インヴェンション
予鈴と共に、"彼"は教室にやってきた。

どうやら今日は遅刻は免れたようだ。それだけのことなのに、まるで自分のことのように安堵している私がいた。


"彼"も安心したのか、ホッと胸を撫で下ろしている。そんな彼に視線を向けていると、偶然か、必然か、彼と再び目が合わさった。


"口元引き攣っていたわよ"


この間の花の言葉を思いだしながら、心を落ち着かせて口端を緩く上げる。
……たぶん今回の笑顔は引き攣っていなかったはずだ。


そんなことを頭で考えながら"彼"を見遣ると、やはり彼は傍目からも分かる程に赤面していた。





―――――――…


6月18日の放課後。


「京子、今から並盛堂に行こうよ。」


花のお誘いに、私は瞳を輝かせて鞄に教科書を詰め込む。


『良いね、あそこのシュークリーム大好―――』


「京子、帰ろうぜ。」



花と帰ろうとした時に持田先輩に呼ばれた。


『…………あ、』


そういえば…今日の帰り道に歩きながらでも委員会のことについて話そうという約束をしていた気がする。
完全に忘れていた。


『ごめん、花。持田先輩との約束忘れてた…』

「……まったく、あんたって子は。やっぱりどこか抜けてるわよね。」

『並盛堂のシュークリーム……』

正直、持田先輩よりも花と一緒に並盛堂に行きたい。
なんでよりによってこの日に持田先輩と約束してしまったのだろう。


「はいはい、並盛堂は明日行こう。」


どうしても約束を捨てきれない私を見て、花は苦笑をもらした。


『…花、大好き!』

「はいはい、あたしも好きよ。それより…沢田を見てみなって、アレ絶対あんたと持田先輩のこと気にしてるよ。」


花の言葉に私は"彼"を盗みみると、確かに呆然と持田先輩を見ていた。その顔色は心持ち青い気がする。


「でも、ま、持田先輩待ってるし…とりあえず行ってきたら?」


花の言葉に頷くと、鞄を持って持田先輩の待つ扉へと向かった。





「でな、京子。その時一本を打った俺は―――」


剣道の地区大会の話をし始めた持田先輩から逃れるように、キョロキョロと辺りを見渡す。
何か会話を終わらせるきっかけはないだろうか。


『わー、赤ちゃんだ。』


見つけた。
数メートル先に小さな赤ちゃんが経っていた。スーツを着て、真っすぐ立っているその姿はどこか可愛らしい。


「ちゃおっス。」

赤ちゃんと目線を合わせるようにしゃがみ込むと、その子の頭を撫であげた。


『こんにちは、僕、どうしてスーツなんて着ているの?』


「マフィアだからな。」

『わー、カッコイイねー。』


今までの鬱憤をはらすように、私は目の前の赤ちゃんと話し込む。持田先輩の話よりも、この少し物騒な赤ちゃんと話している方がよっぽど楽しかった。


「京子、」


けれどそれを許してくれそうもない先輩に早々に呼ばれてしまう。私は、内心ため息をつくと、赤ちゃんにバイバイと手を振って別れた。




「―――――でさ、そこで俺はそいつの隙をついて面を打ったわけ。その時の俺って―――」


あれからどのくらいが経ったのだろう。家まであと少しだと言うのに、とても長く感じられる。
適当に相槌と愛想笑いを浮かべながら、持田先輩が活躍したという剣道の県大会の話しを延々として聞かされていた。
正直、つまらない。
そもそも委員会の話をするために、一緒に帰ろうという約束ではなかったか?


こんなことなら、花と並盛堂に行けば良かった。


心底後悔している最中、突如としてそれは起こった。
ドスンと大きな地響きと共に、目の前に落ちてきたのは――――――トランクス姿の"彼"の姿。


その姿にも驚いたけれど、怪我をしたのか"彼"の額から流れている血の方に目がいった。その怪我を治してあげられるけれど、彼の登場が派手だったせいで野次馬がたくさんいた。隣には唖然としている持田先輩までいる。
その状況の中で、力は使えなかった………というよりも、力を使う勇気を持てなかった。


"笹川京子、俺と付き合って下さいっ!!"



