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秘薬吸い込み事件からなまえはボネを避けるようになった。戦闘での持ち場では前衛のボネと後衛のなまえが一緒になることはなく、ソラネルで休む時はなまえは部屋に引き籠った。書物があればなまえは幾らでも暇を潰せるのだ。
とはいえ仲間達には会いたいし、取り分け見返りを求めずになまえの希望──好きな本の主人公が食べている焼き菓子を食べたいという願望──を叶えようとしてくれる優しいボネには一番会いたくて、気恥ずかしさから会いたくなかった。
そんな相反する気持ちを抱えながら数日を過ごしたある日のこと、ボネにカフェテラスに来て欲しいと頼まれた。どうやらあの焼き菓子をできるだけ再現したものが出来たらしい。
自分だけ一方的に逃げていたのにボネはずっとなまえの為に焼き菓子の研究をしていたと知り、なまえは申し訳ない気持ちで誘いを受けた。
「天国とまでは言わないが、それに近い気分は味わえるはずだ」
ボネは最近会っていなかったことに特に触れることはなく、テーブルになまえを案内する。
いつものように対応してくれることに安堵してなまえはテーブルと対の落ち着きのある意匠の椅子に座る。
卓上には既に茶器や焼き菓子が用意されていて、焼き菓子は前回までのものとは異なり中に香草や何かの粒が練り込まれているのが見た目でわかる。
「食べる前にこれを飲んで欲しい」
そう言ってボネはカップに紅茶を注ぐ。紅茶からは刺激的で発酵した果実のような香りがする。
「ありがとう。これもボネが用意してくれたの?」
「こちらもルイに相談しながら試作を重ねた。より効果が出るようにな」
クロエと同じくなまえと共通の趣味を持つ友達である、あのルイにわざわざ声をかける程、ボネは本気であの焼き菓子を再現しようと懸命に取り組んでくれたのだろう。なまえもボネの真摯な取り組みに応えようと、真剣な面持ちで紅茶に口をつけた。
「美味しい……!刺激的なのに甘くて落ち着く……!」
香り以上に果物感があり、僅かにスパイスのような辛さも感じる。飲んだ瞬間からなまえの体は温まり、血色も良くなる。心なしか緊張した表情も弛緩した。
「良かった。ルイに感謝しなくてはな……では次はいよいよ焼き菓子だ」
ボネに促されるようにして、なまえは胸を高鳴らせながら焼き菓子に手を伸ばす。
見たところ例の花は入っていなさそうである。口に入れて見ると、生地はしっとりとしていて食べやすく、生地の中に入っている粒は何かに覆われているようで噛んでいるうちにそれが溶け出し、甘酸っぱい果実が出てきた。香草と果実の刺激的で甘やかな味が口内いっぱいを満たし、なまえは思わず微笑む。
「これも美味しい!」
「だが、食べた瞬間からは陶酔感からの頭の覚醒はないのだろう?」
ボネはなまえの読んだ本に書いてある描写を元に聞いてくる。
確かに絶頂するという感じではないが、そんなものは今はどうでもいいと言えるほど、脳を揺さぶるような美味しさであった。
「うん……でもこれは本当に美味しいよ!口の中がずっと美味しくて幸せ!こんなに美味しいものを作ってくれてありがとう!ボネがわたしの為に用意してくれて本当に嬉しい!」
せっかくボネが試行錯誤してこれ程美味しいものを作ってくれたことに感謝を伝えたく、沢山の言葉を尽くしてなまえは語る。なんだか気分が高揚し、頭に思い浮かんだことがそのまま口から出てしまい止まらない。舌が思考の先を行ってしまっている気さえする。
「どうやら効いてきたようだな」
「何が……?」
「本と似たような効能を得られる菓子を作ったんだ」
「効能って……?」
「主に血管拡張、覚醒作用、幸福感の向上効果だ」
「確かに効能は似てる気がする。あの本の主人公みたいに考えが沢山浮かんでくる。美味しい上にこんなに効能があるものが作れるなんて凄い!」
「そうでもない……実は医術の心得のあるジャンに相談したのだが、本で描かれている花は実際に存在しているがとても高価なもので厳重に管理されていて医師が特定の患者にしか使用できないらしい。だから完全に再現することは叶わないとわかり、それに近しいものができるようにジャンに意見を聞きながら作ったんだ」
「そうなんだ……それならジャンにも御礼言わないと。でもよく二冊の本の内容から花の正体がわかったね」
「全冊読んだからな」
ボネの告白になまえはハッと息を呑む。まさかという嫌な予感に側頭部に痛みが走る。頭痛は副作用の一部なのかも、とよく巡る頭の隅で考える。
「本って……?全冊って……?」
「フォガートにあの本を三冊とも手配してもらった……それで最初から最後まで全て読んだ」
「……!」
なまえは更に息を呑んで、唇をはくはくと上下させる。まさかボネは主人公と恋人がそれはもう互いの体がくたくたに蕩けてしまう程肌を重ねた過激な描写を読んだのだろうか。
なまえは誰の目にも明らかな程顔を真っ赤に染め上げ、震える手でカップを取り紅茶を飲み干した。
飲み干してから香料の効いた紅茶であることを思い出し、一層体が熱くなる。
「なかなかに刺激的で、あの菓子だけでなく冒険の地で振る舞われる料理が興味深かった。是非とも再現してみたくなったな」
なまえも興味あるだろう、とボネは問いかけるような目で見つめてくる。あんな不健全な本を三冊も読んでおきながら穏やかな海のように澄んだ美しい瞳を向けられ、なまえは動揺するばかりで言葉が出てこない。
「なまえ?」
「……あ、えっと……」
