湖を湛えた心臓

 降谷零、諸伏景光、松田陣平、萩原研二、伊達航。5名が警察学校に入校してしばらくして。
 初の拳銃を使用しての訓練日。松田が拳銃を分解したり、実弾が一発紛失したり、天井から点検の作業員が落下し助けようとした鬼塚教官共々宙吊りになり命の危機に瀕したり、それを伊達班が一致団結して救出したり。とんでもなく濃い一日だった。
 一連の騒動を通して不仲だった降谷と松田の関係は一転し、外出許可も下りたため班の親睦を深めようと飲みへ出かけた時のことだった。

「なぁ、ここの道ってこんな大きな家あったか?」
「はー?行きも通ったのに数時間で家が建つわけない…じゃん、ね?」

 諸伏の発言に、萩原がそんなわけないと茶化そうとして、それは最後まで続かなかった。5人の視線は自然と立派な門構えの豪邸に釘付けになっていた。まだ数度しか外出していないが、通い慣れてきた道に急に見覚えのない建物があれば違和感を抱くのは必然だった。
 少し高めの塀に、両開きの立派な門。門扉の奥には広々とした庭園と、洋館が覗いている。門柱には表札がなかった。

 5人が違和感を飲み下して教場へ戻ろうかと思考していた時、遮るように門扉がひとりでに開いた。
 まるで5人を招き入れているようだが、全員に招かれるような心当たりはない。周囲を見渡すが特に防犯カメラなど外の様子が確認できるものは設置されていない。
 妙な違和感と気色悪さが5人を不快にさせる。

「上等じゃねぇか」
「あ、おい、松田!」

 喧嘩っぱやい松田が意気揚々と乗り込もうとする。伊達は松田を制止するが、この奇妙な現象を解決するには誘いに乗るしかないことは分かっているので、残る3人とアイコンタクトを取り、後に続いた。
 豪邸は洋館だけに見えたが、それは正面だけだった。洋館と続き間で平家の古民家が併設されており、塀に隠れて見えなかった庭の先には立派な蔵まであった。
 門から整えられた石畳を進み、洋館の玄関ポーチにつく。重厚そうなドアが、またひとりでに開いた。ドアの向こうには、10歳ほどだろうか、少女が礼をとって出迎えていた。

「ようこそいらっしゃいました。こちらへどうぞ」

 洋館だけあって、靴を脱ぐ必要はなかった。エントランスは広々としており、如何にも高そうな壺に花が生けられており、赤い敷物が敷かれている。
 少女は5人をそのまま玄関の正面にある扉まで案内し、全員が扉の前に揃ったところでまたひとりでに扉が開く。もう扉の開閉如きで反応しないくらいには、この奇妙な空間に慣れつつあった。

「ご苦労、小蘭シャオラン。そのまま茶の用意を頼む」
「承知しました」
「皆様、こちらへおかけ下さい」

 玄関からの案内役の少女は、お茶汲みを頼まれて別室に移動してしまう。代わって髪質は違うが双子だろうか、そっくりな少女が5人を部屋の中へ誘導した。
 その部屋はかなり広く、調度品の格や位置的に応接室なのだろう。中央にテーブルが置かれており、手前側に成人男性が3人はゆうに座れるソファ、その左右に1人用の椅子が用意されている。椅子の数から5人が招かれるべくして招かれたのだと分かる。
 素直に座るのも躊躇われ、そのまま突っ立っていると先程の少女がテーブルに茶器を並べていく。そして2人の少女によってテーブルの対面に座す、家主が暴かれた。

 家主はテーブルの向こうで長椅子に座っているのは分かったが、細かい表情などは天蓋のような薄布が邪魔をして見えなかった。その薄布を少女たちがそれぞれまとめて、ようやく主人を見ることが出来た。
 主人は意外にも自分たちと大して歳の変わらない女性だった。黒い髪を複雑に結い上げ、黒い中国の伝統衣装のような服を纏っており、黒ずくめだ。対比するように病的な程に白い肌に、こっくりとした紅色のメイクが映えている。派手に見えるが毒々しさはなく、むしろ神秘的で華やかだ。

