MyDr.
[chapter:MyDr.]

「お兄ちゃんお兄ちゃん、問題です。サメはサメでも、人を食べないサメってなーんだ?」
「さあ、私にはサッパリだ」
「正解は村“雨”礼二でした〜」
「……あなたの脳味噌はハイレベルだな。さすがは兄の妹だ」
「褒めています?それ」

今日はそう、私が生まれてからちょうど18年経った――なんでもない日である。世間一般的にはおおよそ誕生日と表現されるはずの今日この日、私はそんなことなどすっかり忘れて、血縁者もとい実兄こと村雨礼二の自宅に招待されていた。


さて、ことの始まり。
昨夜、大学から帰宅したらとある手紙がポストに投函されていた。その黒い封筒と便箋には白い模様で必要最低限の装飾のみ施されており、明らかにものものしい雰囲気を醸し出していたから、玄関に突っ立ったまままじまじと観察してしまった。
なんじゃこりゃ。見た目だけで言えばまさにデスゲームに招待される時のアレだ。へぇ〜これって本当に実在するんだ。写真撮ってツイートしよ。と、スマホを出したがちょうど充電が切れていたのでやめた。
外でれめたん(レイメイくん)の配信ばっかり観ているから消耗が激しいのだ。そろそろ買い換えなければなぁと思い始めて早三年。いやなに、私はものを大切にするタイプなのだ。素晴らしいと言え。
まあそんなことはどうでもよくて。

デスゲーム?まっさか〜。こんな平々凡々な私がそんな楽しげなものに招かれるわけがなかろうと、わくわくしながらおそるおそる開いてみると、そこには『あなたを誕生日パーティーに招待する』と書かれていた。
それだけだった。その一文だけだった。たまに届く怪しいメールのように、開いただけでどこか非合法のエロサイトに引きずり込まれるようなことは何も無かった。アナログのメールだから当然だ。
ああなんだ……ただのパーティーか。自分でも分かりやすく幻滅しながらも、どうやら危ないゲームに参加することはなさそうだ、と一安心。

しかしこの手紙……便箋にも封筒にも差出人の名前がなかった。よく考えたらキモ。だってこれ、この手紙、差出人どころか受取人の名前すら見当たらない。
名前は百歩譲っていいとして(よくない)、手紙というものは住所がなければ届かない。つまりこれは差出人の手によって直接ポストに投函されたものだということ。
忙しいのにわざわざ家まで来てこんな手の込んだことをするなんて、差出人はいったいどんな変態お兄ちゃんなのだ……だいたい誰の誕生日パーティーだよ……と、不思議に思う私。
なーんちゃって。ここまで何も知らない人ぶっていたが、今のご時世わざわざアナログで手紙を寄越してくるようなおもしろ人間は一人しか存在しないので、差出人が誰なのかはすぐに見当がついていた。

血縁者、もとい実兄、こと村雨礼二。
正真正銘、私の実のお兄ちゃんである。


ここでひとつ確認しておく。
私にはお兄ちゃんが二人くらいいるが、今回登場するお兄ちゃんはそのうちの若いほうだ。若いと言ってももうおじさんと言ってもいいくらい歳を重ねていたりする。
それから……頭はいいけど頭がおかしく、医者としての腕はいいのに医者として終わっている趣味を持つ、変態のほうだ。変態と言っても素振りがいいので、本人はいかにも「普通ですけど?」みたいな感じで常人に紛れているが。

でも変態のほうのお兄ちゃんは意外や意外、家族の誰よりも私にかまってくれるし、これまで親の代わりに授業参観に来てくれたのも一度だけではなかったし、よく私のために丹精込めて“お料理”してくれるし、変態は変態でもちゃんとお兄ちゃんしてくれてる。
だから私はお兄ちゃんのことが好き。本人には言わないけど。

