見覚えのない写真

ーーーあの事件の後は目まぐるしく時が流れて、あっという間に約束の日曜日がやってきた。前日のレコーディングの高揚感と僅かな疲労感を感じながらも、約束の場所へと向かう。そこは米花町の中でもメジャーなホテルで、よく結婚式などにも使われているところだ。予め伝えられていた一室へと足を運びドアをノックする。久しぶりの彼の顔が出てくるや部屋の中へと促された。

ガチャリと鍵が自動で閉まる音を背後で聴きながら彼を見上げる。先程まで吸っていたのだろうタバコの匂いが微かに香った。


『ーーーお久ぶりです、秀一さん!』


部屋にバイオリンのケースを置くと抱きつく。彼の鍛えられた腹筋は硬く心強さを感じさせる。彼は一瞬呼吸を止めたようだが、すぐにくつくつと笑い出した。


「あぁ、久しぶりだな。元気そうで何よりだ。」


促されて二人掛けのソファーに腰を下ろすや、彼はテーブルを挟んだ向かい側のソファーに座ろうとしていたため、慌てて彼の手を引いて隣に座らせた。


「ーーー」

『ーーーごめんなさい、暫く傍にいてもらっても良い?』


「.......大丈夫か?」

『ーーーうん。』


彼の膝上にある右手に両手を添えると右肩辺りに額をグリグリと押しつける。腹筋と同じく硬い其処に擦り付けるのはやはり痛いけれど、その温もりを堪能したかった。

「−−−−。」


彼は私が落ち着くまで何も言わずに、されるがままでいてくれた。そのことが何よりも嬉しかった。







『ーーーありがとう、秀一さん。』


ようやく彼を解放することができた私は、身体を離して見上げる。私を見下ろす彼は無表情ながらも、どこか気遣わしげだった。



「何かあったのか?」


彼の言葉に頷く。昨日のレコーディングは思った以上にうまくいったことを話し終えると、内容はあの図書館での爆弾事件へと移らせた。


『ーーーそれで、たまたま居合わせた人が爆弾を解体してくれたから何事もなかったんだけど........』


「ほう......偶々..か」


彼は少し考える仕草を見せながら、私に続きを促した。


『ーーーとにかく怖かった。爆弾なんて、初めてみたし。でも、だからこそ傍で手伝えたのかなって....』


「........。手伝った?君がか?」


『あ、でも、手伝ったとはいえ、ただライトの位置を調整したり、受け口を支えたりしただけなんだけどね。....結局人違いだったんだけど、その人が知り合いに似てたからつい手がでちゃって。』


「−−−−そいつの名前は覚えているか?」

秀一さんの言葉に、一瞬記憶を辿る。零さんではない名前はすぐに思い浮かべることができた。


『ーーー確か...安室、透さん。探偵をしているって言ってた。』


「ーーー安室....か。」


再び難しい顔をして黙り込む彼を見やりながら、そう言えばと呟く。


『ーーー秀一さんの用事は何だったの?』

私の言葉に彼はあぁと頷くや、懐から二枚の写真を取り出して見せてくれた。

浜辺だろうか。一枚はサングラスをかけた水着姿の青年に抱えられている二人の小さな女の子。一人は泣きべそをかいているのか眠いのかは分からないけれど、青年の肩に顔を伏せてしまっているためよく見えない。もう一人の女の子は、抱っこされるのが嬉しかったのだろうか、頬を赤くさせて嬉しそうにしていた。どちらの子も水着を着ている。


『ーーーこれは?』


「十年前の俺だ。」


『ーーーへぇ、十年前もイケメンオーラがダダ漏れですね。子供好きなの?』


秀一さんは苦笑する。


「ーーーこっちは、俺の妹。この時初めて会ったのだがな。そして、こっちが母上殿の友人だという人の娘だ。二家族で海水浴に来ていた。」


秀一さんに促されて二枚目の写真を見る。それは、こちらでは見たことがなかった母さんの写真だった。自分が知っている母さんの姿よりも若く顔色も良い。そしてその腕に抱かれているのは−−−−



『ーーー私?』


笑顔でピースサインをしているのは、恐らく幼い頃の私で。そして、その写真に写る私の水着と、秀一さんに抱かれている子供の水着が一致していることを考えると、これは。


「やはり....あの時の子供がお前だったか。顔や仕草があまりにもそっくりだったからな、すぐに分かったよ。」


秀一さんは口端を上げて目を細めた。


『............』

「お互いに初対面だというのにお前は俺の膝に乗りだし....降ろそうとすればぐずつく。.....それを見た真純が嫉妬する−−−−の繰り返しで大変だった。」


一枚目の写真の秀一さんはサングラスをかけているためその表情こそ分かりづらいが、言われてみれば成る程。確かに彼の口元が引き攣っているように見える。母親達が困惑している彼を相当面白がったそうで、こうして写真が残っているということだった。



