隠された頭脳
―――――――――…


『ねぇ。』

「…………。」

『ねぇってば。』

「…………。」

『…………。』

「…………。」








『この私を無視するなんて良い度胸じゃない。そんなにケナガイタチにされたいのかしら、リン。』

「なんですか。」

『なんでそんなにムスッとしてるのよ。』

「当然です。どうして私が貴女の買い物に付き合わされなければならないのですか。」


『あら、私は別に貴方に付き合ってもらわなくても結構よ。お金もちゃんとナルから貰ってきたもの。帰りたければ帰ればいいじゃない。リン、ハウス。』


「……ッ!」


まるで飼い犬に"ハウス"と命令するかのようにサヤは来た道をビシッと指し示した。リンはピクリと眉を潜ませたものの、すぐに額に手をやってため息をはく。


「ナルに貴女を見張れと言われたんです。貴女が"愚か"にもその能力を使わぬようにと。」


リンの言外に魔法を使うなという無言の圧力に、サヤは少し考えてから口元を綻ばせた。


『……。気分によるわね。』


「サヤ!」

『煩いわリン。一々怒鳴らないで頂戴。』


サヤとリンが人混みを避けながら向かっている場所。それは本屋。数週間後に控えている高校の編入試験を受ける予定なのだが、何分魔法界で育ってきたため、マグルの知識は限りなくゼロに近い。ということでやって来たのは、本屋内の教材コーナーだった。サヤは小学校から高校までの教材を手当たり次第次々とリンに持たせていく。サヤが満足して会計を済ませた時には、心なしかゲッソリとしたリンが両手に山のような荷物を抱えていた。





――――――――――…



翌日。



「サヤ、何やってるの?」






麻衣の言葉にサヤはシャープペンの動きを止めると顔を上げる。サヤの目の前には湯気が立ったお茶が置かれていた。



『ありがとう。今しているのは試験勉強よ。編入試験。』



「あ、成る程!でも、うちの高校そんなに偏差値高くないからサヤなら大丈夫だよ!」


「そうか。馬鹿な麻衣が高校に入れたのも納得だ。」


突然会話に参加してきたナルに麻衣は驚きながらも、彼が言い放った言葉を反芻させるとヒクヒク口端を引き攣らせた。


「どうせ、あたしゃナルと違って単純馬鹿な谷山麻衣ですよーだ。」


「なんだ、分かってるじゃないか。」



麻衣が半ばヤケを起こして言い返すものの、ナルのその言葉に一蹴される。麻衣はナルの毒舌に拳をプルプルと震わせていたが、口ではナルに勝てないことを知っているので、不満の言葉を喉の奥底へと封じ込めた。ナルが所長専用デスクの椅子に座るのを見遣ると、麻衣はサヤの隣に座る。



『……。仲が良いのね。』




「えー…そう?そういえばサヤって何の科目勉強してるの?」


否定はしないらしい。
若干頬を赤く染めながら話題を変える麻衣を、サヤは無言で一瞥しつつも自身の教材の表紙を見せてやる。



『今は理科ね。ようやく小学五年生の内容が終わる所よ。』






「……え?」





『小学校五年生の理科。……中々難しいのね。電気って。』





サヤは顔を上げることなく、テキストの問題を埋めていく。麻衣が横からテキストを覗き込むと、確かに直列つなぎと並列つなぎの項目だった。時折サヤのうーんうーんと唸っている声が漏れる。





「あ、あたしで良ければその問題教えようか?」






麻衣の言葉にパァーっと笑顔になるサヤ。サヤの綺麗な笑みに麻衣は微かに頬を赤く染めながらも問題の説明を始めようとしたその時、事務所の扉が開かれた。



「ちーっす。今日は綾子も連れてきたぜ。」



「久しぶり。麻衣、元気にしてた?」



「ぼーさん!それに綾子!久しぶり!」






ぼーさんと共に事務所に入ってきたのは松崎綾子。派手なメイクに派手な服装をしている彼女は、ひらひらと麻衣に手を振った。ぼーさんと綾子は向かい側のソファーに座ると、麻衣はお茶の用意をしようと給湯室にむかう。





