憂鬱
「それじゃあ今日からここに住んでもらうから」
「……ここですか?」
「うん。二階の奥の部屋が君の部屋」
佐々木一等が屈託のない笑みを浮かべる。シャトーと呼ばれる“彼ら”の家は、広く小洒落ていて落ち着かない。人工的に人の身体に赫子を組み込んだ捜査員、クインクスたちとそれらの指導者である佐々木一等。彼らは安全上の問題もあってCCG近くに構えてあるこの家を使っているらしい。豪華にもリビングにはアップライトピアノまで設置されていて、家具やキッチンも落ち着いた木目調のアンティーク風に纏められている。今日から私もここに住まなくてはいけない。
ここまで事が運ぶのに随分時間がかかった。様々な身体検査にかけられ、ポリグラフでの精神調査、加えて上官の審議の末、療養を終え次第捜査官としてクインクス班に所属することとなった。
しかし、現状は身体に赫包を移植された状態にもかかわらず、今のところ赫子の出現をコントロールできず出せないまま。自分の記憶にはないが、私の赫子は鱗赫らしい。アオギリ側のラビットに誘拐された可能性が高く、おそらく嘉納医師によるものと判断された。つまりは記憶の一部だけ失ったことを除いては、佐々木一等と同じ状況だ。
「荷物は重いから僕が後で上の部屋に置いておくよ。そこのソファにかけて。コーヒーでも飲まない?」
佐々木琲世。彼は爽やかで温厚、気もきくし気さくだ。至って普通の人間に見える。けれど彼は半喰種なのだ。彼とクインクスの存在は、一般のCCGの捜査官にとっては得体の知れない、未知数な異質物だ。表面上は人間として扱っていても、やはり距離を置く者は多い。しかし、アキラさんはパートナーだったのもあって、佐々木一等をとても慕っているようだ。一度彼のことを聞いた時、「いい奴だから仲良くしてやってくれ」と言われたのを思い出す。その時私はそれを軽く聞き流して、心の中でこう思ったのだ。
『そんな得体の知れないモノと、仲良くなんてできるわけない。』
「えっと……聞いてる?」
「あ、」
しまった。佐々木一等が困った顔でこちらを覗き込んでいる。ついつい考えごとをしてしまっていた。なんだっけ?コーヒー…だっけ…?
「あ、そういえばさ、なんて呼べばいいかな?“菊池エリカ”ちゃんだよね?エリカちゃんでいい?」
優しく子供を扱うかのように問いかけられて、私は押し黙る。彼は探るように私との距離感を図り、少しずつ少しずつ、近づこうとしてくる。そしてなにより、とても優しい。けれどそれは、かえって居心地の悪い、極端に悪く言えば気持ちの悪いものに思えた。彼はまるで上辺だけラベルを貼り付けられた、中身のない空っぽのペットボトルみたいだ。
「名前で呼ばないでください。上司と部下なんですから苗字呼びが普通だと思いますが」
思わず口から出た言葉は、自分が思っていた以上に尖った凶器となった。会話のキャッチボールがこれではさすがにまずい。佐々木一等を見ると、一瞬驚いて固まって、それから困ったように笑った。
「なんかアキラさんみたいだなぁ。そうだよね、ごめんね“菊池さん”」
「はい、よろしくお願いします。佐々木一等」
彼は多分、今ので悟っただろう。私がどのくらいの距離を置きたいのか。私は彼らと仲良くなりたいとは思わない。いや、思えないのだ。こんな異質物の集まりの中の一部になんて、なりたくない。
「コーヒー、いりません。荷物も自分で運びます。何かあれば呼んでください。それでは」
荷物は10kgほどある、大きなキャリーケースだ。いつもなら重いなぁ、だるいなぁなんて思いながら持ち上げるのに、手を伸ばして持ち上げると、予想外にとても軽く感じた。自分が自分で無くなるなる感覚が、怖くて怖くて仕方がない。これからどう生きていけばいいのだろう。ぐるぐると思考は巡るのに、どこにも行き着けない。
「菊池さん、無理しないでね」
そんな声を背中に聞いた。うるさいなぁ。気持ち悪いくらいの優しさに、喉が詰まってしまいそうだ。もう何も、考えたくない。
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寝耳にミサイル