03


「なあなあ、なまえちゃんってどこの高校行くかもう決めた?」
「あ、はるかちゃんだ。おはよ」
「おはようさん。もう昼やけど」

中学三年の夏休み。私が美術部に入部してからはや数ヶ月、さすがに三年の夏ともなると時期が時期なので毎日のように進路の話が飛び交っている。今は夏休みだから部活の人にしか会うことはないけどね。
結局最後の年にも彼と同じクラスになることはなかった。でもこれまでとは違って合同授業の時に一緒になることも多いし、美術部がある時は放課後にも会えるし、そうじゃなくても彼はよく私のクラスに遊びにくるからすっかり仲良くなってしまった。お互いを恥ずかしげもなく名前で呼び合えるくらいには。

「そういうはるかちゃんは?」
「僕はもう、第三志望まで」
「早いね。さすがマジメなはるかちゃん」
「どういたしまして」

美術室に入ってくるなり、あっついなぁ〜と気の抜けた声を出しながら扇風機の前で半袖のワイシャツの胸元をぱたぱたと扇ぐ彼。彼もまた受験生なのでお勉強が忙しいはずなのに、平日はほとんど美術室を訪れているようだ。そういう私も暇な日は毎日ここに来ていることは置いておき。

「クーラーさっきつけたばかりだもん」
「なまえちゃんも今来たとこなんや。それ高校のパンフレット?」
「そーだよ。私も何個か候補あるけど、まだ第一志望も決めきれてなくて……ねえどうすればいい?」
「僕に聞かれてもなあ。なまえちゃんは、服作れるとこにするんやろ?」
「うん」

彼は絵を描く人なので、将来はきっと美術系の大学に進むんだろうな。そういうところに有利な高校を私は知らないけれど、公立でも美術科があるところも中には存在するみたいだし、進路はきっと別々だ。

「あ。今なまえちゃんが持ってるそれ」

ふと、画材やらの荷物を置いて身軽になったはるかちゃんが、私のいるテーブルにすたすたと近寄ってきた。いくら暑いからって、私しかいないからって、悪びれもなく第二ボタンまで開けている。はるかちゃんってなんかそういうところあるよね。
彼が指をさしたのは、私が絵も描かずになんとなく眺めていたとある高校のパンフレット。はるかちゃんは私の隣に座るなり覗き込むようにずいっと顔を近づけてきた。はるかちゃんってなんか距離感おかしいよね。

「僕、今度夏休み明けにあるオープンスクール行くつもりなんやけど」
「ここの?そーなんだ。私も行ってみようかな〜って。ここ服飾コースあるし……あ、美術コースもあるんだ。へえ〜」

誰かと約束してる?と聞かれ、ぶんぶんと首を横にふると、彼は途端に嬉しそうな顔をしてパンフレットを持つ私の手に上からさりげなく手を重ねた。……はるかちゃんって、はるかちゃんって。

「なまえちゃん、一緒に行こ」



まさかそれで、また一緒に彼とここに来ることになるとは。

「夏ぶりやなあ」

はるかちゃんはなんだかいつもにこにこしているイメージがあるし、そういう今日も相変わらずにこにこしているけれど、さすがに今日そんな表情でここに立っていられるのは尊敬するというかなんというか。

「まあ気張らずにいつも通り行こうや」
「うん」
「僕は実技も今日やから、なまえちゃんは学科終わったら先帰っててもええで」
「うん、でも服飾コースも学科終わっちゃったらあと面接だけだし、待ってようかな。……はるかちゃんとごはん食べに行きたいし」

今日はそのためにちょっとだけお小遣い持ってきたし。ここの最寄りの駅は受験生でいっぱいだろうから、私たちの地元の最寄り駅で、何かしら食べれたらいいなーって。ただ明日の面接まで家で一人でいるより、誰かと一緒にいた方が気が楽だと思っただけなんだけど。
『学科試験会場』と書かれた看板を目指し二人並んで歩く私たち。オープンスクールでここに来た時とは違い、寒いし緊張するし早く帰りたいしもう嫌になっちゃう。

「せやね。今日、全部終わったら僕のかわいい彼女が待っててくれとるって思うたら、僕めっちゃがんばれるわ」
「……う、うん」

そんなことを恥ずかしげもなく。いつもならこんなの聞いてられなくてはるかちゃんのこと殴っちゃうのに、今日ばかりは緊張が勝って曖昧な返事をしてしまった。
それが彼にもしっかり伝わっていたようだ。二月の寒気で冷えた私の両手をぱしりと掴むと、ぎゅうぎゅう握って「はあ〜」と温かい吐息をかけてきた。……はるかちゃんってさあ。

「震え止まった?」
「……ありがと」
「がんばろうな」
「……がんばる」

はるかちゃんはなんというか……人の懐に入り込むのが得意というか。かと言って興味のない人にはばっさり壁を作るところもあったりする。私はどうやら彼の壁の中に入り込めているようだ。それも結構な内側に。だって、なんか知らないけど中三の文化祭が終わった辺りからいつの間にか、か、彼氏彼女……になってた。(なんで?)
でもこういう人ほどある時簡単に縁を切られてしまいそうで、少し怖い。いやまはるかちゃんのことを悪く言ってるんじゃないけど。こんなところで受験に失敗してお別れなんてやだな。私は“はるかちゃん”の絵も好きだけど、“橋田悠”という男の子のこともちゃんと好きなのだ。

「なまえちゃん」

だめだめ、これから試験だっていうのになんてナイーブなことを考えているの。彼と同じ高校に行くためには、今がんばらないと。

「僕、試験中ずっとなまえちゃんのこと考えてるかもしれん」

だーもう、はるかちゃんってば直前になってまでそんなこと。試験中は試験のことを考えなきゃ。でも、たぶん私も人のこと言えないかも。
……余計な心配だったけれどね。


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