だから、こうしてたまに変なお手紙をくれるのも、お兄ちゃんなりの興なのだ。忙しいからなかなか会えない……でも時間を縫って、合間を縫って家に来てくれた。手術マニアだけに。
不在でなければ直接渡すつもりだったのだろう。言わば一種のサプライズというわけだ。
もーお兄ちゃんたら、私のこと大好きなんだからー。しょうがないなぁ、お誕生日パーティー?誰のか知らないけど、行ってあげよーっと。
私はもらった手紙を無くさないよう、大切に大切にシュレッダーにかけて、そのままるんるん気分で寝た。久しぶりにお兄ちゃんに会えると分かったら、楽しくてしょうがなかったのだ。


そして来たる〇月‪‪✕‬日。結局当日になるまで誰の誕生日パーティーかは見当もつかなかったけれど、一応はパーティーだからと綺麗めな格好で村雨礼二宅に向かうと、出迎えてくれたお兄ちゃんは挨拶を交わすよりも前に真っ先に「おめでとう」と言った。

「……おめでとう?ありがとう?ございます」
「なにを困惑している?はやく受け取れ。あなたのために用意したのだ」

玄関先で立ち尽くす私に押し付けられた、一輪の彼岸花を受け取る。なにこれ。なんでこの花?そう尋ねると、その辺に生えていたらしい。嘘つけ、田舎じゃないんだから……。
ここまで考えて、ついに気づく。

「あ、今日って私の誕生日……すっかり忘れていました」
「いったい何をしに来たんだ、ここに」
「何をって、お兄ちゃんのお料理を食べに来たに決まっていますが」
「……そうか。ならばまずは風呂に入れ。汚らしい雑菌を家に入れるな。話はそれからだ」
「はぁ〜い」

お兄ちゃんは花を渡すとすぐに部屋の奥に戻っていった。自宅なのにスーツを着て良い格好をしている背中を見つめながら、私も中に入り靴を脱ぎ、彼の後を追いかける。
他の家族はどうやら不在らしい。家には私たち以外に人の気配はない。あるいは……別室に腹を開かれた人間がいる可能性も否めないが、お兄ちゃんはソファーに座ってゆっくりしているので、きっとそれはないだろう(たぶん)。
にしても、パーティーとは大人数でわいわいやるものだと思っていた。だから珍しくお洒落してきたのに。パーティーと言うにはあまりに静か過ぎるような……。

「もう一人のお兄ちゃんとお母さんとお父さんはどちらに?」
「今日はあなたの誕生日を祝うために家族ぐるみで旅行に行っているらしい。私は断った」
「私、誘われたっけ?」
「私が断っておいた。人間用の旅行プランではあなたは楽しめないだろう」
「主役を置いてってなんの旅行に行ってるの?あの人たち」

しれっと非人間扱いされているのはさておき。
少し沈黙した私に、お兄ちゃんは遠目からでも私の心境の変化を見逃さず、少しこちらを振り返った。

「そう気を落とすな。旅館のクーポンの期限が今日までだったそうだ。あなたが来られないのなら仕方がないと、名残惜しそうに旅立っていったな」
「私、べつに行けたけどな……。ていうか、お兄ちゃんの財力ならクーポンなんて些細なものでしょうに。お金出してあげなよ」
「あなたの誕生日だ。他の人間に金を使う義理はない」
「わぁ〜お」

お兄ちゃん、好き。

「後日、実家での集まりがあるだろう。その時に正式な誕生日会を開こうという話になっている。今日は前夜祭とでも思え。相手が私だけでは不満か?」
「……不満じゃない」
「ならば機嫌を直せ」
「うん……直りました」
「扱いやすくてなによりだ」

誕生日当日に誕生日会の前夜祭をするなんてツッコミどころ満載だけど、考えてみれば我々村雨一族はみんなだいたい忙しいので(特にこの変態のほうのお兄ちゃんが)、家族全員で休日を合わせるのは至難の業だ。
誕生日当日に必ず誕生日会をするような、行事に熱を注いでいる家庭がこの世にどれほど存在するのかは知らないが、当の本人である私ですら誕生日であることを忘れるくらい無頓着なのだから、こんな日に私以外の家族が旅行に行ったとしてもべつに文句はない。常識を疑うだけだ。
お兄ちゃん曰く非人間である私に常識を疑われるなんて、この家族終わっているな。

