kopernikanische wendung (1/3)


※モブとキャラがキス
※ntr傾向








ギャングで殺しを生業とし、女性と一度も真剣に交際のしたことがないイルーゾォが、善良な一般市民であり、ごく普通のバールで働く店員であり、見た目がさほど派手ではないナマエに純粋な恋心を持ったのは、彼女の接客の丁寧さにあった。それは彼女を目当てに足しげく通う他の男性客──特に女性慣れしていない男性に多い理由だった。いかにも女性慣れしていなさそうな見た目の他の男性客と違い、イルーゾォは高身長に筋肉質という恵まれた体躯に、ダークトーンの長髪と、それを魅力的に映えさせるガーネット色の瞳を持ち、常に女性の眼を引く男であった。彼が付き合う相手はモデルであったり、高級ラウンジでしか働かないような洗練された見た目の女性であったりと、華やかな女性が多かった為、「あいつがおれのお気に入りだ」と仲間を連れて店にいるナマエを指させば、皆首を傾げた。しかし、仲間がひとたびナマエの接客を受けて二言、三言、言葉を交わせば、「男が好きそうな女」というのが彼らの総意になった。
そのナマエの接客というのは、輝くような笑顔に距離の近さ、丁寧さを伴ったもので単純であったが、その単純さだけで「男が好きそうな女」と評価するのは、彼らは皆男が単純であることを知っていたからだ。イルーゾォも自分の単純さを理解していたが、同時に自分だけは、他の誰も知らないナマエの魅力を理解していると思っていた為、日々ナマエを口説き落としにバールに通った。
バールは狭い路地の途中にある階段を下りたところが入口となっており、奥まった場所にある分かりづらさがスノッブなイタリア人には人気の店だ。

「よぉ、今日も可愛いな」

イルーゾォはいつものようにレジにいるナマエに声を掛けた。一番客の少ない夜の時間──閉店間際に来た為に並んでいる客も、店内にいる客もいなかった。

「ありがとうございます。ご注文は何にしますか?」

ナマエは困ったように眉を下げながら微笑んだ。この困ったような笑みをイルーゾォは気に入っていて、これが見たいが為にいつもナマエを困らせるようなことを言っていた。

「カフェ・コレットだな。ブランデー多めで。その綺麗なローズピンク色の口紅が付いたカップだとなおいい」

「ブランデー多めまでは承りました。でも、その後の注文はごめんなさい。そういうサービスはしていなくて……そういうのは困ります」

本当に困ったような顔をしてナマエは断り、会計を終えるとイルーゾォの注文通りにカフェ・コレットを作り始めた。ナマエの、冗談を本気で捉えて誠実に対応するところもイルーゾォは気に入っていた。

「カフェ・コレットです。お熱いのでお気をつけください」

ナマエは笑顔でコーヒーをカウンターに置いた。店員としてではなく、自然と零れたような、光る笑顔はイルーゾォが初めて接客を受けた時よりもずっと気持ちの籠ったように見えるが、実際のところはイルーゾォにはわからなかった。そもそもナマエには彼氏がいて、浮気というものを道徳的、あるいは宗教的に絶対許されないものだと彼女の言動から汲み取れる為に、ナマエから受ける印象には全てフィルターがかかっていた。清廉な彼女が自分に好意を持つはずがない、と。それでもどこかでナマエからの好意を見落としているかもしれないとも彼は考えていて、今日もナマエの一挙手一投足を注視するが、彼女はいつも変わらないように思えた。常に仕事に一生懸命で、客を大事にし、自分への態度も他の客と変わらず接しているように見える。──今日は比較対象となる客はいないが。

