審神者の元気がない。
近侍を務める山姥切国広は、眉間に皺を寄せてその後ろ姿を見つめた。
この本丸に住う刀剣たちを纏める審神者は、他の審神者とは異なり、意思疎通が極端に難しい。
まず言葉を話すことはなく、相槌を打つ事もない。時折、不思議そうに首を傾げるだけだ。
感情表現といえば、嬉しいか、嫌か。
ご飯は好き。遊ぶのも好き。長時間の話し合いは付き合いきれずに欠伸を掻いて座布団の上で丸くなる。
そう、この本丸の審神者は犬と呼ばれる生き物だった。
さにわの飼い主さま
時を渡る扉の前がすぐそこに見える玄関口にじっと座り、時には何時間も何かを待っている。
誰を待っているのか、薄々は分かっているのだ。しかし、それをどうする事もできずに歯痒い思いをしていた。
しかし解決策が見つからないうちに、ついに食欲までなくなってしまったのだ。
水分は何とか摂るもののそれ以外は食事を見ても少し匂いを嗅いだかと思えば、フイッと顔を逸らしてしまうのだ。
結果、そんな日が3日も続けば食事を担当していた燭台切も、配膳を担当していた長谷部も相当落ち込んでいる。
「あるじさまは、おうちがこいしいのです」
「しっかし、主には飼い主がいたのか?いたなら普通、手放すか?」
「…そういう者がいても不思議はないだろ」
御手杵と山姥切国広の言葉に、何振りかには眉間にしわが寄る。自分の主を手放す人間がいるということなのだ。それも当然だろう。
「こんのすけくんに聞いても、詳しい情報は教えてもらえなったんだ…」
「だが、このままでは」
「政府にもう一度問い合わせてくるよ」
「俺も行こう」
立ち上がった燭台切に長谷部が続くと、残った刀剣たちは外を見続ける主に心を痛めた。
「僕、主君のところに行ってきます!」
「ぼ、僕もいきます」
「俺も行く」
せめて水分だけでもこまめに摂らせねば、体力もどんどん減っていくばかりだと秋田と五虎退の後に水入れを持った薬研も続く。
山姥切はそれを見送りながら、自分の不甲斐なさを再度かみ締める。
そんな中、バタバタと突然聞こえた足音と、勢いよく開かれた襖の音に驚くもこんのすけの声に更に一同の動きを止めた。
「皆様っ!通達でございます!審神者様の飼い主さまがこちらに向かっておられるとのこと!」
「「!!」」
こんのすけを抱きかかえて戻った嬉しそうな燭台切と、複雑そうな表情を浮かべた長谷部は、詳しい詳細をとこんのすけに詰め寄る。
「は、はい!実は…」
バン!!と、こんのすけの声を遮るかのように、正門の扉の開く音が響きそれを待てぬかのような声が本丸に響いた。
「審神者犬っ!!!」
聞きなれぬ声に一同門の前に向かって駆け出すのに時間はかからなかった。
*****
門が見える玄関に座っていた審神者犬は、その気配に声が聞こえるよりも早く駆け出した。
傍で見ていた刀剣たちもあと追うが早いか、次の瞬間目に飛び込んできたのは泣きそうな顔をした女性がしゃがみ、飛び込んでいく審神者の姿だった。
「ごめん、ごめんね、一人にして!」
キューキューと恋しそうになく審神者に、「あーもう、こんなに痩せて」と堪え切れず涙を流し、それを舐める審神者を見て先ほどまで考えていた一同は、先ほど浮かんでいた飼い主増を一瞬で壊されたであろう。
長谷部があの、と声をかけようとした瞬間、ひとしきり感動の再開を終え、審神者を抱きかかえながら、次はと女性が方向を変えた先にいたのは、スーツ姿の政府の人間と思わしき人間が真っ青な顔をしている。
恐らく女性と時を同じくして本丸に入ったのだろうが、気の毒なほどに怯えの表情を浮かべている。そんな表情を知ってなお、女性はガン!とローヒールではあるが力強く政府の人間の横壁を蹴りあげて退路を塞ぎ、下から覗き込むようにして微笑んだ。
「で、どう落とし前つけてくれるんでしたっけ?」