それにしても……お兄ちゃんってば、私と二人きりのパーティーをするために旅行を断ったんだ。もしかして、誕生日当日に形だけでも誕生日会的なことをするために?今日だってお仕事終わりだろうに(既に良い子は寝る時間だ)、わざわざ今日私を呼びつけるなんて。
やっぱりお兄ちゃんこそ私のこと大好きなんじゃないの。そんなこと、分かっているからわざわざ尋ねることはしない。お兄ちゃんと私は以心伝心なのだ。なぜから血の繋がった実の兄妹なのだから。

さてさて、風呂に入るにはこの花邪魔だな……もらった彼岸花をどうすればいいのか分からなかったので、とりあえず観葉植物の植木の適当なところにぶっ刺した。帰る頃には忘れそうだ。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「なんだ」
「暇なら手伝ってください」
「一人で風呂も入れないのか、マヌケめ」
「何当たり前のこと言ってるの?」

ソファーでくつろぐお兄ちゃんに駆け寄って、美味しそうにつまんでいたおまんじゅうに横からガブリと噛み付いた。

「オイっ、」
「お兄ちゃんが私の体を“こう”したくせに」

舌に触れるあんこのドロドロした食感……不思議だなぁ。でも甘いんだろうなってことは分かる。何食わぬ顔でもぐもぐと咀嚼する私に、お兄ちゃんは急に顔色を変えて私を抱きかかえた。
ひょいっと。お兄ちゃんって体力なさそうだけど体格はそれなりなんだよなぁと思いながら、まんまと担がれた私はそのままトイレへと連行された。正確には羽交い締めされるようにして引きずられたのだが。
開かれた便器に私の頭を押し込み、顎を鷲掴んで「今食ったものを吐け」と言い捨てるお兄ちゃん。ちょ、ちょっと、乱暴するのやめてね。お腹殴らないで!

「吐けこのっ」
「うッ、うぐう……(鳩尾に入った)」
「今すぐに吐け!死にたいのか?」

べつにこんなもの、食べたくらいで死ぬわけないのに。お兄ちゃんは心配性だなぁ。ていうかお腹いったーい……けれども郷に入っては郷に従え?仕方なく言われた通りに口の中のものを全部吐き出した。この家ではお兄ちゃんの言うことはぜったーいなのだ。

「はぁ、はぁ……」

胃の中をものを出したわけではない、ただ飲み込む前のものを戻しただけなのに、なんだか気分が悪くなってぜえぜえ言っているすきに、いつの間にか用意していたらしいペットボトルの水を、今度は無理やり口の中に投入された。
吐けと言ったり水を注ぎ込まれたり、なんだか忙しいけれど、もちろんこれは飲み込ませようとしているのではなく口をゆすぐためのものだ。もしここでうっかり飲み込んでしまおうものなら、きっとまたお兄ちゃんの鉄拳が腹に飛んでくるので、素直にぐちゅぐちゅぺーして口の中を綺麗にする。
お兄ちゃんの言うことは?ぜったーい……。

まさかお菓子ひとつでこんなに怒るなんて。お兄ちゃんの食べ物への情熱って……。
というのは冗談で、軽くめまいがして倒れかかった私に、お兄ちゃんは容赦なく胸ぐらを掴んだ。首筋に触れて脈を確認したり、口の中に指を突っ込んで中に物が残っていないか確認したりと、時間外診察に勤しんでいる。

「アナフィラキシーを舐めているのか?いつも口酸っぱく言ってるはずだが?」
「ちょっとくらいいいじゃん、ちょっと味見しただけだもん……」
「やはり死にたいのか。ならば私の目の届かない場所でやることだ」
「分かってないなあ、お兄ちゃんがいるからやったんじゃん……。ぐえ!」

殴られた。

お兄ちゃんはその後、ぐったりして動かなくなった私の腕と脚を慣れたように外すと、よっこいせと抱き上げた。義肢がついたままでは重くて仕方がないのだろう。
私の腕と脚……少し前に食べちゃったから今はもう半分くらいしか残されていないのだが、当時研修医だったお兄ちゃんがなんかすごいいろいろして処置してくれたから、今はもう痛みはない。
その時にあつらえてくれた義肢たちは今やトイレの床に放置され、今度はきちんと腕の中に収まった私の本体を、面倒くさそうな顔をしてどこかに運ぶお兄ちゃん。おそらくこのままお風呂に連れてかれるのだ。