「なあ、彼氏とはいつ別れるんだ?」

イルーゾォは他に客がいないのをいいことに、レジのカウンターに居座り、ナマエに聞いた。

「別れる予定はありませんよ」

ナマエはまた困ったように笑った。困ったように見せつつも、きっぱりと断るところは脈がないように見受けられる。
そんなナマエを落とす為にも、イルーゾォは自分の仕事のなく、ナマエのいる時間には必ず店に出向いているのだが、ナマエがイルーゾォになびく気配は一向になかった。
会話もそこそこに、イルーゾォは懇意にしている他の店員ふたりに誘われて店の裏口へと行った。ひとりは赤く染めた短髪に、左の眉の上にピアスを付けたリベリオという男性で、もうひとりは色の褪せたブロンドの長髪と小麦色の肌が魅力的なフランカという女性だった。ふたりとも学生で、イルーゾォの付き合いの良さを気に入っていた。たまに来店してきたイルーゾォを誘ってバールの裏口で煙草を吸いながらくだらない話をするのだ。イルーゾォは普段煙草を吸わない上に乱痴気大学に通う愚かな学生と会話をするのは御免であったが、ナマエの外堀を埋めたいが為に、嫌々付き合っていた。彼らと仲良くなる為に、頼まれた輸入禁止のメキシコ産の葉巻を手に入れて彼らに渡してやったり、質のいい水パイプを贈ったりもした。ただ一度ハッパを頼まれた時は流石に断った。
いつものようにふたりは壁を背に煙草を吸いだし、煙草を持ち合わせていないイルーゾォはどちらかが煙草を差し出すのを待っていたが、どうやら今日は様子が違った。リベリオはフランカの方を見て、眼で何かを訴え、促しているように見えた。

「イルーゾォさ、ナマエはもう諦めなよ」

フランカは右手の指に挟んだ煙草から煙をくゆらせながら言う。

「なんでだ?協力してくれんじゃあねーのかよ」

「まあ、シフトとか彼氏の情報は教えるけどそこまでだよ。ナマエは彼氏に本気みたいだし」

「だが、来るもの拒まずなんだろ?おれが無理やりにでも押せばいけんだろ?」

イルーゾォは以前からふたりに聞いていた、ナマエの性格を確認した。いつかナマエが彼氏と上手くいかなくなれば、そこでナマエに迫って彼氏から奪う気でいたのだ。
つまり、その時まで待つつもりでいた。本気になればどんな女も口説き落とすことができる、という自信のあるイルーゾォであったが、今のナマエとの関係も心地良い為にそのままでもよかった。連れないナマエを口説いて、他愛無いやり取りを楽しむ──行く先々で女性から身体を差し出してくる経験しかしたことのないイルーゾォにとっては新鮮で、暫くは今の関係を楽しみたいのだ。

「多分ね。でも、恋に関しては一途だからめったなことでナマエは別れないよ」

「そうそう。それにイルーゾォなら、もっといい女と付き合えるだろ?例えば──フランカとか」

リベリオはわざとらしく、フランカを顎でしゃくった。
イルーゾォはフランカの顔と体を改めて確認して、「悪くはない」と思った。フランカは美人でスラリとした長い脚が綺麗で、小麦色の肌と日に焼けて褪色したブロンドが色っぽく見える。惹かれはするが、今はナマエ以外の女性と遊ぶ気にはならなかった。

「悪いがナマエ以外は興味ねえ」

「あ、そう。ね、煙草吸う?」

フランカは一瞬傷ついたような表情を浮かべたが、すぐに笑顔になってイルーゾォに聞いた。
イルーゾォは誘われれば付き合うつもりでいたから頷いた。
すると、フランカは右手に燻らせていた煙草を一口吸うと、イルーゾォの前へ来て、足を爪立ててイルーゾォの頬へ手を添えて口付け、隙間なく合わせた唇から煙を吐き出した。
イルーゾォの口内へ煙草の苦味とフランカのミントの香りがする息が入り込む。本来なら、本命であるナマエの為に拒否をするべきだが、美人にキスをされて満更でもないイルーゾォはやめさせようとしなかった。イルーゾォにとってキスは挨拶程度のもので、今回は特に煙草を吸う感覚でフランカのキスを受け入れただけだった。しかし、第三者から見るとそうは見えなく、更に純粋な心を持つ者から見たらどんな理由であっても、ある程度の好意がないとキスというものはなし得ない行いに見えた。つまり、不意に裏口の扉を開けて出てきたナマエには、イルーゾォとフランカのキスは恋人同士のそれに見えた。