「僕はまだ入室の許可を与えたつもりはありませんが。」



「まーまー、そう固いこと言わなんでくれやナルちゃん。今日は綾子がサヤに会いたいってんで連れてきたんだ。」


「相当暇を持て余しているようですね。」


「はははは。相変わらず厳しー。」




お茶とお茶請けを持ってきた麻衣は、テーブルに運んでいく。ぼーさんと綾子に礼を言われた麻衣は嬉しそうに頷いた。そのまま視線はナルへと向かう。





「ナルも何か飲む?」


「あぁ、紅茶が良い。」


「へーい…って、あ!ごめんナル。今紅茶の葉切らしてるんだ。」



麻衣の言葉にナルは若干眉間にシワが寄ったものの諦めたのか、仕方ないとばかりにため息をはいて緑茶を頼む。






『紅茶がいいの?それなら私が用意するわよ。確か部屋に紅茶の葉があったはずだから。』





「え…でも。」




麻衣の戸惑いの声を流して、サヤは懐から杖を取り出すと一振りする。ナルの目の前には出来上がったばかりの紅茶が一つ置かれていた。




「「…おぉー。」」






「……。」




『はい、ナル。心配しなくても毒なんて入ってないわ。なんなら毒味する?」


「……結構だ。」


「へー、貴女が噂のサヤ?」


綾子が目をパチクリしながらサヤを見る。サヤは小首を傾げた後、ゆるゆると首を縦に振った。






「ねぇ、今その棒を振って紅茶を出したわよね。超能力者、と言うよりはなんだか物語に出てくる魔女ね。」





「ちょ、ちょっと綾子!いくらなんでもサヤに失礼だよ!サヤはあたし達と何一つ変わらない人間ですー!」






麻衣が綾子に顔をしかめて怒鳴ると、綾子はムッとしたように眉間を寄せた。



「何よ。ちょっと言ってみただけじゃない。じょーだんよ、冗談。」



「まーまー、お!サヤ、勉強してんのか。偉いなー。」




『でも、私にはちょっと難しくて…』



ぼーさんの言葉に苦笑したサヤを見て、麻衣も苦笑する。ぼーさんがどれどれ…とテキストを見、さらに綾子も気になったのか、一緒に覗き込んだ。と、同時にピシリと固まる。



「……サヤちゃんや、ちょっとおじさん聞いてもいいかな?」


『いいわよ。』


「これ、何年生の問題?」


『小学五年生ね。』


「……。ちなみに麻衣の高校の編入試験は?」


『確か数週間後ね。』


「二週間と五日だ。」




ナルの横槍にサヤは、そうそうそれそれと頷く。





「……麻衣、大丈夫なの?この子。」


「いや。あたしもついさっき知って……。」


綾子の真剣な表情にアハハと麻衣はカラ笑いを漏らした。首を傾けるサヤに、ぼーさんは苦笑しながらも頭を撫でてやる。



「こりゃ、編入試験まで勉強会だな。よし、麻衣、綾子。サヤの特訓するぞ!」


「おーっ!」


「って待ちなさいよ!あたしまで巻き込む気!?」





問題と言っても、小学生でも解けるレベル。あまりにも低レベルな勉強会にナルは眉を潜めた。




―――――――…



その夜。ホテル一室。


ナルとリンと共に食事していたサヤはフォークを持ちながらもコクりコクりとしていた。いくら眠いと言っても今は食事中。食べるか寝るかのどちらかにしてもらいたいものだ、と眉を潜めるナルの心境が分かったのか、リンが食事途中のスプーンを置いた。



「ナル、彼女を部屋に運んできます。」



リンの言葉に頷きそうになったナルだが、テーブルを見て思い直す。リンはまだ食べかけ。ナルは既に食べ終えた状態。仕方ないとばかりにナルは立ち上がった。



「僕が連れていく。リンはまだ食べてろ。」


ナルは軽々とサヤを抱き上げると、サヤに与えた部屋に向かった。



「……。なんだこれは。」



サヤの部屋に入り、サヤをベッドに寝かせてからぐるりと見渡す。ソファーに丸まって寝ている黒蛇には既に慣れたものだが、机とベッドの上には数々のテキストが散らばっていた。よくよく見ると、高校三年生までの全てのテキストの問題の答えが埋められている。ナルが読める範囲(主に、数学、化学、物理など)で見たところ、全て正解しているようだった。日中、小学生の問題をウンウン唸りながら解いていた奴とは到底思えない。



「サヤ、起きろ。」



ナルに揺すられて、唸り声を上げながらサヤは起き上がる。まだ眠いのか、その目は虚ろだった。


「これはどういうことだ。」



高校のテキストをナルはサヤに突き付ける。



『……解いた。』


「それは分かっている。……。昼間のアレは例の演技か?」


『……そう。馬鹿な子の…方が、動き……やすいわ。』



それだけ言うと限界がきたのか、パタリとサヤはベッドに沈んだ。動きやすい?サヤの意味不明な言葉に首を傾けるナルだったが、熟睡モードに入っているはずのサヤがもう一度ムクリと起き上がったのを見遣るとその思考を途切れさせた。



「なんだ?」


『……忘れてた。』


「何をだ。」



『ペトリフィカストタルス。』







サヤがボーッとしながら杖を振ると、ナルは全身が金縛りにあったように動かなくなった。のっそりとベッドから起き上がったサヤは動かないナルをいいことに、トンと床に押し倒す。それからサヤもナルの腹の上に乗ると、体を倒していった。
寝ぼけ眼のまま、ナルの顔にかかっている自身の長い髪を億劫そうに耳元にかけてから、彼の頬に右手を添える。
左の人差し指でナルの下唇をゆっくり触れながらサヤは薄く微笑んだ。


『……綺麗…。』


抵抗ができないことを良いことに自身の左手をナルの唇から放すと、彼の身体に沿ってツー…と下へ動かしていく。
無事ナルの右手へと辿り着いたサヤの左手はギュッと彼の動かない手を握りしめると、それが合図であるかのようにそのままナルの唇へと自身の唇を寄せた。



『おやすみ……スー…スー…』







その状態のままサヤはパタリと眠りについた。



「..................」



時間とは有限である。何も出来ないこの時間が勿体ない、とナルは動けない身体に苛ついていた。結局数十分の間、彼はその状態のまま強いられることになるが、ナルが中々帰ってこないことに変な胸騒ぎを感じて様子を見に来たリンにより、サヤが叩き起こされたことで漸く解放されることとなった。









(昨日のアレはなんだッ!?)


(たぶん…防衛本能じゃないかしら?)


(むしろ僕の方が防衛しなければならない状態だったはずだが?)


(……。細かいわね。)


(サヤが雑すぎるんだ。)



(いいじゃない、きっと手っ取り早くナルとキスしたかったのよ。)



(迷惑だ。それ以上僕に近寄らないでくれ。嫌悪感で吐き気がする。)




(……。随分な言いようね。私、二日間殆ど徹夜で高校までの勉強を終わらせたのよ?御褒美くらい貰ってもいいじゃない。)




(……却下だ。毎夜毎夜君にキスされる僕の身にもなってくれ。自分が情けなくなる。)


(あら、嬉しいでしょ?)


(……。一度君の頭の中を解剖してみたいものだな。)

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