diamant


 
ルビーは耐火性や靱性に優れているらしい。そんな本の知識をなまえが思い出したのはディアマンドの姿を初めて見た時であった。ディアマンドの赤い髪だけでなく、赤を基調とした服を着ていることと、彼が鉱山資源の豊富なブロディアの王子であるという事前知識があったために、なまえはその時ルビーを連想したのだ。それからというものディアマンドを見る度に頭のどこかで燦然と輝くルビーの宝石を思い浮かべるようになった。

そして川でディアマンドと向かい合った今も、ルビーに関する知識が脳裏に浮かぶ。

──ルビーは燃えづらいから大丈夫!

なまえは思い切りよくファイアーの魔道書を片手にディアマンド目掛けて炎の塊を放った。

ディアマンドは腿まで浸かった川の水をものともせずに大きく避け、なまえに向かって距離を詰める。なまえはディアマンドの赤い瞳を見つめて左右どちらへ避けようかと考えようとするのだが、その瞳があまりにも暗く揺れていて一時的に意識を割かれてしまった。

ディアマンドに剣を振るう間合いを取られた瞬間、なまえはハッとして横っ飛びに避けようとして脚を縺れさせ、荒い岩石の上へと倒れ込みそうになる。

「なまえ!」

すんでのところでディアマンドが体を抱き留めてくれたのだが、彼は川底の貝に足を滑らせたようでなまえも巻き込まれるようにして盛大な水音を立てて転んだ。

ずぶ濡れになった二人は小石の敷き詰まった川岸で靴を脱いで濡れた服を着たまま向かい合って焚き火に当たっていた。

「すまない。私がなまえを訓練に誘っておきながらこんなことになるとは……」

「謝らないでください。殿下のおかげで助かりました。今後川での戦いの時は岩に気をつけなくちゃですね」

なまえは火へと両手を伸ばしたままディアマンドをちらと見遣る。火の色を吸い込んだ赤い瞳は更に深さを増してまさにルビーのような美しさだ。訓練中に見せたあの瞳の暗さはもうない。

なまえがディアマンドに「魔道士と訓練がしたい」と誘われた時、対魔道士の戦法を研究する為に呼ばれたのだと思ったのだが、あの瞳の暗さを思い出すと、そう単純な話ではなさそうな気がした。

「そうだな……それに川にも貝が生息していることを忘れないでおこう」

「ふふっ」

武力の国の王子らしい体格をして険しい顔つきであるディマンドに怖い印象を持っていたなまえであるが、その印象が薄れてしまうような言葉に笑う。

「あれは滑りやすいですよね?小石とかも案外危ないですし靴の装備でなんとかなればいいのですが……」

「我が国は耐候性や耐火性などに優れた衣服の生産は得意だ。川での戦いに向いた靴も用意できるだろう」

「頼もしいです。いつかどの国からも自由に交易品を買えるようになりたいですね」

「なるさ。私達の手で必ずそうする……しかしそれには私は強くならねばならない」

もう十分強い、そんな言葉が頭に思い浮かんだが、訓練中のあの瞳を忘れられないなまえは言わずに黙ったまま頷く。

「……私は過去のとある出来事が理由で炎の魔法が得意ではない……」

暫くの沈黙の後、ディアマンドが自ら燃える炎を見つめながらぽつりと話す。

「……それでわたしを……」

なまえはディアマンドのあの瞳の暗さの理由が過去の恐怖から来るものであったのだろうと察した。そしてわざわざ川の中に入って訓練した理由も。

「いいのですか?わたしはミスティラ様の臣下です……ソルム国の王女に話してしまいますよ」

平和を前提とした交易品の話をしたばかりでなんであるが、やはり他国の人間に弱みを見せることは王子としてあるまじき行為である。そもそもディアマンドはそんな弱みを見せるような人ではないはずだが一体どんな心境だろうか。

「構わない。王女とは……歌った仲だ」

「殿下が歌を……?」

「意外か?」

「はい。とても……ですが、ミスティラ王女と一緒に行動したとなれば必然ともなるので納得です……」

「必然か……ははっ、ふっ、はははははっ……!」

ディアマンドが目を手で覆って笑う。事実を述べただけであるが、あまりの笑いっぷりになまえはしばらく呆然としたが、段々とディアマンドの笑い声につられて頬が緩んでしまう。

