「僕の可愛いお姫様、そろそろ起きようか」
「ん……」
頬が擦れる感覚で、目が覚めた。
痛む頭を押さえながら目を開くと、目の前にはヴィムの顔があり、思わずきゃあっと悲鳴を上げてしまった。
「驚かせてごめんね。でも、こうでもしないとナマエを連れ出せないだろうから」
「な、なんなの?」
私はヴィムにお姫様抱っこされていて、それを自覚した途端、不安定な浮遊感を感じて、落ちないようにヴィムの首に手を回してあたりを見回した。周りを鬱蒼と生茂る木々に囲まれていて幅の狭い遊歩道にいる。ここは間違いなく森の中だ。おまけに雨が降っていて、髪や服が濡れて肌に密着していて気持ち悪いし、湿気た匂いや夜の森の不気味さに恐怖を感じて体が震えた。訳がわからず、途方に暮れてヴィムを見上げた。月明かりに照らされたヴィムの髪は煌き、影の落ちた顔は陰鬱で怖く見える。
「もうすぐ、魔獣が現れる筈なんだ」
「魔獣?そんな、私今、寝巻きで……ええっと本当どういう状況なの?」
まだ頭は混乱していて、何故ヴィムに森に連れて来られてるかさっぱりわからなかった。
「魔獣を討伐して、ナマエを守れるくらい強くなったことを証明したいんだ」
「そんな証明いらないよ。でも、なんで?あの日以来、この辺で魔獣なんて出ないよ……?」
「魔獣は出るよ。そしたら、僕が必ずナマエを守るからね。もう、あの日のようにナマエの後ろに隠れるなんてことしないから」
ヴィムの青い瞳は煌々と輝き、淡々と話す様子と相まって不気味に感じる。
雨が降っている上に魔獣が出ると言われて本当に怖い。
「私、帰りたい……こんな雨の日に魔獣なんて……あの日みたいだよ」
「そうだよ。これはあの日の繰り返しなんだ。でも、今回は僕がナマエを守るから」
何度も守ると言われても、私は弱いヴィムしか知らないから怖くて仕方がない。早くフェリクスくんに会いたい。フェリクスくんに助けて欲しい。
「さて、そろそろ自分で歩けるかな?」
気づけば、両足に靴を履かされていた。部屋着用の靴で雨で地盤の緩んだ地面でもしっかり歩けそうだ。
ヴィムに地面に下ろしてもらうと、漸く落ち着けた。
「魔獣が出るなら逃げなくちゃ」
「……もう僕は逃げない。大丈夫、僕を信じて」
「人をこんな夜中にこんな所に拐ってきて、何を言ってるの?ヴィム、おかしいよ!どうしちゃったの?もう!付き合ってられない!」
進行方向とは逆に向いて、月明かりを頼りにお屋敷に向かった。後ろからヴィムが追いかけてきたけど、無視して進み続けた。
「ナマエ、待って」
「嫌。早く帰りたいの……ね、ちょっと待って」
何故か遠くから低い歌声のようなものまで聞こえてきて、立ち止まって耳をそばだてた。
「何か聞こえない……?」
「そうかな?僕には聞こえないけど……」
ヴィムは首を捻った。人の歌声だと思うのだけど、ヴィムには聞こえないみたいでそれがまた一段と怖くなる。
歌声は今もなお続いていて、そしてそれを遮るように突然、地響きのような唸り声が遠くから聞こえてきた。心臓を抉るような命の危険を感じるこの鳴き声は紛れもなく魔獣のものだ。
「きゃああああっ!」
「ナマエ、落ち着いて!」
全力で逃げようとしたところをヴィムに抱きしめられて止められた。
「ま、魔獣がっ……」
「大丈夫。僕は何度も倒したことがあるから……」
「しんじゃう!殺されちゃう!やっぱり、雨が降ると魔獣が出るんだよ!」
「大丈夫だから落ち着いて……どんどん近づいて来てるな……」
ヴィムは茂みの方に目を向けた。ヴィムの言う通り、地面の振動が段々強くなってくるのを感じる。
「ど、どうしよう……」
「ナマエ、いいかい?僕の目をちゃんと見て落ち着いて……」
