願いと呪い

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 命が尊いものだなんて誰が言い始めたのだろう。そんなくだらない道徳なんて、争いごとの前では何も役に立たない。今日元気に笑っていた人が、明日も同じくいてくれるとは限らない。大切な人は変わらずそばにいてくれる――そんな当たり前を、戦争はいとも容易く奪っていく。大切だった人との別れを偲ぶ暇なんてないまま、今日もまた私たちは戦場に駆り出され、そしてまた人が死んでいく。
 ――ああ、神様。どうか、あの人が、あの人だけは安らかに眠れていますように。
 真新しい墓標の前で、そっと手を合わせる。墓石に刻まれているのは、強くて、優しくて、私に「何をしても生き残れ」と言ってくれた人の名前。「何をしても生き残れ」――あなたがそう言ってくれたから、私は気高く誇り高い騎士の自分を捨てて、ただひたすらに、がむしゃらに、手段を選ばずに戦ってきたのです。無様になろうと、この戦争を生き抜くために。
 墓石にそっと触れたら、あまりの冷たさにぞっとした。あの人はもっとあたたかくて、太陽のような人だった。こんな冷たい場所にひとりなんて、あまりにも可哀想。

* * *

 あの日は、いつも以上にひどい戦いだった。みんなボロボロになりながらも必死に戦って、なんとか敵を抑え込んで撤退までさせたけれど、こちらも犠牲が多すぎた。血の匂いがそこらじゅうにたちこめていた。それでも私たちは、束の間の勝利を心静かに喜んでいた。
 退陣のときにあの人の姿が見当たらなくて、嫌な予感が脳裏を過った。離れたところに陛下と、倒れ込んだ人影を見つけて、お願いだから、この嫌な予感は的中しないでと何度も願った。陛下と目が合い、一瞬哀れみのような表情を見せた。嘘だ、そんなの私は信じない――何も見たくなくてその場を離れようとした私を、陛下が呼び止める。きっと陛下なりの優しさだったのだろう。最期のお別れができないのは、きっと後悔するだろうからと。いつの間にか隣にいたメルセデスが、そっと手を握ってくれた。震える足で一歩、また一歩と歩み寄る。見慣れた金髪と血にまみれた白銀と緋色の鎧が見えて、息が止まった。私が事実を受け止めた様子を見て、メルセデスが抱きしめてくれた。
 陛下が何か言っているようだったけど、何も聞こえない。メルセデスが代わりに答えてくれ、私の背中を優しく撫でてくれる。アネットはボロボロ泣いているし、アッシュも目に涙を溜めている。あのシルヴァンですら、俯いて鼻をすすっている。それでも私は泣けなかった。すごく悲しいはずなのに、私はただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
 何もかもぐちゃぐちゃで、どうしようもなくて。あの人の亡骸は、この場に簡単な墓標をつくって弔った。アネットはどうしても連れて帰ると聞かなかったけど、陛下がなんとか説き伏せて、仕方なく納得して受け入れた。彼女が持っていた英雄の遺産も、その場に置いていくことにした。もう、あの人をかたちづくるものは何もない。私たちの記憶と思い出、それだけ。

* * *

 あの人がいなくなってから、幾節が過ぎただろう。みんなは変わらず、辛いだろうに気丈に振る舞い、何もなかったかのように過ごしている。私はというと、みんなのように何もなかったふりなんてできなかった。何もしていないと考え込んでばかりになってしまうから、ひたすら戦いと訓練に明け暮れた。すべてがどうでもよくて、無茶な戦い方もした。身体を動かしていれば、余計なことを考えなくて済む。もう、何も考えたくなかった。
 今思えば馬鹿みたい。でもあのときの私は本気で死んでもいいと思っていた。でも死ななかった。私はあの人の言葉通り、いつまでもしぶとく生き残ってしまった。
 陛下は自棄になっていた私を見かねたのか、いろいろと気遣ってくれた。陛下が優しい人だってことは痛いほどわかる。でも「生き急ぐな、あの人はそんなことを望んでいないはずだ」だなんて、そんなこと誰がわかる? 馬鹿らしいにも程がある。死者に願いなんて存在しない。そんなの、死者に託けてエゴを押し付けているだけだ。
 それでも一つだけ確かなことがあった。私は、あの人のそばに行くことも許されていないこと。『何をしても生き残れ』――あの人の言葉が呪いのように反芻している。あの日から、私の時間は止まったまま。あの人の言葉に縛られ、あの日から一歩も動けずにいる。
 私は今日も、彼女の墓標の前に立ち尽くす。あの人はここにはいない。それなのに私は、あの人と似ても似つかない冷たいだけのこの墓標の前で、あの人を想ってひとり泣くことをやめられない。