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※過去捏造


どういうわけかあの絵が好きで、いつも目を奪われる。あの人の描く絵はなんとなく異質で、他の誰とも違う独特な空気を纏っているような感じがして、廊下や美術室に飾られているのを見かける度に立ち止まって見入ってしまう。それと同時に、魅入ってしまうのだ。
私には上手い下手を判断する目なんて無いからその辺の評価などはよく分からないけれど、私はただ、それの前を通るごとに目を奪われ、ついつい足を止めさせられるような、顔も素性も知らないはるかちゃんの絵が、とにかく好きなだけ。



「手が分かんない、手が」

中学二年の冬。気が早い人ならもう高校受験について考え始める時期。面倒くさがりの私とっては次に通う学校のことなどまだまだ他人事で、授業は話半分にノートの片隅に落書き三昧の毎日。
小さな頃から描いていたわけじゃないから、出来上がっていく絵は拙いものばかりだ。まあ適当にペンを滑らせているから当たり前だけど……それにしても、人間という生き物は手が難しすぎるのだ、手が。頭の中の手と紙の上の手の差が激しくてやってられない。

私が考えたいのは服のことだけなのに。

どうして人間の指は五本もあるのだろうか。デザイン画において服を着せる素体は確かに大事だけれども、どうして服以外のことでこんなに悩まないといけないのか。とはいえモデルを上手く描けないとどんなに良い服を着せてみても微妙に見えてしまうし。どうせなら可愛い子を描けるようになりたいし。
指の複雑な構造が無理なら全部指をまとめて楕円形に端折ってしまえばいい?でも私、きちんと細部までしっかり描きたいタイプでして……それはもう髪の毛の一本まで。

結局授業終了まで思うような手が書けず、何十分かの画力との格闘はあえなく惨敗に終わった。やっぱり私、絵を上手く描けるようになりたい。だから隣の席のクラスメイトに「絵ってどうやったら上手くなると思う?」とためしに尋ねてみたら、

「うーん、美術部に入れば?」

と言われた。なるほど、たしかに自分一人で悩むよりかは誰かに教えてもらった方が手っ取り早いかも。絵の上達には練習あるのみとはいえ、環境も大事ですから。たぶん。
今所属している家庭科部も活動日数はたかが知れている。兼部するには支障ないし、兼部って言葉の響きがちょっとかっこいいし……こんな軽いノリで決めて良いのか分からないけどまあ思い立ったが吉日とか言うし、さっそく私は美術部の見学をしてみることに決めた。


入りたい高校はまだ決まっていないけれど、私が将来やりたいことは舞台で活躍するキャストさんの衣裳を作ること。演劇もそうだし、アイドルのライブもそうだし、ていうか舞台というのは劇場だけのことを言っているのではなくて、例えばテーマパークでパレードをする人たちの衣裳なんかも含まれる。
観客に笑顔を届け、舞台上で明るい光に照らされるステージ衣裳はとにかく華々しくて乙女心が揺さぶられるのだ。だから私はそれの作り手になりたい。そのために、デザイン画をまず描けるようにならないと。

放課後、職員室に美術の先生がいなかったので仕方なくアポ無しで美術室に直行することにした。今日が活動する日なら誰か教室の中にいるはずだ。それでもし誰もいなければまた日を改めればいい。二年の冬に部活動の見学なんて、季節外れの新入生にでもなったような気分だ。美術室の場所は完全に把握してるから変な感じだけど。
突き当たりの廊下を曲がり、目的地に到着。電気はついていないようだ。扉の窓からおそるおそる中を覗き見ると、まあ予想通り誰一人いなかった。
今日は美術部の活動はないらしい。それなら美術部でもなんでもない私は何事もなかったように帰るしかない。が、ここにくると何事もないなんて有り得ないんだよな。

「……あった」

だって、美術室前の廊下の壁にはいつもはるかちゃんの絵が飾られているんだから。はるかちゃんの絵、というか美術部員の絵が。
……そっか、そういえばはるかちゃんって美術部なんだ。前々から分かっていたはずなのに、今気づいた私。顔も素性も知らない、だけど名前と絵だけは知っている。綺麗な字で書かれた『橋田悠』という名前が、もはや私にとってはブランドのような存在で、きっと私は名札が無くても作者が分かってしまうんだろうな……と思う。別に誰かにこの気持ちを共有したいとか、そういう思いはあんまり無い。ただひたすら私だけがはるかちゃんの世界観に溺れていく、そんな感覚が楽しいのだ。

同じ学年だけどクラスは同じになったことがない。廊下ですれ違ったことはあるかもしれないが、今まで一度も話をしたことがない。
けれど、私は一年生の時からこの子の名前を知っていた。……せっかくなら本人に感想を伝えてみたいものだ。

季節外れの桜の絵。素敵。


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