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無印良品で購入したアロマディフューザーにお水とオイルを入れてスイッチを入れる。今日はなんの匂い? と尋ねる彼にカモミールだと答えると、ふーん、と気のない声が返ってくる。聞いておいてその答えには興味のない、彼らしい態度だった。
部屋でふたりきりだというのに、彼はスマホでゲームをしている。スコアを競うそのゲームは最近チームで流行りらしく、なんだかんだで負けず嫌いな彼は一番スコアを伸ばしたくてこうしてわたしがいても関係なくやっている。とはいえ、飽き性でもあるのでそのゲームを一日中やっているとも思えないし、あと十分もすればスマホを放り投げて暇だとわたしに構って攻撃をしてくるのだろう。
それまでのあいだだけ、と開いたスマホで、なんとも嘘つきな文字を見つけた。
「うそばっかり」
「何がー?」
「倫くんが」
顔を上げると同じように顔を上げた彼が、俺? と首を傾げる。スマホを右手に持ったまま、わたしのスマホの画面を覗き込んだ。対談と称してスーツ姿に身をまとったディスプレイの中の彼と、目の前のオーバーサイズの黒のカットソーを着た彼を交互に見る。先ほどまであんなにも夢中になっていたはずのゲームはもうどうでもいいらしい。普段はゲームオーバーになるまではやるのに珍しい。
「『ひとりでいるのが好きです(笑)』って嘘じゃん。すぐわたしに会いたいって言って、用がなければ会うし、わたしに用があれば拗ねるし」
「あー、ナマエといる以外はひとりでいるのが好きって意味」
そう言ってスマホをローテーブルに置き、すぐ隣に座ってわたしの腰を抱き寄せる。
読み上げたのは、加入しているサブスクリプションサービスで無料で読める雑誌の記事だった。同級生対談ということで、宮くんと椅子に座って話をしている姿が写真に収められている。見開きページに写った彼らはモデルさながらだった。
麻布テーラーのスーツを着た倫くんとグッチのスーツを着た宮くん。普段スーツを着ない宮くんは成人式のときに買ってもらったスーツが入らず、新調しようとイオンに入ろうとしたところを倫くんが止めた、と聞いた。イオンが悪いわけではないけど、簡単にファンに特定される時代なのに、日本を代表するバレーボール選手がイオンの上下セット一万円のスーツを着ているのはさすがに夢がないと。そうして宮くんはブランドはグッチしか知らないと言って購入したのだそうだから、あまりに値段の振り幅が大きい。
倫くんは元々欲しいと思っていたけどなかなかタイミングが合わずに買えずじまいだったから、撮影を理由に購入したのだと嬉しそうに話していた。麻布テーラーでオーダーメイドをした彼に「倫くんは宮くんみたいにわかりやすいハイブランドじゃなくてよかったの?」と聞いたら「着たいロロピアーナの生地があったんだよね」と答えられた。そういえばそもそも彼はわかりやすいハイブランドを着たがらなかった。こういったオーダーメイドスーツでもファンは特定できるのだろうか。
紙面ではクールな表情をした彼が、コテンと頭を傾けてわたしの頭に乗せる。どうやらあまえん坊スイッチが入ったようだ。
「平日の夜はナマエいないの我慢して、寂しいなって思いながら枕を涙で濡らしながら寝てるし?」
「うそばっかり」
メソメソとあからさまな泣き真似をしたあと、わたしの言葉にケラケラと笑う。
バレーボール選手だというのに恋愛に関するような質問を受けたときもドライな回答をよくしている。彼は容姿からクールだと思われやすいく、それらしい回答を見るたびに「うそばっかり」と言うわたしに「うそじゃないし。一般的に答えてるだけ」なんて言う。
「てか何、月バリ見てんの?」
月刊バリボー。わたしが見ていたのはバレーボール雑誌である。
対談用にスーツ着用を指定されたものの、衣装として出版社側が提供してくれるわけではないらしい。それが現在の世間的なバレーボール選手としての地位をなんとなく知らせている気がする。これが野球選手であればスポンサーが用意するのではないだろうか。「まあ、何かとスーツって着る機会あるしいいの一着は持ってていいもんだよ。ファン感もあるのになんで侑がスーツ持ってないのか謎だけど」なんてことも撮影前に彼は話していた。
「雑誌のインタビューでもカレシのこと知りたいなんてかわいーね」
「入ってるサブスクで見れたから見ただけだし」
「はいはい」