あーあ。そうだよ、私って一人じゃお風呂にも入れないマヌケなの。だから『お兄ちゃんが私の体をこうしたくせに』っていうのは、手足を手当してくれたお兄ちゃんに対してのいつものジョークだったのだが、相変わらずこのお医者さんは冗談を冗談と受け止められないのか、眉をひん曲げてため息をついている。
お兄ちゃんのこと、怒らせちゃった。お兄ちゃんに指を突っ込まれた口の中が気持ち悪くて、唯一残った左腕の手首にかぶりついたら、「やめなさい」とまた怒られた。

「……ごめんなさい」
「まったく、扱いやすいというのは撤回する。手間のかかる妹だ」

怒ったっていうか……いやま、怒ってはいるのだろうが、私がつまみ食いをした途端にお兄ちゃんが顔色を変えたのは、単に私を心配してのことだ。それに甘えてちょっとしたおふざけをしてしまったけど……せっかくのお誕生日なのに、しんみりした空気にさせちゃったな。
なるべく申し訳なさそうな顔でごめんなさいした。これ以上は大人しくしていよう。

「ていうか、お兄ちゃんが私の前で食べてたのが悪いんじゃん……」
「その言い分はあまりにも責任転嫁が過ぎるが……もはや叱るのも面倒だ。今日の主役はあなただからな。大目に見よう」
「お兄ちゃんってばやさしい……」

脱衣場に着くなり身ぐるみ剥がされた。せっかく可愛い服を着てきたのに、お兄ちゃんの前ではプライバシーなど皆無なのだ。要介護者として慣れてはいるが、ヘルパーさんじゃなくお兄ちゃん自身に洗われるのは久しぶりだから少し緊張する。

「ねえ変なとこ触んないでください」
「文句を言うな」

石鹸を使って身体中をまさぐるお兄ちゃん。自分は服を着ているからっていい気になるな。ていうかさりげなく触診してる?きもちわる……。
倒れないように左手一本で自分の胴体を支えているから、抵抗もできない。まあ洗ってもらってるんだから、抵抗なんてしないけど。

「あなた、前に会った時よりも体重が561g減っているな。今朝はきちんと食べたのか?」
「んーん。もちろん食べてないです。お兄ちゃんのお料理のためにお腹空かせてきたの」
「そうか。あまり期待されても困るが」

成人した兄妹らしく、ありきたりな雑談に花を咲かせる私たち。お兄ちゃんの手腕によって髪も体もいい感じにさっぱりしたところで、私はあらかじめお湯が張られていた湯船にぶん投げられた。あのー、仮にも妹なんだから丁重に扱ってください。
お兄ちゃんは私が湯の中で溺れないように片腕で支えながら、水滴のついたメガネを外した。これは私だけの秘密なんだけど、お兄ちゃんって実はかっこいいんだよね。顔だけは。
ワイシャツの袖をまくった腕にしがみつき、今日一番気になっていたことを尋ねてみる。

「ねーね、今日のご馳走はどんな人?」
「あなたは知らなくていいことだ。知って得するほど価値のある人間ではない」
「そーお。まあお兄ちゃんの好きな人種ってことは分かるよ」
「なんだそれは」

変な顔をされた。え?お兄ちゃんの好きな人種って言えばそりゃ……手術ができるくらい健康な人間でしょ?そんなの自明だよ、自明の理だよ。

「美味しいのかなぁ。まあお兄ちゃんが選んだ人だもんね。きっと美味しいんだろうなぁ」
「味は知らんが、新鮮さの一点においては保障しよう。このあと捌くのだからな」
「うん。私、れめくんの配信見ながら待ってるね」
「……?前から気になっていたが、そいつは誰だ」

