アローラは人をダメにする


このパルデア地方から遠く離れたアローラの地に、ひとりの幼馴染がいる。
生まれた時から二十歳になるまで、故郷のジョウト地方や各地で共に過ごした……正真正銘人生で初めてできた友人であり、唯一無二の親友。

何をするにも彼女がいないとダメだった。何をするにも、なまえと過ごす前提で毎日が構成されていた。
毎日のように同じところを旅して、同じジムを目指して……それから、毎日同じものを食べて、同じ話題で笑い合う。
お互い他にも友人はいたし、もちろん会わない日もあったけど、何かある度に一番になまえのところへ飛んでいったのは、ただの幼馴染と言うには巨大すぎる、とてつもない感情をこの胸の中に抱いていたからで。
それだけ自分の中で大きな存在だったし、当然のように、いつまでも一緒にいられるものだと思っていた。
……が、現実はそうにもいかない。

「今日は付き合ってくれてありがと!ゆうえんち、すっごい楽しかったね〜。あ、そういえば私アローラに行くことにした。チリちゃんとはここでばいばいやね。来週引越しやから、暇なら手伝ってよ」
「は?……え?待って待って、なに言っとん、急に……アローラって、あのアローラ……?」
「うん。あのアローラ。じゃあ私、もう眠いしおうち片付けなあかんから、もう帰るね。チリちゃんばいば〜い。ちゅ」
「ちゅ、やないねん。は?」

うちはポケモントレーナーのチリ。幼馴染で同級生のなまえとイッシュ地方のゆうえんちに遊びに行って……別れる直前、衝撃的な告白を耳にしてしまった!告げられた内容に夢中になっていたうちは、一人で足早に去ってしまうなまえに気づかなかった……。って、納得できるか!そんなん!!
すぐに追いかけて問い詰めたが、どんなに説得しても返ってくる言葉は同じだった。

「アローラでやりたいことがあるんよ。チリちゃんは、他にやるべきことがあるやろ。一緒には行けないよ」

それがなまえの口から語られた言葉だったから、「いやや」とか、「離れたないわ」とか、どんな悲痛な叫びが口から出てこようとも、結局のところ最終的には頷く他なかった。
ほら、チリちゃんってあの子の言うことは絶対やから。





「あら、チリさん。ちょうどいいところにいらして。ただ今お時間よろしいですか?少し、お話が」
「ん、トップ。今日は外回りやなかったんですか?」

今日も一日の終わりが近づいた頃、前方から聞こえてきたトップの声に足を止め、姿勢悪くポケットに突っ込んでいた手を引っこ抜いた。廊下の向こうからやってきたのは、このパルデアリーグの委員長であり、自分の上司でもあるオモダカさん。
今日は一日留守にするから、ここでの業務は頼みます、みたいなことを今朝言われたような気がするが、当たり前のようにリーグにいるから首を傾げた。
聞けば、用事が早く済んだから直帰せずに舞い戻ってきたのだそう。はーん、もう終業時間も近いのに律儀なお人や。

「それで、話というのは……ああ、そこの会議室を使わせていただきましょうか。立ち話もなんですし」
「はい。なんや、大事な話ですか?」
「それなりに」

それなりに?よう分からんけど真面目な話っぽい。そう思い、今度はサスペンダーのベルトに挟んでいたグローブを外して両手にはめた。それから、シャツの袖もまくり直して、肩をほぐして……これでお仕事モードのチリちゃんの完成である。
正直に言うと、今日はもうリーグへの挑戦者を捌ききったところだったから、ほとんど終わった気でいたのだが。トップ直々にお呼ばれされては致し方ない。彼女に続いて会議室に入り、中の電気を付けて、自分も適当な椅子に腰を下ろしたところで……問いかけられた。

「アローラを訪れたことは?」
「あ、アローラ?」

初っ端から思わぬ単語の登場に、素っ頓狂な声が出た。

「はい、ここからはるか南方に位置する、アローラ地方です」

アローラ。そこは自分に縁もゆかりもありすぎる場所だ。まあ、ただ幼馴染が住んでいるだけなんやけど……もちろん会いに行くために何度か訪れたことがある。
幼馴染に関連する話題になると、すぐにテンションがあがるこの体。急に振られたために、かなり裏返った声が出たような気がしたが、トップは特に気にする様子もなく話を続けている。

