黒の接触
―――――――…
『…………暇だ。』
週末の今日、授業はない。
いつもならツカサちゃんと悪戯に勤しんだり、課題をやったり……と優雅な?一日をすごすはずだったんだけれども、現在僕は湖のほとりの芝生にポツンと一人で座っていた。時折、大イカがザバンと足で水しぶきを上げている様子をボーッと見てみる。
けれども……やっぱりつまらない。湖の近くには僕の他にも何人かの生徒達が戯れていて、その楽しそうな声が静かなBGMのように聴こえてきた。
『ツカサちゃん…遅いな……。』
彼女はどこにいったのかって?……知らないよ。僕がトイレに行っている間に、スラグホーンに連行されていたってことを近くにいたお姉様方に聞いたけれど、居場所までは分からなかった。
だから、こうして僕は待ちぼうけ。
『…………。』
蒼い空に浮かぶ、わたあめのようにフワフワと美味しそうな雲がゆったりと動いていて、それを目で追っているうちに僕は自然と芝生に仰向けに倒れていた。
みずみずしく爽やかな香りが僕を包みこみ、日差しで温められた芝生は干したての毛布のようだった。
『………よし!』
だから、ね、ツカサちゃんが来るまでの間…
『……ちょっと……だけ………おやす…み……』
そう呟きながら僕はゆっくりと瞼を閉じた。
――――――――…
入学してから、そろそろ一ヶ月が経とうとしている。
今朝方、オレはジェームズと禁じられた森に入るという計画を立てた。
決行は今夜。
ジェームズは部屋でそれに伴う準備をしているし、オレはオレで日中のうちに偵察をしてこようというわけだ。
湖のほとりを歩きながら、森番の小屋の位置を目で確認する。近くの芝生には何人かの生徒達が戯れていたが、特に気にする必要もないと判断した――――んだが……。
キャーという黄色い声に次ぐ、クスクスと女特有の忍び笑いの声。
またか…とオレは心中舌打ちを繰り返した。自分の眉間に皴が寄っているだろうということが容易に想像できる。
純血名家の長男という家柄や、オレの容姿につられて寄ってくる女共。少しでもオレに気に入られようと媚びを売ってくるそいつらを見ていると馬鹿らしくなった。
ジェームズ曰く「色男の特権じゃないか。」らしいが、冗談じゃねぇ。
「…ね、話し掛けてみる?」
声を潜めた、女の声が聞こえた。
―――聞こえてるっての。
数秒後にはオレに話し掛けてくるであろう女達にため息をはきつつ、歩を進める。もちろん話し掛けられたとしても無視するつもりだ。結局のところ、その女達は誰もオレを…
"シリウス"を見ているわけじゃねぇんだからな。
「え、無理よ。私、彼とそんなに仲良くないわ。あなたが行ってよ。」
「え?私が?恥ずかしいわ。」
……。女の会話って、なんでこうもイラつくんだ?そもそも、丸聞こえだっつってんだろ。
「――――けど、可愛い。」
「無邪気なところがまた素敵よね……。」
は?
――――可愛い?無邪気?
意を決して女達の方を見遣ると、そいつらはオレを見てはいなかった。
オレの脳内では「ハハハ、シリウス!君って自意識過剰なんじゃないかい?」と腹を抱えて笑ってやがるジェームズが浮かんできて、咄嗟にその妄想を蹴飛ばした。ジェームズ、自意識過剰はお前だ。
「つーか、女達を釘つけにできる奴って言えば…ルシウス……それともあの双子か?」
通称、ホワイトプリンスとブラックナイト。ハーコード家と言えば、ブラック家やマルフォイ家にも劣らぬ純血名家。それはオレも知っている。
「……けど、あいつらが可愛い?」
……。可愛いとは違ぇだろ。さすがに。
そう思ったオレは、その女達の視線の先を辿っていった。
その先にいたのは。
黒い髪。少し小柄な身体。
その姿には見覚えがあった。
芝生の上に仰向けになっていたのは―――
「ヒカリって母性心を擽るわよね。」
「そうなのよ。まるで悪戯盛りの弟みたい。こうギュッて抱きしめたいわ。」
「「わかるわかるー!」」
――――いや、わかんねぇよ。
ただのクソ生意気なガキじゃねぇか。あいつら、事あるごとにオレ達にガンつけてんだぜ?まるで、オレ達に何か恨みでもあるかのように。何か仕掛けてくるようなら、オレ達も倍返しでもなんでもしてやるところだが、今のところそんな動きもねぇし。ったく、やりづらい。
それに、アクタガワ…アトベ…
オレ自身、いろいろと調べてみたが、どうしてもあいつらの素性が分からなかった。
「……意味わかんねぇよ。」
ぽつりと呟いたオレの言葉は、丁度吹き渡った風の音に消された。日が傾いて、辺りがオレンジ色に染まる。
暫くすると、夕食の時間になったからか先程まで騒いでいた女達は城に戻っていった。
「……。」
オレは歩く向きを変えて"そいつ"に近づいていく。丁度良い機会だ。この際、あいつらが何者かを本人に問い詰めてやる。
片手には、いざという時のために杖を握った。
「……オイ。」
距離にしておよそ十フィート(約三メートル)辺りまで近づいたオレはそいつに話しかける。
『…………』
「…………オイ、聞いてんのか。」
『…………』
―――無視かよ。
