まれる。
実際当時は本当にわからなかったし、今更そんなふうに怒っても仕方ない話なのだが。
「だって、リヴァイもそういうの考えてなかったでしょ」
と、ちょっとむくれる。
「私、忘れてないからね。港の建設で忙しかったときに、リヴァイが『休め』って言ってくれたのに、お出かけのお誘いじゃなかったこと。引きずってるからね」
あえて昔々の思い出を引きずり出せば、リヴァイが気まずそうに目を逸らす。
「あの時のお前は、いろいろ背負いすぎてるように見えていた」
「『休め』って言ってくれた時、ちょっとだけ――本当に本当にちょっとだけ、期待しちゃったのに」
「わかった、悪かった」
ナマエの頭に手が乗って、ぽんぽんと宥められる。おじいちゃんおばあちゃんになっても、リヴァイはよく頭を撫でてくれる。
列車に乗って、王都方面に向かう。
昔はシガンシナ区までしか通っていなかったが、線路が伸びたらしい。
列車の窓から外を眺めれば、昔は広大な自然だった場所にもどんどん町ができているようだった。壁がなくなってから、移動も開発もしやすくなったのだろう。老害だと自覚しつつも、ナマエはなぜかちょっと寂しい気持ちになる。
「……もう、壁はないんだな」
「ね」
壁を越えていく、調査兵団を思い出す。向かいの席で、窓に肘をついて外を眺めるリヴァイも、きっと同じ昔を思い出しているに違いなかった。
王都で列車を降りれば、見覚えのある顔が待ち構えていた。ヒストリアの護衛だ。彼女が女王になったころからずっとなので、ナマエともリヴァイとも面識がある。
「お待ちしておりました」
「お久しぶりです」
「久しぶりだな」
「お久しぶりですね。どうぞ」
2人で馬車に乗る。護衛がドアを閉めてくれた。
馬車から外を見れば、ここ10年でかなり街が発展しているのがわかった。街灯も増えているし、道も舗装されているし、自動車もいくつか通っているのが見えた。自動車はオニャンコポンの故郷で作られたらしいが、こちらにも輸入されているようだ。
しばらくしてひとつの大きな建物に到着し、護衛に案内されるまま部屋に入る。このあたりの一級のホテルだ。護衛曰く、ヒストリアが用意してくれたとのこと。
「なぜ、こんな。身に余ります」
ナマエがそう言えば、護衛が少し悲しそうに笑った。
「……少し前まで、女王陛下の御威光もあって平和的に物事を進めてこられました。ですが、最近少々状況が良くないのです。内部で、女王陛下の平和主義に対して、王女を――次の女王となられる方ですが――掲げた積極的進撃派なるものが民意をまた吸収し始めまして」
「……」
「なので、おふたりの身の安全の確保という意味もあるのです。エレン殿を倒されたリヴァイ殿や、軍に戻られなかったナマエ殿を、島の裏切者と考える者も残念ながらまだいます。そうではない、とどれだけ説いても、納得しないんですよね」
「……そうか」
「終わりませんね」
「悲しいことに。王都で街中を歩くのはお控えになられたほうが良いかもしれません。見るものが見れば、お2人のことはわかるので」
護衛は荷物を部屋の隅に置く。
「お荷物はこちらでよろしいでしょうか」
「はい。ありがとうございます。ちなみに、他の場所――例えばトロスト区とか、そのあたりも気を付けたほうがよいでしょうか?」
「他は、大丈夫だと思います。進撃派のほとんどは王都に集結していますから」
「わかりました、ありがとうございます」
夕方にはヒストリアをここに連れてくる、と言い残し、護衛は部屋を出ていく。
リヴァイは、部屋にある簡易キッチンで湯をわかす。昔、タノが作った鍋がより使いやすい形に改良されているものだった。ナマエは荷ほどきを始める。
「……また、だな」
ぽつりとリヴァイが言った言葉は、しん、と心に落ちた。
▽
「お久しぶりです、リヴァイ兵長、ナマエさん」
ヒストリアは、護衛と2人で部屋にやってきた。お忍びで来たらしい。
「ヒストリア、久しぶりだな」
「久しぶり」
