ーーーワタルが帰ってくる。
ただそれだけを頭に、私は船着場に立っていた。
到着は昼前だと言うのに朝早くからこんなとこに居たと知ったら、ワタルは怒るだろうか。
きっと怒るだろうな。誰よりも人に優しいワタルだもん。
でも最初は神威大門の凄かったところをひたすら話すかな。
それから、尊敬するLBXプレイヤーさんの話。
私はLBXのことはあんまり詳しくなくて、
ただひたすらワタルの楽しそうな話を聴いているだけだったけど、
それでも本当に楽しそうに嬉しそうに話すワタルの声を聞くのが、私にとってとてもとても大事な時間だった。
そんなワタルが、彼のずっと憧れていた神威大門統合学園に入学すると聴いた時は実を言うととても複雑だった。
嬉しそうに私にいの一番に報告しにきてくれたワタルに、愛想笑いしか出来なかった事は今でも後悔している。
私にはワタルがすべてだった。
友達もいなくて、うじうじしてばかりの私に、優しく楽しそうに嬉しそうに話しかけてくれたワタルが。
私はワタルが大好きだったのだ。
だからこそ、笑顔で行ってらっしゃいって言いたかったし、ワタルのことを誰よりも祝ってあげたかった。
けれど、寂しさと再び訪れる孤独に怯え、私はワタルが出航する直前まで彼と会う事を拒んでいた。
会っても彼の強くて優しい目を見て話す事なんて出来ない。
自分の意志薄弱さにはほとほと呆れ果ててしまう。
最後に彼に見せた顔は、涙でぐしゃぐしゃできたなくて、みっともなくて、目も当てられないものだった。
それでもワタルは、私がきてくれて嬉しいなんて優しい言葉を投げかけて、
必ず立派なLBXプレイヤーになって帰ってくる言って、と指切りとおでこにほんの小さなおまじないをかけてくれた。
私だって変わらなきゃ。
私だって、ワタルみたいにいっぱいいっぱい努力して、ワタルの隣に立てるような人にならなきゃ。
そう思って、努力し続けてきて幾月が経っただろうか。
ワタルが帰ってくるとワタルのお母さんから言伝られたのは。
「ワタル…」
久しぶりに小さく口ずさんでみれば、何故だかとても気恥ずかしいことのように思えた。
そうか、ワタルの名を呼ぶのは、そんなに久しぶりなんだ。
手のひらよりも小さく、薄っすらと船が見える。
そんなに長い間ここに立っていたようには思えない。
それとも、ただ単に私が時間を忘れ去るほど物思いに耽っていたんだろうか。
もしそうだとしたらとても恥ずかしい。人に見られでもしていたらどうしよう。
うだうだと考えてるうちに、船は段々と大きくなっていて、
次にその姿を捉えた時には、悠然とした姿が視界いっぱいに広がっていた。
ああどうしよう、まだなんて声を掛けるか決めていないのに。
大きく声をあげて、船はゆっくりゆっくりと停泊する。
慌ただしく船員さん達が出入りを繰り返す。
船からゆらゆらと出てくる人影は、私が間違えようもない人物のものだった。
「ワタル!!!」
先程よりも抑揚をつけて、滑らかに違和感なく叫んだその名は、歩いてきた彼の耳にすうっと吸い込まれていった。
私の声を聴いた彼は、おそるおそる、事態が飲み込めないような表情で私の名前を呟いた。
ああ、なんと愛しい、彼の声だ。
「なまえ、なんで、ここに…?」
「ワタル、おかえりなさい!」
泣きそうなんかじゃない、強くて逞しい笑顔でワタルに語りかけた。
一番言いたかった言葉さえ言えれば、後はどうなったっていいと思いながら。
けれど、ワタルの表情は曇ったままで、太陽のような笑顔は見る影も無い。
赤く染まった目から今にも雨が降り出しそうで、私まで不安な気持ちになる。
どうしたんだろう。どうしたらいいんだろう。
「他に誰も着てないよね?なまえだけ?」
「う、うん。まだ私だけだよ。呼びに行…」
「こっち来て!誰にも見られないうちに!早く!」
ワタルがこの島を出る前に、よく二人で遊びに来ていた湖のほとり。
木こりをしているワタルのお父さんが教えてくれた、私とワタルとワタルのお父さんだけの秘密の場所だ。
水面をじっと見つめてぴくりとも動かないワタルの後ろで、居た堪れない気持ちになりながら私は立っていた。
風が吹いて、彼の尻尾のような髪が揺れると同時に、ぽつぽつと語り始めた。
「ーー役に立てなかったんだ」
「ムラク先輩の、ロシウスの役に、立ちたかったのに、僕は…僕は…」
「ワタル…」
「先輩と同じ場所に立って、同じ任務に当たって、やっと役に立てると思ったのに、」
「…ワタル」
「どうして、最後まで先輩の足を引っ張ってしまったんだろう。僕がいなければ、きっとムラク先輩は…」
「……ワタルっ!」
強く握り締められた拳を引っ張れば、そこだけに力を注ぎ込んでいたのか、あっさりと尻餅をついた。
そのままこっちを向かせ、正座をさせる。突然の出来事にされるがままのワタルは少し面白い。
「あ…あの、なまえ?」
「何過ぎたことをいつまでも昔の私みたいにぐちぐち言ってるの!」
「!」
「その先輩みたいなLBXプレイヤーになるんでしょ!追いつきたいんでしょ!」
「…うん」
「それでも男かっ!男なら追い抜いてみせろーっ!!」
「えっ?!あ、はい!!」
「神威島に届くくらい、でっかい男になってみせろー!」
「はいっ!!」
ワタルの元気のいい返事と同時に、私はぜえぜえと息切れしだした。
こんなに叫んだことなんて初めてだったから、息がし辛い。胸が苦しい。
…けれど、心は打って変わって晴れやかだ。
「そうだよな…僕、何を弱気になってたんだろう」
「わ、ワタル…あの、生意気言ってごめんなさい…!」
「ううん、そんなことないよ!」
ワタルは立ち上がって、風に目を瞑った。
にっこりいつもの優しい笑顔で私に手を差し出して、私を引き寄せた。
「ごめん…それと、本当にありがとうなまえ!」
「…うん!」
「よーし!」
すうっと息を吸い込んで、彼に負けないくらい大きな声を返してくれるだろう山に向かう。
「ムラク先輩に負けないくらい、すごいLBXプレイヤーになってみせるぞーーーっ!!!」
そう言った彼の瞳は、ここを離れて神威大門へと出航した時と同じくらい、
きらきら、きらきら、輝いていた。