その庭園の本領はコテージの奥側に広がるエリアにこそ発揮されていました。転々と配置された林や、ゆるやかに連なる丘の視覚効果によって、空の向こうまで隙間なく花々が敷き詰められているように感じます。この美しいお花畑がどこまで続いているのか気になり、思わず走り出したくなるほどでした。走り出しはしなかったけども。
「庭園含め、ここら一帯は彼女の所有地なんですよ。金を巻き上げるために一般にも解放していて、この時期は特に人が多いみたいですね。稼ぎ時らしいです」
「……」ほう。
「そんな時に丸一日俺らのために開けてくださるとは、お心の広い。大丈夫、配備されている警備も皆組織の者ですから。さあ、ご案内しますよ」
例に漏れず貸し切りにする練家、すごい。身内だから勝手がきくのかもしれないけど。それに彼女も白瑛さんと同じく一定の土地を持っていることに、驚くべきなのかやっぱりと納得するべきなのか……。練家って皆こうなの?
それより、白龍さんが“あねうえ”と言うからてっきり勘違いしていたけれど、白瑛さんとは違い紅玉おねえさまは従姉妹らしいです。実の兄弟じゃなくても義姉上と呼ぶ彼ら、とても仲良しさんです。
「綺麗な場所ですね」
「ええ、そうでしょうね。特にこの辺りは俺が育てましたから」
「えっ」
「紅玉殿のご好意で一部の土地を譲り受けてもらいました。まあ、彼女とその使用人の日々の世話があってこそなんですが」
少し小道を進んだところで、白龍さんは自慢げに言うでもなくさらっとそんなことを言いました。そっか、今朝ガーデニングと言っていたのはそういうこと。マンションの部屋にも可愛いお花やお洒落な観葉植物がわんさか植えられているから、白龍さんは植物が好きなのかもしれません。たまにお花を持ち帰っていたのも、実はもらったものではなく自分で育てたやつだったのか……ここにきて新たな気づきです。
「少し前までは自分で野菜を育ててみたりしたんですが、仕事柄どうしても来れない期間が続くこともあるのでダメですね。こういうものは素直にプロに任せた方がいいんでしょう」
「お野菜、ダメだったんですか?」
「紅玉殿は美味しいなどと褒めてくださいましたが、俺の満足のいく出来には……」
それはたぶん、白龍さんが謙遜しているだけで本当に美味しかったのでは?練家でも一番の料理を作る白龍さんだから、ボーダーラインがとても高い位置にあるだけだと思うのです。食材にもこだわっているからこその料理の腕だし、練家で一番と言われる由縁はここにあるのかもしれません。
「そういえば、夏黄文?さんは……白龍さんにも強気な感じで、すごい人でしたね」
「赤琉。デート中に他の男の名前を出すのはご法度ですよ」
「……」
で、デート。
「冗談です。いえ冗談などではありませんが、あなたの方から話を振ってくれたことには感謝しなくてはね」
白龍さんに手を引かれ、さらに奥に進んでいきます。いいえ、別に私はコミュニケーションが苦手なだけで、本来お喋りなタイプなのです。母とはいくらたどたどしくても気負わずお話できたけれど、人の話を聞かない父とはほとんど言葉を交わさなかったから、この一年間で喋らないことに慣れてしまったのでしょう。でも、白龍さんとお話し始めてからはだんだん話したいことを話せるようになりました。
「夏黄文は我々組織の一員とはいえ、あくまで紅玉殿ただ一人に使える執事兼、部下です。たとえ何を言われようが、どんな態度を取られようが、こちらから手出しはできません。青舜と同じですよ」
「そうなんですね。別に、そんなの関係ないのでは……?気に食わなければ、その、やっつけてもいいと思います」
マフィアとかいう悪の組織なんて、気に食わなければ手を出す集団だと思っていたのに。夏黄文さんは、いくら白龍さんが従兄弟だからって練家の人に対してかなり上から目線でお話していました。白龍さんは何も思わないの?
