警鐘



最近、同じ夢を何度も何度も、繰り返しに見る。昔の記憶に基づいた、とてもリアルな夢だ。いつも同じ場所、同じ時間、同じ人。今日も眠りにつくと同時に、私はその記憶にそっと降り立つ。薄い青の上をオレンジが塗り重なった空に、淡いピンクの雲が漂う。足元を揺れる草の青い香りと、どこかの家から流れてくる温かな食卓の匂い。少し冷たい風が頬に染みて、下校途中の子供達の声が河原に響き始める。その河原の土手の真ん中に座りこんだ私は、目の前を流れる穏やかな川をそぞろに眺める。

「……ねぇ、何してるの?」

ふと隣に、同じ中学の制服を着た、見慣れない男の子が座る。黒い髪がよく似合う、あまり目立つことのなさそうな、大人しい雰囲気の子だ。

「別に……何も………。」

ぽつりとそう言って、体育座りをした私は、前に結んだ両の手をぎゅっと握る。

「……僕もあんまり、友達いないんだ。」

するとそう言って、彼はふっと悲しそうに笑う。その顔に、どこか懐かしいような覚えのある、ひんやりとした切なさを感じた。私は驚いて、その顔を凝視する。少し強く吹いた風が、髪を揺らして連れてゆく。

「よかったら、友達にならない?僕は3年の、"…………"。君の名前は?」

少し気恥ずかしそうに、彼が微笑む。あれ、聞こえない。名前、なんて言ったんだろう?聞き返したいのに、幼さの残る顔を少し赤くして、私は勝手に喋り出してしまう。

「わ、私、菊池エリカ。……1年生です。」

「そっか、よろしくね。エリカちゃん。」

途端にぶわっと一層大きな風が吹いて、枯草が散ってはらはらと宙を舞った。思わず腕で顔を覆い、冷たい風に身震いする。やっと風が止んだ頃、そっと目を開けると、そこにはもう、誰もいなかった。





「…………っは……っ!」

喉が詰まるような息苦しさを感じながら、私はベッドから飛び起きた。カーテンからは明るい陽が差し込んでいて、時計を見れば、8時をすぎている。

「やばっ……!」

慌ててベッドから降りるが、慌てすぎて足を捻って床に置いてしまい、転びそうになる。咄嗟にふっと立て直して、なんとか転倒を避けた。そして冷静になって気づく。今日は仕事、休みだった……。

ほっと一息ついて、ベッドに座り込む。もう一眠りしようかな、と考えるが、今さっき見た夢を思い出してしまう。またあの夢を見てしまった。中学生の時の、小さな思い出だった。毎週金曜の放課後、河原で会う約束をしていた男の子がいた。結局その約束は数回しか果たせず、名前すら覚えていないのだが。

「なんでこんなの……思い出すんだろう。」

目を瞑れば、また微かに頭の中にあの情景が思い浮かぶ。そしてまた、記憶が思い出された。今度ははしゃいで土手を走る私の姿と、その前には本を片手に持ったあの少年。私の手に握られた銀色のコンパクトカメラのレンズに、驚いた顔をする彼が写り込む。

「……写真…撮ったんだ、そういえば。」

ふと目を開けて、私は立ち上がる。あれ、どこにやったっけ。早足で、物置になっているウォークインクローゼットに向かう。そして未開封のままそこに突っ込まれた複数の段ボールを取り出して、乱雑に中身を開けていく。

「あった、これだ……。」

2、3箱開けて中身をあさったところで、目当ての青いアルバムを見つけた。中学の時に撮った写真を纏めたものだ。思い出したくない記憶まで思い出されるからと、しばらく見ていなかった。パラパラとめくっていくと、友達との楽しげな写真ばかりがたくさん貼られていた。ああ、そういえばこんな子いたなぁ、なんて思い出す。しかし、途中からぱたりと、人の写った写真がなくなる。なんてことない風景や地面、猫、植物ばかり。そして夕陽の写真が一面に貼られたページの次を捲ると、そこには河原の土手に座り込み、驚いてこちらを見る、少年の写真があった。

