昨日は仕事の締め日だったので夜遅くまで残業をした。帰宅し家事そっちのけで就寝するも、十分に睡眠を取れないまま朝を迎える。いつもより怠い身体で、いつも通りの出勤だ。
だが一つ、私には朝から胸を踊らせる楽しみがあった。
先日電車で見かけたあの男の子を、今日も見れるかもしれない。
一応言わせてもらうが、私はストーカーではない。先日から電車に乗ると例のイケメン君を観察(鑑賞ではないぞ!)しているが、断じてストーカーではない!
例えば尾行して自宅を調べたり、隠し撮りなどはしていない。それらは犯罪行為に当たるし……何より普通はやらないよね、普通は!
他にも配慮として観察では細心の注意を払い、直視せず窓の反射越しに彼を見ているし、感付かれないよう時々視線を逸らすなどの対策も講じている。…あれ、逆にストーカーっぽくないか?気持ち悪くない??
とりあえずそんなこんなで、今日もいつもの電車でいつもの吊革を握る。発車して暫く経つと、ビルの影によって車窓越しに車内の様子が反射する。
何棟ものビルを通り過ぎるが、その一瞬一瞬の影に映る人物を見て、私の胸は先程よりも躍動的に踊る。
彼が隣にいたのだ。
今日は本を読んでおらず、ただ何処か一点を見つめていた。そんな彼の本日のTシャツは『天覇絶槍』。てん…は、ぜっそうと読むのか?どんな意味なんだろう。
彼の存在に気付いてから数日間、ずっと読書姿しか目にして来なかった。そのため初見である姿をよく観察したいところだったが、気付かれる可能性が高いのは明白だ。
吊革から手を離して携帯電話を取り出し、視線を液晶へ落とす。これも以前に考えた対策の一つだ。その名も『片手間観察コース』。携帯電話に注視していると見せかけて時々彼を少しだけ見るという、相手に視線を察知されない対策なのである!もし目が合ったとしても、たまたま携帯電話から視線を外した際の事故と認識される、大変都合の良い演出もできるのだ!
念には念を入れ、トンネルまでは彼を見ないように過ごす。あとどれくらいでトンネルに入るのか。さっきのビルはトンネルの直前のものではなかったか?やけに長く感じる道のりにうずうずしていると、やがて車内が電灯のみになる。待っていましたと言わんばかりに暗くなった車窓に反射する彼を見やると、
目 が 合 っ た 。
魔女によって錆びたブリキのおもちゃにでもされたのか、ギリギリと軋むような動きで液晶に視線を戻す。その間ポーカーフェイスで平静を装うも、内心は気が気でなかった。
もしや…観察されていたのに気付いたのか?!いや、今までそんな様子はなかったし、私がヘマした記憶はない…。ならば何故!!
どうしても彼の様子が気になってもう一度車窓を見ようとするが、また目が合ってしまったらと想像して怖くて顔を上げられない……。
今日はやっぱり撤退コースに変更して、このまま何事もなく電車を降りるべきだろう。今後も彼を観察したいなら、尚更!!
そして結局、目が合ってから彼を一瞥もせずに乗換えの駅で降車した。ぞろぞろと出勤登校エトセトラの大衆に混じって駅のホームを降りていく。
明日からどうするべきかと頭を抱えたくなったが、ふと目が合った時の彼を思い出す。普段の観察では決して見れない彼の眼差しに鼓動が早くなるも、やはり不審に思われた可能性を鑑みると別の意味でまた心臓が胸筋を叩く。それを繰り返しながら、鞄の中の定期券を手探りで取り出す朝だった。