「世界的に有名な観光地ですが、私は未だかの島々に足を踏み入れたことがなく……」
「なはは、確かにトップは暑いところ苦手そうですね」
「ええ……どちらかと言えば着込める地域の方が好みです。そういうあなたは得意なのですか?」
「あー、実は、かなり好きな方ですね」

少々個人的な理由で。
いやなに、幼馴染のことがなくてもアローラは好きだ。綺麗な海で泳ぐのは楽しいし、レジャースポーツなんかもよくやるし、自然に溢れるあそこは訪れるだけで気分が晴れる。
なんと言ってもあそこにはちょっと変わったディグダが生息しているのだ。あのアローラリージョンの可愛い風貌にメロメロになったのは……チリちゃんだけやないはず。
まあ、幼馴染がいるから特別というのは事実だとしても。

「これまでに何度か旅行しましたけど……ほんで、アローラがどうかしたんですか?」
「数年前、そこにポケモンリーグが出来たことは知っていますね?」
「ええ、もちろん。当時、パルデアでも結構話題になった覚えが」
「アローラのポケモンリーグは世界的に見ても一番歴史が浅く、言わば一番『新しい』システムが導入されています」

「ガラルのように、ポケモンリーグを興業スポーツとして発展させたところもあれば、パルデアのように、厳格な資格試験を課すところもあり……しかし、どの地方も挑戦者の腕を試すという点で本質は変わらない」

「アローラはどちらかと言えばパルデアに近い方法で挑戦者の腕試しを行っているそうです。その名も『試練』という、昔から続く伝統行事を織り交ぜた、他にないシステム……そういう意味でもアローラリーグは『新しい』のです」


「本来ならば直接この目で視察、ないしは直接この身で体験したいところなのですが、近頃は手が離せない事柄が多く……。そこで、今度の改修工事で業務が一時停止する間に」
「ほお」
「ぜひ、あなたに代役を担って頂けないかと」

ほぉ〜〜。なるほど、そういうことですか。






「もしも〜し?チリやけど」
『あ、チリちゃ〜!どうしたの?また、私とお話したくなっちゃったの?しょうがないんだからも〜、私まだお仕事終わってないのに』

通話に出たなまえは、忙しなく廊下を歩いていた。仕事中やったんか。それは悪いことをしたが、電話に出たなまえもなまえである。
なんだかお姉さんぶったことを言っているが、画面越しでも分かる、その童顔と、背の低さと、幼くてふわふわした感じの甘ったるい声のせいで、年端のいかない少女のような印象を受ける。……が、これでも立派に成人した大人だ。これでも。可愛いよなぁ。

普段と変わらない調子に微笑みながら、本題を告げた。うちらの間には世間話なんてものは必要ないのである。

「実はな、仕事でアローラに行くことになったんや。せやから、その間うち泊まらせてな」
『ええ〜っ!?チリちゃん、アローラに来んの!?やった〜!やったやった!良いこともあるもんやね〜!!』
「声デッカ」

たぶん向こうの廊下の端から端まで響き渡ってそうなくらい、大きな声だった。ちなみに、こっちの廊下も端から端まで届いてた。周囲の職員が何事かと振り向いたのを、なんでもないです〜という顔で空中に手刀をいれて誤魔化すチリちゃん。
でも喜んでくれてるからなんでもいい。こちらとしても嬉しくなって笑みが零れた。

『最近悪いことばっかだったからさぁ、いい加減チリちゃんに慰めてほしいなぁって思ってたんよね。なあに?チリちゃんってばエスパータイプ?』
「なに?悪いことって。チリちゃんに話してみ」
『別にたいしたことやないけどさ』




『今ね、彼氏とケンカ中で〜』
「………………はぁ?」
『あ』

自分でも驚くほど低い声が出た。彼氏?今、彼氏っつった?初耳やねんけど。
は?なんやねん、その『あ』は。そのしくった、みたいな顔。『やっばーい』ってなんやねん。

『これは、ひみつなんやった』


「な、なんや……!?自分、いつの間に男つくったん!?……誰や!?うちのなまえたぶらしたんは!?チリちゃんに教えてぇな……!」
『職場の人。なんかね、チリちゃんに雰囲気似てるんだ〜』
「は?」
『あ、まあチリちゃんとは違って普段はあんまり笑う子じゃないけど……目がキリッとしてて〜細くてスラッとしてて〜髪結んでるところとか〜若いのにお仕事できるし〜ていうか上司だしね!あと、ポケモンのことすんごい大切にしてるし〜』

『私のこと、大切にしてくれてる』

そんなん、チリちゃんのほうが、チリちゃんのほうが、大切にしとるし!!!!!