「興味がないのなら、なまえが他にも読んでいる本に出てくる料理を再現しよう。なまえが望むことを叶えたい。あの花の入手については諦めるしかないが……」
ボネはなまえの座る椅子の足元に片膝をつき、なまえと目線を合わせる。何か訴えかけてくるような声音と眼差し、いつもより熱心な雰囲気になまえは気圧されるばかりである。
「そんな悪いよ……わたし、まだボネに御礼してないし……」
「見返りなど求めていない。だが、仮に求めることを許してくれるのなら一つだけ叶えて欲しいことがある」
「何……?」
「なまえを抱きしめさせて欲しい」
「なんで……?」
言うなら舐めさせて欲しいや香りを嗅がせて欲しいというかと思いきや、それらと比べてやや抑え気味の要望になまえは小首を傾げる。
「なまえに好いて欲しいからだ」
「どういうこと?」
「以前秘薬を吸った時に『近づかれたら好きになってしまうから近づかないで』というようなことを言っていただろう?ならば、より近づくことを許してくれるのなら、なまえは私を好いてくれるということだ」
「……わたし、そんなこと言ってたの?」
「間違いなく言っていた。人を好きになることが怖いともな」
「……」
どうやらアンバーの真実を話すという秘薬を吸った所為で自分の臆病なところまで吐露したらしい。自覚はないが、ボネの言ったことはなまえの本心で間違いなく、そもそもボネは嘘をつくような人間でないことくらいはわかる為疑いの余地はない。
「もし私を好きになることが怖いのならば怖くなる原因を取り除く。それからなまえを抱くことを許容してくれればいい」
「だ、抱くって……いや、なんでもない……!」
「ああ、抱きしめることだが、なまえが許すならその先も含めて欲しい」
「なっ……!」
妄想でしか耐性のないなまえには刺激が強すぎるボネの発言にくらくらと眩暈を感じ、片手で頭を覆う。
「大丈夫か?」
「ちょっと眩暈が……ねぇ、そもそもわたしに好かれたい理由あるの?」
自分の香りについて強い興味を抱いているのはわかるが、その先も求めるとなると話が違ってくる。つまり、ボネはなまえに愛の告白をしているのかどうかという話になるからだ。
「なまえの香りに強烈に惹かれているからだ」
「正直すぎる答え……」
「なまえは少々私をみくびっているな?今もこうして抗い難い芳醇な香りに飛びつきたいのを我慢しているのはなまえを好いているからだ……嫌われたくない一心で自分を抑えている」
「別に嫌いになんてならないよ……でも香りだけに惹かれて好きと言われても……」
「香りだけではない。パンドロが不在の時、なまえは自警団の手伝いに来てくれたことがあったろう?その時怪我をした私を手当てしてくれた。なまえが近くに生えていた薬草を食べ始めた時は驚いたものだが、まさかそれを薬に傷口の手当てをするとは思わなかった」
「あの時は必死だったから……!でもあれ汚かったと思うから、恥ずかしいから思い出さないで……!」
ボネが出血する程の怪我を負った時のことだ。なまえは医学書の知識により、たまたま近くに生えていた薬草に止血効果があることを知っていたので応急処置として薬草を口内で噛み潰してボネの傷口に塗ったのだ。今ならセイジとして治せたが、あの時はまだマージで杖も使えない頃だった。
「恥ずかしがる必要はない。お陰で治りが早かった。それに自らも足を引きずる程の怪我を負いながら健気に私を手当てするなまえの優しさは無論のこと、なまえの唾液と薬草の組み合わせは素晴らしかった。私は今でもあの時の味が忘れられない……思えばあの時から私はなまえに惹かれていたのだと思う」
「待って……あれ舐めたの?」
「違う、食したんだ」
「嘘やだなんでっ……!?」
「優しいなまえの味を知りたかったからだ。それ程なまえに惹かれている。だから、怖がらずに私のことを好きになって欲しい」
言っていることは変態的なのに、なんて真っ直ぐで熱い目をしているのだろうか。
ボネの瞳から目を離せず、なまえは狼狽える。
今まで沢山の、それも多種多様な書物を読んできたがボネ程の珍しい性癖の人物はみたことはなく、なまえにとって彼は非常に興味深い存在である。それにどんな官能小説を読むよりも、ボネにされたことの方がずっとときめいた。加えてボネは料理によってなまえの知的欲求を満たしてくれるし、懸命に寄り添ってもくれる。信用できる人間だろう。
出自から裏切られることを恐れるなまえは冒険小説の主人公のように勇気を出すことを決意した。
「わたし、そんなに美味しくないと思うけど……ずっと飽きずにいてくれたら嬉しい……」
その言葉で通じたのか、ボネは大きく瞳を見開いてなまえの手を取る。
「飽きるものか!こんな馥郁とした香りを漂わせて美味でないわけがない……!私はどんななまえも美味しく味わえる……!」
今後様々な場面で味わおうとしてくるのだろうか。なまえはボネの反応に色々心配になるが、取られた手は引っ込めずにボネの言葉に頷く。
「人前では恥ずかしいから、二人の時にならその……色々味をみてもいいよ」
「ありがとう。しかしなまえの味を知ってしまったら人前で耐えられるかわからないが、努力はする」
少々不安な返答であるものの、こうして今も手を握るだけに留めてくれているのなら大丈夫であろう。そう楽観していたのだが、まさか人前がどうこう気にする以前に二人の時にされる数々の行為の変態さに頭を抱えることになるとはこの時のなまえには想像力が足りていなかった。
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