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反射鏡の向こう側

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 先日、車窓越しに彼と目が合ってしまったものの、翌日には何の変化もなかった。流石に平常心で電車に乗り込むことは出来なかったが、本人から『あんた俺の顔見てたよね?キモいよ』と目で侮蔑される覚悟を持っていつもの吊革に辿り着くと、彼はいつも通りの場所でいつも通り文庫本を手にしていた。
 出来ることなら侮蔑されるのは避けたいので、携帯電話を弄りつつ適度な間隔で彼の様子を伺うも、やはり変化なし。黙々と本を読み続け、ときどき不器用な所作でページをめくる。Tシャツの文字は『虎の魂』。いつも通りの彼だった。
 目が合ったことを気に留めてないのは見て取れるが、相手の女がほぼ毎日隣りに立っている乗客だというのは気付いているのだろうか。いや、彼はほぼ毎日本を読んでいるのだから、気付く筈がない。
 そう、つまり、

観察の再開である!!



 そう意気込んだのは、数日前のこと。
 あれから問題なく数日間は彼の観察ができたのだが、あたしは今、まさかの事態に困惑している。
 それは……

「旦那…よく毎日通勤ラッシュの電車に乗れるよね。俺様、満員電車苦手でさー」

「某も苦手だが、この車両は比較的空いている方だぞ」

「え?これで??」

 普段通り電車に乗り込むと、彼は反対隣りにいる男と親しく会話しているじゃないか!その様子からして、恐らく彼の友人!!
 な、なんだこのイベントは!!彼の会話姿を観察する絶好の機会に歓喜する反面、内心は別の意味でも心臓がバクバクしていた。何故なら同時に注意しなければならない人物が一人増えたからだ!手放しに喜べないとは、正にこのことか……!!
 ちらりと車窓越しに彼の友人を見ると、ヘアバンドで明るい茶髪を後ろに流し、迷彩柄のゆったりしたパンツを着こなす小洒落たイケメンだった。雰囲気や話し方からしてもどことなく軽い印象を感じさせ、そもそもTシャツの彼に硬派なイメージを抱いていたあたしにとっては意表を突かれた人物像だ。だが軟派にしろ硬派にしろ、彼の友人もイケメンであることに変わりはない。なるほど、類は友を呼ぶ……もとい、イケメンはイケメンを呼ぶのだな。

「無理に某の朝練に付き合わずとも、お前はいつも通りの時間に登校すれば良かろう」

「別に旦那のためじゃないよ。お館様の頼みだからやってるんだ」

「……うむ、そうだったな」

 お二方は声もイケメンなんですねと、しみじみ盗み聞きしつつ携帯電話を取り出す。もう今日の観察は諦めて、最近始めたゲームでもやって過ごすか……。
 以前目が合ったこともあり、本を読んでいない時の観察は避けることにしたのだ。本当は観察したいけど、この前みたいに目が合ったらと緊張して集中出来ず、やたら視線が彷徨くのだ。後ろめたい存在の自覚があるが、間近で挙動不審になってしまったらもはや新手の不審者だ。今更だが、誰の目にも止まってないことを祈るばかりである。
 加えて今日は友人もいる。彼は友人に意識をむけているだろうからあたしの視線に気付かないだろうけど、反対隣りの友人は角度的に車窓越しにも彼越しにもあたしの存在が視界に入る。彼が気付かなくとも、後々友人に『お前の隣りにいた女、こっちチラチラ見ててキモかったぜ』なんて言われてたら、もう、最悪だ!!
 危険はびこる今日の観察において、見ることは叶わずとも声を聞ければ満足。多くは望まないさ!

「佐助、いつもながら感謝しているぞ」

「何さ藪から棒に」

 ふ、と彼が笑った気がした。見た印象通りの誠実な声は柔らかくなるも、読書姿の凛々しさを彷彿とさせる強さが滲んでいる。
 目が合うかもしれないさっきまでの危機感なぞ何処へやら、ただこの瞬間を逃してはいけない気がした。案の定、時間制限付きのパズルゲームを中断ボタンも押さず車窓へ視線を移すと、友人から視線を外してそっと微笑む彼が映っていた。その表情はあまりにも優しくて大人びてて。きゅっと掴まれた胸の感覚が、鼓動する度に全身の脈へと広がる。
 目が離せない、いや離したくない……もっと見ていたいな。出来ることなら直接……いや、ーーーー。


「あ、そういえば、」

 友人の声にはっとして視線を携帯電話へ戻す。パズルゲームの時間制限はとっくに過ぎてて、ゲームオーバーになっていた。鼓動が鳴り止まないどころか妙な脈の感覚に戸惑いつつも、気を紛らわす為リトライすることに。
 声だけに留めておく筈が、つい視線を向けてしまった……。今日は危険だからやめておこうって思ってたのに。衝動に駆られた己の行動に頭を抱えたくなったが、それよりも先ほどの彼の表情が焼き付いて離れない。イケメンってちょっと笑うだけであんなにも破壊力あるの?ずるくない??
 いや違う。あれは、そんな単純な笑顔じゃないだろう。恐らく2人の繋がりが作る表情なのかもしれない。そうだとしたら、彼にとってあの友人はかけがえのない存在なんだ。彼を笑顔にさせる友人も、そんな素晴らしい友人を持つ彼も、きっと素敵な人に違いない。
 果たして彼のような友人を持つ人はこの車両に何人いるのだろうか。

「この前話してたーー……いだっ」

 満員電車にしては静か過ぎない空間に、一際大きい声がした。恐らく彼の友人だ。「ちょっと結構痛かったんだけど!」と小さく呻く声からして、年相応にもないじゃれあいでもしているのだろうか。
 またもや表示されたゲームオーバーの文字を見ながら、その光景を想像して口元が緩む。あんな大人びた表情しておきながらも、やっぱりまだ学生さんなんだな。普段なら駅や車内で騒いだりふざける学生を見ると多少不快に感じるのだが、何故か今日は微笑ましい。今なら大人数の小学生が走り回っていても笑って許せそうな気分だった。

 穏やかな気分に終止符を打つように乗換え駅に到着するアナウンスが響く。さてさて、今日も彼から…いや、今日は彼らから元気を十二分に貰えたのだから、いつも以上に仕事に励もうじゃないか。
 鞄を持ち直して携帯電話をバッグに入れると、タイミング良く車両がブレーキをかけ始めた。既に駅構内に到着しており、それぞれの降車口に並ぶ人々が目視できる。

 ここであたしは気分が良かったこともあり、少しなら彼を直視しても良いだろうと思い立つ。すっかり彼の人柄に触れた事で警戒心は消え去っていた。そして降車口が開き、人の流れに乗りながら自然を装って振り返ると、

「!」

 彼と目が合った。
 軽く目を見開きすぐさま顔を背ける姿は、先日車窓越しに見た表情と違って意識的な拒絶を示していた。
 再び目が合ってしまったこと、そして顔を背けた彼の姿から、今日まで過ごした出勤路が終わりを迎えた瞬間だった。

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