夜の森を歩くのには慣れているが、そういった場所で“何か”と出会ったことは一度もない。何かって何、という話だけど、もちろん山に住み着いてるそこらのポケモンたちのことではなく、この世ならざるもの……というか、伝承に出てくる架空の存在、みたいな、そのへんの話だ。ただ、実際はぜんぜんまったく、この世ならざるものではなかった。架空でもなんでもなかった。目当てのそれは、確かにあの森の中に存在していた。おれの知らないところで、目に入らない場所で、独り寂しく……暮らしていた。
別に探しものが特別得意というわけでもなかったけれど、当時の自分は何故かそれを見つけられる自信があった。根拠のない自信だ。これまでの数百年、一度も姿が確認されなかったそれを、おれならきっと見つけられるはずだと、心の底から思っていた。でもそれはただ単純に、そうであってほしいと願っていただけだ。
その願いは叶わなかった。
山に入るといつもあの夏を思い出す……かと思えば実際そうでもない。あれからもう数年の月日が経った。人間、それだけの時間が経つと、どんなに嫌な出来事でも次第に記憶は掠れていくものだ。おれはあの一件以降バトルだけに集中していたこともあり、少し時間が経てば自分が執着していたことなどどうでもよく感じていた。どうしてあの時の自分は、あんなにも鬼に執着していたのかと不思議に思うほど。
「……」
いや、ちがう。おれは今でも忘れられないことがある。あの時人知れず泣いた弱い自分の、負けに怯える弱い心が、未だに胸の奥深くのところに居座っている。正直迷惑。早く出て行ってほしい。そのためにはあと何回バトルに勝ち続けなければならないのか。考えるだけで呼吸するのがしんどくなる。
もう、結構疲れた。いっそのことバトルから足を洗ったほうが楽になれるのに。そんなこと、分かっているのに、そういうことを考える度にあの忌々しい笑顔が頭にチラつくのだ。ああ、だめだ、イライラする。あの少女の顔もまた、忘れられないことのひとつ。
ここでおれが一切合切投げ出したところで、あいつはバトルを続けて勝ち続けるだけ。パルデアのチャンピオンランクとしておれの前に現れたあの日から、遂に正式なパルデアチャンピオンに就任した今日までに、彼女は……アオイは何度もおれに勝ち続けた。
今でこそ半々くらいで負かせるようになったおれだけど、そんなんじゃ足りない。もっと、余裕で倒せるようにならなきゃ。あの自信に満ちた表情が出せなくなるまで、コテンパンにしてやらなきゃ、腹の虫が収まらない。この煮え切らない思いも、かつての鬼の時と同じように、いずれ「どうしてあの時のおれはあんなに彼女に執着していたんだろう」と不思議に思うようになるのだろうか。
早くその境地に至りたい。どうしておれはたった一人の女のためにこんなにも苦労してる?分からないなあ。
強くなりたい。ただ強く。
今日はこのパルデアに新チャンピオンが誕生したこともあり、中央のテーブルシティでは盛大なセレモニーが執り行われたらしいが、おれは特に参加することもなく、というか興味がなかったので、いつも通り特訓に明け暮れていた。場所は北東部の森の中。おそらく観光客が観光するのにはまず選ばないであろう場所だが、強いポケモンが多いので特訓にはうってつけ。
ま、いつも通りとは言っても、パルデアに到着してから一週間も経っていないから地理には慣れない。いくらダイノーズがいるにしても、既に日が沈んでいることだし、あまり森の奥には入らないようにしなければ。
そう考えながら落ち葉でできた道無き道を歩いていたところ。
「くぅん……」
前方からポケモンの声がした。弱々しく、とても野生のものとは思えないような、か細い鳴き声。たまに遭遇するような獰猛なポケモンの鳴き声ならば、こちらからバトルを仕掛けて対処すればいいだけなのだが。気になって少し遠くの方に目をやると、そこには短い四足で忙しなく足踏みをするイワンコの姿があった。
イワンコ?どうしてこんなところ?パルデアにも生息しているし、夜間にも活動するポケモンだから何も不思議はないのだが。でも、このイワンコは明らかに野生ではないようだ。見た感じ人に慣れている。おれの姿に気づくと、一目散に駆け寄ってきた。そしてまた、「くぅん……」と弱々しく鳴いた。
「……どーした、こんなとこで。近くにトレーナーさいんのか?」
