届かない声2
―――――――…


「おい、こいつらで間違いないんだろ?」


サンドロの鋭い言葉に男は虚ろな目を僕達に向けた後、ゆっくりと頷いた。


「テニ…スの試合中……使用した…ボール…間違って…彼女達に……渡っ……グァッ!」


その場で男はサンドロに射殺された。
赤い血を流しながら、じきにピクリとも動かなくなった男から思わず顔を逸らす。殺人現場なんて、初めてみた。
むッとする血生臭さと射殺された瞬間の記憶に気持ち悪さを覚えて、胃の内容物が逆流してくるのをどうにか抑えなければならなかった。


黒スーツの男が、死体を運んでいるのだろうかズルズルと引きずる音とバタンとドアが閉まる音で、血生臭さは少し和らいだ気がする。ようやく気持ち悪さが収まった頃、男の最期の場所をあえて見ないようにしながらサンドロに再度向き直った。


『つまりは、試合のあとの片付けの際に俺達のどちらかがそのボールを持ち帰った…ということか?』

「そうなるな。」


『けど、ありえない。そんな物がボールに入っていれば、さすがの俺達もその違和感に気づいている。はずまないボールなんざ、使えねぇし。』


「そうだ。だから、私は言った。隠すな、と。さぁ、"包み"の入ったボールを出しなさい。」


サンドロの言いように、僕も我慢できずに口を開いた。


『……だから、知らないってば。そもそも、なんで僕達だと思ったの?あの時、他にも男達はいたよ?コートを囲めるくらい。そいつらの誰かが持っていったんじゃないの!?』


「それはもう確認済みだ。全員、テニスボールは持っていないと答えた。」

『そんなの嘘かもしれないじゃん。』

「その場にいた奴らの身辺も全て捜した。…ま、今更証言なんざあってないようなもんだが………なにせ全員始末済みだからな。」


ハァと溜息をつくサンドロに、僕は眉間に皺を寄せた。こいつは人の命をなんだと思ってるんだ。


ってか、そもそも運び屋も運び屋だ。そんな大事なものを持っていながら、なんで僕達をナンパしてんだよ。アレか。運び屋の報酬金をもらってウハウハ状態だったのか。しかも、"包み"のテニスボールを持っていながら、なんで試合したんだよ。なんでそんな紛らわしいことあえてした?もう、呆れて物も言えないとはこのことだ。馬鹿だとしか言いようがない。

「さぁ、私に"包み"を出しなさい。もしこの場にないのなら場所を教えるだけでいい。そうすればすぐに帰してやる。どうかね?」


『教えるも何も、俺達は"包み"なんて、見たことない。』


ツカサちゃんは一方通行の会話に疲れきったように言った。正直、僕もだ。このやり取りがいつまで続くのかと考えると……嫌気がした。


「では、君達にちょっと面白い経験をしてもらうよ。」


サンドロは黙って立ち上がった。


――――――…



僕達は一人につき二人のスーツの男に挟まれて、地下への階段を降りて行った。目の前にはサンドロの大きな背中が揺れている。たっぷり地下二階分くらい降りて、やっと細い通路へ出た。
奥の方から、ガーン、ガーンと鉄板をハンマーで打つような音が反響して聞こえてくる。
どうやら、通路の突き当たりに鉄のドアがあって、音はその中から響いてきているようだった。

サンドロが鉄のドアを叩くと、中央の小窓から目が覗いて、すぐにドアが開いた。

そこは暗く細長い部屋で、ドアを入ったところのすぐ目の前には長い台が部屋を横切っていて、奥の正面の壁に、人の形をした白い板がかけられている。そこにだけ、白いライトが不気味に当たっていた。


「ここがどこか、分かるかね?」

この部屋の特徴か、サンドロの声がよく響く。ツカサちゃんは、辺りをゆるりと見渡してから、サンドロに向き直っていた。


『あぁ、射撃場だろ。』


「その通り!」


僕はツカサちゃんとサンドロの言葉に血の気が引いてくる感覚がした。そっと、左腕に巻かれた包帯を見遣る。先程の銃撃の痛みを忘れたわけではなかった。


「あれは私の部下に射撃を教えている男だ。拳銃、ライフル、機関銃。何を撃たせても名人だ。今、日本中捜しても、奴に太刀打ちできるのは数人とおるまい。」


サンドロが得意げに指す先にいた男は、驚くほど小柄で、けれど、がっしりとした肩幅は広く、胸板が厚い。頭をスポーツ刈りにしているので、運動選手か自衛隊か何かみたいだった。


男は今、銃身の長い拳銃を手にしていた。


「腕を見させてもらうぞ。」

「何を使いますか?」

「拳銃と……そうだな、トンプソンを使ってもらおうか。」

「かしこまりました。」


男は拳銃を台に置くと、奥の銃架へ行ってトンプソン・サブマシンガンを手に戻ってきた。


「さぁ、どちらが"人形"になる?」


サンドロが妖しく微笑んだ。人形とは、あの奥にある板のことを指すのだろうか。つまり、人形に選ばれれば…さっきの痛みがまたくる。それだけじゃない、下手すれば死ということも有り得るということだ。そう考えたら、足が震えて、喉まで出かかった"僕が人形になる"という一言が出てこなかった。