「降谷零、諸伏景光、松田陣平、萩原研二、伊達航」

 全員を呼んだ玲瓏な声に、背筋がスッと伸びる。何となく叱られている時のような、言うことを聞かなければならない気持ちになった。

「今日は君たちに話があって招かせてもらった。立ち話も何なんだ、かけると良い」
「オメーは」
「私は朱玲珠。香港人だ」

 松田の不躾な問いに気を悪くした様子はなく、朱玲珠という女は淡々と答える。
 朱玲珠の再度の勧めには全員従い、ようやく椅子にかけた。


「早速だが本題に入らせてもらう。今回招いたのは君たちの未来を変えたいからだ」
「あー、占い的な?壺とか買わないよ?」
「萩原研二」

 朱玲珠の言葉に、反射的に萩原が宣言する。萩原の視線は壺などの調度品に向けられていた。それを否定するでも肯定するでもなく、彼女はまた名前を呼ぶ。
 彼女に名前を呼ばれた萩原は、自然と口を噤んで彼女の話を聞く体勢を取る。名前をただ呼ばれただけなのに強制力があり、やはり妙な気分だった。

「君は警視庁警備部機動隊 爆発物処理班に配属されて間もなく、防護服を着用せずに爆弾の解体を進める。停止したはずのタイマーが再開し、爆死するだろう」
「松田陣平。君は萩原研二の仇を討つため、逃亡した犯人を追う。爆弾の解体は問題なく進んだが、隠されたもう一つの爆弾の在り処を知らせるため、逃げ遅れて爆死」
「諸伏景光。警視庁公安部に配属され、国際的な犯罪組織に潜入するが、正体を暴かれ秘密保持のために拳銃で自殺」
「伊達航。詐欺師逮捕後、居眠り運転のトラックにはねられ死亡。その後君の死を知った婚約者のナタリー・来間も後追い自殺する」
「降谷零。君は私の知る未来では死なない。でも……」

 ここまで5人が口を挟めないのを良いことに独壇場だった彼女が、初めて言葉に詰まる。降谷に向けられた視線を、他4人に順番に移し、悲しげに伏せる。まあ、言いたい事はわかる。かけがえのない友人を喪う未来が、幸せなわけがないのだ。
 各々自分や友人の死に思うところはあるようで、お互いに顔を見合わせる。

「これはあくまで私の知る未来だ。この未来が来ることを当然望んではいない。このまま戯言で終わるのが一番良いと思っているからこそ、私は君たちに未来を教えることにした。君たちの未来は君たちが切り開くものであって、私がどうこうできるものではないから」
「信じられない話だな」
「信じるか信じないか、それは君たち自身が決めることであって、私が干渉することじゃない」
「なら貴方は、信じられないような話を何故わざわざしたんだ?」
「……望まない未来を知っていて、何もせずそのままの未来を迎えるのは寝覚めが悪いだろう?私が未来を変えたくて、私が決めてそうしただけのことだ」
「…エゴだな」
「どうとでも言うと良い。自分の未来を決めるのは自分だ。私は私のできることをした。後は君たち次第だ」

 用は済んだ、と彼女が手を伸ばす。それに呼応するように応接室の扉が開いた。奇妙な空間でメタ的な話を聞くのは苦痛だったので、全員すぐに立ち去る準備をする。

「諸伏景光」

 彼女は誰にも聞こえないような声で、一番最後に出ようとしていた諸伏を呼んだ。諸伏にはしっかりと聞こえて、振り返る。

「探し人は見つかる」

 諸伏はハッとする。警察学校に入校してからというもの、学内で許可されている端末から過去の事件を調べて、操作資料なども見ていた。それでも昔の事件のため、手がかりは見つからなかったのに。

「よく周りを見るように。素敵な友人が居るのだから」

 ずっと無表情というか澄まし顔だった彼女の目元が、ほんの少しだけ綻んだ気がした。彼女の声音も、ずっと突き放すような物言いだったのに、最後だけは優しさを帯びていた。それが何だかくすぐったくて、諸伏はコクリと頷いて豪邸を去った。
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