イワンコは何かを訴えるようにおれの顔を見あげている。字面に膝をついて問いかけながら辺りを見回すが、生憎のこと月明かりだけではよく見えない。すると、イワンコは今度は明確な意志を持ったように「ワン」と吠えて木々の間を走っていく。かと思えば、少し離れたところで振り返って、まるでおれに着いてこいとでも言いたげだ。
深夜の森に突然現れたイワンコ。これがロコンやゾロアだったら間違いなく神隠しだったろう。どこか良からぬところに連れていかれるんじゃ?そんな警戒心がなくはないが、どうにも気になったので試しに着いていくことにした。
歩いてすぐにイワンコの行動理由がわかった。十歩ほど先に進んだところに、もうひとつ別の息があったのだ。森の中の少し開けたところの木に寄りかかるようにして、女性が気を失っていた。
おれは一瞬幽霊かと思ってびっくり仰天して、しかしすぐに気を取り直して駆け寄った。イワンコも同様にして駆け寄ってくる。この子がトレーナー、みたいだ。イワンコはこのことで助けを求めていたのか、と咄嗟に理解した。
「えっ、だ、大丈夫……ですか?」
おれは動転しながらもとりあえず女性に声をかけた。こんな森の中で意識のない人間に出くわすなど、そりゃ初めてのことで、まさか、死んでるんじゃねえよな、と最悪のことが頭によぎって、全身からブワッと汗が滲み出る。
山には似つかわしくない薄手のワンピースに、それでよく山道に入る気になったなと思う白地のスニーカー。どうみたって軽装でしかないその人は、落ち葉の上にストンと座り込み、木の幹に背を預けたまま動かない。おれは肩に手を置いて、顔を覗き込んだ。大丈夫、生きてる。普通に息はしてる。
「……あの?」
だが、近くで見ると……意識がないのはその通りなのだが、この人はただ目を閉じて眠っていただけのようだった。すやすやと、気持ちよさそうに寝息を立てて眠っている。は?なんでこんなとこで寝てんだ、この人。おれは呆気に取られた。
近くで同じように顔を覗き込むイワンコを見やると、困ったように眉を下げていた。どうしよう、コレ……とでも言いたげな。ああ、たしかにこいつはそこまで緊迫した様子でおれを呼びに来た感じではなかった。この人は怪我をして動けなくなったわけでも、急に倒れたわけでもなく……そしてそのことをイワンコも理解しているようだ。
主人がこんな夜更けにこんなところで寝てしまったから、どうすればいいか分からなくなった……のかな。よく見たらご丁寧にも、イワンコの寝床と思われるふわふわのタオルが近くに敷かれていた。え?どういうあれ?新しいタイプの野宿?
「ん……」
「ひっ」
その時、女性が少し身動ぎした。ちょっとびっくりした。イワンコは起こすつもりなのか、やれやれと前足を持ち上げて彼女の服を引っ掻いたりしている。
こんな、遭難とも言えるような状況、今回が初めてであってほしい思いたいが、このイワンコはもしかしたら相当苦労しているのかもしれない。だってこの人、こんなところで寝るなんて、相当の変人だもん。
遭遇したからには仕方がない、おれも一緒になって彼女の肩を再度揺らしてみる。
「あの、……風邪さ、引きますよ……」
そう声をかけながら、どうしておれはポケモンの特訓をしに来た山で見ず知らずの女の人を起こそうとしているんだろうと思った。
しばらくするとようやく彼女は目を開いてくれた。まぶたが動いた瞬間、おれはまたびっくりして不審者みたいに飛び上がってしまったが、彼女の目はすぐに目の前のおれに気づいてやや上を見あげた。
「……どなた?」
「あっ、や、やっと起きた……」
「……もしかして寝込みをお襲いに?」
「エッ!?違います違います!おれは怪しいもんじゃ……!」
寝起きにしては綺麗な声だ。そして思ったよりも上品な言葉遣いで、即座にあらぬ疑いをかけられた。
「おれは、単なる通りすがりのもんだけど……たまたまこのイワンコさ目について、それで……」
「……あ。もしかして、わざわざ心配して様子を見に来てくださったの?」
「そういうこと、です」
ワンチャン不審者かもしれないこの人に対してどう接すればいいのか分からず、たどたどしく説明する。逆に彼女はおれが怪しいものではないと分かると、にこーと笑って「ありがとうございます、助かりました」と言った。
悪い人そうには見えない。ただ、怪しさはまだ拭いきれない。せっかくのワンピースについてしまった土汚れを手で払い落とす彼女に、おれは気になったことを問いかけた。
「なんでこんなとこさ、倒れるように寝てたのか……聞いても?」
「ああ、この子とパルデアの森を散策してたらいつの間にか夜になって、帰り道が分からなくなってしまって……」