え!?お兄ちゃんれいめいくんのこと知らないの!?最近話題のストリーマーなのに!まあお兄ちゃんはアラサーだから知らなくても無理ないね。あはは。


+++


私の体には生まれた時から欠陥があった。それは目に見えるものではなく、どちらかと言えば内面の方に問題があったのだけれど、本当に問題だったことはその欠陥の存在を物心つくまで自覚できなかったことだ。
私は私の欠陥を自分で気がつくことができなかった。しかし、私の世話をしていた人物……つまり家族のみんなは早いうちに私の中に潜む異常性を察知していたらしい。
なぜなら、生きていくうちに必須な三大欲求の一つに多大な影響が生じていたからだ。

言ってしまえば、私は人間の体から出た物質以外を口にすることができない。

人間の血や、肉や、骨や、髄液や、その他もろもろ……以外のものを受け入れられない身体、なのである。もしそれらを食べてしまった場合、消化が始まると同時に全身に大小様々な症状が現れる。それをお兄ちゃんはお医者さんらしくアナフィラキシーと呼んで私以上に警戒しているが、たいていの場合は食べたら自然と吐き出してしまうので、べつにこの体質のせいで死にかけたなんてことはない。
ただ、もっと直接的な理由で死にかけたことはあるのだが。

とはいえ、家族に未知の不安とご迷惑をかけたことには変わりない。まだ実態が分からなかった赤ちゃんのときはそれはもう悲惨だったらしい。いつまでも経っても乳離れできない、粉ミルクすら飲めない、離乳食をすぐに吐き出してしまう、常に空腹状態となりお腹が減って永遠に泣き止まない……三人目だからとタカをくくっていたら生まれたのがコレ(問題児)である。
ああ、お母さん、お父さん、それからお兄ちゃんたち、いつもありがとう。私がここまで成長できたのは紛れもなくみんなのおかげ。感謝してもしきれないよ。みんなだーいすき。

唯一の幸運と言えば、水は普通に飲めるということだろう。まあ人間の体内にはそれが多分に含まれているのだから、当たり前といえば当たり前だが。だから私はギリギリまで、ほんとうにギリギリまでお母さんの母乳のみで育ち、それ以降は水と拒否反応のない栄養素のみで生きていた。腕に直接ぶち込まれたら、吐き出すなんてことはできないからね。

しかし当然、それだけでは食欲は満たせなかったらしい。根本的な本能のようなものだろうか……その証拠に、私は幼い頃から酷い噛み癖があった。自分の体で腹を満たそうとしたのだ。人間以外は食べられないと言ったが、人間であれば誰でもよかった。

それはつまり――自分の体でも構わなかった。

噛み癖は今も普通に残っている。おかげでマウスピースとは今も友達だ。暴走したときには家族にすら噛み付くような子供だったから、今もこうして仲の良い家族として一緒にいられることは、信じられないほど幸運なことなのかもしれない。家族は私の体質を当たり前のように受け入れてくれた。

そんなこんなで、家族は私を一人にはしなかった。知らぬところでいつ本当に自分を食べ出すか分からなかったからだ。まあご想像の通り、そんな矢先に事件がおこる。
なんてことはない。私はあるとき、狂ったように自我をなくし、自分の手足を食べ始めた。だって、自分の身体はいつでも自分の目の前にあったから。四六時中視界の中にご馳走があるようなものだ。生まれてこの方十数年、食べられるものを極端に制限されていた私の心は極限まで空腹状態となっていた。

その時、一緒に留守番を任されていた二番目のお兄ちゃんは……居眠りをしていた。



私の血縁者、もとい実兄こと、村雨礼二は、私がこんなだから医者になったわけではなく、普通に勉強していたら流れで医学部に入っていただけの、ただの勉強ができる手術オタクだ。まあ本人にはもっと崇高な意志と目標があったのかもしれないが。

居眠りから目覚めたお兄ちゃんは、血塗れになって横たわる私を見て唖然としたらしい。そりゃそうだろう。年の離れた妹がいつの間にか両手足の肉をむき出しにして動かなくなっているところを見つけたら、誰だって困惑する。
しかもただ流血しているだけではなく、右手の肘から下、両足の膝から下の肉は既にほとんど骨から切り離されるか胃の中に入っていた。当時のことは自分でももう覚えていないから、どうしてそこまでの所業ができたのかは今も分からない。痛くなかったのかな……感覚神経をどこにやったのだ、私。
とにかく、刃物やら自らの歯を使って自分の肉を切り出し、飲み込んだ私は……その後すぐに出血多量で息絶えた。