ヴィムに顎を掴まれて上を向けさせられた。硝子玉のように透き通る青い双眼と目が合う。私が見たいのはこんな瞳じゃなくて、赤銅色の瞳だ。
「フェリクスくん、フェリクスくん、助けて……!」
ヴィムの服を掴んで必死に懇願した。私を助けられるのはフェリクスくんしかいない。
「ナマエ、僕はフェリクスって人じゃないよ……ヴィムだよ。僕のことを忘れたの……?」
「わかってるよ。でも、フェリクスくんがいないと私、駄目なの……」
「フェリクスはきっと、士官学校の人の名前だね。今いない人の名前を呼んでも仕方ないよ」
そうだ。フェリクスくんはお屋敷にいて、ぐっすり眠っている頃だ。こんなところでフェリクスくんの名前を呼んでも仕方がない。
「君は課題活動で魔獣を倒したことがあるんだよね?」
「うん……でも、雨降ってなくて……後方支援だったし……」
「今回は遠くから見てるだけでいいよ」
ヴィムは私を離すと腰の剣を抜き、それから私の手首を掴み、茂みの方へ向かっていく。逃げ出したいけれど、逃げ出した先に魔獣が現れたらと思うと一人では逃げたくなかった。
茂みの先には開けた空間があり、私を茂みの中に隠れているようにいうと、ヴィムは空間の中央へと足を運んだ。最初からそこに魔獣が現れることがわかっているかのようで、申し合わせたかのように木々をなぎ倒しながら魔獣が近づいてくるのがわかった。
灰色の硬い皮膚で覆われ、角の生えた魔獣が現れた。あの日私達を襲った魔獣を思い出し、腰が抜けた。
魔獣が咆哮をあげている最中にヴィムは怯まず、魔獣の懐に飛び込み、黄色に光る片目に剣を突き刺した。途端に暴れて繰り出す魔獣の鋭い爪をヴィムは剣で受け流すと、魔獣の背に飛び乗り、トゲの生えていない側面に剣を突き刺し、尻尾の方へと肉を切り裂いていき、地面に綺麗に着地した。
人間の力には見えなかった。あんな皮膚の硬い魔獣に剣を突き刺したまま肉を一直線に切っていく等、普通の人間は出来ない。紋章持ちであれば、まだ納得はできるけれど、ダールベルク家に紋章持ちの人がいるなんて聞いたことがない。
魔獣は倒れると、いつの日かの魔獣討伐課題の時のようにさらさらと風化していくように姿を消し、ひび割れた石を落としていった。ヴィムはひび割れた石を遠くへ蹴飛ばすと、こちらを向いて淡く微笑んだ。
見事だった。ヴィムがこんな風に戦えるなんて思っても見なかった。
魔獣がいなくなったところで落ち着いた私は立ち上がった。ヴィムはこちらに近付いてきて、手で招いて促すので、恐る恐る茂みの外に出た。
「これで、証明出来たかな?」
「うん。凄かったよ……これで交易中に襲われても大丈夫だね」
「僕が聞きたかったのはそんな言葉じゃないよ。この力があればナマエを守ることが出来るんだ。だから僕と……」
ヴィムの言葉を遮るように遠くから咆哮がいくつも聞こえた。まさか、と心臓が凍てついたように体が固まった。
「……くそっ!他の魔獣まで誘き寄せてしまったようだ!」
ヴィムは取り乱した様子で、酷く怒っている。急に態度が変わって驚いた。
「えっ?どういうこと……?」
「……ナマエはまた茂みに隠れていて。何体もいたんじゃ、流石の僕でもナマエを守りきれない」
「じゃあ、一緒に逃げよう。こんなところにいたら追いつかれちゃう」
「いや、あの魔獣達が屋敷まで来てしまったら大問題になる。僕は行く」
ヴィムは先に行こうと足を踏み出したその瞬間、嫌な記憶が呼び覚まされた。頭の中を走馬灯のようにあの日の記憶が駆け巡った。
