バラード
私は某週刊誌に掲載されているリボーンが好きだ。
登場人物では特に沢田綱吉がお気に入りで、一種の憧れのような感情すら抱いているのかもしれない。
勉強や運動は苦手だけれど、それでもいざという時に頼りになるし……なんと言っても優しい。
そんな彼のことが、私は大好きだった。
―――――――…
『じゃあお兄ちゃん、おつかいに行ってくるね!』
「おう!さゆ、きをつけていってくるんだぞ!」
私は元気よく頷くと、買い物袋を持って家を飛び出した。
私の名前は笹川京子。三才。
只今、"初めてのお使い"真っ只中である。
そして、先程玄関で送ってくれたにも関わらず、コソコソと後ろを付いてきているのが笹川了平。少し心配性のお兄ちゃんだ。
……もう、ここでお分かりかもしれないけれど、私は今リボーンの原作で言う笹川京子のポジションにいる。ポジションだけじゃない。名前も同じだし、何より顔が笹川京子そっくりなのだ。もちろん性格は?と聞かれれば…彼女とは異なると答える。だって、私は彼女じゃないし、天然でもなければ、おしとやかとも言い難い。あ、ケーキ類は好きだけどね。
どうしてこうなったの?と聞かれれば、笹川家の長女として生まれていて…気がついたらこうなっていた…としか答えられないけれど、とにかく戸惑いながらもこうやって生きている。
そして、せっかく京子という名前をつけてもらったにも関わらず、どこか馴染めない私は…家族や親しい人にはさゆと呼ぶようお願いしていた。
……実際に母親になったことがないので分からないけれど、親としては複雑なのかもしれない。
それでも、両親は"良い名前だね"と快く了承してくれた。
くぅーん
通りがかった公園で仔犬の泣き声がして、ピタリと立ち止まった。
くぅーん
また聞こえる。
とても可愛い声。
一目だけでも見てみたいという好奇心が、腹の底から沸き起こってきていた。
……寄り道、しても良いかな。少しくらいなら良いよねと、後ろでバレバレの尾行をしているお兄ちゃんに心の中で問い掛ける。…もちろん、返事はないため自己完結して私は公園に入っていった。
公園には、小学生だろうか?私よりも体格の良い数人の男の子達がサッカーをして遊んでいる。
それを横目で見遣りながら、鳴き声のする端っこの茂みの前で買物袋を地面に置くとその茂みを掻き分けた。
そこにいたのは小さな小さな仔犬。段ボールの中で毛布に包まれたその子は、雪のように全身が綺麗な白い毛で覆われていた。
可愛い…とその子を抱き上げようとしてハタっと気づく。
この仔犬の後ろ足が血に染まっていたのだ。まだ傷が乾いていないため、恐らく怪我をしてまだ間もないのだろう。
『…でも、なんで?箱に入っているのに怪我なんか。』
普通はしないはずなのに。と疑問に思ったけれど…他の動物に襲われたのかもしれないと勝手に解釈して、私はその子の足にそっと触れた。
濡れたような真ん丸の瞳がパチクリと私を見ている。大丈夫だよ、と仔犬を安心させるように微笑むと瞳を閉じた。
全身から掌へと意識を集中させていくと、掌の先からは淡い光が降り注ぐ。
笹川京子になってから、私は一つだけ能力を得ていた。それは治癒の能力。
この能力に気づいたのはつい最近で、やんちゃで何かと怪我をするお兄ちゃんの傷を撫でている時に発された光と塞がっていく様子を見たのが始まりだった。
"さゆ、おまえのては、マホウのてだな"
とキラキラした目を向けてくれたお兄ちゃんを別として、このことは誰にも…当然両親にも言わないようにお兄ちゃんを説得した記憶はまだ新しい。
説得した理由。
――それは怖かったから。
勿論両親のことを信用していないわけではない。