『ーーー全然記憶にない、』


「無理もない。あの後すぐに君の母親は事故で亡くなったと聞いた。君の家庭環境も変わり、それに適応するのに必死だったのだろう。」


『ーーー事故?母さんは病気で死んだんじゃ、』


私の言葉に秀一さんは目を細めた。


「ーーーいや、俺は事故だと聞いたが。」

『ーーーそ、うなんだ。ごめんなさい。あまり母のこと......聞いたこと、なかったから。家には写真も見当たらなかったし....聞くに聞けなくて。』

「.......そうか。君さえ良ければ、その写真を貰って欲しい。」


秀一さんは、その二枚の写真を私に手渡してくれた。


『ーーーいいの?』


「あぁ。ーーーそれと、これも。」


懐から出て来たのは真新しいスマホだった。思わず受け取ると、彼の真意を図ろうと見上げる。


「君に連絡をとるのが面倒でな。俺名義で契約した。好きに使って貰って構わん。」


『ーーーいいの?』

「あぁ、そいつに俺の連絡先も入っている。暫くは日本にいる予定だからな、何かあったら連絡しろ。」


『ーーーありがとう。』


スマホを使うにあたり、今迄通り人目のある中での名前呼び.....街で出会った際は知らない人のフリをするよう約束をさせられたが、勿論了承した。秀一さんは何も言わなかったのだけれど、もしかしたら彼の観光とは名ばかりの、実は仕事の延長としてこの日本に来国してきたのかもしれない。


『ーーー秀一さん、お腹空いた』

「そうだな、何か頼むか。」



丁度夕食の時間になったためルームサービスを頼むことにした。



「ところで、日本では丁度受験シーズンか?」

『.......え?あー....うん。私は音高に内定貰ってるから、あまり実感はないんだけど。』


思わず苦笑が溢れる。

「......あまり行きたくないのか?」


察しの良い秀一さんのことだ。私の表情と言動から的確に推理してくる。


『ーーー行きたくないわけではないんだけど、本当にこれで良いのかな...って。音高に入れば音楽漬けの生活があるけれど、もっと、勉強をしなくても良いのかな....って。勿論音高にだって普通科目の授業はあるのだけれど。』


要は使用できる時間配分のバランスを不安に思っているのだと思う。音楽に力を入れている高校だからこそ、余計に。


カチャリと秀一さんはフォークを置いた。


「君の父親は確か.......」

『ーーー医師です。家系的にも医師が多くて。でも、別に医学部に行くことを強要されているわけではないんですけどね。』


「............そうか。」


『ーーーただ、私の尊敬していた人が医師で、少なからず私もそういう人になりたいって思ってたから。母さんもきっと両立を望んでいたのかなって思うし。どちらにしても、もう会うことはないだろうけれど。』


「−−−−良いんじゃないか?」


『ーーーえ?』

「プロのバイオリニストが、医師の資格を持つ。日本では珍しいかもしれんが、米国では二つの職業を持ってるやつなんてザラにいる。」


『...........。』


「日本の音高に入った結果、医学部に行けるかどうかはこれからの君の努力次第だろう。もし仮に日本のカリキュラムが合わなければ、米国での資格を取る−−−−っという手もなくはない。どちらにしても努力は必要だと思うがな。」


秀一さんの言葉に目を丸くする。音高に入ったからといって医学部を目指せないわけではない......その視点が私にはなかったからだ。重くささくれ立った心がゆっくりと解れていく心地がした。



『ーーーそうだね、そうだよね!.....うん、わかった。私、両立させてみるね。』


私の言葉に彼は、あぁと言って口端を上げた。


『あー.....あのね、秀一さん』

「どうした?」


言ってみろ、との言葉に思い切って口を開く。



『ーーー秀一さんの時間がある時で良いから、時々勉強を見てくれると嬉しいなぁ.....なんて。』


じっと彼を見つめれば、一瞬固まり、フッと笑われた。


「ーーー俺の指導は厳しいぞ?」


『ーーーの、望むところ!!』


「指導料も安くはない」


『わ、私、結構稼いでるもん!』


「金じゃない−−−−」


そう言って彼は視線をバイオリンケースに移した。


『ーーーバイオリン?』


「一回の授業毎に一曲何か弾いてくれないか?」


思わず首を傾げる。そんなもので良いのだろうか?


「なに、日本で注目されている若きバイオリニストのリサイタルを独占できるんだ。これ以上ない程の贅沢だと思わんか?」


彼の言葉に顔を赤らめる。
秀一さんの言い回しはズルい。そう思いながら私は残りの料理を平らげた。

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