彼女と会ったのは、10年ぶりだ。もともと可愛らしい顔をしていたのだが、歳をとってもそれは変わらないらしい。それでも、にこりと笑った顔には、隠しきれない疲労がにじんでいた。
3人で部屋のソファに座る。
ヒストリアは、初めにこんな形になってしまっていることについて、申し訳ない、とお詫びを言った。
「どうにも抑えきれないところまで来てしまっていて。せっかく、皆が連合国大使として何度も何度も足を運んでくれて結ぶに至った和平条約なのに、諦めたくはないんです」
彼女の握った手に、わずかに力が入る。言葉が滔々と出てくることから、ナマエとリヴァイが来るとわかってからずっと言おうとしていたことなのだろうと察しがついた。
「これまで捧げてきた心臓と、生き延びてみんなが伝えてくれたものを、無駄にしたくない。民衆は自分勝手です。何も知らないで、想像できる範囲だけで好き放題言ってる。みんなにも、本当に申し訳ないです」
「……ヒストリアが謝ることじゃない」
ナマエはそっとその手に手を重ねる。
「ヒストリアは偉いよ」
もう、ナマエもリヴァイも、天と地の戦いを機に引退したようなものであった。そのあとに起こった問題のほとんどは、ヒストリアや、そしてアルミンたちが解決に向けて奔走してきた。
彼らは、この年齢になっても、まだ世界と向き合い続けている。
「25年も、こんなに死を見ずに済んでいるのは、ヒストリアたちのおかげだよ。だから、何も間違ってない」
「ああ。ナマエのいう通りだ」
リヴァイがじっとヒストリアを見る。
「お前は、女王としてよくやっている。やりたいことをやれ。それは間違っていない」
「リヴァイ、兵長」
「思ったようにいかなかったときに自分を責めるな。お前を知っている奴は、お前を責めたりなんかしない。どうせ、誰にも結果はわからないんだ。お前らに任せきりで悪いが、……悔いが残らない選択をしろ」
ヒストリアの目元に、涙が浮かぶ。
ナマエとリヴァイは、しばらく彼女が落ち着くのを待った。
「……失礼しました」
しばらくして、ヒストリアは目元をハンカチで拭う。再び見えた瞳には、彼女らしい強さが戻っていた。
「吐き出したら、ちょっとすっきりしました」
「不足を嘆くことは前に進むために大切な儀式だ」
「はい、ありがとうございます。やっぱり、お2人に会えてよかった」
「私たちも、会えてよかった」
「ああ」
と。こんこん、とドアが鳴る。女王陛下、皆様が、というドア越しの護衛の声。
「いいですか?」
ヒストリアがちょっと悪戯っぽく微笑む。リヴァイを見れば、彼も首を傾げる。何か知らされているわけではないらしい。リヴァイが頷くのを見て、ヒストリアはドアに向かってどうぞ、と言う。
ドアが開く。
ナマエとリヴァイが振り向けば、そこにはミカサとジャン、コニーが立っていた。
わあ、とナマエは懐かしさに笑顔になる。
「久しぶりです、兵長、ナマエさん」
「お久しぶりです、お元気でしたか」
「ナマエさん、お久しぶりです」
「オイ根暗、俺にも挨拶くらいはしろ」
ミカサは天と地の戦いののちすぐにパラディ島に戻ってきていたし、ジャンとコニーは和平条約が結ばれてからパラディ島に帰ってきてこちらに住んでいるから、会う機会が各段に少ないメンバーだった。
「お2人が来ると聞いて、声をかけたんですよ」
と、ヒストリア。
ナマエとリヴァイは顔を見合わせる。それから思わず笑ってしまった。2人も、このあと彼らの家を尋ねて回ろうとしていたのだ。連絡もしていなかったので、家にいるかいないかは運任せだったのだが、ナマエは運がよいしきっと会えるよね、などと話していたのだ。まさか、ここで会えるとは。
部屋に沈黙が落ちて、え、とみんなを見れば、全員がひどく驚いたようにリヴァイを凝視していた。
「リヴァイ兵長が……」
「笑った……」
ジャンとコニーの言葉に、リヴァイは、あ?と睨みつける。
「俺だって楽しい時に笑うくらいする」