あの時、お兄ちゃんが起きるのが一秒でも遅れていたら、私は今生きていないかもしれない。お兄ちゃんの緊急措置はそれはそれは素晴らしいものだった。当時研修医になりたてで、お医者さんとしての実務経験なんてゼロに等しいはずだったように思うが、あのお兄ちゃんのことだ、もっと前から家族の知らないうちに手術の腕を密かに磨いていたのだろうな。
しかし、即座に大きな病院に運ばれたところでダメなものはダメだった。私の手足は唯一左腕を残し、切断された。もはや移植をすることも不可能だった。義肢での生活を余儀なくされた。それ以前に、車椅子ともお友達になった。

「お兄ちゃん、痛い……」
「痛いか」
「なんか、無いのに、ある感じするの、きもちわるい……」
「それは幻肢覚だ。痛むのならば対処が必要だな」
「お兄ちゃん、おなかすいた……」
「……担当医と栄養管理士を呼ぼう。食事の相談をしなければ」

入院する間、家族はもちろんだが、二番目のお兄ちゃんはその誰よりも長い時間ベッドのそばにいてくれた。いつなんどきでも、寂しいときに付き添ってくれた。わがままもなんでも聞いてくれた。病院側も事情を汲んで、お兄ちゃんの研修期間は一時的に中断されていた。

あとから振り返れば、あの時のお兄ちゃんは、ほんの一瞬居眠りしてしまったことを、後悔……していたのだろうか。自責の念に駆られたのだろうか。本人は何も語らなかったけれど、お兄ちゃんは……たぶん、きっと、あの時から重度のシスコンになった(冗談ではなくただの事実だ)。
しかし私は幼さ故にお兄ちゃんの胸中を察することもできず、気遣うこともできず、自分の手足がなくなったことに泣きながら文句を言ったりしたものだけれど、それに対してお兄ちゃんは苦言のひとつも呈さずに優しくなだめてくれたのを覚えている。

まあ、今はこうして介護付きではありながらひとり暮らしができるようにまでなったのだから、終わり良ければなんとやら?というやつだ。私は現状に満足しているし自分の偏食はとっくの昔に受け入れている。
たまーに人間の食べ物が食べたくなって、さっきのようにお兄ちゃんに無理やり吐かせられるみたいなこともあるけれど、それが私の日常だ。

こうして私は紆余曲折を経て、立派なカニバリストとなった。





…………あ、肝心の、食事は結局どうしたのかという話をするのを忘れていたっけ。
なーに、簡単なこと。わざわざ説明することではない。今の私の食事はお兄ちゃんが全て“[[rb:お料理 > 解体]]”して用意してくれている。パック詰めにされたお肉を定期的にひとり暮らしの自宅に届けてくれているのだ。
その名もお兄ちゃん定期便という(今考えた)。お兄ちゃんは私には太っ腹だから、代金も配送料もすべて無料。まことに便利なサービスだ……届いたものを自分で料理すればいいだけなのだからな。わざわざ自分で人間を狩りに行く必要はない。どこからそんなに人間を集めているのかは教えてくれないけど……。

きっと非合法に違いない。でもそんなこと言ったら私という怪物の存在こそ非合法だ。だからそんなことは気にするまでもない。
お兄ちゃんのやることはすべて正しい。だって私のお兄ちゃんだもん。私だけの大切なお医者さん。私、お兄ちゃんの妹でよかった。


+++


〜あらすじ〜
お兄ちゃんの“お料理”が終わったので、ようやく食卓について二人きりのパーティーを始めたところで、余興として『サメはサメでも人を食べないサメってなーんだ?』というなぞなぞを出したら、鼻で笑われた。笑うな!

