いつも通りの朝(不本意)


 柚木恭一郎の朝は執事の声から始まる。耳障りなアラーム音で目覚めるなんてナンセンスなことはしない。何故なら恭一郎は、日本を代表する大企業の社長であり、元は華族に名を連ねた歴史ある一族の当主であるから。元より早起きを苦としない恭一郎は執事がやって来る前に眠りから覚めている。ただ、窓から差し込む柔らかい朝日の中で微睡む時間が好きで、声を掛けられるまでは布団に包まり何をするでもなくぼーっとしているのだ。

 部屋の外から声を掛けられベッドを抜け出しても家を出る直前までは寛ぎタイムと決めているのですぐには着替えない。シルクのパジャマのままベッドルームを出て、リビングのバルコニーでモーニングコーヒーを一杯。その間に朝食が用意されお呼びが掛かると恭一郎はダイニングへ移動した。そこで静かに戴く朝食……

「きゃーっ」
「きゃははっ」
「りんちゃん、まってー!」
「やーだよー!きゃははっ」

 厳かに料理を口に運ぶ恭一郎の周りをパタパタと軽い足音を立てて走り回る子供が二人。恭一郎は二人がいないもののように振る舞うが、その眉間には徐々に皺が増えてゆく。

「飯時に走るなっていつも言ってんだろうがぁぁ!」
「「きゃー、きょーちゃんがおこったー!」」
「恭一郎様、お言葉が悪いですよ。それに一番大声を出されているのも恭一郎様です」

 両脇に一人ずつ抱え、強制的に奴らの足を止めさせる。結婚し柚木家を出た姉の子供達だ。夫婦喧嘩をしたとかで二人を連れて姉が帰ってきたのが約二週間前。今は当主としてそれらしい態度を心がけている恭一郎だが、数年前まではそこそこヤンチャしていた。なので、感情が振れるとこうして当主の仮面が剥がれ素が出てしまう。その度に執事に咎められるのだ。そんなわけで、最近の柚木家は朝から騒々しいが使用人たちは微笑ましく見守っている。

「ご飯を食べる所で走っちゃいけない。お前たちも埃を被ったご飯なんか食べたくないだろ?」
「うん」
「はい」
「じゃあ、もう走らないって約束できるな?」
「やくそくするっ」
「するぅ!」

 元気よく返事した双子を下ろして小さな頭をわしゃわしゃと撫でた。双子はテーブルを回って恭一郎の向かいの席に大人しく腰を下ろした。恭一郎は感情に任せて怒鳴りつけるだけで終わらせない。相手が幼児だからと妥協することなく、何故いけないのかをしっかり教える。そしてきちんと言い付けを守れば大袈裟なほど褒めるのだ。そんな恭一郎に双子もよく懐いている。
 三人仲良く朝食を取っていると、ダイニングルームの扉が開いた。

「ただいまー……飯ちょーだい」
「かしこまりました」

 朝だというのに酒と煙草の匂いをまとい気怠げに現れた男は恭一郎の弟だ。今年二十歳を迎え大手を振って酒を楽しめるようになり、毎日のように遊び歩いている。自分自身も遊びまくっていた恭一郎はこの弟に強く言えない。

「おはよー……って、あんた帰ってきたの」
「ゲッ、姉貴!」
「お姉さまに向かってその態度は何?まだまだ教育が足りないようねぇ」

 弟を躾けるのは姉の役目だ。しっかり身支度を整えてきた姉は姉弟の中で最も父に似ており、人前では隠しているが気性が荒い。恭一郎が姉の旦那に対して、よくコレと結婚しようと思ったなと感心していることは姉夫婦には内緒だ。
 ヒートアップする姉と弟を横目に見ながら、食後のお茶を飲み干した恭一郎は席を立った。

 周囲から尊敬や羨望の眼差しを向けられる柚木家だが実態はこんなものだ。本当はもっと当主らしい時間を過ごしたいのに、この家にいるとどうしても張りぼての仮面が外れてしまう。どうしたものか。恭一郎が理想の朝を迎えるのはまだまだ先のようだ。