「俺、これまでに兵長が笑ってるの見たの、2回目とかですけど。そんなに俺たちといるの楽しくなかったんかな」
「初めて見たのは、私が兵長をパンチしたとき」
「あれはいいパンチだった」
「やっぱりナマエさんは兵長が笑っているの、よく見るんですか」
「え?いつも普通に笑ってる……よね?」
「普通に笑うだろうが。なんで自信がねえんだ」
あまりに慣れ親しんだ騒がしさ。皆年齢も重ねたので以前よりかは落ち着いてはいるものの、調査兵団のときに戻ったような、そんな気分だ。
護衛が持ってきてくれたお酒を開けつつ、以前のように乾杯をして、奪い合うこともなく肉をつまんで。
――ああ、いつまでもこの時が続けばいいのに、と。
そう思ってしまうほど、幸福な時間だった。
▽
「カラネス区は、行かなくていいのか?」
「いい。もう、あの時に全部お別れしたから」
トロスト区の駅に降り立ち、リヴァイは再度確認するように聞いてきた。
カラネス区に寄るのであれば、王都からカラネス区に行って、それからトロスト区に回ったほうが港町まで帰りやすい。だがナマエは、天と地の戦いの後にマーレに行くと決めたとき、カラネス区には――祖父の研究所にも、そこに住む友人たちにも――すっぱりお別れを告げた気持ちでいた。
リヴァイはナマエの様子を見て、そうか、と頷く。
ここトロスト区には来ることは、ナマエにとってもリヴァイにとっても当たり前で、話さずともルートに入っていた。行先も決まっている。
たくさんの墓石。
すでにトロスト区も様変わりしており、トロスト区近くにあった調査兵団本部も取り壊されていたが、ここだけは以前のまま残されていた。見渡す限り、何百、何千もの墓石の下に、調査兵団の皆が埋葬されている。
大量の花を抱えて、リヴァイとゆっくり歩いていく。ひとつひとつの墓石の名前を確認しながら、一輪ずつ花を置いていく。
「こいつはよく俺の真似をしていた」
「オルオ?」
「ああ、で、ペトラに怒られていた」
「懐かしい」
「エルドは指揮が信頼できたし」
「そうだね」
「グンタは真面目で補佐が優秀だった」
「いい人だった」
「クライダは、弟の話をしょっちゅうしていた」
「ああ」
「ゴーグルは器用で頼れる部下で」
「そうか」
「ナナバさんには戦闘の特訓をしてもらったの」
「言っていたな」
「ミケさんは変態だったけど頼れるお兄さんだった」
「そうだな」
イザベルとファーラン、バリスの墓石の前には、リヴァイが花を置いた。
テレンとタノ、イディの墓石の前には、ナマエが花を置いた。
サシャの墓石の前にはリヴァイが置いて。
バレットの墓石の前にはナマエが置いた。
それから、エルヴィンの墓石。
リヴァイがそっとそれを撫でる。ナマエもじっとそれを見る。
「……」
リヴァイが黙って、花を置く。
その横には、ハンジの墓石。
ナマエは、それにそっと触れる。なんとなく暖かい気がする。
「……ねえ、ちゃんと見てる?こっちは仲良くやってるよ」
ハンジがそこにいるような気がした。
そっと花を置いて、立ち上がる。
「エレンのお墓はあっちの方角だっけ」
「ああ、そうだな」
壁はない。ここからは、シガンシナ区方面が遠くまでよく見渡せる。
――さぁぁぁぁぁぁ……
風が通る。少しだけ色づき始めたたくさんの葉が散っていく。
ふと、涙が出てきた。
たくさんの視線を感じる。まるで、仲間たちが、こちらを見ているような。
リヴァイに左手で抱き寄せられる。彼の体温が、服越しに伝わってくる。
その顔を見れば、彼の左頬にも、涙が一筋。
「ナマエ、……」
「……うん。みんな、いるね」
自然と、右手の拳を心臓に当てる。
リヴァイも同じようにしているのがわかる。
「……もう、あれから25年か」
リヴァイの言葉にうなずく。
25年も、彼の横でこうやって過ごしてきたのだと思うと、なんだか感慨深い。
「こんなに長く生きるなんてな」
たくさんの仲間たちが死んで、代わりにナマエもリヴァイも生き延びた。