あの日、ヴィムの手を引いて逃げていたけれど、魔獣に追いつかれ、ヴィムは背中を引き裂かれた。地面に倒れこみ、虫の息になったヴィムを私は死んでしまったと勘違いして、ヴィムの死体を守るように私は魔獣の前に出て魔獣と対峙した。その時の近くで見た魔獣の黄色く濁った瞳や鋭い歯、飛び出た長い舌を思い出した。
あの日の本当の恐怖がなんであったのかを今、漸く思い出した。そうだ。私は私の所為で友達が目の前で死んだと思って心に消えない傷を受けたんだ。そして、自分も死ぬと思って……。
「行っちゃ駄目!」
ばっと1歩踏み出し、ヴィムの手首を掴んだ。
「ナマエ……?」
「ヴィムがまた傷つくなんて嫌!」
またあの日のように友達が傷つくところなんて見たくない。ここでヴィムを行かせてしまったら私はまた後悔する。
「大丈夫だよ。あの日みたいにはならないから」
ヴィムは自身の手首から優しく私の手を離させると、走り去ってしまった。追いかけなきゃいけないのに、魔獣の足跡と地響きに怖くなってその場で動けなくなった。
エピタフになりたかったのは、将来の為だけじゃなかった。ヴィムを守れなかった過去が辛くて、騎士様のように誰かを守れる力が欲しかったからだ。
今がその時だというのに、その場に釘付けされたように体が動かない。
咆哮が一つ、私の真後ろで上がった。先程の魔獣とは異なる遠吠えのような鳴き声だ。びりびりと体に響き、髪が逆立つ程の恐怖を感じた。
恐る恐る後ろを振り返ると焦げ茶色のたてがみをまとった巨狼が現れた。
「あっ……」
恐怖で叫び声も出てこなかった。足が竦み、後ろに退がることもできない。
巨狼が前足を振り上げ、もう駄目だと目を瞑った。しかし、右から引き裂かれると思ったのに、体が何かに包まれ右側に吹っ飛んで倒れ込んだ。
目を開ければ、目の前にはフェリクスくんの顔があり、彼に助けられたことがわかった。
「無事か?」
「フェリクスくんっ……フェリクスくん……!」
フェリクスくんにしがみつくように抱きついた。良かった。助かった。
「おい、まだ安心するのは早いぞ!ここで待ってろ!」
フェリクスくんは私を離すと、剣を構えて巨狼に斬りかかった。あっという間にフェリクスくんは巨狼を倒すと、私に駆け寄ってくれた。
「ナマエ、アイツはどこだ?」
フェリクスくんは何故か怒った様子で聞いてきた。
フェリクスくんの言うアイツが誰を指しているかすぐにわかった。それを理解した途端、ヴィムの身が心配で堪らなくなった。
「ヴィムを助けて!お願いっ!」
「何を言っている?アイツがナマエを拐ったのだろう?ナマエの父上は激怒して、ダールベル夫妻を軟禁している。もう直ぐ騎士団もナマエの父上もやってくるぞ」
「拐ったのは本当だけど、ヴィムは魔獣を倒しに行ったの!一人じゃ倒せないから助けにいかないと!」
「待て。そも、アイツの目的はなんだ?アイツの所為で俺が拐ったと勘違いされて、使用人に殺されかけたのだが……」
「ヴィムは私に魔獣を倒すところを見て欲しかったって!でも、予想外に魔獣が沢山来てしまったって、一人で行ってしまったの!」
「よくわからんが、とりあえずアイツを助けに行けばいいのか?」
「うん!急いで!ヴィムが死んだら私……」
想像しただけで、ぽろぽろと涙が溢れ出てきた。それ程あの時の出来事が怖かった。
「お、おい、泣くな……俺がアイツを助けるから安心しろ」
フェリクスくんは珍しく動揺した様子で、私の肩をさすってくれた。
今ならフェリクスくんがいるから、ヴィムを守れなかったあの日のようにはならない。フェリクスくんがいるから大丈夫。
自分の胸に手を当て、深く呼吸をして気持ちを落ち着けてから、顔を上げてフェリクスくんと目を合わせた。
「私も一緒に行く!」
「危ないからここにいろ」
