審神者は燭台切光忠に好かれていないと思っていた。自分の好意を示す抱擁が、光忠からは拒否されていたからだ。
「しつこすぎるのはよくない」。自分がしつこい性格だと感じたことはなかったが、他の男士から「しつこい」と言われたことがないかと言われれば、否であった。
光忠から頭を撫でることはある。手を引くこともある。けれど審神者からは決して、手は伸ばされない。審神者と光忠には、お互いが交わす言葉に似つかわしくない距離感があった。数年間、ずっと。
「みっちゃんはさ、私のこと好きじゃないでしょ」
「え?」
修行を控えた光忠と、ふと話すことがあった。まだ光忠から修行の申し出は出ていない。ただ、審神者には政府による燭台切光忠の修行申請許可の通告が入っているため、いずれ光忠が修行に行きたいということは分かっていた。だからこそ会話する時間をとったのだが、まだ光忠がそれを知る由もない。
「どうしてそう思うんだい?」
「どうしても何も、いつも距離感じてるから」
「どうして距離を感じるんだい?」
燭台切光忠は母のようだと、そう表現する審神者がいた。言いたいことは分かったが、それは"自分の燭台切光忠"には当てはまらないなと思った。彼の母性のような優しさは、決して母親ではないと感じていたからだ。
「みっちゃんはさ、燭台切光忠がお母さんみたいってよく言われてるの知ってる?」
「そうなんだ、あんまり他の人と話すことないからなあ」
「でも、みっちゃんはお母さんじゃないよね」
拗ねたようなその言葉は、答えを探しているような声だった。
「お母さんだったら、甘えても甘やかしてくれるもんね」
「じゃあ君は、お母さんじゃないならなんだと思う?」
「お母さんじゃないなら……」
お母さんじゃないならお父さん、という考えには至らなかった。父親のイメージは古いかもしれないが厳格なものだ。光忠とは似つかわしくない。そしてよくよく考えてみれば、母親というには彼の優しさはベクトルが違う気がした。父親でも、母親でもない。優しいけれど、つかず離れずというか。近いようで遠い、というかーー……
「お兄ちゃん…そっか、お兄ちゃんか」
「?」
「みっちゃんはお兄ちゃんだったのか」
お兄ちゃんだと思うと、今までの行動が腑に落ちた。
「僕は君のことちゃんと好きだよ」
「そうかも」
「それに、君もちゃんと、僕のことが好きだよね?」
「……そうかも」
「……よかった、私のこと嫌いじゃないんだね」
「もちろん」
「それなら、何があっても大丈夫そう」
安心して笑う自分を見て、光忠もまた顔を綻ばせる。しつこいと言われるだろうなと思いつつ久しぶりに突いてみたけれど、いざその言葉を聞いても、もう心は沈まなかった。
*
「イメージチェンジしてみたんだけど、……どうかな。似合ってる?」
成長が、何より帰還が嬉しいような、でもほんの少し前が恋しくもあるような。そんなごちゃ混ぜにした感情が、そのころころ変わる表情から見てとれる。
なぜか一言も発しない彼女に、まるで対抗するみたいに黙ったままでいる。するとおそるおそる、けれど何度も何度も突いてくる手。出立前にも受けたそれに柔らかく微笑めば、彼女は勢いよく飛びついてきた。
「みっちゃん、おかえり!!好き!!!」
「うん。ただいま、なまえ。僕も君が好きだよ」
待ち望んでいたように、恋い焦がれていたように、何度も頭をすり寄せられて、そっと背中に手を回す。
かつては届かなかったその場所は、あっけないほど簡単に手が届いた。
「えへへ…せっかくだから、しばらく近侍になって貰おうかな〜」
嬉しそうに笑う彼女の首にするりと手を滑り込ませれば、直ぐにでも落ちてしまいそうな、頼りのない柔らかさと温かさに触れ、急いた欲ごと生唾を呑み込む。
彼女の言葉に応えるように耳元で囁けば、彼女は顔を赤くしてあからさまに距離を取った。
「な、な……なんか、お兄ちゃんでもなくなってない?!」
「そうかな?……でももう、抱きついても止めないよ」
両手を広げて「おいで」と呼んでみれば、一瞬の躊躇いの後、おずおずと腕の中に吸い込まれる彼女に、得も言われぬ幸福感と征服欲に満たされる。
もう二度と、彼女を離すことなど出来ないだろう。けれど歯止めも効かないほど踏み込んだその距離に、後悔などかけらもなかった。
「お兄ちゃんじゃ、ずっと君のそばに居られないからね」
小さく呟いた言葉は、彼女の耳には届いていないだろう。
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