ナメられたものだな、と心底不快に思いながらオレは左手をポケットに突っ込む。そして、昨日完成したばかりのオレたちの発明品(もちろん悪戯専用)を取り出すと口角を上げた。
「オイ、アクタガワ。オレを無視するのは勝手だが、あんまりナメてると痛い目を――――」
『…………すぅー………蛙チョコ……待てぇい……』
「…………は?蛙チョコ?」
『……ムニャ……蛙……踊り食い………』
「…………」
………。オレは少し距離を詰めて、アクタガワの顔を覗きこんだ。
「…………ンだよ。こいつ、寝てんじゃん。」
脱力した。オレは杖と悪戯品をポケットに戻すと、その場にドガッと勢いそのままに座って頭を垂れた。今日のオレは、どうも空回りばかりしている気がしてならない。
ゆっくりとアクタガワを見遣る。こんなにマジマジとこいつを見たのは初めてかもしれない。
最初、コイツらを見た時は女かと思った。実際、女と言い張っても通用すると思う。
閉じられた瞼から長い睫毛が影をなし、薄い桃色の唇は寝息を吐くためか少し開いている。
時々むにゃむにゃ口を動かす無防備な姿に、マヌケ顔と思わず笑ってしまった。
「――ヤベ。」
すぐに、自分の顔が綻んでいることに気づいたオレは、ごまかすように咳をして、湖の方に顔を向ける。大イカは、すでに海底へと潜ってしまったのか、水面はさざ波一つたっていなかった。
『………チョコ……』
アクタガワの呟きに、湖から再び奴に目を向ける。相変わらず、グースカ寝ていて少しホッとする。
「つーか、さっきからチョコチョコ…そんなに好きかよ。」
オレがそう問い掛けると(もちろん答えは期待していない。)、アクタガワはにへらと笑った。
……アホだ、こいつ。無防備にも程があるだろ。
「……。」
明らかに西洋の顔付きではないアクタガワ(とアトベ)は年齢の割に幼い顔付きをしている。傷みのない、けれどクセがあるのかフワフワした艶のある黒髪。そして今は閉じられているが、その瞼の奥にも黒真珠のような瞳がある。少し黄色がかった肌は、生れつききめ細かいつくりなのか、造形物のように見えた。
「……そう言えば、コイツらが東洋出身だっていう噂があったな。」
先程まで草葉の香りを運んできた風が、サワサワとアクタガワの髪を撫でると微かな甘い匂いがオレの鼻腔を擽った。その風に誘われるように、オレの手が自然と芥川の頭に伸びていく。
好奇心。
この時のオレはただただアクタガワに触れてみたいという衝動が沸き起こっていて、理性とか自制心とかそういうものの存在がすっぽり抜けていたんだと思う。
あと三インチ。
もう少しで触れられる。
それがどこか待ち遠しくて、数秒の時間さえもどかしかった。
二インチ。
一インチ………
「―――人の寝込みを襲うのはよくないな、ブラック。」
静かな声に、オレらしくもなく肩を跳ねさせた。咄嗟に、アクタガワへと伸ばしていた手を引っ込めると声をした方へと視線を向けた。
ネクタイカラーは緑。
ブルーの瞳が冷たくオレを睨んでいるのが分かった。
「………。ブラックはお前だろ。ブラック・ナイト。スリザリンが何の用だ。」
オレの口からは思っていたよりも低い声が出てきた。それに少し驚いたが、あくまでも平静を崩さない。
オレの言葉にキースはピクリと眉を僅かに上げたが、言い返すつもりはないらしい。
キースはアクタガワを見て、一瞬瞳を細めたと思いきやハァと深いため息をはいていた。
そして、ゆっくりとキースはアクタガワに近づいて抱き上げる。まるで壊れ物を扱うようなその仕草は、あまりにも自然な動作で一瞬オレは何も考えることができずに呆然と見つめていた。
「……ヒカリが迷惑をかけたな。この子はオレが預かる。」
キースの声で我に返った。
「―――――ちょっと待てよ。お前はスリザリンだろ。……。アクタガワはグリフィンドールだぜ?」
「……知ってる。入学式でそう組分けされただろ。」
……馬鹿にしてんのかコイツ。今しがたアクタガワがキースの腕の中で心地好さそうに身じろぐ姿を見てしまったオレは、自分でもよく分からないままに腹がたった。
「……スリザリンのくせに、なんでそいつに構うんだよ!」
オレは、その怒りをそのままに吠えた。
風がザーッと騒ぐ。
辺りはもう相手の表情がよく見えなくなるくらいまで日が傾いていた。
「……。」
キースは何も言わずにオレに背をむけて城へと歩きだすのを見て、咄嗟にオレは杖をキースの背に向けた。
それを察したのか、キースはピタリと動きを止める。
「―――待てよ。まだ話しは終わってないぜ。」
「……風が冷たくなってきた。」
「…………。は?」
「このまま外にいればコイツが風邪をひきかねない。」
そうして指し示されたのはアクタガワ。
「……」
「先程の問いに答えるとするならば、オレはこう言う。」
オレにむけてキースは振り返った。その瞳は暗闇で見えないはずだが、その視線は真っ直ぐオレに突き刺さっているように感じられた。
「"お前、小さいな"」
「……は?どういう――」
「結局、お前はマグルや混血を軽んじる奴らとそう変わらない。」
「……は?…。ち、違う!!オレとあいつらを一緒にするな!」
オレの反論にキースは鼻で笑うと、振り返ることなく城へと戻っていった。