ロンド
男の子は目を丸くして、私とゲームを交互に見つめた後、静かにそれを受けとった。
「ありがとう。おれ、さわだつなよし。きみは?」
男の子の言葉に今度は私の方が目を丸くした。
まさか、こんな所で…私の憧れのキャラに会えるとは思ってもみなかったのだから。
『……私は―――』
ここで、私は口を閉じた。
少し戸惑ってから呟くように言う。
『私は、蒼井さゆ。』
――――あたしの本名を。
「さゆちゃんね、おれのことはツナってよんで。」
にへらと純真無垢という言葉ぴったりの笑顔を向けられて、思わず言葉が詰まった。これが世に言う罪悪感というものなのかもしれない。それでも、それと同時に嬉しさが身体中から沸き起こっていた。
『………ツッ君。』
自分の気持ちを紛らわせるように呟いてみせれば、彼は思いの外複雑そうな顔をしていた。
『嫌?』
「それ…かーさんにしか、よばれたことなかったから。ちょっとへんなかんじ。」
でもいやじゃないよ、と彼は弁解する。
『じゃあ、ツナ君ね。』
「…ツッくんってよばれるの、おれ、いやなわけじゃないよ。」
もう一度言う彼が、どこかおかしかった。つまり、ツナ君はツッ君と呼ばれたいのだろうかと密かに思う。
でも、私はゆっくりと首を振った。
『今はツナ君。ツッ君って呼ぶ時は、ツナ君と私が今よりもっと大きくなって…少しだけ大人になって………ツナ君も私も何事にも逃げずに立ち向かえるようになった時……』
「にげずに…。」
『うん。それでね、お互いの道を進むの。………それでも、私とツナ君が仲良しさんだったら、その時に呼ぶ。』
「………ほんと?」
『うん、約束。』
ゆっくりと頷くとツナ君に小指を差し出す。ツナ君もそれで合点がいったのか、同じように小指を差し出してくれた。
ゆーびきりげーんまん…と、他のお客に迷惑がかからない程度の声量で指切りをする。
『………ツナ君?』
指切った、と歌い終わった時、それでもツナ君の指と私の指は繋がったままだ。
不思議に思った私は、指からツナ君を見つめると、ツナ君はツナ君で私を見つめ返しているため、ほんの少し驚いてしまった。
「……もしね、さゆちゃんが、おれをツッくんってよんだときに、さゆちゃんをまもれるおとこになっていたら、そのときにはおれと―――――」
「次は、並盛幼稚園前です。」
バスの機械的な音に、ツナ君の最後の言葉が重なった。急いで立ち上がるとお兄ちゃんの袋を掴む。
『―――ツナ君はどこで降りるの?』
「あ……おれはつぎのつぎだよ。」
『………』
「……どうしたの?」
『私は次で降りるんだ。』
そう言ったら、未だに繋がったままの小指と小指を見つめながらツナ君は少し泣きそうな顔をした。
そして、強くなる小指の力に…彼の"行かないで"という想いが伝わってくるようで、振りほどくのはどこか躊躇われる。
「また、あえる?」
『うん。』
「ぜったい?」
『……うん。』
「―――お降りの際は、お忘れ物のないよう――」
いよいよアナウンスも終盤だ。
それが分かったのだろう、彼は肩を落として小指を放した。
バス停に降りて傘をさしてから、窓から手を振っているツナ君に私も手を振り返えす。
"おれとけっこんしてください"
あの言葉、本当はあの時聴こえていた。
バスが完全に行ってしまったのを確認してから、私はパタパタと顔を扇ぐ。
顔が全体的に熱かった。
嫌じゃなかった。
むしろ嬉しかった。
『ツナ君が、その時にさゆという名前を思い出してくれたら………私は……』
そこまで言って私は口をつぐんだ。
カァァァと今度は全身が熱くなる。
所詮小さい子供の口約束だ。
本気にするものじゃない。
私は何を言おうとしたのだろう。
彼は"笹川京子"に惚れるのだ。
少なくともさゆではない。
『………成り代わりって、つくづく厄介だな。』
ぽつりと零れ落ちた言葉は、ザーザーと勢いを増していく雨に吸い寄せられて消えた。