宇宙工学で奇跡は起きない

「本当に小さくなってる」

 美夜は目の前のソファに座る小さな男の子が、年齢に見合わずブラックコーヒーを飲むのを見て、くふ、と蠱惑的な笑みを零した。

 昨日は弟が幼馴染の少女とテーマパークでデートだったので、気を利かせて留守にしていた。
 ところがどっこい、弟は高校生探偵と世間からもてはやされて少々天狗になっており、ジェットコースターで真後ろの席の男性が首チョンパになるショッキングな事件の解決に精を出し、長年両片思いをこじらせている少女の心のケアは何もしなかったという。挙げ句の果てに黒ずくめの怪しげな男たちを追うために少女ををほっぽり出し、怪しげな取引を目撃するも後ろから迫る仲間の男に気付かず。
 背後から殴打され気を失った弟に、男たちは即死の毒薬を飲ませる。気が付いた時には身体が縮んでおり、警察に保護されたという。
 一応保護者にあたる美夜は出かけると言っていたため、隣に住む馴染みの阿笠博士を呼び出して連れ出してもらう。自宅に戻り昔着ていた服を着て今後について相談していた時、事件を追って何処かへ行ってしまったボンクラを探しに少女が訪ねてきた。少女は見慣れぬ子供に興味津々で優しく名前を尋ねる___。

「ふふっ。にしても江戸川コナンはないんじゃない?」

 事件にばかりリソースを割いていた頭が幼馴染の存在を思い出し、事件に巻き込むわけにはいかないと偽名を名乗るしかない。追い詰められた先で、書斎に並ぶ本からとっさに江戸川コナンと名乗ったらしい。
 時系列に並べてみると、我が弟ながらとんでもない阿呆である。呆れてモノも言えないが、とりあえず名前が面白すぎる。

「あん時は動揺してて咄嗟に…。つーか、姉さん笑いすぎなんだよ」
「だって、江戸川コナンって。江戸川はまだしも、日本人名でコナンって。DQNが過ぎるわよ」
「俺だってわーってるってーの」

 ぽそり、と拗ねながら言う弟は、外見も相まって随分と可愛らしい。またふふ、と笑みを零す。
 その裏で美夜は弟が首を突っ込んでしまった組織について考える。分かっているのは全身黒ずくめと言うこと、そしてコードネームが“ジン”や“ウォッカ”など酒の名前なこと。アタッシュケース満杯の諭吉と巨額で取引をし、拳銃などの武器や未知の毒薬まである。底しれぬ犯罪集団なのだろう。
 今のところその組織とやらから工藤家には接触はないが、恐らく美夜が留守にした隙に何かあるだろう。新聞の一面を飾るほど名を馳せて話題性十分の工藤新一が、テーマパークという目につきやすい場所で殺害されたにも関わらず、新聞もテレビもあらゆる媒体が沈黙している状況をきっと怪しむだろう。
 美夜は可愛い弟の不始末をどう片付けるべきか、弟をからかう傍らでじっくりと練っていた。


「それで、細かい設定は?」
「江戸川コナン。小学一年生。両親が事故に巻き込まれて遠縁の阿笠博士に引き取られるが、博士は子育ての経験がないため、蘭に暫く預かってもらうことになった、っていうことになってる。ついでに俺は毛利探偵事務所で組織の情報を探すつもり」
「なるほどね。それで、最初はどうしてウチに居たことにするの?」
「あー…阿笠博士はまず姉さんに頼った。でも姉さんは夜に仕事があることを理由に断った、とかは?」
「いいわね。蘭ちゃんに代わりにお願いすることになった代わりに、サイズの合いそうな新一の服をプレゼント。あと、両親は事故の後は海外にでも行ったことにしておきましょうか」
「姉さんは細かいところによく気付くよな。俺と博士だけだったらその場凌ぎしか出来なかったよ」
「そりゃあ、数多の修羅場を乗り越えた大人の女ですから」

 得意げに微笑を浮かべる美夜に、新一もといコナンは戦慄すら覚える。
 美夜は16年前、工藤新一が生まれる少し前に工藤家の養子となった、血の繋がらない家族である。美夜は清楚可憐な少女にも、妖しげで艶やかな大人の女性にも見える絶妙なルックスを誇る。外見だけでなく、学力や社交性も抜群な美夜は、学生時代男子はもちろん、教師からも多数の思いを寄せられる程だった。そうなれば女子の顰蹙を買いそうな物だが、女子からの信頼も厚く、恋愛相談は日常で、女子からの告白もあったという。
 20代半ばになった今でも年齢不詳な美しさは健在であり、その微笑はヴィーナスの如き美しさだが、新一にはどこか腹黒さを感じるものである。

「さて、これから忙しくなるわね」
「迷惑かけてごめん…。でも、」
「必ず犯人を捕まえて、元に戻る、でしょう?家族なんだから頼りなさい。そうと決まれば早速出かけるわよ」
「どこに?」
「色々に決まってるでしょ、イロイロ」

 その後姉弟は、新一の昔の服をまとめ、ショッピングモールに行き下着など必要な物を買い足し、スマホを契約し、菓子折りを買って、ようやく毛利家に着く。女性の買い物に関する行動力は凄まじいので、コナンはぐったりしている。しかし、文句を言わずについてくるのは、自分に必要だとこんこんと美夜に諭されたからだ。
 「ウチに服は残ってても下着は無いでしょう?ずっと同じの履くの?蘭ちゃんに買ってもらうの?」「スマホは?連絡できないと困るよね?新一は事件で日本も海外も問わず渡り歩いてるのに、コナンくんが持ってるのおかしいよね?それ使うわけにはいかないよね?」「生活費は阿笠博士経由で振り込むけれど、まさか子供一人見てもらうのに生活費すら払わないなんてことないよね?」と疑問符がついているがほぼ断定の形でひたすら押し切られたのである。

「昨日は新一がごめんね?まさかデートほっぽり出して事件を追うとは思わなかったの。新一には私からガツンと言っておくからね」
「ででで、デートだなんて!そんなんじゃ無いですし!それに、あいつが事件ばっかなのは今に始まったことじゃないですし!美夜さんが謝る必要ないですよ!」
「そう?でも私が夜に仕事があるから、この子の面倒まで任せちゃって…。これ、新一が小さかった頃に着てた服お下がりするから貰って。さっき阿笠博士のところに寄ったらこれ頼まれたの。昨日は急だったから何も用意がなかったけどってお菓子と、コナンくんの両親から生活費。足りなければすぐ用意するから、コナンくんに連絡お願いしてね。コナンくんスマホ持ってるみたいだから」
「美夜…。本当にありがとうございます!あんなのがいるウチですけど、コナンくんお利口さんだしなんとかなりそうです!」
「何か困ったことがあれば、私に頼ってね。絶対に力になるから。それじゃあ、今日はお暇するね」

 コナンは頭上で繰り広げられる女性の会話に辟易としている。ようやく終わりそうだとほっとしたのに、蘭が残念そうに引き止める。

「え、もう行っちゃうんですか?博士からお菓子も頂いたし、一緒に…」
「ごめんなさいね、もう行かないと。それじゃあコナンくん、毛利さん家でいい子にしてるのよ?」
「うん!ボク、いい子にできるよ!」

 新一の演技は美夜にはあからさまで思わず吹き出してしまいそうだが、蘭を始めとして周囲には怪しまれていないようなので良しとする。美夜は爆笑が漏れてしまわぬうちにと、毛利探偵事務所を後にした。

 
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