「ううん……私、ヴィムを助けたいの」
「……これを持っておけ」
フェリクスくんは懐から短剣を出すと、私に差し出した。その鞘に施された意匠を見た瞬間、自分のよく知るものだと気付いた。でも、まさか、そんなはずは……。
「フェリクスくん、これ……」
「ああ。前に訓練場でナマエを襲った馬鹿相手に使った櫛刃の短剣だ。剣を折る目的で作られた物だが、何も無いよりはマシだろう」
私の言いかけた言葉をフェリクスくんは引き継いでくれたけど、私の言いたかったこととは違う。私はこの短剣をずっと前から知っている。そして、フェリクスくんが助けてくれた時はフェリクスくんは鞘を遠くへ払ってしまい、ちゃんと見たことがなかったから、私が元々知っているものだと気付かなかった。
短剣は私が初恋の人にあげたものだった。何故フェリクスくんがこれを持っているかはわからないけど、今はこの奇跡的な巡り合わせに注意を払っている暇はない。一刻も早くヴィムを助けなくちゃいけない。
「短剣ありがとう。ヴィムはあっちの方へ向かったの」
ヴィムの走って行った方を指し、フェリクスくんを連れて森の奥へと急いだ。時折聞こえる魔獣の咆哮を頼りに森を抜けて広い草原に出ると、そこでヴィムが一人、2体の魔獣と3体の巨狼相手に戦っていた。暗がりだけど、ヴィムの上半身の殆どから血が流れているのか服が黒く汚れているように見える。
小雨の中、魔獣と巨狼を前にして心臓が掴まれたような痛さや喉の渇きを覚えて緊張するし、短剣を持つ手が震えた。
「ナマエ、俺がいる。安心しろ」
「うん……」
フェリクスくんに手を包み込むように握られた。フェリクスくんが近くにいるから大丈夫とさっきのように深呼吸しながら自分に暗示をかけた。
「ナマエの魔道の力があればヴィルヘルムスを助けられる。魔獣の方を倒せるか?」
「うん」
「ならば、俺はヴィルヘルムスを支援しに行く。ナマエ」
フェリクスくんに名前を呼ばれて抱きしめられた。びっくりしたけど、フェリクスくんに包まれて恐怖が和らいでいく。
「無理はするな」
「フェリクスくんも」
フェリクスくんは私を離すと、ヴィムを加勢しにいった。
私は魔法の届く範囲まで私に背後を向ける魔獣と距離を詰めた。近くまで行くと、あの日の恐怖を思い出してしまう。でも、今なら私はそれを受け入れられる。確かに怖かったけど、今はフェリクスくんがいて、私には魔道の力がある。
女神様の力を借りて、大気から魔力を取り込み頭の中のイメージを魔力で形作った。
「やあっ!」
上級魔法の【アグネアの矢】を魔獣に向かって飛ばした。魔獣は怯み、ヴィムとフェリクスくんの方から私へと方向転換した。魔獣の顔を見て、ゾッとした。片目が抉り取られていた。ヴィムが既に傷つけた後の魔獣だった。
私の方へ来る前にともう一度【アグネアの矢】と【フィンブル】をお見舞いした。既に弱っていたのか魔獣は倒れ、ひび割れた石を残して消えた。
やった。既に弱っていたとはいえ、魔獣を一人で倒した。自信がついて、体から緊張が抜けていくのが自分でもわかる。
私の役目はあと1体魔獣を倒すだけだ。再び、ヴィムとフェリクスくんを狙う魔獣に向かって魔法を放った。
*
騎士団とお父さんが駆けつけた時には全てが終わっていた。
ヴィムはあの日のように衰弱していて、地面に仰向けに倒れ込んでいた。私はヴィムの側で白魔法を使ってヴィムを癒し続けた。それでもフェリクスくんやお父さんは容赦なくヴィムを責め立てた。
「2人共、今はやめて!」
「ヴィルヘルムスの所為でナマエに危害が及んだのだぞ」
「フェリクス君の言う通りだ!ヴィム君がおまえを拐わなければこんなことには……」