「この子だ……!」

記憶の通りの少年だった。その顔をそっと指でなぞる。けれどどうしても、名前が思い出せない。そうしてしばらく眺めているうちに、別の記憶がはっと頭によぎった。この前任務で失敗し、意識を失っている間夢に見た、白い彼岸花の広がる空間と少年の姿。あの少年とこの写真の少年が全く同じなことに気づく。ああ、そうか、なんだか見覚えがあったのは、そのせいだったんだ……。

そんなことをしていると、コンコン、と唐突にドアが軽く叩かれた。びくりと驚き、思わず手に持ったアルバムを勢いよく閉じてしまう。

「菊池さんおはよう、佐々木です。ちょっといいかな?」

聞きなれた優しい声色が聞こえて、どきりとした。佐々木一等だ。なんだろう?

「あっ、はい!今開けます!」

急いでドアに駆け寄ったところで、ふと、先日の夜の情事を思い出してしまう。ぶわっと顔に熱が集まるので、私は慌てて首を横に振った。そしてゆっくりとドアを開けると、スウェット姿の佐々木一等が本を片手に立っていた。私を見るなりそっと微笑んで、手に持った本を差し出してくる。

「この前言ってた本。はい、これ。」

「あ、ありがとうごさいます。」

そういえばこの前の夜、佐々木一等がどんな本を読んでいるのか、という話になり、私も読みたいと、本を借りる約束をしたんだった。この前の、夜……。分厚い本を受け取りながら、またあの夜のことを思い出して思わず目を逸らしてしまう。

「……取り込み中だった?」

そんな私を見て、心配そうに佐々木一等が私を見る。

「い、いえ!よかったら、その、どうぞ入ってください!」

うわ、何言ってるんだ、私。咄嗟に出てしまった言葉に後悔する。そんな、部屋なんかに入れてどうするんだ。頭の中が完全にパニック状態で、冷や汗をかいてしまう。

「え?ああ…うん。じゃあ、お邪魔しようかな。」

佐々木一等が少し驚いた顔をして、戸惑いながら部屋に入る。その瞬間、この部屋が無防備に散らかっていることに気づく。まずい。私は慌てて床にながった物を片しに走る。

「入るのあの時以来だなぁ。だいぶ物が増えたね?」

「あっ、はい、いや、ちょっと散らかってて!すみません!」

床に落ちている女子力のない筋トレ用のダンベルやヨガマット、制汗剤に脱ぎっぱなしの服と、部屋干ししていた下着、それらを掴めるだけ掴んで、クローゼットに押し込んですばやく閉めた。

「ん?これ菊池さんのアルバム?」

ローテーブルに置かれている青いアルバムを見て、佐々木一等が興味深々に訊ねる。

「ああ、それ、中学生の時のです。」

「へぇ!見てもいい?」

「どうぞ。大した写真じゃないですけど。」

言いながら、床に乱雑にながった雑誌を足でベッドの下に追いやる。これでとりあえず綺麗っぽくなっただろう。佐々木一等は床に座りこむと、アルバムを手にして一ページ目を開いた。

「あ、菊池さんセーラー服だ。似合ってるね、かわいい。」

私の中学の入学式の写真を見て、佐々木一等がふっと微笑む。かわいい、と言われて、ふにゃふにゃと私の口元が緩む。

「そ…そーですか?」

「うん、かわいい。」

愛おしそうに眺めるので、なんだか照れ臭くなる。そこで私は思わず、佐々木一等も昔の写真も見せてください、と出かかった言葉を、慌ててぐっと飲み込んだ。そうだ。佐々木一等には昔の思い出がない。どんな風にどこで育ったかもわからない。当然、写真なんて無いに決まってる。目を細めてアルバムを眺める彼の横顔が、ふと物悲しげに見える。なんだか罪悪感のようなものを感じて、それを紛らわすように私は口を開く。

「最近昔の夢をよく見るので、ちょっと見返してたんです。けど、あまりいい思い出もないので、ダメですね……こういうの見るの。」

「昔の夢って……悪い夢?」

ふと佐々木一等の手が止まって、隣に座る私に少し不安げな顔をして視線をやる。ああ、そっか。彼は私の過去を知ってるんだ。中学1年の冬、私の両親は喰種に殺されて死んだ。上官にはあらかじめ部下の個人資料が手に渡る。知らないはずがない。