あとで紙の本で買って保存していよう。倫くんかっこいいし。なんて思っていたことは本人には言わない。絶対に調子乗るから。
「宮くんかっこいーなって見てただけだし」
「は?」
わざわざ宮くんのページに戻って照れ隠しに口をついて出た言葉に、しまった、と気づいたのは地を這うような彼の声を聞いたときだ。恋愛について「ヤキモチ妬きなんだよね(笑)」と話す彼に「絶対うそだ」「ヤキモチ妬かせて楽しむ側だ」なんて声もあるけど、これは嘘じゃない。
倫くんはヤキモチ妬きだ。異性と連絡を取るなとは言わないけど機嫌を悪くすると最初から宣言しているし、会社の飲み会でも隣と正面は絶対に同性でないとダメだと言う。そんな彼が自分以外への「かっこいい」を許さないのは知っている。
「何? 俺の前で、浮気? 何? 誰そいつ?」
「いやいや、かっこいいって言っただけじゃん。ていうか宮くんって倫くんの高校のときのチームメイトでしょ。この企画も同級生対談じゃん」
「そんなやつ知らなーい」
「あっ!」
わたしの手からスマホを奪い取り、ぽいっとベッドへ投げ捨てる。取り戻そうと手を伸ばせば逆にその手を取られた。
あからさまに「拗ねてます」という表情をした倫くん。角名倫太郎はクール、なんて誰が言い出したんだ。
「ナマエの『かっこいい』は俺のものなの。俺以外に言ったら浮気とみなすからね」
「えー、芸能人に『かっこいい』は?」
「浮気でしょ」
「うわぁ……」
「なんで引いてるの?」
何このめんどくさい人……。
芸能人なんてイケメンのさらにイケメンを集めた世界で、それを職業としている人たちなんだから、テレビを見てかっこいいと言うことなんてザラにある。「〇〇くんかっこいいから好き」なんて言ったら浮気とみなされても百歩譲って仕方ないとしても(浮ついた気持ちというのに該当しないとも言えないから)、「かっこいい」と言うだけで浮気認定って、さすがにめんどくさいでしょ……。
「倫くんだって芸能人のことかわいいって言うこと──ないね」
「うん、ない」
キッパリと言い切る彼に、これまでを思い出す。
わたしが「この子かわいい」と言っても「この子みたいな服装似合うんじゃない?」とか「この子の髪型今度してよ」とか、かわいいかどうかには触れずわたしに対する言葉で終わる。
芸能人はかっこいいから仕方ないじゃない、なんて思っているけれど、それは今まで一度も彼の口から「この子かわいい」という言葉を聞いたことがないからそう思うだけで、同じように彼の口から聞いてしまえばわたしもヤキモチを妬いてしまうのかもしれない。浮気とまでは思わないと思うけど。
倫くんは「ねーえ」とやけにあまったるい声を出したあと、わたしの腰を両腕で抱いた。その手はやさしいけれど、わたしが少しでも身を捩ろうものならガッチリホールドされるのだろう。
「機嫌とって」
「倫くんかっこいい」
「もっと」
「倫くんが世界一」
「足りなーい」
「倫くん大好き」
「もっとー、足りなーい」
「……倫くん大好きだから、ちゅーして?」
「仕方ないなぁ」
満足げに笑んだあと、左手をわたしの右頬に添える。そのままゆっくりくちびるが触れ合って、くちびるが離れると同時に手も離れ、わたしの頭をぽんぽんとやさしく撫でた。
「……倫くんは、ナマエのこと、好き?」
シャツをつかんで軽く引っ張る。
倫くんはこうして、わたしが自分のことを下の名前で呼んで、あまえるような声と仕草が大好きである。
「だーい好き」
頭を撫でていた手が後頭部へすべり、再びくちびるは触れ合う。
大好きという言葉だけでは足りないから、それ以上を伝えるためにキスをするのだと思った。
目を閉じて、カモミールの匂いがする部屋で、次にこの部屋を訪れたときには「こないだのやつがいい」と「こないだのやつヤダ」のどちらを言われるのかな、と思いながら体を委ねる。前に「ヤダ」と言ったくせに次のときには「ヤダなんて言ってないし」なんて言い出す気分屋さんだから、いいもヤダもあまりアテにならないことがある。
倫くんの部屋のインテリアを好き勝手することもあるから、部屋の景色も匂いもいつだって一定ではないし、ヤダとかなんとか言っても結局はわたしのしたいようにさせてくれるから、好きなアロマの匂いを焚かせてくれる。
あらゆるものが変わるけれど、変わらないことがひとつだけ。
倫くんの部屋は、わたしへの愛に溢れた、あまいあまいはちみつのような部屋である。
宮くんがかっこいいのは事実なんだよね。
倫くんには言えないけどさ!