「今はそんなのいいから、黙ってて!」
2人を怒鳴りつけて、ヴィムを回復させることに神経を集中させた。
ヴィムの傷が段々塞がっていくのが目視できた。暫くして、ヴィムは瞳を開けた。
「ナマエ……」
「ヴィム、大丈夫?」
「僕の従者っ……あいつはどこだっ!」
ヴィムは勢いよく起き上がり、酷く咳き込みながら、焦ったように言う。
「どういうこと?」
「あいつに嵌められた!白髪の従者だ!きっとダールベルク家とミョウジ家を潰すつもりだったんだ!あいつは帝国の回し者だ!」
ヴィムの言っていることはさっぱりだったけれど、お父さんは直ぐに察知して騎士団にダールベルク家の従者を捜索するように命令した。
「さて、ヴィム君。どういうことなのか些細に話してもらおうか」
お父さんに言われてヴィムは少しずつ話し始めた。ヴィムは時折咳をして苦しそうなので、背中を摩ってあげた。
ヴィムが言うには、長年魔獣を倒せる力を手に入れる方法を研究していて、それが紋章の力だという結論に至り、どうにかして後天的に紋章を体に取り入れる方法を探していたところ、帝国の要人に紹介されたあの従者とその仲間に体に紋章を植え付けて貰ったという。それを聞いた時、本当にびっくりした。そんなことが可能だなんて、世紀の大発見だ。紋章が無いことで不幸な目にあっている人を救えると思ったけれど、ヴィムがそのデメリットを言うとその悲惨さに何も言えなくなった。
「この力を手に入れた所為で髪の色素は抜け、僕は長くは生きられない体になった」
「紋章の力が手に入ったとは聞いてはいたが、その白髪は副作用だったのかっ!全く!うちの娘を未亡人にする気だったのか!」
お父さんはカンカンに怒っているけれど、事前にヴィムが紋章を持っていることを知っていたとなると、縁談を受けた理由の一つに紋章の力が関係していたと簡単に想像ついた。
「そんな先のことなんて僕はどうでも良かった。僕はただナマエを守れる力が欲しかった。これがあれば、自信を持ってナマエに好かれると思っていた。あの日、紋章の力を持った騎士にナマエが憧れていたのを僕は知っていたから。いや、紋章の力を持っていたと知ったのは研究を始めるきっかけになった時だったか。そこのフェリクス=ユーゴ=フラルダリウスの父親がまさか、あの騎士の正体だったとは、商談で会う時まで気づかなかった」
「えっ?」
「ど、どういうことだ!フラルダリウスだと……!」
私はお父さんと2人して混乱した。フェリクスくんのお父様があの騎士様だなんて……。それにヴィムはフェリクスくんのこと気付いていたんだ。
「……やはり、8年前の騎士は親父殿のことだったのか」
フェリクスくんは勘付いていたようですんなりと受け入れていた。
「ダールベルクが商談に子連れで何度も訪ねて来ては、いい土産を持ってきたのは礼のつもりだったのか。親父殿が俺に預けた櫛刃の短剣をおまえが俺の手から奪い取ろうとしたのも理解出来た……」
「ああ。僕が15の時の話だね。あの時は悪かった。ナマエから貰ったものを君みたいなナマエのことも知らない歳下の男が持っているのが許せなくてさ。しかし、今では君の方がナマエのことを知っているなんて……笑っちゃうよ」
「待って……じゃあ、この短剣って……」
「そ、それはあの短剣の対になっている……!」
お父さんも私の手に持つ短剣を見て、これがあの宝石のついた短剣の対になるものであることに気付いた。
「その短剣は、通りすがりに助けた少女から貰った物だと聞いていた。ナマエのことだとある時から思っていたが、ナマエが親父殿を黒髪と言ったり、10年以上前等と言うから確信が持てなかった」