「ナマエ!どうした?」

ナマエに気づいたイルーゾォはすぐさまフランカから離れたが、ナマエは暫く瞳を見開いて沈黙した後に何も言わずに店内へ戻ってしまった。
イルーゾォはナマエにフランカとのキスを見られたことはまずいと思ったが、ナマエが何か用があって裏口に来て何も言わずに引き返したことを思い出すと、ナマエは自分に好意があるのではないかと疑った。
ナマエの行動理由の真相を確かめるべく店内に戻ると、ナマエは店仕舞いの為に店内を片付けていた。
どこか取れにくい汚れがあるのか、テーブルのある一点を磨くナマエに、イルーゾォは寄って行った。

「ナマエ、おれも手伝うぜ?」

「ありがとうございます。でも、イルーゾォさんはお客さんなので」

顔も見ずに少し冷たく答えるナマエの様子に、イルーゾォはナマエからの脈を感じた。ナマエの態度は好意を持たれているが故のそっけなさだと思うと、逆に燃えた。なんとしてでもこの女を手に入れる、という気概を持てた。イルーゾォは本気の相手には、恋愛における女性の、所謂『好き避け』をどう上手く扱い、自分に本気にさせるかを考えることが好きだった。

「さっきのこと、気にしてんのか?」

「なんのことですか?」

「そりゃあ……フランカとのキスだ。あれはあっちからしたキスで、おれは別に嫌々受け入れてやっただけだぜ?」

「私にはそうは見えませんでしたけど……」

ナマエは珍しく眉だけでなく、口角も下げ、その顔を隠すようにイルーゾォから顔を背けながら布巾でテーブルを磨き続けた。同じ箇所ばかり磨くナマエの様子に、意識が自分とフランカのことばかりに向いているのだろう、とイルーゾォは思い、ナマエのことがより一層愛おしくなった。

「なんだ?やっぱ、おれのこと気になってんのか?」

「……私、彼氏います」

ナマエは顔を上げて、イルーゾォを真っ直ぐ見つめた。その態度から、そのことだけ──彼氏と別れないことだけ──は揺るぎないように見える。しかし、ナマエから漸く好意の欠片を見つけたばかりで簡単に引き下がるイルーゾォではなかった。

「知ってるぜ。おれが気になるんなら、彼氏を振っておれと付き合えよ」

「冗談でも嬉しいです。でも、私は彼氏が好きなので」

「……言っておくが、今までの世辞は全部本気だ」

「じゃあ、なんでフランカと……!」

ナマエは険しい表情をし、声を荒げたが、それは一瞬のことで、「なんでもないです」と冷静に取り繕うと、片付けが中途半端なままバックヤードへ引っ込もうとした。

「ナマエ、送っていく」

「彼氏が迎えにくるので」

イルーゾォの顔の前でバックヤードの扉を閉めてナマエは冷たくイルーゾォを突き放した。
ナマエのこの冷たい態度がイルーゾォには堪らなかった。完全に自分に惚れていて、それを隠そうとしているナマエのいじらしさがイルーゾォの胸を熱くさせた。
明日も同じ時間にナマエのシフトが入っていることを知っていた為、明日のナマエは自分にどんな態度を見せるのか楽しみになり、イルーゾォは機嫌良く店を後にした。



*



翌日の夜。イルーゾォはいつものように街灯の明かりを頼りに狭い路地を歩き、その途中にある、黒い鉄柵に挟まれた階段を下りてバールの店内へ入った。ナマエに早く会いたくていつもより1時間も早く行った為か、今日は店内に客が数人程いた。
レジカウンターを見ると、フランカが接客にあたっていてナマエはいなかった。