「それは……災難だった、ですね。でも、スマホロトムは?ここ、たぶん圏外じゃないべ」
「私、持ってないです。スマホ」
「え?」
「紙のマップはあるけど方向音痴だし、迷ってるうちに眠くなってきちゃって、朝になったら行動しようと思って、……そのまま寝ちゃいました」
ポカンとするおれに、またにこーと笑う彼女。正直に危機感がなさすぎてちょっと引いた。おれがわざわざ強いポケモンを求めてここに来たくらいなのに、どうしてそんな間の抜けたことを言えるのか、理解ができない。あ、死にに来たのか?この人。
「ご心配かけちゃいましたね。でも、私は大丈夫です。野宿は初めてだけど、明るくなったら自力で帰れると思うので」
「いや、あの……ダメです」
「……ダメ?」
「こんなところに、たった一人でなんて、とても置いてけねぇべ。どんな恐ろしいポケモンさ襲われるか……夜の森がどれだけ危険か、分かってる?」
「……」
おれはおれが小さい頃にしつこく言われたようなことを思い出しながら、そう言った。わりと真剣な顔で。だって笑いごとじゃない。おれならまだバトルで対抗できるが、こんな……おれよりも弱そうな彼女が野生のポケモンに太刀打ちできるとは思えない。
「……ごめんなさい、たしかに、明るいうちに帰れない私の見通しが甘かった。夜のお散歩楽しいなと思ったけど、……危険だからこれまで禁止されていたのに」
「お散歩楽しいなって……はは、まあ、気持ちは分かるけど……」
やっぱり彼女の家も禁止されてはいたんだな。どこの生まれかは知らないが、親が非常識というわけではなさそうだ。ていうか、見た目の感じからしたらいかにも育ちのいいお嬢さまという感じがしないでもない。
そう、この、薄手のワンピースとか、山に来る格好じゃない格好なところが、いかにも。あとスマホロトムを持っていないなんてどこの田舎モンだと思ったが(おれが言う)、それを考えたら世間知らずと表現した方が近いかもしれない。
「地元の方ですか?」
「いや……」
「え、違うんです?」
「おれはこの辺でジム巡ったり……旅してるだけ。んでも、山道には慣れてっから、案内さできるよ」
「そうなんですか。それは頼もしい」
「ありがとうございます」
「あの、今度お礼がしたいのでお名前と連絡先を教えてください」
「これくらい、たいしたことじゃ」
「よくありません!ねー、イワンコ、よくないよね、ねー。……ほら!」
「…………」
「あ、私の名前はセキルです。よかったら覚えて帰ってくださいね」
「……スグリ」
「スグリさん」
この日山で出会ったのは、思いもよらぬ存在だった。
別に探しものが特別得意というわけでもなかったけれど、当時の自分は何故かそれを見つけられる自信があった。根拠のない自信だ。これまでの数百年、一度も姿が確認されなかったそれを、おれならきっと見つけられるはずだと、心の底から思っていた。でもそれはただ単純に、そうであってほしいと願っていただけだ。
その願いは叶わなかった。
山に入るといつもあの夏を思い出す……かと思えば実際そうでもない。あれからもう数年の月日が経った。人間、それだけの時間が経つと、どんなに嫌な出来事でも次第に記憶は掠れていくものだ。おれはあの一件以降バトルだけに集中していたこともあり、少し時間が経てば自分が執着していたことなどどうでもよく感じていた。どうしてあの時の自分は、あんなにも鬼に執着していたのかと不思議に思うほど。
「……」
いや、ちがう。おれは今でも忘れられないことがある。あの時人知れず泣いた弱い自分の、負けに怯える弱い心が、未だに胸の奥深くのところに居座っている。正直迷惑。早く出て行ってほしい。そのためにはあと何回バトルに勝ち続けなければならないのか。考えるだけで呼吸するのがしんどくなる。
もう、結構疲れた。いっそのことバトルから足を洗ったほうが楽になれるのに。そんなこと、分かっているのに、そういうことを考える度にあの忌々しい笑顔が頭にチラつくのだ。ああ、だめだ、イライラする。あの少女の顔もまた、忘れられないことのひとつ。
ここでおれが一切合切投げ出したところで、あいつはバトルを続けて勝ち続けるだけ。パルデアのチャンピオンランクとしておれの前に現れたあの日から、遂に正式なパルデアチャンピオンに就任した今日までに、彼女は……アオイは何度もおれに勝ち続けた。