「っ!で、ですから、政府としては最大限のお礼をですね!」
「こんな紙切れ(小切手)一枚で留守中にうちの子連れていっておいて、最大限!あげくに、審神者とやらになったら、こんな風になっていることに対応もしてくれてない。最大限って何ですか?人間のためにこの子が犠牲になってもいいなんて、神様にだってそんな権限ありませんよね?」
「そ、それはですね」
世が世ならモンスターペアレンツと呼ばれても遜色ない言い分だが、それが自分たちの主の事だからか、誰も反論する者はいない。
「とにかく、連れて帰ります。ここの責任者連れてきて」
「え、責任者はこの審神者として連れてこられた…」
「に・ん・げ・ん・の!」
「落ち着いてください、ここに人間の代表はいないんです!」
「余計に落ち着けないですよね?それ!うちの子を一人でここに放置していたって言うんですか?」
「いえ、ですからこの方々が…」
「!?」
バッと手を広げて刀剣たちを指すも、女性は目を丸くするだけで視線を手の方角に向けるが、すぐにまたスーツ姿の役人に戻した。
「…ふざけているの?」
「い、いえですから、あ!そうか!こ、こんのすけ!!」
「ここに」
スーツのポケットから慌ててリップクリームの筒のようなものを出すと、役人はそれを女性に手渡した。
この瞬間に、刀剣たちはみな自分が見えていないことを悟った。
「説明はこの管狐のこんのすけから」
「飼い主さま、私の声は聞こえますでしょうか?」
「筒から声!」
スピーカーでもついているのかと、筒を見つめる女性にこんのすけは続けて話しかける。
「私は管狐のこんのすけと申します。審神者様の飼い主さま、どうか少しだけお話を聞いてください」
「……はい」
不思議な出来事に毒気を抜かれたのか女性は、指定されるまま部屋に通されると、途中、玄関には足を拭くための濡れタオル。部屋に通されれば、冷たい飲み物と座布団が敷かれていた。
まるで先回りして誰かがやってくれているようだと考えたが、その姿が見えることはない。
静かで大きな屋敷に、人の気配は全く感じられないのだ。
逃げるように帰っていった政府の人間もいない今、この屋敷に人と呼ばれる存在は女性のみ。
「それではお話しさせていただきます」
座って、出された冷茶を一口飲んとき、また筒から聞こえた声に、女性はゆっくりとうなずいた。
それは審神者の生業、その為に刀剣の付喪神を降ろし、戦わせること。
基本、生活は全てその刀剣たちが審神者の世話もしていてくれたとのこと。
目に目ない存在が、自分のペットの世話をしてくれていたなど俄かに信じられない話だが、現にスピーカーもついていない筒から声がする時点で、不思議でしかないのだから信じるほかないだろう。
「…ということでございます」
「見えないけど、ここに世話をしてくれた神様が居るってことですよね?」
「はい、その通りでございます」
女性は、その言葉を聞くとどこの方向にいるかを聞き体勢を変える。三つ指をつくと深々と頭を下げた。
「うちの子を守ってくれて、本当に有難うございます」
その言葉に、刀剣たちは空気を和らげ、中には見えていないにも関わらず頭を下げ返したりしている。
「こんのすけさん、すみませんがさっきの役人もう一度呼んでもらえますか?」
「かしこまりました」
「あと、ここって使ってない部屋有りますか?」
こんのすけは刀剣たちに確認し「ございます」と返すと、女性はもう一度三つ指をつきハッキリとした声で言い放った。
「でしたら、上に掛け合いますので本日よりこちらでお世話になります」
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こんのすけ「入口の扉は大きさから重いものでしたのに、開けるのも大変だったでしょう?」
沙耶「え、蹴った」
刀剣「蹴った!?」