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釣りというものは奥が深い。単に釣竿の性能や餌の種類だけでなく、同じ川や海でも僅かな地形の差や季節、天候、風向きなどによって釣果が異なる。
その奥深さを味わう為に、なまえは山の麓を流れる川に来ていた。開けた青空には薄い雲が点々とあり、動くと汗ばむくらいの気温だ。山から流れてくる水は冷たいが、下流なので上流程冷えてはいないだろう。釣りにいい条件が揃っている。
「沢山釣れそうですね?」
屈んで指先だけでそっと川の水の温度を確かめながら横を向く。隣には同行してくれたスタルークがいて、荷物を解いている。
「そうですね。釣りにはいい天気ですので、期待できそうです」
少し不安げな顔は通常通りであるが、なんとなくなまえに何かいいたげなようにも見える。
スタルークを釣りに誘った時、最初は「どうして僕なんかを……?あ、兄上は忙しい身ですので仕方なくですよね。すみません。なまえが海ではなく、川へ誘うのも僕に筋肉が足りないからですよね。川魚ならもしかしたら僕にも釣れるかもしれませんし……気を遣ってくださるなんてなまえは優しい方だ……兄上の代わりにはなれませんが、沢山釣れるよう精一杯努めますね」なんて、赤紅色の瞳を細めて自分で卑屈な理由を推察していた。
だから今もどうしてなまえが自分を誘ったのか知りたいのだろう。
なまえがスタルークを誘う理由は単純な話だ。ザフィーアからスタルークと一緒に釣りに行った時の彼の活躍ぶりを聞いて、興味が湧いたからだ。
なまえは黙々と地面に腰を下ろして釣餌にかけていた氷結魔法を解き、針に釣餌を刺す。
「凄いです……」
スタルークの呟く声が聞こえて顔を上げると、彼は興味深そうに針から下がる釣餌を見ている。
「何がですか?」
「海老の身がとても綺麗に切り揃っています……なまえが切ったのですか?」
「そうですが……」
「器用なんですね。凄いです。僕が切ったら海老に申し訳なくなるくらい崩れてしまっていたと思います」
「そんなに器用な訳ではないですよ?」
なまえは耳を桃色に染めて首を横に振る。まさか釣餌を切ったくらいで褒められるとは思わず不意打ちであったのと、スタルークの言葉が本心からであると伝わる程あまりにも真剣な響きが籠っているので照れてしまう。
「釣餌は整えた方が水の抵抗を受けにくく着水音が抑えられると本に書いてあったので、綺麗に釣餌を切る練習を沢山しました。だからスタルーク王子が褒めてくださる程の出来になったんだと思います」
「なるほど……釣餌も綺麗な方がいいんですね。なまえは知識もあるし、それを実現する為に行動することも素晴らしいです。僕なんかには真似できません」
「……スタルーク王子の使う矢羽は綺麗に整っています。技量もさることながら、ご自身の武器を最大限に生かせるよう努力なさる姿にはわたしも学びを得ていますよ?わたしが釣竿の糸のヨレにも気をつけるようになったのはスタルーク王子のそんな姿を見たからですもの」
「ひぇっ……!え、えええ〜!い、いつそれを……?なんの価値もないゴミクズの僕のそんなところまでみてくださっていたんですか……!?」
「弓の練習をしていたところが見えたもので……本を読みながらですけど、時折練習するお姿を拝見していました……」
「本を読む邪魔をしてしまったみたいですね……すみませんすみません」
「邪魔なんてとんでもないです。先ほども申し上げた通り、スタルーク王子から学びを得ることができるんです。実は今日もその為に誘ったのですよ?」
「そうなんですか……?」
「他国の王子を誘うなんて失礼で身の程知らずなことですが、どうしても知識欲が上回ってしまったものでして……」
仮説を検証する為にブロディアの王子を誘うなど失礼極まりない。そうわかっていながらも、スタルーク王子には釣り適正があるのでは、と気になったなまえは誘わずにはいられなかった。
「僕からも知識を得ようとするなんて……」
なまえが幾ら事実を並び立てたところで自己評価の低いスタルークは困惑の表情を浮かべる。
これ以上自分が話すと、スタルークを困らせてしまうと思ったなまえは釣りの準備を進めた。
「スタルーク王子とはもっと沢山お話ししたいですが、そろそろ始めましょうか。王子はこの釣竿をどうぞ」
「ありがとうございます……」
なまえは装餌した釣竿をスタルークに渡し、着水まで見届けてから少し距離をとって自分も釣りを始めた。
釣りにおいてまったく同じ条件を作り出すことは不可能であるが、少なくとも同じ釣竿に同じ釣餌を使っている。スタルークと自分でどれ程の差がでるのか楽しみで、前のめりの感情が自然と頬を綻ばせる。