でも、普通の人が用えない能力がある、ということは、例えそれが治癒という万人にとってプラスの能力だとしても、平常においては畏怖の対象になりかねないのだ。
両親からもそういう目で見られるかもしれないという恐怖に堪えられなかった。
『……良し!』
傷口は完全に塞がり、私は瞳を開く。
仔犬は心なしか元気を取り戻し、自身の尻尾を追いかけてはクルクル回るという仕草をしてみせた。
『もう、大丈夫だね!』
その声に反応したのか、じーっと濡れた瞳で見つめられると…徐に段ボールに伸ばしていた右手をクンクン嗅ぎ鳴らす。
自分に危害がないと判断したらしく、仔犬は指先をペロリと舐めだした。
『擽った…ふふ…』
その擽ったさに腹をよじりながら仔犬の頭を撫でるとすくりと立ち上がる。
そして、地面に横たわっている買物袋を持つと仔犬に手を振った。
つぶらな瞳とフリフリと動く尻尾に後ろ髪を引かれるけれど、頼まれたことぐらいきちんとやり遂げなければ。
『…お使い終わったら、また来るね。』
くーんという鳴き声に振り返ることなく、私は公園を去った。
早く買い物を終わらせよう。
そして、あの仔犬をうちで飼うように両親と後ろから着いてきているお兄ちゃんに説得をしよう。
頭の中はそのことでいっぱいだった。
私の脳内ではすでに、四人と一匹で生活する風景が確かに広がっていたんだ。
―――――けれど。
『…………いない。』
お使いを手早く終わらせて、再びあの公園に戻った時、その仔犬は段ボール箱ともども跡形もなく消えていたんだ。
―――――――…
それから数週間が過ぎた。
季節はジメジメとした梅雨に差し掛かっている。
この日の私は、傘をさしてお兄ちゃんの通う幼稚園に向かっていた。
『お兄ちゃんったら、慌てんぼうなんだから。』
手には、お兄ちゃんのお遊戯用の園児服の入った袋。それが濡れないように、跳ねてくる雫を腕で庇いながら道路を進んでいく。お兄ちゃんを送り出して一旦家に戻ってきたお母さんが仕事に行く準備をしていた際に、お兄ちゃんが忘れ物をしたことに気づいたのだ。
幼稚園と職場は逆方向。
しかも、お母さんが幼稚園に今から寄れば、確実に遅刻してしまう時間帯だった。そこで私は、お兄ちゃんの忘れ物を幼稚園に届ける役を買ってでたのだ。
………もちろん、お母さんは不安気な顔だったけれど、初めてのお使いも無事クリアしたし、お母さんに付き添って何度か幼稚園にも行った。
ましてや、来年からは私自身そこに通うのだ―――というようなことを子供の言葉に変換しながら伝えると…渋々ながらではあるがお兄ちゃんの袋を渡してくれた。
お兄ちゃんの通う幼稚園はバスで十五分くらいの所にある。丁度停留所に停まっていたバスに乗り込むと、たった今空いた一番後ろの座席に座った。
通勤・通学が重なる時間帯であるため、バスの中はひどく混んでいた。
私の隣では、髪の色素が薄い男の子がピコピコとゲームに熱中している。身体の大きさを見ると同じくらいの年齢ではないかと推測する。
「―――次は並盛神社前です」
車内のアナウンスが流れる。
並盛神社前の停留所で、テニスラケットを持った女子高生がどやどや乗ってきた。
車内はシルバーシートも含めて満席になり、一気に騒がしくなる。違うテレビ番組が三つも四つも同時に流れているような煩さだ、と思った。
「―――次は並盛病院前です。」
次の停留所で、杖をついたおばあさんが乗ってきた。
小柄な体に紫がかった銀髪、使いこまれた黒い杖、病院からの帰りなのか大きな手提げバックを持っている。
おばあさんはキョロキョロと辺りを見回した。
けれど―――
「だからァ、アツシとはなんでもないんだってば!」