フェリクスくんに指摘されて、恥ずかしくなった。自分の悪いところが出てしまって所為で、フェリクスくんとの奇跡的な繋がりに気づくのが遅れてしまった。
「多分……暗かったし、雨で濡れてたから黒髪に見えたんだと思う……フェリクスくんも雨に濡れるとそうなるから。それに私いい加減なところあるから、6年以上前は全部10年前とか言ってるかも……」
「いや、そんなことより、フェリクス君はあの十傑の子孫なのか!」
お父さんは興奮した様子で聞いてくるので、フェリクスくんが不快にならないか心配になった。生まれで態度を変える人をフェリクスくんはあまり好きではないから。
「そうだよ」
「何故言わなかった!幾度も失礼な態度をとってすまなかった」
「いえ」
謝るお父さんにフェリクスくんは気まずそうに短く応えた。
「とにかく」
ヴィムが声を張り上げて、皆ヴィムの方へ視線を戻した。
「あの日、フラルダリウスが魔獣をいとも簡単に倒したのは紋章の力のお陰とわかり、僕はこの力を手に入れるまでに至った。あとはナマエの前で力を発揮して、あの日の僕とは違うことを証明したかった。それで、あの使用人に魔獣を呼ばせたけど、まさか他の魔物まで集まってくるとは……」
「うちの娘が死んだらどうするつもりだったんた!」
「元々魔獣一匹だけの予定だった。事前に一匹だけ誘き寄せることに成功していたから今回もそうだと思ったら……」
ヴィムは握り拳を作り、拳を震わせた。
「使用人に裏切られた。あんなにも魔獣や巨狼を誘き寄せたのはわざとだろう。帝国の要人の紹介だったから、納得だ」
「だとしたら、大問題だろう!君のしたことも問題だが、帝国の差し金となれば戦争にまで発展するぞ!」
「そんな簡単な話ではありません。あの使用人は帝国の紹介であっても帝国の人間では無いのです。問い詰めたとしても、帝国が命令した訳ではないとしらを切られるでしょう」
「帝国の人間でないなら、どこの国の者だ?」
「僕にもわかりません……ミョウジ様には今までの信頼を裏切るような真似をして申し訳ありません。ナマエさんを危険に招き、領主様の領地を荒らしてしまったことも深くお詫びします」
「……君のご両親はご存知なのか?」
「父上は全て」
「なんてことだ……」
お父さんは膝から崩れ落ちて項垂れた。こんなお父さんの姿を見たくなかった。事業の一部が水泡に帰すことに絶望しているのだろう。
私はこの縁談がこれで終わりを迎えたことに安堵して、フェリクスくんを見れば、フェリクスくんもこちらを見ていて暫く見つめ合った。私はフェリクスくんがあの騎士様の息子だったということで運命を感じているけど、フェリクスくんはどう思っているんだろう。同じように思っていてくれていたら嬉しい。
*
結局、ダールベルク家の白髪の従者は見つからなかった。仕方なく捜索は打ち切り、朝にはダールベルク家を王国に帰すことになった。お父さんは二度と顔を見たくないらしいけど、ダールベルク家とはすぐに縁は切れない。ダールベルク家から援助を受けている騎士団をどうするかの問題があった。
ダールベルク家が帰る時、ヴィムから2人で話したいと言われ応じれば、フェリクスくんが駄目だと付いてきた。玄関ホールでフェリクスくんが近くで見張っている中、ヴィムと向き合った。
「やっと会えたのに、もう一生会えないなんて僕は嫌だ」
「自業自得だ」
フェリクスくんが横から言ってくる。本当は反応したいけど、今だけは無視することにした。
「私の為にヴィムが自分を犠牲にしたなんて悲しいよ……本当に長く生きられないの……?」
「わからない……けど、確か帝国に紋章学の研究者がいたとかでその人を辿って、この力を消して貰おうと思う……」