「サメは人を食べるでしょう?でもでも、お兄ちゃんは人を食べないのに名前にサメが入ってるんだよ!面白くない!?」
「特に面白くはない」
「そっか〜」
「だいたい前提からして欠陥部分が多すぎるんだ。作問するのなら前提条件を固めておかないと、理屈が通らないクソ問にしかならんぞ」

私が適当に考えたなぞなぞをこんなに真剣に考えてくれるのはこの世にお兄ちゃんしかいないと思う。

「たとえば、どこがだめなの」
「例えば……あなたはサメと名のつくものはすべて人を食べるものと思い込んでいるのか」
「うん」
「哀れな妹よ」

哀れって言うな!あっぱれって言え!

「だって、私の名字にもサメって入ってるじゃない!ほらこの通り!」

そう言いながら私は右手を広げた。指先から肘の手前くらいの部分が金属で出来た、私の腕を見せびらかした。ここには密かに私の名前が彫られているのだ。デザイナーさんに発注する時にお願いしたかっこいいやつ。

「食事中に立つな」

しかし、テンションをあげた私に眉ひとつ動かさず、お兄ちゃんは静かにそんなことを言う。

「それを言うのならお前のもう一人の兄や両親の名字を思い出してみろ。全員紛れもなく村雨姓だろう」
「はぅあっ!?」
「そもそもサメの中にも人を食べない種類は存在する。というより、人を食べるサメのほうが珍しいくらいだ」
「そうなの……?」

世の中には知らないことがいっぱいあるんだなぁ。そしてお兄ちゃんは物知りだ。

「まったく……これだから中卒は」
「あー!自分が高学歴だからって言っていいことと悪いことが!」

私は何を隠そう、高校生活をほとんどリハビリに費やした可哀想な人間である。リハビリしながら高校卒業と同等の資格を取っているので、今は晴れて大学生活を送れているけれど……手足の三本が金属で出来ているやつとはかかわり合いになりたくないのか、未だ友達はゼロである。可哀想って言うな……。

「でもお兄ちゃん、映画に出てくるサメはみんな人食べてますよ。美味しいねって」
「フィクションだからな。にしてもあなたはサメ側に感情移入するのか」
「フィクションとかフィクションじゃないとかって気にしたことないですが。映画って本当は嘘ばっかなの?」
「たまにはドキュメンタリーでも観ればいいじゃないか」
「じゃあ一緒に映画観に行こ」
「私は忙しい」

忙しいのは本当だろうけど……そんなこと言って休日には怪しい地下競技場に通ってるの、私知ってるんだからね。だから忙しいっていうのは半分は本当で半分は嘘だ。そうでしょ?

「お兄ちゃんお兄ちゃん、私、一緒に、映画、観にいきたいです」
「……」
「お兄ちゃん?」

きゅるるんとした目で見つめる私。目の前でせっせとステーキを口に運ぶお兄ちゃんは、しばらく考え込むように目を閉じて……いや、考え込むフリをして、すぐに目を開いた。

「これは独り言だが、次の空きは来週の金曜日だ。運が良ければ、その日は一日中何も無いはずだ」
「やったー!お兄ちゃんと映画!ねーね、お買い物もしたいなぁ」
「……スケジュールはまかせる」
「やったー!!!」

お兄ちゃんとお出かけ!やったーやったー。今日一番にテンションをあげた私に、また「食事中に立つな」と淡々と告げるお兄ちゃん。でも口角が少しあがってたから、私も笑っちゃった。


こういう特別な日は時間が経つのも早いもので、気づいた時には日付が変わっていた。今から帰るには遅いし、はじめから帰るつもりなんて無かったけれど……お兄ちゃんももともと泊めるつもりで呼んでいたらしく、当たり前のように新品のパジャマを渡された。もこもこの可愛いやつ。用意周到だ。さすがお兄ちゃん。

「……あなたの寝室はここではないぞ」
「お兄ちゃん、一緒に寝ましょ」
「断る」
「まあまあそんなこと言わずに」
「……」

既にお兄ちゃんが横になっているベッドに座って、義手や義足をぽいぽいと外す私。そのままごろんと横になれば、お兄ちゃんはめちゃくちゃ文句を言いたげな顔をしながらも、ベッドの端に寄ってくれた。ふふん、お兄ちゃん大好き。