今でこそ半々くらいで負かせるようになったおれだけど、そんなんじゃ足りない。もっと、余裕で倒せるようにならなきゃ。あの自信に満ちた表情が出せなくなるまで、コテンパンにしてやらなきゃ、腹の虫が収まらない。この煮え切らない思いも、かつての鬼の時と同じように、いずれ「どうしてあの時のおれはあんなに彼女に執着していたんだろう」と不思議に思うようになるのだろうか。
早くその境地に至りたい。どうしておれはたった一人の女のためにこんなにも苦労してる?分からないなあ。
強くなりたい。ただ強く。
今日はこのパルデアに新チャンピオンが誕生したこともあり、中央のテーブルシティでは盛大なセレモニーが執り行われたらしいが、おれは特に参加することもなく、というか興味がなかったので、いつも通り特訓に明け暮れていた。場所は北東部の森の中。おそらく観光客が観光するのにはまず選ばないであろう場所だが、強いポケモンが多いので特訓にはうってつけ。
ま、いつも通りとは言っても、パルデアに到着してから一週間も経っていないから地理には慣れない。いくらダイノーズがいるにしても、既に日が沈んでいることだし、あまり森の奥には入らないようにしなければ。
そう考えながら落ち葉でできた道無き道を歩いていたところ。
「くぅん……」
前方からポケモンの声がした。弱々しく、とても野生のものとは思えないような、か細い鳴き声。たまに遭遇するような獰猛なポケモンの鳴き声ならば、こちらからバトルを仕掛けて対処すればいいだけなのだが。気になって少し遠くの方に目をやると、そこには短い四足で忙しなく足踏みをするイワンコの姿があった。
イワンコ?どうしてこんなところ?パルデアにも生息しているし、夜間にも活動するポケモンだから何も不思議はないのだが。でも、このイワンコは明らかに野生ではないようだ。見た感じ人に慣れている。おれの姿に気づくと、一目散に駆け寄ってきた。そしてまた、「くぅん……」と弱々しく鳴いた。
「……どーした、こんなとこで。近くにトレーナーさいんのか?」
イワンコは何かを訴えるようにおれの顔を見あげている。字面に膝をついて問いかけながら辺りを見回すが、生憎のこと月明かりだけではよく見えない。すると、イワンコは今度は明確な意志を持ったように「ワン」と吠えて木々の間を走っていく。かと思えば、少し離れたところで振り返って、まるでおれに着いてこいとでも言いたげだ。
深夜の森に突然現れたイワンコ。これがロコンやゾロアだったら間違いなく神隠しだったろう。どこか良からぬところに連れていかれるんじゃ?そんな警戒心がなくはないが、どうにも気になったので試しに着いていくことにした。
歩いてすぐにイワンコの行動理由がわかった。十歩ほど先に進んだところに、もうひとつ別の息があったのだ。森の中の少し開けたところの木に寄りかかるようにして、女性が気を失っていた。
おれは一瞬幽霊かと思ってびっくり仰天して、しかしすぐに気を取り直して駆け寄った。イワンコも同様にして駆け寄ってくる。この子がトレーナー、みたいだ。イワンコはこのことで助けを求めていたのか、と咄嗟に理解した。
「えっ、だ、大丈夫……ですか?」
おれは動転しながらもとりあえず女性に声をかけた。こんな森の中で意識のない人間に出くわすなど、そりゃ初めてのことで、まさか、死んでるんじゃねえよな、と最悪のことが頭によぎって、全身からブワッと汗が滲み出る。
山には似つかわしくない薄手のワンピースに、それでよく山道に入る気になったなと思う白地のスニーカー。どうみたって軽装でしかないその人は、落ち葉の上にストンと座り込み、木の幹に背を預けたまま動かない。おれは肩に手を置いて、顔を覗き込んだ。大丈夫、生きてる。普通に息はしてる。
「……あの?」
だが、近くで見ると……意識がないのはその通りなのだが、この人はただ目を閉じて眠っていただけのようだった。すやすやと、気持ちよさそうに寝息を立てて眠っている。は?なんでこんなとこで寝てんだ、この人。おれは呆気に取られた。
近くで同じように顔を覗き込むイワンコを見やると、困ったように眉を下げていた。どうしよう、コレ……とでも言いたげな。ああ、たしかにこいつはそこまで緊迫した様子でおれを呼びに来た感じではなかった。この人は怪我をして動けなくなったわけでも、急に倒れたわけでもなく……そしてそのことをイワンコも理解しているようだ。
主人がこんな夜更けにこんなところで寝てしまったから、どうすればいいか分からなくなった……のかな。よく見たらご丁寧にも、イワンコの寝床と思われるふわふわのタオルが近くに敷かれていた。え?どういうあれ?新しいタイプの野宿?
