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「おはよう、赤琉。デートをしましょうか」
……昨日はあの映画のせいで夜眠れなくて、白龍さんにずっとベッドのそばにいてもらったのに、朝もこうして彼の声に起こされるなんて、いったいいつ寝ているんだろう……。とっくにカーテンは全開に開かれて部屋中に日光が差し込む中、おぼつかない意識の私はまだ眠くてたまらなくて、布団の中に隠れようとしたのを当たり前のように阻止されました。白龍さんが掛け布団をひっぺがしたのです。
「やぁ、……まだ寝るの……ぐぅ」
なんという仕打ちでしょう。太陽の苦手な吸血鬼のようにベッドの上でもがく私。
「赤琉、さあ起きて。どの爪から剥がしましょうか。足?分かりました、歯を食いしばってくださいね」
「だ、だめですっ!」
飛び起きました。白龍さんは出会った頃よりも随分と優しく私を甘やかすようになった気がするけれど、本性は変わってないし、本当の怖さは脅しが脅しじゃないところ。

そう、彼はなんだか優しくなりました。出会った頃は毛ほども笑顔を見せなかったのに、最近は些細なことで笑ったり、楽しそうにしたり。たまーに不機嫌になったりすることもあるけれど、私には当たることがありません(ほぼ)。ここに来てはや二ヶ月、私の方こそ無意識のうちに遠慮がなくなっていき、時に白龍さんのお怒りを買ってしまうんじゃないかと思い出しては日々の言動を振り返る毎日。なぜならこの人は殺し屋さんなのです。私のことなんていつでもどうにでもできるし、本人もそのことをアドバンテージにとってしょっちゅう脅しをかけてきます。それも笑顔で。
「赤琉、どこか行きたいところあります?」
白龍さんは目を擦る私の手を奪い取って、ベッドの端に腰かけました。今日は日曜日なのに、まだ朝早いのに、彼はもう既に準備万端みたいな格好をしています。いつもの仕事着じゃなくて、もっとラフな、まさにお出かけ用と言わんばかりの服に、髪飾りの色に合わせたアクセサリーもいくつか身につけていて、……そうだ、これはたぶん白瑛さんのところにお邪魔した時と同じような格好。
起きたばかりだから当然だけど、私なんてまだ髪もボザボサなのに。寝ぼけた顔を隠したくてパジャマの襟元をぐぐぐと上にあげる私。目元だけを出して白龍さんを見上げると、可愛がるように頭を撫でてくれました。
「朝食ももう出来ていますよ。せっかくこの天気なんだし……少し遠出でもしますか。好きな場所、考えておいてください」
白龍さんがずっと優しくしてくれるから、もう私の中には警戒心などこれっぽっちもなくなってしまいました。でも、それでいいのです。白龍さんは私を仮初の結婚相手にしてマフィアに引き入れる代わりに、貧乏生活から救い出し、ついでに殺人の罪を無かったことにしてくれたのです。たとえそれが単なる気まぐれ故の行動だったとしても、関係ありません。私には彼の言うことを聞く義務があるのです。それに、ある日突然彼の気が変わって私が邪魔になったとしても、私には文句を言う権利はありません。甘んじてそれを受け入れます。(……まあ万が一嫌になれば殺してしまえばいいんだし。)
最近は、自分が白龍さんに返せるものって何があるだろうと考えるようになりました。結局アルバイトはだめなことになったし、私は他にも何も持っていないから、そんなものは思い当たらないけど……このままお世話になっているだけなのは、申し訳ないという気持ちが私にもないわけではないのです。