『―――俺がなる。』




ツカサちゃんの声だった。

僕は一拍を置いてから、はっとしてツカサちゃんを見る。驚きで言葉が出なかった。


『ヒカリを、もう、これ以上傷つけたくないんだ。』


ツカサちゃんの声が掠れている。僕だけじゃない、ツカサちゃんも怖いんだ。ツカサちゃんの身体も僅かに震えている様子が近くにいる僕にはすぐに分かる。その様子を見て、ようやく僕は我に返ることができた。



『―――ッ駄目。ツカサちゃんはダメ!僕がなる。人形は僕だ!お願い!僕を人形に――』


『ヒカリ。』







『ツカサちゃんだけはダメ!絶対駄目!殺すなら、僕を―――』


『瑩ッ!いい加減聞き分けろッ!』



『――ッ!』




ツカサちゃんの怒鳴り声に、思わず僕は口を閉じた。息を落ち着かせたツカサちゃんは一度目を閉じると、苦笑し囁くように呟く。





『…お前だけは、なんとしても生き延びろ。決して生きることを諦めるな。』


『…な、んで、』


『―――ごめんな。一緒にいれなくて、さ。お前といる時間、楽しかった。俺の一生の宝だぜ。お前は俺の自慢の友達だ』


やめて。お願い。やめてよ、そんな冗談。まるでもう、一緒にいれないみたいじゃん。
なんで、そんなこと言うの。
やめて、やめて。そんな言葉聞きたくなんてない。


ツカサちゃんは一筋の涙を流していた。
初めてだった。
初めてツカサちゃんの泣いている姿を見た。


『……最期にさ、兄貴に伝えてくれよ。なんだかんだ言っても嫌いじゃなかったって。』


ぶわっと、熱いものが僕の目から零れ落ちてきた。


変だよ。ツカサちゃんが跡部にそんなこと言うなんて。ツカサちゃんらしくないよ。なんで、そんな、最期なんて言葉使うんだよ。僕と一緒にいるって、約束したじゃん。なんで、そんな。


『ッ。―――さよならだ、ヒカリッ、』


『なッ!やだやだやだ!何、馬鹿なこと、やめて、聞きたくない、そんなの、やだ!』





サンドロが二人の部下へ頷くと、ツカサちゃんはその二人に両腕をとられ、部屋の奥へと連れて行かれてしまう。


『ちょ、ツカサちゃん!?ヤダ!なんで!?行かないで!』


僕は残りの二人のスーツの男を振り払って、ツカサちゃんを止めようとするけれど、すぐに男達に取り押さえられてしまった。


『ツカサちゃんッ!待って!嫌だ、嘘でしょ!?戻ってよッ!ヤダ!行くなッ!行くなツカサッ!』


男達を蹴ったり、頭突きをしたり、ありとあらゆる部分を使って反撃しようとしたけど、さらにきつく地面に伏せられるだけだった。


『ッ、ヤダ、止めて、止めてよ!ツカサを連れてかないで。ダメ!僕が人形になるって言ってんだろ!?放せっ、放せよ!ッ!
――放せぇぇぇぇッ!


視界が滲む中で、僕はギュッと唇を噛み締めた。悔しくて悔しくて、口の中が鉄の味で広がっても、噛み締め続けた。






その時だった。

ガン

ガン

ガン

ガン



立て続けに四発の銃声が響く。
それは、僕の背筋を凍らせるには十分だった。





「……どうやら終わったみたいだな。」


サンドロの言葉が遠くに聞こえる。頭がガンガンと響いて、ひどく吐き気がした。


『う、そ…だ。』


人形の方は見れなかった。


"ヒカリ"

"ったく、またお前は。見ろよ、兄貴が怒ってる。"



思い浮かぶのは…いつも僕と一緒に、笑って、悔しがって、怒鳴って、悪戯して、兄貴達をからかって、遊んで、テニスして、勉強して…………僕を怒ってくれて、でも慰めてくれて、ギュッてしてくれる――――ずっと僕を護ってくれたツカサちゃんの姿。



"お前は俺の自慢の友達だ"



うわぁぁぁぁあ"あ"!



どうして、どうして、僕はあの時、一瞬でも戸惑ったんだよ。なんで人形になることを躊躇ったんだよ。あの時から、あの約束の日から、僕はツカサちゃんを守るって、そう決めたんじゃんか。自分を犠牲にしてでも護ってみせるって誓ったじゃんか。なのに、なんでだよ!


――悔しかった。自分の心の弱さも。サンドロに逆らえない非力さも。その全てが嫌だった。



「どうかな?これで、"包み"の場所を言う気になったかな?」


『――い。』


「ん?」



『だから、知らないっつってんだッ!!そんなもの、はなっから!さっきから、何回も、言ってんだろッ!!何聞いてたんだよ、』



「なんだと?」


サンドロの眉が潜まれた。


『さっ…ッき…から、知らないって、何度もッ!』



悔しくて。もっと何か言いたいのに嗚咽が邪魔をして、ちゃんと言えなくて。悔しくて、悔しくて。頭が心がどうにかなってしまいそうだった。



『僕達が、一体ッ!何したって言うんだッ!?何も、悪いこと、してない…ッじゃんか!なんで!?なんで?なんで、ツカサちゃんが殺されなきゃ、ならないんだ!』



「………。」


『――せ。』


「?」




『ツカサちゃんを返せぇぇぇッ!』





その瞬間、僕の意識は暗転した。

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