「カナコはそうでも、アツシの方はわかんないじゃん。」
「そうそう。カナコは彼氏いるんだから、あんま気ぃ持たせるようなことはしない方がいいって!」
ドア近くのシルバーシートに座る女子高生はおしゃべりに夢中で…………違う、あれ程近くにいておばあさんが見えていないわけではないのに、席を譲ろうとしない。
おばあさんは困ったように、手すりに掴まって立っていた。
どうしよう、席を譲った方が……というか、当然譲るべきだろう。そう思ってはいても、なかなか行動に移せずにいた。
おばあさんに断られたらどうしようとか、周りからどんな目で見られるのだろうとか、そう考えると変に緊張してしまって、まるで座席と背中が接着剤でくっついているかように動けなかった。
おばあさんはブレーキがかかって揺れる度に、必死に手すりにしがみついていた。
「……あぶない。」
私の隣に座っていた男の子はゲームを放り出すと、おばあさんの所までチョコチョコ歩く。ゲームは丁度私の膝の上に乗っていた。
「……こっち。」
男の子がおばあさんの手を引いて連れてきたため、そのタイミングで私も席を立った。
男の子が座っていた空間はどう考えても子供一人分しかなくて、おばあさんが座るには狭すぎたのだ。
まさか私も譲るとは思わなかったのだろう、男の子は目を丸くして見ていた。
「ありがとうねぇ。」
顔をくしゃくしゃして、おばあさんはあたしと男の子に礼を言った。
と、その時に感じた視線。
じっとりと重い、決して好意的ではない視線。
目を向けると、女子高生がこっちを見て、ひそひそ話にしては大きな声で話し始めた。
「もしかして、うちらが席譲らなきゃダメだったんじゃん?」
「マジ?やばい?」
「いいでしょ。あの子達の方が若いんだし。うちらだって勉強と部活で疲れるんだし。体力温存温存!」
「だよねー。十代後半になると疲れやすくなってさ。マジうちらもババアだ!」
そして、甲高い声でキャハハ!と笑った。
「『…………』」
私達が笑われたわけではないと思う。けれど、私も、多分男の子も、なんだか馬鹿にされたような気持ちになった。
そんな私達の雰囲気を読んだのか、おばあさんは立っている私と男の子の頭を順番に撫でてくれた。
それから、私と男の子を交互に見ながら「兄妹?もしかして双子ちゃんかしら。」と聞いてくる。
あたしと男の子は顔を自然と合わせるとブンブン横に振った。どう見ても、私と彼は似ていない。
「おれ……おつかい。」
私は、お兄ちゃんの園児服の入った袋を掲げてみせた。
『お兄ちゃんの忘れ物を届けに…』
それを聞いていたおばあさんは、「偉いわねぇ」と微笑んだ。
その言葉を聞いた男の子は、なぜかソワソワと落ち着きなく…そのまま下を向いてしまった。
顔をくしゃりとさせて、今にも泣きそうだ。
「おれ、ぜんぜん…えらくない。ぷーるでわにさんあるきもこわいし、はしるのもおそいし……だから、ともだちにもばかにされる…」
それを静かに聞いていたおばあさんは、ゆっくりと「顔をあげて」と男の子に言った。
「私は貴方達の何倍も生きて、いろんな人と出会ったけれど………嫌いなこと、苦手なこと、できないことが全くない人なんて、見たことないわよ。」
男の子は、おばあさんの言葉にキョトンとしている。
「大丈夫。貴方はお友達にも負けない、とても素敵なものを持っているわ。…もちろん貴女もね。」
おばあさんはニコニコしながら、私を見つめたてきた。
「本当にありがとうねぇ。」
おばあさんは次の停留所で降りてしまった。
おばあさんが降りたことで空いた席に、私と男の子は再び座る。
微妙な沈黙が続く中で男の子にゲームを渡した。男の子が咄嗟に投げてしまった、あのゲームだ。