The seventh day







  当たり前となった紅玉との会話。
 穏やかに、時に激しく、なまえは紅玉との交わす言葉を当然のように幸せに思っていた。
 きっともうすぐまた彼が来るのだろう。そう彼女が思っていた所で、紅玉がまた幸せそうに口を開いた。

「私、今とっても幸せだわぁ…」

それはちょうど彼女も同じように思っていたことで、彼女もまた幸せそうに頷いた。
こんな日がずっと続けばいいのに。
二人してそう呟いて、またくすくすと声を押し殺すようにして笑った。

なんだか、嘘みたいに幸せだ。
幸せすぎて、かみさまに怒られてしまいそうなほどに。
そう零すと紅玉は人にはすべからく幸せをつかむ権利があると声を荒げて諭した。
そうだったらいい、そうあればいいのにと心の中で繰り返すよう言い聞かせていると、
紅玉が何気なく呟いたその一言でなまえの身体は凍りついた。

「あなたが来てから今日で一週間なんて、嘘みたい」
「………え?」

心臓の音がやけに早くなり、手足は凍るように冷たく、目の前に広がっていた視界は突然色を失った。
嫌な汗が滞りなく流れて、握りしめていた掌は解け、指が震えだした。
嘘であってほしい、どうしてこんな、こんなに幸せな今日なのだろうか。
彼女がどれだけそう思っても、皮肉にも時間は止まってはくれなかった。

「な、一体どうしたのよぉ…?!どこか痛いの?」
「ちがっ…どうし、どうしよう紅玉ちゃん…!」

冷たくて今も震えている手をぎゅっと力強く握りしめてくれる紅玉になまえは思わず縋りつく。
わけもわからず突然襲い掛かったこの状況に混乱しながらも、紅玉は必死に大丈夫だと包み続けた。

足が竦んで立つことも出来ない。
目頭が熱くなるのも知らないふりをして、ガタガタと震える身体を必死に押さえつけていた。

「頃合を見てシンドリアにおいで。歓迎するよ」

ふと心に響いたその言葉に、ぴたりと震えは止まった。
落ち着いたのだと思い安堵する紅玉をよそに、なまえは心にぽっかり穴が開いたような気持ちで紅玉に向き直った。

「……紅玉ちゃん。お願いがあるの」
「え、えぇ!私にできることなら何でも言って!」

ぱあっと明るい表情で彼女の手を握り締め、微笑みかける紅玉。
"その時"が来るまでに、ここを離れなければいけない。離れておかなければ、生きていけない。
そう思いながらぽつりと小さな声でお願いを告げると、
紅玉は一瞬目を見開いて、けれどすぐに了承の言葉を返した。

「シンドリアに行きたかったのね。じゃあ、ジュダルちゃんと、ついでに夏黄文も誘って…」
「駄目!…違う、違うの…!今すぐ、今すぐ一人でシンドリアに行きたいの、お願い…!」
「えっちょっと…!本当にどうしたの、ねえなまえ…!」

今度こそ訳が分からず、なまえを思い留まらせようと紅玉は思わず強い口調でそう嗜めようとした。
けれど、今にも泣きそうなほど目を潤ませてひどく焦った表情をしているなまえに、彼女はすっと立ち上がって、背を向けた。

「夏黄文に言ってすぐに手配させます。なまえは出航の準備をしていてちょうだい」
「紅玉…」
「……だけど、いいわね」

もう一度彼女のほうに視線を向けた紅玉は、顔を真っ赤に染めて、ぽろぽろと泣いていた。


「…絶対に。絶対に、帰ってくるのよ!…っあなたが、なまえが居なくなったら、私っ…!」


続けようとした言葉はぐっと飲み込んで、紅玉はそのまま背を向けて走って行った。
なまえと同じように、涙でぐちゃぐちゃになった顔を手のひらで隠しながら。







 その男は今、笑顔だった。

何もない時でも微笑みに満ちていて、かつてないくらいに活気に溢れていた。
これが幸せなのだと、痛いほどに感じるこの高揚感が求めていた幸せなのだと、深く深く想っていた。