この場面は知ってる。覚えている。
沢田綱吉。彼は、私であって私ではない"笹川京子"に今から告白するのだ。










「――――蒼井さゆ、俺と付き合って下さいっ!!」











『えっ…?』



一瞬、頭が真っ白になる。
迫る勢いの"彼"の姿を真っ正面から見ると、あぁ、告白されたんだな…と客観的に受け止める。
だけど。


だけど今、彼は私のことを何と言ったのだろう。
彼の言葉に、頭が混乱した。


「おい、変態野郎。お前…誰と間違ってんだよ。こいつは、蒼井さゆなんて名前じゃなくて、笹川京子だぞ!?」



後ろでは持田先輩の声が聞こえたような気がした。

シュュュという間の抜けた音と共に、キリリとした迫力のあった彼はナリを潜め、いつもの気弱な沢田くんがあわてふためいていた。

「あ、あれ?あぁぁぁごめんなさい!!オレ何言って。っ、京子ちゃん、あの、これは……!」


私は一呼吸置いて近づきながら、鞄から上着を取り出すと、彼にそっと羽織らせてあげる。


『一つだけ、教えて…』


真っ赤な彼の耳元に近づいてそっと疑問を囁いた。


『…さっき、私のこと、蒼井さゆって呼んだのは……ただ呼び間違えただけ?』



真っすぐと、彼を見つめる。
その間、三秒。
その際に、彼のゆらりと揺れていた視線は少しずつ定まり、今の彼には考えられないほど真っ直ぐに私を見据えてきた。


「……本当に、なんとなくなんだけど。」


『うん。』


「京子ちゃんのこと、"さゆちゃん"って呼ぶべきなんじゃないかなって、気がしたんだ。………ごめん。」


『………。そっか。』


それは何の謝罪なんだろうと思ったけれど、今はその言葉で十分だった。彼の中には、まだ蒼井さゆがいる。たとえ、それが彼の生まれ持った能力――超直感によるものだとしても、名前を当ててもらえた私の気持ちは、どこか晴れやかだった。


『…沢田くん。』

「…は、はい!」


告白の返事を聞かされると思ったのだろうか。彼は、慌てながらギュッと目をつむると下を向いた。風がそよぎ、色素の薄い髪を遊ばせる。



『――――今度から、ツナ君って呼んでも良いかな?』


「………へ。」


『返事は、今すぐには返せないけれど……私は、もっともっとツナ君のこと、知りたいし、仲良くなりたいの。返事はそれからでも良いかな?』


「……あ、えっと、勿論!!」


私とツナ君が握手をしている中で、後ろにいた持田先輩は青ざめるやら慌てるやらで騒いでいたけれど、先程の赤ちゃんにチョップを喰らって気絶してしまったようだった。


『これから、よろしくねっ!』


彼の身には、これからいろんなことがふりかかるだろう。楽しいことだけじゃない、辛い想いも、きっと、たくさんする。
けれど、私は、そんな彼を傍で支えていきたいと思った。


だから。


『ツナ君、少し屈んでもらえる?』

「……え?えっと、こ、こう?」

『…………うん。』


目線を、ツナ君の顎辺りから額へと移らせる。彼の顔をそっと両手で支えると、丁度良い高さになった額に唇をつけた。
当然ながら、彼の傷はみるみる塞がっていく。全ての傷が塞がったことを確認した私は、ようやく唇と両手を放し、彼を解放した。


『……この力を使って、精一杯、あなたをサポートするね――――ってツナ君!?』


目の前の彼は、放心したようにピクリとも動かない。


「ツナの奴、額にキスされたくらいで情けねーな。オイ、ダメツナ!」

「痛"っ!何すんだよ、リボーン!!」

「そのくらいで、一々意識飛ばすな!」

「無茶言うな!」


先程の赤ちゃん―――リボーン君の凄まじい蹴りによって無理矢理現実に引き戻されたツナ君。その顔を赤らめながらのやりとりが、あまりにもコントのようで、私は思わず笑いが漏れでたが、それが余計ツナ君を煽ってしまったようで、ますます顔を赤くさせてしまうという始末だった。



そんな彼らの隣で……私も一緒に成長していけたらなと、密かに願ってしまう。



『……ツーナくん!』


「………えっ!?な、ななな何!?」


彼は顔を可哀相なくらいに赤らめている。
―――覚悟しててね、ツナ君。"私"だって絶対に"あなた"を振り向かせてみせるんだから。


『―――なんでもないよ!』


「えぇ!!?」



曲はまだまだ終わらない。
これから始まるんだ。

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