鹿としかと叱られる
修学旅行といえばだいたい京都奈良と相場が決まっていると思う。そしてなんとなく志望したこの高校も例のごとく修学旅行先が京都奈良だったことに別に落胆なんかしないけれど、中学の修学旅行も京都奈良だったことについて私は少々考えるところがある。

「ねー、君はいいよな。勝手にここに住み着いている上に、美味しいご飯をたくさん買ってもらえるんだから」

何度目かの鹿さん対面になんとなく頬をほころばせながら、先程別の鹿さんのあどけなさに負けて買ってしまった鹿せんべいを差し出す。れろ、と大きな舌が姿を現して手まで食べられそうになったところを寸前で回避した。お前私まで食おうってか、いい度胸してるじゃねーか。

「赤琉さん」

ふと、聞き慣れた声が聞こえたかと思う間もなく背後から腕を引かれ、強制的に後ろを向かされた。驚いたせいで手を離してしまった残り数枚の鹿せんべいが、バラバラと地面に落ちて、たちまち鹿さんが群がってくる。そこにいたのは他の誰でもなく我等が学級委員長、そして我等が行動班班長の練白龍様だったのだけれど、彼の突然の登場に一、二回目をぱちくり。こんなところで何をしているのかしら?「あ、班長様」と間抜けな声を上げると、私としては普通の反応だったのに白龍くんはどこか癇に障ったらしく、うっすらと目を細めて私をじっと見下ろした。怖。い。

「ど、どうしたの」
「どうしたじゃない。もう集合時間じゃないですか。……そもそもあなた、こんなところで一人で時間を潰して寂しくないんですか」
「余計なお世話だよ」

私ってば、こんなに眼鏡が似合うイケメン男子高校生からも心配されるほど不憫に見えるらしい。といっても集合時間なんてまだまだ先じゃないのかな、腕時計を指し示しながら首を傾げると「五分前行動は基本中の基本でしょう」と私を小馬鹿にするように通常運転の白龍くん音頭が炸裂した。真面目なのは何一つ文句ないのだけれど、一つ言わせてもらうと集合時間まで40分近く残っていることに少しの疑問も抱かない私ではない。時計読めないのかな?それとも、私が、読めないのかな?ええと、集合は4時で今は短い針が3と4の間にあって、長い針が5に到達しそうな感じだから、

「なに呆けてるんですか。ほら、行きますよ」
「あっ、はい……」

当たり前のように差し出された手を当たり前のように無意識のうちに握ってしまった。歩き出して数歩目であれ、何かおかしいぞ?と違和感を感じてちらりと視線を向けると、私の右手が白龍くんの左手をしっかりと握りしめていた。というより、どちらかといえば白龍くんの左手が私の右手をしっかり握りしめて離さなかった。これはどういう事態だろうか。そう尋ねようと口を開いたところで、白龍くんは言った。

「好きです」
「へえー……。……何が?」

よく分からないまま相槌を打てば、しげしげと睨まれた。比較的国語が得意な私だって、主語や修飾語がないと分からないものは分からないのだ。

「俺は、赤琉さんのことが好きです」

白龍くんは私の言葉通り主語と修飾語を補って言い直した。まるで当たり障りのない事実を述べるように言い放った。この私でも分かるようにはっきりと断言した。こういうとき、私は何をどう返せばいいのだろうか。生憎私はこういう類のことはあまり経験がないので、次にどのような反応をするのがベストなのか誰か丁寧にこと細やかに教えて欲しい。苦手な化学の教科書はどうでもいいけれど、恋愛教本なるものをどうか『この教科書は無償で提供されています』みたいな言葉書きを添えて私にプレゼントしてはくれないだろうか。あ、でも無償で配られるのは義務教育の範疇だから今となってはもう遅いか、なんて変なところで落胆している私はこれでも混乱しまくっていることをちゃんと理解しておいてください。

芝生が敷き詰められている広場のようなところに出ると、白龍くんは振り返って、少しだけ屈んでからだんだん近づいて来た。かちりと目が合う。それから、そのまま__。

「……あ」


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