なにより“自分に似ている”という発言が衝撃的すぎて、あまり頭に入ってこなかった。……いや、本当は全部ちゃんと聞いてた。だってチリちゃん、この子の言うことは全部聞いたりたいから。

「チリちゃんに、会わせて」
『え?』
「その男、会わせて。チリちゃんが許したやつやないと交際なんて認めんわ」
『ガチトーンやば……』
「チリちゃんは」


「あんたのこと、大切やねん……あんたのこと、一番好きなんやもん……もし悪い男やったらチリちゃん容赦なくいてこましたる、覚悟せえよ」
『チリちゃんってば、心配性なんやから』


『チリちゃん、大好き!おやすみのちゅ〜して』

こいつ……その男にもこうやって甘えてんやないやろな……。



電話を切った後、さすがに力が抜けてその場に座り込んだ。涙が出るほどショックを受けて軽く目元を手で押さえたが、実際は涙も引っ込むほどの怒りにも似た感情が心の中を渦巻いていた。

「チリさん?……チリさん?どうされました?廊下の中央に座り込んで……まさかお体の具合が……!?」
「あ〜〜〜……トップ。そういうんやないですから。ただ、あなたの部下のチリは今取り組み中なんで、見んかったことにしてください」
「もしかして、アローラへ行くのがそんなに嫌でした?よければ、今からでも他の人へ依頼しましょうか……」
「あ〜〜〜!!!いやいやいや、アローラは行きます!行きますから!むしろ行かせてください!」






「なんかチリちゃん距離ちかい!いやや〜!いやや、いやや、はなして〜〜〜!チリちゃんのちかん〜〜〜!」
「ちょ、声大きいで……」


腕を、掴まれた。

「誰だ、おまえは」

「あ、代表」
「ここは一般の客人も立ち入る場所だ。騒ぎを起こすつもりなら、責任者として退去命令を出さざるを得ない。知り合いのようだが、馴れ合うのなら時と場所を考えろ。あと……」


「お前は、その手を離せ」

なまえの腰に添えた手をじっと睨みつける男。

ああ、こいつか。一目見て分かってしまった。


当然離さないでいたら、なまえにバシッと手を叩かれた。痛った〜……。渋々手を離して距離を取る。チリちゃん大人やから……。

「お騒がせして申し訳ありません、代表。古い友人やからついついはしゃいじゃって。紹介します、この人はパルデア地方のポケモンリーグで四天王をやってる……」
「チリです。どうもおおきに」
「ああ……この前言っていた」


「エーテル財団代表代理のグラジオだ。施設」




「私、このまま休憩に入りますね!じゃ、チリちゃん行こ〜」


「待て」

「」




耐えきれず、口を塞いだ。


「なに、してるのかな?」

口角をあげて、見上げてくる。

「チリちゃん。今、なにを、したのかな?なまえに教えてくれる?」





「……好きや。うち、好きなんや。あんたのこと……親友としても、幼馴染としても、……恋愛の方でも」


「ずぅっと前から……それこそ、物心着く前から……チリちゃん、あんたのこと、好きやったんよ」

「知ってた」

「私、チリちゃんのことなんでも知ってるもん」

「こんな中途半端な体たらくでだらしない私と一緒にいたら、ダメになっちゃうと思って」

「パルデアに残るっていうから、じゃあ私は別のところに行こって、……もともとエーテル財団に入りたかったしね。良い機会やと思った……けど、チリちゃん、もっとダメになっちゃったね」