「俺は、お前が生きているのはなぜなのか、いまだに理解ができねえな」
「私も理解できないよ」
「少なくとも2回は、お前を失う経験をしているんだが」
ふふ、とナマエは笑う。
「壁外調査から単独帰還したときね」
「そうだ。……まあ、ただ、結局25年経っても、消えなかったな」
腰に回された手に、力が籠る。
『大切なものは呆気なく消えていく』と、そう言っていたリヴァイに、そうではないと、ちゃんとリヴァイも大切なものに囲まれていいのだと、そう伝えられているだろうか。
リヴァイを見れば顔が思いのほか至近距離にあって、お互いにちょっと笑う。リヴァイの顔には皺もできているが、元気に働いていたからか歳よりは若く見える。
心臓にあてていた右手にリヴァイの右手が重ねられ、おでことおでこが合わさる。ちょこっとだけ、ほんのちょこっとだけ、彼はナマエより視線が高い。
「リヴァイが生きているのは、理解できる。あ、でも雷槍を至近距離で食らって死ななかったのはびっくり。やっぱり、あれを開発したのはちょっとまずかったと思ってる」
「だが、雷槍がなければ壁内の人類は全員死んでいただろうな。俺があれを食らって生きているのは、ハンジのやつのおかげだ。あいつが治療をしてくれた」
「そう言っていたなぁ」
言っていた?とリヴァイは首を傾げる。ナマエは頷く。
「ハンジと一緒に、立体機動で壁の巨人が歩いているのを空から見たの」
「へえ、そりゃ不思議なこともある」
「そう。そのときに、治しておいたから仲良くしてねって」
「ならそれは問題ねえな」
「えっ、ん」
ちゅ、と軽いキス。握りこんだ右手がそっと撫でられる。この歳になっても、2人はまだ時々キスをする。そしてナマエは未だにちょっとどきどきする。
顔が離れて、リヴァイがふ、と笑った。
「真っ赤だな」
「……うるさい。やだ、ここ」
「やだ?」
「だって、みんないそうな気がして」
「どうせここに来るのも最後だ。見せつければいいだろうが」
「最悪なんだけど」
もう一度だけ深く口づけられる。
満足げなリヴァイの顔に、ナマエはちょっと呆れた。
「あーあ、どうするの。向こう行ったらいろいろ言われるよ。私は知らないからね」
「そういや、兵舎で時々問題になったな、こういうの」
「確かになったけど。若い子が多かったし、みんな大部屋だったから仕方ないでしょ」
「……」
じっと黙ってナマエを見るリヴァイに、ナマエはため息をつく。
「言いたいことはわかるけど。私が若い時付き合ってたのは調査兵じゃない人です。なので問題は起こしてません」
「そうか」
「むしろリヴァイの方じゃない?兵士長さんのお部屋、個室だったでしょ」
ああ……とリヴァイの目が少しナマエから逸れて遠くを向く。いろいろ思い出すことがあるらしい。
ちょっとだけ拗ねる。ナマエは知っている、彼は最強なので、一部の部下からは結構モテていたのだ。身長が小さかろうが神経質だろうが、強いだけで十分かっこよく見えるらしいのだから、仕方ない。それに、リヴァイは時が経つにつれて、入団したてのようなばちばちの鋭さが徐々に無くなっていって、部下から見れば怖い一方でとても面倒見のいい人であった。だから、激しい子は夜に押しかけたなんて話も聞いたことがある。
「断りきれずに流れでそうなったのは何人かいたな」
「潔癖なのに、それは問題なかったの?」
「ああいうのは好きとかどうとかじゃない、みんな、死への恐怖を紛らわせたくて来る。そっちの気持ちの方が優先だろうが、だから気にならねえよ」
「この歳になって明かされる衝撃の真実」
「あ?てめぇは血まみれになった部下の手を汚ねえと思うのか?」
「思わない」
「部下のためなら握るだろ」
「握る」
「同じだ」
同じかどうかはわからないが、リヴァイにとっては同じらしい。
まあ、若い頃なんていろいろあるものだ。ナマエとリヴァイが結婚したのは、どちらも30を過ぎてから。若い頃の経験あってこそのお互いである。