「ナマエはどうした?」

エスプレッソマシーンでコーヒーを作るフランカに声をかけた。

「さあ。さっき、彼氏が来て一緒に裏に行ったきりで……はい、ティーノさん。できましたよ」

フランカはエスプレッソをカウンター越しに男性客に渡し、今度は後から来た客の為にレジに戻った。忙しそうに動くフランカにそれ以上話を聞くのは諦め、ナマエの彼氏がわざわざ店に何をしに来たのかが気になり、裏口へ向かった。裏でヤッてたら、と最悪の想像がイルーゾォの頭を掠めるが、ナマエは、フランカが忙しくしているのに自分はお楽しみをしているような女性には思えなかった。彼氏に無理に頼まれでもしたら、相手からの要求を強く拒めないナマエならあり得ることではあるが。
店の裏口の扉を開けて外へ出ると、ナマエが倒れているのが目に入った。何があったのかはわからないが、急いで助け起こし、生死を確認すると息はしているようだ。外傷を確認すると後頭部から出血していて、頬には痛々しいアザがあり、唇は切れ、服が破れていた。

「ナマエ!大丈夫か!」

「イルーゾォ、さん……?」

ナマエは瞳を僅かに開けたようだが、虚ろで今にもまた意識を失いそうに見えた。弱ったナマエの様子に、ナマエをこんな目に合わせた犯人であろう男──ナマエの彼氏への憎悪が湧いた。

「病院へ連れて行く。警察を呼ぶが構わねえよな?彼氏にやられたんだろ?」

イルーゾォは念の為にナマエに確認した。イルーゾォとしては警察を呼ぶよりは自らの手で彼氏を殺したくて仕方がない為に、ナマエに拒否して欲しくて確認をした。

「警察は、駄目です!絶対、駄目です!」

「わかった」

ナマエの返事に安心したイルーゾォは後で彼氏を殺すことを決心し、彼女を慎重に抱きかかえて病院まで運んだ。
ナマエの治療が終わるまで、イルーゾォは頭の中で彼女の彼氏をどう殺すか、あらゆる手段を考えた。ナマエが傷ついた以上に彼氏を傷つけたくて仕方がなかった。
ナマエが治療を終え、「頭の傷は縫う程でもない傷」と診断されて病院から帰宅を許されたが、彼女は家に帰りたがらなかった。ナマエはひとり暮らしで、彼氏と家の距離が近いこともあってひとりで家にいるのが怖いらしい。

「それならおれの家に来るといい。おれが守ってやる」

ナマエの肩を抱いてイルーゾォは言った。ナマエは安心したように顔の緊張を緩めたが、同時に頬を赤く染めた。

「……で、でもいいんですか?お客さんの家に泊まるなんて……」

「おれは構わないぜ。気の休まるまでおれの家にいればいい。ベッドは一つしかないが、空いている部屋とソファがある」

「……じゃ、じゃあお世話になりたいです……イルーゾォさんがいれば……安心ですから」

ナマエは俯いて小さな声で言う。イルーゾォの腕の中に収まる華奢な肩が震えている。イルーゾォはそれを強く抱いて、頼りない細い腕を摩った。

「おれが絶対に守ってやるから安心しろよ」

「はい」

ナマエは一瞬イルーゾォの顔を盗み見るように顔を上げ、揺れる瞳でイルーゾォを瞳を見つめるとすぐに顔を俯かせ、握り締めた手で胸を押さえた。まるで速まる鼓動を押さえるかのような動作に見えるが、ナマエが何を考えているのかイルーゾォにはわからなかった。だが、昨日のナマエの反応といい、今回の件といい、ナマエの気持ちが彼氏より自分に傾いているのは明らかに思えた。
ナマエが彼氏から何故暴行を受けたかはまだ聞けていないが、もしかしたら、日常的に暴行を受けていたのではないか、と想像して再び彼氏への殺意で苛立った。


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