rosso cacciatore (1/4)


 
6月が来る。新しい女にラズベリーマフィンを作らせる。一口かじって不味いと言えば、失敗作のマフィンを投げつけられた。その女は9月のラズベリーならもっと上手くできたわ、とわけわかんねえこと言い捨てて出て行った。
首を捻りながら、焦げて赤黒くなったラズベリーの入ったマフィンをもう一度食った。不快感に負けて吐いた。見た目も味も最悪だった。口の中に残る焦げた味をあの日と同じ産地のワインで流して、あの日のあの味を思い出そうと必死になる。



***



6月某日。任務の都合でヴェネト州北西のクソ田舎──トレントにある組織の借家に一時的に住うことになった。トレントに来てその日の昼頃に、家のチャイムが鳴った。面倒くせえと思いつつ、玄関のドアスコープを覗いた。
女だ。化粧が濃いめだが綺麗で幸の薄そうな女がバスケットを腕に提げて、周りをキョロキョロしている。
たまには不幸顔の美女もいいと思って扉を開けた。
女はおれを認めた瞬間瞳を大きく見開き、少し目線を下にやりながら艶のあり、しっかりと毛先の巻かれた髪に手をやった。

「こんにちは。初めまして、隣に住んでるナマエです」

女が差し出した右手を取って軽く握った。

「ああ。初めましてだな。イルーゾォだ」

「あの、これラズベリーマフィンです。作りすぎちゃって……生地にクリームチーズ入ってるんですけど、よかったらどうぞ」

「どうも。これはウマそうだな」

持ち手にリボンの巻かれたバスケットを受け取った。結構な量が入っているのか確かな重みがあり、甘い匂いが漂ってくる。

「あの、引っ越してきたばかりですか?」

「ああ。昨日の夜に来た。いや、夜中か。うるさかったか?」

「いえ……あの……いえ、えっと……なんでもないです」

女は何か言いたげで、手持ち無沙汰に体の前で両手の指を絡めて体を揺らす。
言い淀んだのはデートの誘いだな。このおれがいい男過ぎて誘うか躊躇ってるんだろうな。
任務の邪魔にならねえように出来るだけ関わらないに越したことはないが、正直このタイプの女と遊んでみてえ。

「中入ってくか?カンパーニャ州のワインあるぜ?」

「カンパーニャの……ごめんなさい。断酒中なので」

「そりゃあ、残念だ。酒で失敗したのか?」

「そうですね……正直に話すと、私酔いやすいらしくて……カトリックでは節度を守らない飲酒は禁止なので、お酒を絶っています」

どうやらカトリックの敬虔な信徒らしいが、そういう女程押しに弱かった覚えがある。おれが任務のついでに遊んだことのあるシスターは最初こそしおらしくしていたが、金を渡せば簡単に教会で内密にしていた神父の不祥事を話したし、体の関係を迫れば応じるどころか生でやりたがった上に一緒に酒を飲めば、酔って全裸のままテーブルの上で踊り出した。

「立ち話しもなんだし、寄ってけよ。カンパーニャのコーヒーなら飲めるだろ?」

「ええ!コーヒーなら是非!」

女は白い歯を見せてにっこり笑った。おれからの誘いを待っていたかのような反応に好意を持たれている手応えを感じた。これなら押せばヤれそうだ。
女を家の中に入れ、ダイニングに案内した。

「いい部屋ですね。前住んでた人に私一度も会ってないんですけど、よく手入れされてますね」

「ああ。それに家具は備え付けで特に傷みもねえ。これはミラノの職人が手彫りで彫ったらしい」

女に近づきながらダイニングテーブルの表面を指で辿り、縁の木彫りを撫でるように指を下ろした。
女はテーブルに手を突きながら、逃げるように後退りする。どうやらおれを警戒しているようだが、どうせフリだけだろうと思い、女をダイニングテーブルに押し倒した。

「や、やめてくださいっ……!」

「カマトトぶんなよ……ってぇ!」

思いっきり頭突きをされた上に頬を裏拳で殴られた。

「最低ですっ!」

女は泣きそうな声で叫ぶと走って行っちまった。
わざわざ派手な化粧してマフィンまで持ってきた上に、おれを見るなり好意を寄せるような反応をして誘いに乗った癖になんて女だ。トレント女はクソだ。
イラついてワインでも飲もうと、キッチンへ行くと、無造作に置いたバスケットを見てラズベリーのマフィンを貰ったことを思い出した。
バスケットの中に積められた狐色の生地の裂け目からは鮮やかな赤色が覗いている。食い物に罪はねえし、トレント女の作った菓子がどんなもんかと思って手に取った。焼き立てなのか温かく、焼き菓子特有の食欲のそそる上品で甘い匂いがする。そういや、女からも菓子の甘い匂いが漂っていた。
一口齧りついた。外側の生地は固めで中は柔らかく、口の中にラズベリーの甘酸っぱさとクリームチーズの濃厚な甘みが広がる。まあ、美味い。そういや、わざわざ甘い焼き菓子なんて買って食わねえから、久しぶりにこんなの食ったな。
気づけばワインのつまみにマフィンを全部食っちまった。その頃にはあのトレント女への苛立ちも消えていた。
よくよく冷静に考えれば、最近紳士に女を口説いてねえ。ナンパに行く場所が場所だからか、女からキスしてくんのに慣れて、ガキの頃からしつけられた女への紳士な対応の仕方を忘れていた。いきなり押し倒されれば、そりゃあ、あの女も怒るな、と妙に納得しちまった。謝るか迷ったが、あの女──ナマエがお隣さんといえど、明後日にはおれはここを発つし、おれのプライドが許さねえ。もう会うことねえから謝罪はいらねえな。



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