「力を消すの……?」
「ああ。僕にはもう必要なくなった。結局、この力を手に入れても、ナマエは僕に興味の欠片もないみたいだったからね」
ヴィムはフェリクスくんの方へ向くと、徐に手を差し出した。
「フェリクス、君にナマエを任せるよ。ナマエを必ず守ると約束してくれ」
「言われずとも」
フェリクスくんはヴィムの手を握り返した。2人共表情が硬い一方で、長く手を握り合っていた。
「じゃあ、ナマエ。その愛らしい頬にキスをしてお別れを伝えてもいいかな?」
「えっと……」
「それは俺が許さん」
私が戸惑っていると、フェリクスくんが私を守るようにヴィムとの間に割って入った。
「冗談だよ。僕はもう行くから。ナマエ、元気でね」
ヴィムは寂しそうな笑顔を残して玄関ホールを出た。外はまだ雨が降っている。私もフェリクスくんと一緒に外に出て、ヴィムを乗せた馬車が行ってしまうのを見送った。
なんだか寂しくなった。ヴィムのことは殆ど忘れていたけど、ちゃんと思い出した今、もっと色々話したかった。あの日守れなかったことも謝りたかった。今になって、別れ際に言うべきだったことを思い出した。
「……手紙くらいは書いてやれ」
フェリクスくんは泣きそうな私の顔を見て何かを察してくれたのか優しくて言ってくれた。
「うん!」
お父さんに内緒で手紙だけでも書こうと思った。連れ去られたとはいえ、ヴィムは私の友達だ。ヴィムが私の知らないところで早い寿命を迎えて死んでしまうなんて、私は嫌。私も大修道院で情報を集めてヴィムを助けてあげたい。
「体が冷える。早く中に入れ。雨は苦手なのだろう?」
フェリクスくんがそう言った途端、雲間から太陽が現れ、辺りを照らした。雨はすっかり上がってしまった。
「雨はもう苦手じゃないよ。多分……」
次に雨が降る時までまだわからないけど、雨の中見送りに出る時は何とも思わなかった。きっと、もう大丈夫だ。
「そうか……」
「フェリクスくんのお陰だよ……あっ……」
急に鼻がツンとした感覚がして、くしゃみが出そうになった。ここは可愛くしなくちゃ、とヒルダちゃんのレッスンを思い出した。
「くしゅっ……」
「ぶえっっっっくしゅんっ!あー……こらこら、ナマエ達も早く入りなさい。風邪を引くぞ」
私の練習した控えめなくしゃみはお父さんの豪快なくしゃみによってかき消されてしまった。お父さんを睨みつけ、それからフェリクスくんを見上げると、口元を押さえ、後ろを向いてしまった。肩が震えている。
「ど、どうしたの?」
「いや……おまえのくしゃみは親譲りだったのか……」
フェリクスくんの声は震えていて、今にも噴き出しそうな様子であることがわかった。
「ち、違うよ!私、静かなくしゃみしかしないよ!」
「どこがだ。いつも豪快に唾を撒き散らして……」
「や、やめて!私、唾なんてっ!もう!フェリクスくんの馬鹿!」
恥ずかしくて堪らなくなり、走り去ろうとすると、フェリクスくんに手を掴まれ引き寄せられた。ぽすんと音を立ててフェリクスくんの腕の中に収まり、強く抱きしめられた。
「そういうところも含めて好きだ。だから、そうやって逃げようとするな」
抱きしめられた上に、好きと言われてしまうと、もう何もできなくなってしまう。大人しくフェリクスくんの背中に手を回して抱きしめ返した。
「……わかったよ。でも、私はもう大人しいくしゃみしかしないよ」
「それは寂しくなるな」
「本当にそんなこと言ってるの……?」
「ああ」
私の駄目なところも受け入れてくれるのは嬉しいけど、これをまたヒルダちゃんに報告したら洞穴裸体抱擁事件同様に、ヒルダちゃんがドン引く未来が見えた。