「笑いすぎです……!」

「いや、すまない……しかしわかる気がしてな……なまえも歌うのか?」

「歌いますよ。もちろん」

「聞いてみたい」

「……今度でもいいですか?」

人前で歌うなど恥ずかしい。なまえは落ち着かずに白い小石の上でつま先を左右交互にパタパタと上げては下ろす。

「ではその時を楽しみにしている」

躱したつもりが本当に歌うことになるかもしれない言葉をかけられてなまえは曖昧に笑って誤魔化した。

会話が途切れたのを見計らったかのように冷たい風が吹いてきて、濡れた体から体温を奪う。

「っしゅんっ……」

寒気に両腕で体を抱いてなまえは震える。

「冷えてきたな……何か羽織るものがあればいいのだが。なかなか乾かないものだな」

「実は服単体であれば魔法で乾かすこともできます……」

「ほう……それは凄いが、何か問題があるのか?」

「お察しの通り、その問題のせいで迷っておりまして……服を脱がないと乾かせないんです」

「……なるほど。ならば、私は後ろを向く。その間に乾かせばいい」

「お気遣いありがとうございます……」

なまえは濡れた服も下着も全て脱いで裸になったがやはり不安から外套を体に巻き付けて、服一式へ乾燥の魔法をかけようとし──瞬く間に全てが燃え上がった。

「きゃあっ……!あ、あ、どうしよどうしよ……!」

なまえの悲鳴に反応してディアマンドはなまえの燃え上がる服に気がつき、その炎の中へ手を入れて服を全て川の中へと放り込んだ。

「殿下!お怪我はないですか!?」

魔法の炎を苦手とする人がその炎に手を突っ込むなど大事である。驚きと心配でディアマンドに駆け寄り、手を取った。表面上は火傷を負ったようにはみえない。

「私は大丈夫だ。それより……」

「あ……ああ……」

ディアマンドの目線の先を追うと、石に引っかかって揺蕩う布の切れ端が見える。慌てて川の中からそれを拾い上げた。もう着られたものではない。おまけに服の間に挟んでおいた下着は燃え尽きたのか流されてしまったのかも最早わからない。

着るものがなくなり絶望して項垂れるなまえの後ろで咳払いが一つして振り向く。ディアマンドが目元に手を当てている。笑っていた時とは違い、今度はなまえの際どい格好を見ないようにしてくれているのだ。

「乾かせるのではなかったのか……?」

「言い出した手前、緊張してしまって……たまにこうして失敗してしまうのです……なので服を着たまま乾かすことなど怖くてできなくて……」

「……今度は私の服で試してみよう」

「えっ?で、できません……!一度失敗しているので……!」

「大丈夫だ。失敗しても構わない。燃やす勢いでやってみればいい」

ディアマンドに優しく諭されてもなまえは試してみる気が起きなかった。
だがディアマンドが脱ぎ出すと、なまえには断ることができなかった。

「さあ」

終始目元を隠したまま、腰に外套を巻いただけの裸のディマンドを前にしてなまえの緊張は更に高まっただけである。万が一ここでディアマンドの服を燃やしてしまったら、二人して裸に外套を巻きつけただけの格好でソラネルへ戻ることになる。なまえはともかく、一国の王子がそんな格好をしていたら威厳が損なわれてしまう。

なまえは重圧の中、集中して服の水分が気体となって抜けていく様を何度も想像して頭へすり込んでいく。その過程で、ふとディアマンドの言っていたとある言葉を思い出し、未だ目元を隠しているディアマンドを振り返って微笑んだ。ブロディアの服であれば安心してできる、と。そして──

数刻後、なまえはパリッと乾いた外套二枚でそれぞれ胸と下半身を覆った格好で拠点となるソラネルへ戻った。そのなまえの前を歩くのは乾ききった服を身に纏ったディアマンドで、大きな体躯でなまえを隠してくれていた。

「ディアマンドと、なまえ……?その格好は……」

「お洒落です……!」

途中神竜に声を掛けてもらったなまえは誤魔化すと、急いで部屋に移動してソラネルでの私服に着替えた。
着替えた途端、抑圧していた羞恥と苦手な分野の魔法の成功体験による昂りが噴き出してしまい、顔をクッションに押し付けて暫くの間声にならない声を上げていた。



*



後日再びディアマンドに誘われたなまえは同じ川に来ていた。
今度は小石の敷き詰められた川岸で訓練をしていると、雨が降り出した。避難している間に雨は激しさを増し、二人で森の中の大木の下で雨宿りをする頃にはすっかり濡れてしまっていた。

「また濡れてしまったな。巻き込んですまない」

「いえ。おかげでわたしも成長できましたので」

ディアマンドの服を乾かすことに成功して以来、なまえは服を乾かす魔法で一度も失敗することがなかった。

「なら服を着たまま乾かすこともそのうち可能だろう」

「そうですね。もう少し練習したらきっとできます。まず最初はわたしが耐火性に優れているブロディアの服を着て試してからですね」

「気づいていたのか」

「はい。ディアマンド王子の服を乾かす時に思い出して気がつきました。ブロディアは耐火性に優れた服を作れるとディアマンド王子が仰っていたなと。おかげで奥することなく、魔法が使えました。お礼を言わせてください」

「大したことはしていない。仮に耐えきれずに燃えたとしても、濡れた外套を腰に巻けば問題なかっただろう……威厳はなくなるが」

「ふふっ……神竜さまも驚いてしまいますからね」

なまえの言葉にふっとディアマンドは笑みで応え、灰色の厚い雲に覆われた空を見上げる。

「今度は私が克服する番だな」

「もう殆ど克服できていると思います」

「そんなことはないと思うが……」

「こうして訓練に挑むことができるのはその証拠です。そして実際に相対しても竦むことなくわたしの攻撃を避けました……ディアマンド王子は恐怖に向き合うことのできる心の強い方です」

