いつもと違う朝


 出社の準備を終えた恭一郎は双子と使用人に見送られて家を出た。運転手が走らせる車内で助手席に座る秘書と今日のスケジュールを確認する。会社までは大体三十分程で着くのだが、屋敷が見えなくなった辺りでいつもと違う道を走り始めたことに恭一郎は気が付いた。

「どうした?」
「……付けられてます」

 バックミラー越しに恭一郎を見た運転手が言う。窓にスモークが掛かっているのをいいことに恭一郎は後続車を見た。ピタリとくっついているSPの車との間にどうやって割って入ったのかは分からないが、後ろを走っているのはシルバーのワゴンだ。秘書がすぐに何処かへ電話を掛けた。

「SPは?」

 通話を切った秘書に恭一郎は問う。

「彼らの仲間と思しき車に足止めされているようです。わざと引き離されたとは気付いていませんでした。今応援を呼んだそうです。」

 応援の者が駆けつけるまで時間を稼ぐしか無いのだが、恭一郎はあまり心配していない。その身を狙われるのには慣れているし、当主の座に着いてからは命も脅かされてきた。けれど周囲の人間が体を張って守ってくれるから取り返しのつかない事態に陥ったことは一度もない。だから最終的には助かると確信している。
 この車内で冷静なのは恭一郎だけだ。運転手も秘書も落ち着いているように見せているが内心は相当焦っている。それに気が付いたのは恭一郎だった。

「前の車、遅いな……グルか」

 進行方向を変えようにも細い脇道すらない一本道。自分の失態に運転手の顔色が目に見えて変わる。

「止めろ」
「し、しかしっ」
「もう手遅れだよ。いいから止めろ」

 逃げ場がない今、荒事を起こされるより自ら出ていった方が周りへの被害が少なく済む。こんな住宅街のど真ん中で何かをする気はないだろう。こちらが停車したことで前後の車も止まり、前方の車から三人の男が出てきて近付いてきた。恭一郎は制止も聞かず、一人車から降りた。

「手を出す前に降参して車から降りてくるなんてチョロいな」

 ワゴンの後部席から出てきた男が半笑いで言う。ニット帽を目深に被りサングラスを掛けているため顔は見えない。

「誰に頼まれた」
「さぁて、ねぇ……?」
「俺をどうするつもりだ」
「さぁ?俺らは連れて来いって言われただけだから何をするかは知らねぇよ」
「何だ、ただの捨て駒か」
「そんな挑発には乗らねえよ?捨て駒でも成功すりゃあ大金が入る」

 中々に頭の切れる男のようだ。短絡的な思考の奴だったなら楽だったのにと思っても仕方がない。

「まともな職に就いても充分稼げるだろうに勿体ないな」
「ハッ、褒めても止めねぇよ?」
「ククッ……だろうなぁ……だが、ゲームオーバーだ」
「あぁ?」

 うちのSPは本当に優秀だ。恭一郎は口角を上げた。

「ふぐっ」

 ニット帽の男は黒服の男に羽交い締めにされ口を塞がれている。先に降りた三人は秘書と運転手が残っている車を襲っていてこちらの事態に気付くのが遅れたが、ニット帽の男の声に異変を悟った。他のメンバーは何をしているのかとワゴン車を見れば、車から引きずり出されているところだった。後ろを振り返れば、彼らが乗っていた車も検められている。

「クソッ」
「恭一郎様、お怪我はございませんか?」
「ああ、何ともない」

 悪態を吐く男を拘束しながら安否を確認してくるSPのリーダーに頷き返した時だった。何かが破裂したような音が響き渡る。その瞬間、恭一郎は腹部に鈍い痛みを感じた。何が起きたのか理解できなかった恭一郎は痛みを訴える箇所に触れた。ぬるりとした感覚。手を見れば真っ赤に染まっていた。痛みはどんどん増していく。呆然とする恭一郎の体に二発三発と衝撃が走り、その場に倒れ込んだ。半身を拘束されながら左手に銃を構えたニット帽の男が口元をニヤリと歪めたのが、ぼんやりとした視界に写る。地面に伏され大人しくしていたのに……気を抜いたところを出し抜かれたのだろう。
 俺、撃たれたのか……。アイツ本当に勿体無い……欲しいな……そこで恭一郎の意識は途切れた。