そんななまえとは反対にスタルークの顔には終始不安そうな色が浮かんでいた。
*
数日後、なまえはソラネルの動物小屋でソルムニャンコに餌をやっているスタルークに話しかけた。
「スタルーク王子!」
「なまえ。何か僕に御用でしょうか?」
スタルークは動物と触れ合っていたからなのか、心なしか以前より明るい表情で立ち上がり、なまえに体を向ける。
「また釣りに行きませんか?」
「お誘いはとても嬉しいのですが……また僕なんかを誘って何が得られるのでしょうか……?」
「沢山得られますよ!この前はスタルーク王子ばかりが沢山魚を釣ってましたし、あっという間に釣餌がなくなってその場で調達した程でしたよ!」
なまえは泥だらけになりながらその辺の土を掘り起こしたり、川の中で石をひっくり返したりして餌を探していたことを思い出す。
話している時に魚という単語に反応したのか、ソルムニャンコがなまえの足元に擦り寄るので、なまえは勘違いさせてしまったことを謝りながらソルムニャンコを抱き上げ、首周りを優しく撫でる。
「確かにそうでしたが……釣餌は全てなまえが用意してくれたものですし……僕はただ立ってただけですよ?」
スタルークは言いながらなまえの抱き上げたソルムニャンコの口元に人差し指の腹を近づける。指には餌が一粒乗っていて、ニャンコが食べる度にまた一粒補充してやる。
「釣りは季節や天候、風向き、気温よりも、魚の習性や調子がとても重要なんです。どんなに好条件でも、魚の警戒心が高まったら見切られて見向きもされません。ですが、魚の警戒心を解く才能がスタルーク王子にはあるのです。とても素晴らしいことです」
なまえが釣りをする中で気がついたことであった。たとえ好条件の揃った時を狙っても、その時の魚の調子が悪ければいい釣果は得られない。
だから釣りをしたことのないスタルークが大漁だった時の話を詳しくザフィーアから聞いたなまえはスタルークの才能に気がつき、「同条件において魚の食いつきには釣り人による個人差が出る」との仮説の検証をしたくて仕方がなくなった。
そしてこの前の釣りで仮説が証明されたことでなまえは満足したのだが、その時のことがとても楽しくて忘れられず、今度は純粋にスタルークと色んな場所で一緒に釣りをしたくなったのだ。
「うう……それって才能というより僕の影が薄いからですよね……」
「仮に影が薄いとしてもそれも才能のうちです。それにスタルーク王子の釣糸の整え方は丁寧で参考になりました。遠投がお上手でしたし、魚が食いついてから引き上げるまでの寄せ方もお見事でした。見たことのない魚も釣れて、とても楽しかったです……またスタルーク王子と釣りをしてみたいです」
「僕は……いっ……」
スタルークは肩を飛び上がらせて手を引っ込めた。どうやらソルムニャンコがスタルークの指をザリザリした舌で舐め続けていたらしい。
今の出来事でなまえは興奮のあまり一方的に話してしまったこと、スタルーク視点に立って何も考えていなかったことにハッと気がついた。
「ご、ごめんなさい。この前もご無理をいって誘ってしまいましたし……スタルーク王子の優しさにつけ込んでしまいました……」
なまえはソルムニャンコを地面に放し、おろおろと落ち着きをなくす。思い出せば思い出す程、初めて釣りを誘った時からとんでもない失礼を重ねていたことに気がつく。
「いえ、なまえに誘われるのは嬉しいんです……僕も楽しかったですし、また釣りをしたいと思いました」
「それって……」
「なまえが許してくださるなら、僕はなまえと釣りがしたいです」
「……!嬉しいです……!では次の釣り場を見つけたらお知らせしますね」
「ええ。僕の方でも良さそうな場所を見つけたらお教えします」
スタルークと釣りに行く予定が決まり、それだけでも嬉しいはずなのになまえは名残惜しくなり、何か話そうと話題を探すように動物小屋を見渡す。
ソルムニャンコはどこかへ行ってしまい、その他の動物について何か話そうにも会話が広がるような言葉が出てこない。
すっと頭に思い浮かぶのは今も心弾んで止まないあの予定のことだ。しかし、予定は予定。その予定とは別にしてはいけないことはないだろう。
「……今から湧水の池で釣りをしませんか?」
「……実は僕もそうしたいと思っていました」
釣りの予定を入れたばかりだというのに、二人はその後湧水の池で日が暮れるまで釣りを楽しんだ。
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