「そうか……なまえも失敗をした直後に立ち直って挑戦した。私も見習いたいと思う程になまえは強い」

それは厳密には違う。ディアマンドが挑戦までの道をお膳立てしてくれたおかげである。
だがわざわざ否定するのも違う気がしてなまえは曖昧に笑う。

それから他愛無い話をし続けながら雨が弱まるのを待つのだが、なかなか止まない。
そうこうする内に日が落ち、仕方なく街の宿場に泊まることになった。

「……すまない」

「むしろわたしの方が恐れ多いです……」

部屋の空きが一つしかなかったのだが、寝台が二つあり、部屋の端と端に寄せらていて距離もあるので妥協することができた。

王子と二人きりで気まずく思いながらも、訓練と大雨の中の移動でなまえは疲れていたので寝台に横になるとすぐに眠りについた。

次に目が覚めたのは真夜中であった。ディアマンドの低い唸り声が聞こえて、突然意識が覚醒したのだ。

「ディアマンド王子……?」

なまえは小さく声を掛けるが返事らしい返事はなく、ディアマンドの荒い息遣いが聞こえてくる。
なまえは壁掛け燭台の灯りを頼りにディアマンドの横たわる寝台の前に膝をついて枕元を覗き込むと、ディアマンドは何かにうなされているように顔を苦悶に歪めて汗をかいている。

なまえは荷物から清潔なハンカチを取り出し、またディアマンドの枕元へ戻る。

「失礼しますね……」

ディアマンドの額や首筋からハンカチで汗を拭う。
悪夢にうなされていることは容易に想像がつき、如何に過去の恐怖が彼を苛んでいるのかと思うとなまえの胸は痛む。

「大丈夫です、わたしが付いてます」

そう声を掛けながら暫く見守っていると、ディアマンドの震える睫毛が跳ね、暗い瞳が顔を出す。

「ディアマンド王子、大丈夫ですよ」

「あ、ああ……」

悪夢から醒めてもそれが尾を引き恐怖の感情が暫く残ることがある。なまえもそれを知っているので、早く安心して欲しい思いで伝えた。
それが効果的であったのかはディアマンドが口元を手で覆ったのでわからなくなったが、少なくとも目からは恐怖の感情が読み取れなくなった。

「水を持って参りますね」

なまえは脚を伸ばして立ち上がると、起き上がったディアマンドに腕を掴まれ引き留められる。

「ディアマンド王子……?」

「……私が行く……いや、一緒に来て欲しい……」

「はい」

なまえが返事をしてもなお、ディアマンドは立ち上がる素振りも見せず腕を掴んだままなまえを見つめる。
なまえは驚いて目をぱちくりさせながらも見つめ返していると、腕を引くような力が一度込められた後、我に返ったようにディアマンドが顔を伏せる。

「すまない……」

そう言って腕を放されたが、何に対しての謝罪なのかわからないままなまえは黙って頷いた。

軽く身なりを整えて部屋を出て行くディアマンドの後ろへ続き、広い背中を見つめながらなまえはディアマンドに掴まれた腕を押さえる。

ディアマンドに腕を引かれた時からなまえは心臓の鼓動を速くし、掴まれた腕は火傷をしたように熱を帯びている。押さえる掌まで火傷をしてしまいそうだ。
一体どういうつもりで腕を引いたのだろう、と気になって仕方がなかった。



*



階下へとおりると、広い酒場は夜中だというのに半分以上の席が埋まり騒がしい。至る所に灯された明かりも相まって昼間のような喧騒だ。
なまえはディアマンドと端のテーブルについて酒を二人分注文した。
互いに水を飲むつもりだと思っていたが、二人して酒を選んだことで顔を見合って笑う。

「なまえも飲むのか?」

「たまにはお酒もいいかと思いまして。雰囲気が楽しいので」

なまえは取り繕うように言うと、髪を耳にかけながら毛先まで指で梳く。
先ほどの出来事がやはり忘れられず酒を頼んだので、早く注文が来てくれと落ち着かずに髪に触れてしまう。

なまえの願い通りに酒が手早く給仕されると、酔いを求めるように一息に半分近くも飲む。

ディアマンドも酒を口にすると、トンと杯を卓上へ置いて眉根を寄せる。

「先ほどは格好の悪いところを見せてしまったな……恐怖と向き合い続けているつもりでもこうして悪夢にうなされてしまう」

「それでも向き合い続けるディアマンド王子は素晴らしいです」

「そういえば呼び方が変わったな」

「そうでしたね、殿下」

いつかフォガートをそう呼んだ時にとてつもなく嫌がられたこともあり、それなりに親しくなった王族には畏まった呼び方はしないようにしていた。特に深い理由はない為になまえは呼び方を戻してみる。

「戻せと言っているわけではない。むしろ敬称も不要だ」

「ディアマンドさま……?」

「その方が落ち着く。いや、呼び捨てだって構わんぞ」

「流石にそれはできないです……」

「そうか。残念だな……」

ディアマンドは冗談なのかわかりづらい寂しそうな表情をする。
先ほどの腕を引く行為といい、ディアマンドは何を考えているのだろうか。なまえは答えを知りたい反面、知るのがとても恐ろしく思えた。



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