「……だが、こんなに失いたくないと思ったのはナマエが初めてだ」
くしゃりと右手で頭を撫でられて、ナマエはそっか、と笑う。
リヴァイはいつも、ナマエに対して好きとかそういう言い方をしないで、今のような言葉を使う。ナマエはなんとなくリヴァイらしい愛情がそこに感じられて好きだった。
結婚してちょっとしたころ。ナマエが足を駄目にしたときに言った言葉の意図を聞いたことがある。
『潰れるくらいなら、ナマエ、お前は苦しんででも生きてくれ』
なんであんなことを言ったのかと。回答は至極単純だった。
『ん?……ああ、まあ、ただの我儘、だな』
ナマエは、彼の大変な私情によって、ここまで生きてきてしまったのだ。
だけど。
「ねえ、リヴァイ」
大切な人に、あんなふうに生きてくれ、なんて言われて、ナマエはそれを反故にすることはできなかった。足が使えなくなって以降、仲間の死を知るたびに足の動かない自分の無力感に苛まれて、夜になるたびに自分のために犠牲になった仲間たちの命の重みに苦しくなって、生きるのも嫌になって、でもそれでも彼に生きることを請われれば、簡単に死ぬことなんてできなかった。
灰がかった瞳。目線が絡む。
「なんだ」
「好きだよ」
「……知っている」
「ずっと好きだよ」
「うるせぇな、何回も言わなくてもわかっている」
「言っても減るもんじゃないし」
「……俺もだ」
え、と目を見開く。
彼は困ったように眉を寄せた表情で。この人は優しい顔になると、いつもこうなのだ。
「何を今更、そんなにびっくりしている。死んでも離さねえからな。あの世に行って昔の彼氏がいても、目移りするなよ」
「しないよ」
「エルヴィンにもだ」
「なんで団長?目移りなんてしないってば」
「ハンジは……まあ、いい」
なにそれ、と思わず笑う。
「ねえ待って、意外とリヴァイってやきもち妬く人なの?」
「妬かねえよ」
「……今の流れでよく否定できるね」
「……」
「あの世でも、生まれ変わっても、ずっとリヴァイが好きだよ」
ぎゅっ、とリヴァイの眉が寄せられて、それから強く抱きしめられた。ナマエも両手をリヴァイの背中に回して、その肩に頬を寄せる。心が満たされていく。
「もうちょっとだけかもしれないけど、まずは残りの人生、一緒に楽しめるといいね」
彼の身体が、暖かい。
「そうだな」
身体が離されて、目が合う。リヴァイの表情が優しく柔くなる。
空を見上げれば、視界を遮るものは何もない。
天井もないし、壁もない。
陸は広くても鉄道があるし、海はあっても船や飛行艇がある。
どこまでだって空は繋がっていて、どこまでだって行くことができる。
もう少し見守っていてね、とナマエは空に向かって声をかける。
――まだ、仲間との再会まではあともう少し。
――次に会う時には、そちらで。
▽
余談
▽
「ねえナナバ!!!すっげえ見せつけられてるんだけど!!!ほんと、リヴァイ、腹立つ!!!」
「ハンジさん、落ち着いてください!当たらないとはいえ、兵長に殴りかかるなんてやめてください!!!」
「ナマエの好みは全然理解できないけど、幸せならいいでしょ。あの子、リヴァイのこと結構好きそうだったし」
「なんだ、あの2人、そういう関係だったのか。エルヴィン、知っていたか」
「キース団長。私も途中までは気づきませんでした。ただの仲の良い同僚かと」
「いや、初めからあの2人はああいう感じだった」
「さすが、鼻が利くな、ミケ」
「ねえ、リヴァイ」
「なんだ」
「なんかいま、髪が」
「あ?……チッ、なんか耳鳴りがするな」
「え、リヴァイも?私はなんかこう、頭の中にちょっとエコーがかかってるみたいな……。ねえ、やっぱり、見せつけたのが良くなかったんだよ」
「見せつけて、誰が怒るんだよ。別に問題ねえだろうが」
「なんとなくだけど、ハンジは怒りそう」
「……やっぱりてめえ、あの世に行ってハンジに目移りするなよ」
「なんでよ?しないってば」
頑張ってきたみんなが、幸せに穏やかに過ごせますように。