「……佐々木一等はご存知なんですね。私が中学生の時、両親が死んだこと。」

「……うん。ごめんね、思い出させちゃったかな。」

「気にしないでください。それに、見るのは悪夢じゃないんです。私、中1の秋に家族で東京に引っ越して来たんですけど、中途半端な時期だったから学校でなかなか友達ができなくて……。けどそんな私に話しかけてくれた男の子がいて、最近その子の夢をよく見るんです。」

「……初恋の人?なんか妬けちゃうなぁ。」

さりげなくそんなことを呟く佐々木一等に、どきりとする。なんだか嬉しい。意外と独占欲の強い人なのかもしれない。

「そんなんじゃないですよ。会って話したのは数える程で、しかも名前すら思い出せないんです。」

「同じ学校の人じゃなかったの?」

「同じだったんですけど……その…引っ越してすぐ、……両親が死んだので。新しい学校にはほどんど行けずに、それからはCCGの養護施設で育ちました。」

「そうだったんだ……。」

なんだか暗い雰囲気になってしまった。せっかく佐々木一等と二人きりだというのに。少し沈黙が続いて、私は慌てて間を持たせようとアルバムのページを次々に捲り、喋り出す。

「あ、ああ、ほら、この子です、この子!一枚だけたまたま写真撮ってたみたいで。」

さっきまで見ていた、あの少年の写真が出てきたので指をさすと、佐々木一等がそれに視線をやる。すると、はっ、と息を呑んで、彼は大きく目を見開いた。

「佐々木一等……?どうかしました?」

そのまま固まったかと思えば、目を凝らしてその少年を見ている。そして、段々と眉間に皺が寄っていく。一体、どうしたんだろう。

「っ…………ぅぐっ……!」

すると突然、苦しげに呻きながら手で頭を押さえつけ、項垂れてしまう。手からアルバムが滑り落ち、それは無造作に床に投げ出された。

「え、ちょっと…!大丈夫ですか!?」

「ぅあっ……ぐぅ…っあつ、い……!」

ガタン、とローテーブルに脚をぶつけて、よろめきながら佐々木一等が立ち上がる。押さえつけた手の隙間から見えた右目が、赤く染まっている。……まさか。低く唸り声を上げるその姿を見て、ある言葉が頭に浮かぶ。
"佐々木琲世は半喰種。暴走した場合、喰種として駆逐せよ"

「佐々木一等!!!!」

私は半ば叫ぶように彼の名を呼んで、腕を掴んだ。しかし藻掻き苦しみ、ついに床に倒れこんでしまう。

「さ、佐々木いっと、っ……は、はいせ、琲世さん!しっかり!」

慌てて肩を掴んで呼びかけるが、応答もなく苦しむばかりだ。ああどうしよう、どうすればいい?私までパニックに陥って、手が震えてくる。そんな時、咄嗟にアキラさんの顔が浮かんだ。

「そうだ……アキラさんに連絡を……!」

サイドテーブルに置いた携帯を引っつかんで、震える手で着信履歴からアキラさんのダイヤルを押す。しかし後ろから不意に思い切り腕を掴まれ、手にあった携帯は床に転がり落ちる。

「っ……!!」

慌てて振り向くと、目の前にギラリとした鋭く赤い目が見えた。そして不意に唇に噛み付くようなキスがされ、それを認識する暇もなく床に雪崩れ込むようにして押し倒される。私を見下ろし、目を細めて薄ら笑う彼は、今までのどの彼とも違う。目つきや表情の動かし方、僅かに感じる殺気と冷たく淀んだ雰囲気が、全くの別人だ。

「久しぶりだね……"エリカちゃん"。」

「…………え……?」

彼は右手の人差し指を親指で折り曲げ、ぱき、と乾いた音を鳴らす。まるで、佐々木一等の姿をした別人を前にしているような感覚がする。

「君って本当、良い匂いがするんだね。」

そう低く囁いて、彼は私の首元に鼻を擦り付けると、すんと匂いを嗅ぐ。そして はぁ、と吐息を漏らすと、そっと冷たい手で私の首を掴んだ。

「あなた…………誰………?」


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寝耳にミサイル