「ねーね、お兄ちゃんの“お料理”、サイコーに美味しかったです。お医者さんなんかやめてお店でも開けばいいのに……売り上げの10割くらい私がもらってあげるから」
「客があなたしかいない店をどうしてわざわざ開かねばならん」
「人を食べる人が私だけだと思っています?結構需要あるでしょう」
「ないだろう……」

お兄ちゃんにさりげなく擦り寄ると、ベッドから落ちないようにするためか胴体に腕をまわされた。なんだかんだ、いつも一緒に寝てくれるやさしいお兄ちゃん。 お仕事で疲れたのか、「んん……」と声を漏らして枕に横顔を埋めている。もう眠そうだ。

「そうだな〜。お兄ちゃんがコックさんで、私はお店のオーナーで〜」
「……ごっこ遊びがしたいだけなら他を当たってくれ。私はあなたのもう一人の兄のように甘くないのだ」
「甘党なのに?」
「関係ない」

しばらくの沈黙。
腕の中に収まったまま、閉じられたまぶたにちゅうしてみた。無反応だった。

「お兄ちゃん、おなかがすきました」
「……ひとつ尋ねよう。あなたはついさっき何を食べた?」
「足りないです。もっと食べたい」
「洗面台に鏡がある。新鮮な肉ならそこにある」
「私はお兄ちゃんが料理したやつじゃないと食べれません」

「好き嫌いの問題ですが」


「お兄ちゃん、おなかがすきました」
「……」
「お兄ちゃん」


「……眠れん」
「じゃあお兄ちゃん、あそぼ」
「遊ぶ?何をして」
「なんでも〜……」


「ねーね、今度一緒に樹海行こ?おうちの鏡の前よりも、もっといっぱい新鮮なお肉が落ちてると思うの」
「……何故私を誘うのだ」
「お兄ちゃんは誘ったら必ず来てくれるから」
「……」



「ん、っ……ぁう」
「……」
「ぁ、おにいちゃ、……っ」
「……」


「ハァ……私はいったい何に欲情しているのだ」
「……ん、おにいちゃん……ぎゅってして」
「仕方がないな」


「お兄ちゃん、すき……」
「知っている」






一人で樹海に来た私を、彼らは自殺志願者だと思ったらしい。




「経緯を私に話せるか?」

「わ、わか、んない……」




「……美味しそうだけど、嫌な臭いする。それ、なあに」
「ただのクズだ」
「……ふーん。私、いらないから捨てちゃっていいですよ」
「捨てはしない。あるべき場所へ還すのだ」
「……」


「私に酷いことしたひとの内臓が、もしかしたらそのへん歩いてるひとの中に入ってるかもと思うと、きもちわるいかも」
「……ああ!もちろん、地に還すという意味だ。生憎金と患者には困っていないのでな。腐った不良品はあるだけ無駄だ。早急に処分する」
「……ありがと」




「お兄ちゃん、一緒に寝たい」
「……」
「お兄ちゃん」

お兄ちゃんは無言で掛け布団をたくしあげた。嬉しくて急いで布団の中に入ると、安心させるように寄り添ってくれた。


「お兄ちゃん、私、ひとり暮らし無理かも」
「ああ、やめたほうがいい。当面のあいだは療養のためにも実家へ……」
「お兄ちゃん、私一緒に住みたいです」
「……」
「お兄ちゃん」




「お兄ちゃん、お金貸してください」
「もう大学生なんだからアルバイトくらいできるだろう」
「一回やってみたけど、廃棄するのが心苦しくてそれっきりやめちゃいました」
「……ちなみになんのアルバイトを?」
「死体清掃員です」
「ああ……」

「つまみ食いできるかもと思ってやったのに、汚くて臭くて虫とかわいてて、とても食べたものじゃなかったです」
「そりゃあそうだろう。死体清掃員が扱う死体に新鮮なものなど滅多にない」
「だから、お兄ちゃんが手術に失敗した人とかもらえないかなーって」
「私がなにを失敗すると?」
「大門〇知子さん?」

私失敗しないので?


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