「ん……」
「ひっ」
その時、女性が少し身動ぎした。ちょっとびっくりした。イワンコは起こすつもりなのか、やれやれと前足を持ち上げて彼女の服を引っ掻いたりしている。
こんな、遭難とも言えるような状況、今回が初めてであってほしい思いたいが、このイワンコはもしかしたら相当苦労しているのかもしれない。だってこの人、こんなところで寝るなんて、相当の変人だもん。
遭遇したからには仕方がない、おれも一緒になって彼女の肩を再度揺らしてみる。
「あの、……風邪さ、引きますよ……」
そう声をかけながら、どうしておれはポケモンの特訓をしに来た山で見ず知らずの女の人を起こそうとしているんだろうと思った。
しばらくするとようやく彼女は目を開いてくれた。まぶたが動いた瞬間、おれはまたびっくりして不審者みたいに飛び上がってしまったが、彼女の目はすぐに目の前のおれに気づいてやや上を見あげた。
「……どなた?」
「あっ、や、やっと起きた……」
「……もしかして寝込みをお襲いに?」
「エッ!?違います違います!おれは怪しいもんじゃ……!」
寝起きにしては綺麗な声だ。そして思ったよりも上品な言葉遣いで、即座にあらぬ疑いをかけられた。
「おれは、単なる通りすがりのもんだけど……たまたまこのイワンコさ目について、それで……」
「……あ。もしかして、わざわざ心配して様子を見に来てくださったの?」
「そういうこと、です」
ワンチャン不審者かもしれないこの人に対してどう接すればいいのか分からず、たどたどしく説明する。逆に彼女はおれが怪しいものではないと分かると、にこーと笑って「ありがとうございます、助かりました」と言った。
悪い人そうには見えない。ただ、怪しさはまだ拭いきれない。せっかくのワンピースについてしまった土汚れを手で払い落とす彼女に、おれは気になったことを問いかけた。
「なんでこんなとこさ、倒れるように寝てたのか……聞いても?」
「ああ、この子とパルデアの森を散策してたらいつの間にか夜になって、帰り道が分からなくなってしまって……」
「それは……災難だった、ですね。でも、スマホロトムは?ここ、たぶん圏外じゃないべ」
「私、持ってないです。スマホ」
「え?」
「紙のマップはあるけど方向音痴だし、迷ってるうちに眠くなってきちゃって、朝になったら行動しようと思って、……そのまま寝ちゃいました」
ポカンとするおれに、またにこーと笑う彼女。正直に危機感がなさすぎてちょっと引いた。おれがわざわざ強いポケモンを求めてここに来たくらいなのに、どうしてそんな間の抜けたことを言えるのか、理解ができない。あ、死にに来たのか?この人。
「ご心配かけちゃいましたね。でも、私は大丈夫です。野宿は初めてだけど、明るくなったら自力で帰れると思うので」
「いや、あの……ダメです」
「……ダメ?」
「こんなところに、たった一人でなんて、とても置いてけねぇべ。どんな恐ろしいポケモンさ襲われるか……夜の森がどれだけ危険か、分かってる?」
「……」
おれはおれが小さい頃にしつこく言われたようなことを思い出しながら、そう言った。わりと真剣な顔で。だって笑いごとじゃない。おれならまだバトルで対抗できるが、こんな……おれよりも弱そうな彼女が野生のポケモンに太刀打ちできるとは思えない。
「……ごめんなさい、たしかに、明るいうちに帰れない私の見通しが甘かった。夜のお散歩楽しいなと思ったけど、……危険だからこれまで禁止されていたのに」
「お散歩楽しいなって……はは、まあ、気持ちは分かるけど……」
やっぱり彼女の家も禁止されてはいたんだな。どこの生まれかは知らないが、親が非常識というわけではなさそうだ。ていうか、見た目の感じからしたらいかにも育ちのいいお嬢さまという感じがしないでもない。
そう、この、薄手のワンピースとか、山に来る格好じゃない格好なところが、いかにも。あとスマホロトムを持っていないなんてどこの田舎モンだと思ったが(おれが言う)、それを考えたら世間知らずと表現した方が近いかもしれない。
「地元の方ですか?」
「いや……」
「え、違うんです?」
「おれはこの辺でジム巡ったり……旅してるだけ。んでも、山道には慣れてっから、案内さできるよ」
「そうなんですか。それは頼もしい」
「ありがとうございます」
「あの、今度お礼がしたいのでお名前と連絡先を教えてください」
「これくらい、たいしたことじゃ」
「よくありません!ねー、イワンコ、よくないよね、ねー。……ほら!」
「…………」
「あ、私の名前はセキルです。よかったら覚えて帰ってくださいね」
「……スグリ」
「スグリさん」
この日山で出会ったのは、思いもよらぬ存在だった。