「普通の人は、休日にはどんな場所に遊びに行くものなんですか?……私は学校以外はずっと家にいたので、一つも思いつきません」
デート、というのはこの人が適当にそう呼んでいるだけとして、休日に遊ぶ場所なんて私に尋ねられても困ってしまいます。それこそ白龍さんの方がよく知っているでしょうに。彼は私のことはお嫁さんということにしているけど、他にも女の子とか普通にいそうだし。デートとかにも慣れているような感じがしたので、彼の作った極上スープに今日もむせ返りそうになりながら、俯きがちに尋ねました。そもそも白龍さんはきちんと学校に行っていたのかどうかも私には分かりません。二十歳ってことは私より四つ歳上らしいのに、今こそ大学には通っていないようだし……。
「さあ?俺も普通の家で育った覚えはないのでね……俺の話をするならば、幼い頃はよく海水浴場や遊園地なんかに連れて行かれましたが」
「なんか、思ったより普通ですね」
「あとは賭場とか、闇市とかですか?」
「……」
「兄や姉に連れ回されましたね、そういうところはあらかた」
「……お母さまや、お父さまは?」
不穏な言葉には触れないでおく。
「全員が出払って店を空けるわけにはいきませんから。そういえば……あの人たちとはあまり遊んだ記憶がありませんね」
あ、やらかしたかな。話題を逸らそうとして余計なことを言ってしまいました。白龍さんはお母さんの話になると不機嫌になるって、先日学んだところだったのに。青舜さん曰く遅めの反抗期とか……私にはもう反抗できる親がいないので、少し羨ましかったりします。自分で殺しておいて何を言っているのって?私もそう思います。でも殺しちゃった。
「私も両親と遊んだ記憶はあまり……」
「まあ、俺と一番上の兄とは歳が十六も離れているので、俺にとっては兄上たちが親代わりだったっていうのもありますが」
「……私には兄弟もいません」
つい、スプーンをカツーンと食器にぶつけてしまいました。わざとではなかったけれど、結構大きな音が出てしまったのですぐに「ご、ごめんなさい」と謝ります。嫌味を言う人みたいに思われてしまったかも。でも彼は特に気にしていない様子で首を傾げました。
「あなたには俺がいるじゃあないですか」
そんな、本気で言っているのか、冗談で言っているのか判断しがたい顔をして……。私は人の顔色を読むのが得意ではないので、彼が本当に本気で言っているのか、冗談で言っているのかはよく分からなかったけれど、少なくとも私を慰めようとしての発言だということはなんとなく分かります。
へへへ、と面白おかしく笑ったら、今度は分かりやすく変なものを見るかのような目をされました。でも私、嬉しかったです。そう言ってもらえて。
「それより、その、なんだか意外です」
「何がです?」
「私はあんまり詳しくないですけど、どこも人混みだらけのイメージが……マフィアだから、もっと人の少ないところで遊ぶのかと思ってました」
「貸し切りですよ。そりゃ」
「……」
お金持ち怖い。

結局私からは行きたい場所の候補がひとつも出てこなかったので、白龍さんがいい感じのところに連れて行ってくれることになりました。私は彼と一緒ならどこでも楽しめるので無問題です。
せっかく白龍さんがこんなにおめかししているのだから、私もいつもより少し気合いをいれてお洋服選びにお化粧をしていたら、思っていたよりもかなり時間が経ってしまいました。前まではこんなにかからなかったのに……それでも彼は怒ることなく、それどころかどストレートに褒めてくれるから、こういう人がもてるんだなあと思いました。
「それで、今日はどこに行くんですか?」
「ちょっとガーデニングをね。あ、靴は歩きやすいものを選んでくださいね」
ガーデニング?とても白龍さんの口から出てくるような言葉とは思えず、行き先を色々予想しながら、白龍さんの言う通りスニーカーを選びました。ただのスニーカーではありません。今日のコーディネートの綺麗めなワンピースドレスにもよく合う、使い勝手のいいハイカットの可愛いやつです。なんでも世界のアスリート御用達のブランドものらしく、長時間履いていても疲れないので気に入っています。
その靴でぺたぺた足踏みしながらいつも通り右側の助手席のシートベルトを締め、わくわく胸が高鳴るなか到着を待ちましたが、昨日はよく夜寝付けなかったのもあり、途中睡魔が襲っていつの間にか「ぐぅ」と寝息を立ててしまいました。前から思っていたけど、白龍さんの運転はとても静かなのです。ねむねむ。