「私、付き合ってる人がいるんだ」
「……」
「チリちゃんのこと、大事やけど……、んん」

続きを聞くには心がボロボロだったから、無視してまた口を塞いだ。食らいついた。

「……チリちゃん、悪い子やね。私に浮気させないで」
「知らん、知らんわ」




「あんたが!知らん間に、男捕まえたんが悪いんや……っ!」

「……うちが、あの時、無理やりにでも引き止めなかったんが悪いんや……」


「ひとりよがりのチリちゃん」




「可哀想。なぐさめてほしい?じゃあ、今度はさっきと逆のこと言ってあげる」


「彼のこと大事だけど、チリちゃんのほうが大切だよ、私。だから彼のこと捨てて、チリちゃんについて行こうかなぁ」

そんなものは中身の伴わない、ただの空虚な言葉の羅列だった。

「だから、チリちゃん……泣かないで」
「泣いて、へんわ……」




あえてどこにも触れないようにしていたのに、船に乗り込む直前に背後からなまえに抱きつかれた。振り向くこともできず、吐きそうになるくらい強く締めてくる腕にそっと手を置いた。

「チリちゃん、元気でね」
「……あんたがおらんと元気出んわ」
「大丈夫!近いうちに会いに行くから」
「あっそう……」






「チリちゃ〜!会いに来たよ!」
「…………はぁ?」



「パルデア、寒いねぇ。上着持ってくればよかった」




「エーテル財団ね、数年前から他の地方での活動にも積極的に力を入れてて……もう何個か拠点も出来るんだよ」
「拠点……」
「で、今度はパルデアの番ってわけ」


「支部を置くにも、この地方の偉い人たちに話をつけなあかんでしょ?今日はポケモンリーグの委員長にアポ取ってるはずなんだけど……不在かな?チリちゃん、知らな〜い?」


「なんでなまえがそんな、重大な役回りさせられてんねん」
「代表に言われて。知らんかった?私って結構偉い立場なんだよ」
「……」

こんな地に一人で寄越して、チリちゃんのことは警戒するにも及ばないって?

「リーグ関係者に身内がいるなら事が進みやすいだろう、って。代表、合理的なところあるからね」


「トップなら喜んで協力してくれると思うで」
「そう?それはよかった。……ねえ、チリちゃんも同席してくれんの?」
「いや、チリちゃんふつうに仕事やし……」
「いけず」
仕事投げ出しちゃおっかな。



「もしパルデアにエーテル財団の支部が出来たら、私そこで働くことになるから。チリちゃん、お家の整理しといてね」
「はぁ?何言ってん――」
「あのね。グラジオくんに……」


「……グラジオくんに、別れたいか?って聞かれたんよね」

「俺はどちらでも構わないって……言われたんよね」


「グラジオくん、私のこと大切にしてくれてるけど、やっぱりお仕事の方が大切みたい。そりゃそうだよ……家族みんなバラバラで……財団のことひとりで背負い切りで……大変やないわけないもん」

「最初は私が支えてあげなきゃ!って気持ちで付き合ってたけど、あの子、そんなことしなくても元々立派に自立したしっかりした子やった。それなのに、実際手のかかる私のことも大切に扱ってくれて……ほんま、器用な子」


「たぶん、もう別れることになる。……返事はまだしてない」




「えへへっ、変な顔。しめしめって思った?」
「……うん」
「素直なチリちゃん、かわいい!」


「ねえ、私にどうしてほしい?今までチリちゃんの気持ちを蔑ろにしたお詫びに……言うこと、絶対に聞いてあげる」


「どうしてほしい?」
「別れて」
「……別れてほしい?」
「別れて。今すぐ。電話して」


「わかった」



「ねぇチリちゃん聞いてよ!『そろそろだと思った』やって。グラジオくん、えぐない?も〜最初からこのつもりで私のこと派遣したんだよ、絶対そう」




「ど、どこ連れてくの?」
「……」



人があまり来ないトイレの個室に押し入って、後ろ手に鍵をしめてそのまま唇を奪った。
長いキスをした。


「ち、チリちゃ、情熱的……」
「もう離さんわ……絶対に。もうどこにも帰さん。ええな?これからはずっと、チリちゃんと一緒やで」
「……いいよ。チリちゃんと一緒、嬉しいな」




「あいつのことなんか、はよ忘れて」
「忘れないよ?私。あの子のこと、今も好きだもん。チリちゃんのほう優先したけど」
「……」
「冗談!」

顔色を伺ってから冗談って言うんやないわ。


「でも、チリちゃんがこれから忘れられない夜にしてくれるんでしょ?」



「そしたらきっと、チリちゃんのことしか考えられなくなっちゃうよ、私」



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