口を開けば一人の少女のことを。
頭で想えば一人の少女のことを。
体で動けば一人の少女のことを。

当然のように口に出し、思い浮かべ、当然のように動いていた。
彼の心は、それほどまでに一人の少女に陶酔しきっていた。

 彼女のことが、好きなのだと。



鴉の濡れ羽色を揺らすその少年の周りには、漆黒の、薄黒い鳥たちで覆われていた。
彼の心のように輝く、純白のルフを隠しながら。

「あ〜ジュダルくんじゃ〜〜ん、何してんの〜?」
「別に。ま、お前の親父のハイエツしてきたとこ」
「ふ〜〜ん珍しいこともあるもんだね〜」

謎のクリームを顔に塗ったままおっとりと喋る紅覇の口調に少し苛立ちそうになるも、
これから先行こうとしている場所にいる少女のことを考えて、ジュダルの心は穏やかになる。
彼女のことを考えると、空を見上げ花を愛でるような、そんな自分に気づくのだ。

「そーいえば知ってるぅ?なんか今ねぇ、出航の準備してるらしいよぉ〜」
「出航?誰か戦争にでも行くのか?」
「ううん、紅玉が独断でやってるらしいけどさぁ」

なんでもシンドリアに行くんだって。
そう紅覇が言ったか言わないかと同時に、ジュダルは目にもとまらぬ勢いで絨毯に乗り飛び去った。
船場につくと絨毯から勢いよく飛び降りて、今にも消えてしまいそうな少女に手を伸ばした。

「…?!じゅ、ジュダ…っ?!」
「……はあっ…やっと見つけた…」

彼女が悟られないようやんわりと振りほどこうとするも、
ジュダルの手はそれを許さないかのようにしっかりと自分の指をなまえの指に絡めた。
下を向いてしまったなまえの頭が上がるのを待ちながら、ジュダルは強い口調で訊ねた。

「何してんだよ」
「……………」

問いただしてみるけれど、彼女は答えない。
答えないどころか、何も言葉を発さない。
先ほどまでの穏やかな感情が嘘のように、ジュダルは酷く苛立っていた。

「離れないって、言っただろ」
「……………」
「……離れたくないって…、言っただろ…」
「……………」
「なんで何も言わねえんだよ…なんで何もくれねえんだよ…!」
「………っ…」
「俺の感情は全部おまえのものなのに!なんでおまえは、俺に何もくれねえんだよ!!」

ジュダルの怒号を聞きつけた紅玉が、ジュダルの名を呼ぶ。
ジュダルはぴくりとも動かないで、そのままなまえを睨み続けていた。

「………違うよ…」
「……何が違うって言うんだよ!俺は…!」
「っ全部嘘なの!」

ようやくジュダルの方を見た彼女は紅玉に縋りついた時と同じように、涙でぐちゃぐちゃだった。
その表情に思わず息をのんだジュダルは、彼女が話し出す言葉を顔を歪ませて聞いた。

「…ジュダルが私を好きだって言ってくれるのは、私を好きだからじゃないの」
「そんなことない、俺は…」
「…ジュダルが、私を好きなのはね、惚れ薬を飲んじゃったからなんだよ」
「……は?」

自分をあざ笑うかのようにそう吐き捨てたなまえの言葉を、ジュダルと紅玉は理解できなかった。

「どういうことなの…?だって、ジュダルちゃんは…」
「私なんかを好きになる理由が、説明つかないし」
「それは…!」
「それにね、」

「一週間たったらね、私のことなんて全部忘れちゃうんだよ」

「………一、週間って…」
「うん、今日。だからね、今日でお別れしないとって」

淡々と語るなまえの目からは、ぼろぼろと涙が零れ落ちている。
するとそれを見ていた紅玉まで、蹲って同じようにぼろぼろと泣き始めた。

「忘れねえよ」
「そんなの、むりだよ…」
「無理じゃない」

ジュダルはなまえを無理矢理引き寄せ腕の中に閉じ込めると、
なまえに、そして自分にも言い聞かせるように何度も何度も繰り返した。

「憶えてるから」
「………うん…」
「…憶えてる、から…」
「………、うん…!」

その意味を咀嚼し始めたなまえは、
懇願するようにジュダルに縋りついて、そして、笑った。

  その日の夜、再びぼろぼろと泣きながらなまえとジュダルは静かに眠った。
 眠りにつくまでなまえが何度も何度も愛を囁くものだから、ジュダルはそれに応えるように最後の愛を振り絞って渡した。
 少しずつ消えていくひとつの感情に、想いを馳せながら。




7日目

(ジュダルと、眠った。)






 

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