「あらぁ。白龍ちゃん、もういらしたのね。お約束通り今日はあなたたちの貸し切りよぉ」
白龍さんに手を引かれ車から降りた場所は、公園……?のような、緑いっぱいの広場のようなところで、石畳を少し歩いた先にある小さな可愛らしいコテージの中で、とびきり綺麗なお嬢さまがお出迎えしてくれました。おそばにタキシードを着た執事さんを従えた彼女が、とても高価そうなお花柄のティーカップで優雅に紅茶を嗜む様子に、はっと息を飲むような並々ならぬオーラを感じました。それもそのはず……。
「ええ、義姉上。お邪魔致します」
「では、そちらのお方が例のフィアンセ?白雄お義兄様から伺ったのよ。お初にお目にかかるわね、紅玉よぉ。よろしくね」
白龍さんは今、彼女のことを“あねうえ”と呼びました。つまり練家の方なのです……白龍さんに雰囲気の近かった白瑛さんとはまた違い、なんというか、威圧感も含まれた高貴な雰囲気を周囲に纏っていて、どう考えても私なんか到底足元にも及びません。初対面ということもあり完全に萎縮した私に対して、それでも彼女は気にせずそっと手を握り、華々しい笑顔で話しかけてくれました。あれ。見た目より全然人懐っこい人なのかも……今回は、白龍さんのフォローなしでもご挨拶できそうです。
「は、初めまして……紅玉、さん?」
「赤琉ちゃん、よね。何よぉ、話で聞いていたよりもずっと可愛い子じゃない!ちょっと白龍ちゃん、どこで見つけてきたのよ!」
「秘密です。ああ、あまりべたべたしないで」
か、可愛い人に可愛いだなんて言われてしまいました。そのことに照れる間もなく、白龍さんが私の前に乗り出して守るような姿勢を取るから、紅玉さんはより一層興味を持ったらしく私のことをじぃっと上から下まで観察し始めました。白龍さん以外で練家の人に会うのはこれで二人目だけど、やっぱり皆に観察されるのがお決まりなのでしょうか。
「わたくし、ずっと妹が欲しいと思っていたのよ。自分が末っ子だからかしら?そういうわけで命令よぉ、あなた、わたくしのことは“紅玉お姉さん”とお呼びなさい!」
自分の胸に手のひらを当てながら、自信満々にそんなことを言う彼女。近くで見ると本当に可愛い……さすが白龍さんと血が繋がっているだけあります。私もお化粧の方はかなり上達した方だと思うけど、彼女は……紅玉おね、お姉さんは、お化粧ののり具合が半端じゃなくて思わず見惚れてしまいそうです。
「でも、お待ちになって?それだとあのガキンチョと同じ呼び方になってしまうわぁ」
「?」……がきんちょ?
「そうねぇ、わたくしのことはやっぱり“紅玉お姉さま”とお呼びなさい!」
「……紅玉、お姉さま……?」
「はぁい、お姉さまよ」
さっそく口に出してみると、嬉しそうに自分の手を握って首を傾げています。白龍さんに見守られる中、初対面でいきなりこんなことを言うのは少し気が引けてしまうけれど、勇気を持って尋ねてみました。
「その、ラメ……とっても可愛いです。どこで買えるんですか……?」
「あら?うふふ。ありがとう」
白瑛さんももちろん綺麗な人でお化粧には非の打ち所もなかったけれど、白瑛さんよりも歳が近い分、どうしても彼女のメイク使いに興味が湧いてしまうのです。
「あなたとは話が合いそうだけれど、白龍ちゃんがそろそろって顔してるわぁ。今日はデートにいらしたんでしょう?」
「で、デートというか、……」
デートというかお出かけというか……。もごもごしていたら、隣から「その通りです」と断言する声が聞こえてきました。
「ほ〜ら。まずはこのわたくしが管理している庭園をご覧になって?その後、お茶でもしながらお話しましょう」
紅玉おね、お姉さまは……入口で入った扉とは違う出入口から一度外に出ると、吹き抜けのようになっている横幅の広い通路まで私たちを案内し、手を振って見送ってくださいました。どうやらこのコテージが森に囲まれた庭園と外を仕切る門のような役割を果たしていて、本来はこの先で入園チケットのやりとりなんかがあったりするみたいです。でも今日は顔パス……なのかな?
「白龍様。本日は、ガイドはご入用でありますか?必要とあらばわたくしがご案内せよと、お嬢様から仰せつかっております」
白龍さんに手を取られたところで、そんな声に振り返りました。中指で眼鏡をくいっとあげながらこちらをじっと見つめる彼は、確かさっき紅玉お姉さまの背後に姿勢正しく控えていた執事さん。ピンと伸ばした背中を一切崩さず小さく礼をしています。
「いえ。今回も必要ありません」
「左様でありますか。では、こちらを」
白龍さんは前にも来たことがあるのかな。その執事さんは次に、手に持っていた可愛らしい傘を両手で差し出しました。雨用ではなく、日傘のように見えます。
「これは?」
「本日はすっかり初秋の涼しさが舞い込んで参りましたが、太陽は未だしつこく顔を出しております故……なんと恐れ多くも紅玉お嬢様が!お二方のためにご用意くださったお日傘であります。有難く使うであります」
「ああ、そういうことでしたか。ありがとうございます。紅玉殿にもそうお伝えください」
「白龍様。よろしいですか?これはお嬢様が大切になさっている宝物のようなお日傘であります。それをお貸し出しなさるとは、本来あってはならぬ由々しき事態!泥の一つでも付けようものなら、このわたくしが直々に制裁を加えることもやぶさかではない。くれぐれも丁重に扱うであります」
な、なんか……白龍さんに向かって遠慮のない人です。こんな人は初めて見ました。白龍さんはいつも通りだけど。
「分かっていますよ。ご安心なさい。紅玉殿も俺らのことを信用してのことでしょう。案内もここまでで結構です。夏黄文、お前は早く彼女のそばに戻ってはいかがです」
「では、そうさせていただくであります」
彼はまた小さく一礼してから、颯爽と中へ戻っていきました。身振り手振りはとても礼儀正しいのに、強気な言葉を投げかける人だ。青舜さんとは違うタイプのお使いの人。


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