「はは、赤琉らしいですね。俺はあなたのそういうところが気に入っています。俺もおおむね同意しますが、組織の関係性はご存知の通り複雑なのでそういうわけにもいきません」
「具体的には……?」
「他の幹部の部下には、お互い手を出してはいけないという暗黙の了解があるんです。それだけの話ですよ」
他の幹部。というと、やっぱり白瑛さんや紅玉お姉さまも白龍さんと同じようにマフィアとして活動していて、尚且つ幹部である……ということなのでしょう。この敷地内にいる警備も組織の人だと聞いたけれど、全員紅玉お姉さまの部下ということになるのかな。『煌樂白苑』がどのくらいの規模の組織なのか、いまいち把握できません。
「でも、でも。変な態度を取られたら、つい手を出しちゃうことも、あるでしょ……?」
「いえ。基本そんな話は聞きませんね。格式高い『煌樂白苑』に属するくらいですから、部下のほうの素養がいいという前提もありますが」
「青舜さんも、とってもいい人でしたね」
「……兄弟、従兄弟、皆一応そういった線引きはあるようで。ジュダルは気に入った者にはだる絡みすることも多いですが、それくらいですね」
「……へえ」
マフィアだからもっと血気盛んなのかと思っていたけれど、案外ほんわか(?)した部分というか……良識を持った部分もあるみたい。しかし私の母親は、その……ジュダルという人の反感?を買って始末されたはずだったけれど、それはまた違う話になるんですか?
「あなたの母親の場合は、組織への離反的な発言、行動が原因になっているので、今回の例には含まれませんよ。守られるのは、あくまで組織や主に従順な者に対してだけ、ですから」
「なるほど……」
気になったところからすぐ解説を入れてくれる白龍さん、勘がいい。
「もし他所の部下への手出しが行き過ぎた場合は、その主から相応の罰が下されることになります。俺は母上はとにかく、兄弟や従兄弟とはまず争いたくはないので、余計な感情は持たないようにしています」
「でも、はっきり言いますけど、夏黄文さんに舐められてますよ、白龍さん。たぶん。……なんだかそう見えました」
「さっきから何かと思えば、もしかして俺を気遣ってくれているんですか?」
「や、これはっ、べつに……」
顎をすりすりと触られた。なんだか嬉しそう。
「あの人は紅玉殿以外には全員に対して“ああ”なので気にする方が無駄です。むしろ、俺は彼女にはよくしてもらっているので、マシな対応だと思いますよ。自分の主にのみ従順で健気なお人だと、常々感じているくらいで」
「へえ……」
「そういう意味では、あなたも兄弟たちからは狙われることはないので安心してください。姉上や紅玉殿はとても温厚ですが、中にはあなたの苦手そうなガツガツした輩もいるので、一応ね。夏黄文を見習って強気に出ても大丈夫ですよ」
「わ、私は強気になんて……」
「まあ、基本的にあまり他の人間には会わせたくないと思っていますが……来月の総会にはどうしても出席しないと俺の住所バレの危機があるので、その時に組織の者らと顔を合わせることになるでしょう」
白瑛さんとの会話でチラッと聞いたような。なんでも、練家は一年に一、二回ほど全員が実家に集まって色々なことをする家族集会的なものがあるらしいのです。当然、私も白龍さんのご両親にご挨拶するために参加することになります。そんなの、今から緊張してしまいます。まあ白龍さんと一緒なら大丈夫かな……大丈夫。
「白龍さんが主さまだと、安心です。でも私って白龍さんの部下らしい働き、全然できてませんよね。それって大丈、」
「はあ?」
急に大きな声を出すから体がビクついてしまいました。すぐにコホンと咳払いして「失礼」と目を閉じる白龍さん。彼って元々はヤンキーさんみたいな性格をしているのを、敬語使いや毅然としたオーラで包み隠しているのだと思っています。そう思うとなんだか可愛いです。
「赤琉、あなたは俺の部下などではありませんから、決して。そこのところ勘違いしてもらっては困ります」
「じゃあ私ってなんなんですか……?」
「何って、俺の伴侶となる身ですよ。本来そのつもりで拾って差し上げたんですから。記憶力のいいあなたが、まさかお忘れですか?」
「……」
お嫁さん。政略結婚……ではないけど、お母さまの通知攻撃から逃れるための策略結婚。
「俺の背後ではなく、隣に立つのだから、もっと図々しくしてください」
「……」ずうずうしく?
図々しくがどんなのか、よく分かりません。でも白龍さんの言うことなら頑張ります。
「ちなみに、一つ言っておきたいことが」
「は、はい。なんですか……?」
「俺はこの二ヶ月であなたのことが好きになりました。嘘偽りなく」
「……?」
よく聞き取れませんでした。変です、声は漏らさず聞こえていたのに、よく意味が分かりません。
白龍さんは私の手を引いて、庭園の中で一番花畑が綺麗に見える丘の上までゆっくりと歩いていきました。ちら、と横顔を盗み見るように斜め前を見上げて見ましたが、彼のチャームポイントとも言える耳の横で揺れる長いおくれ毛が邪魔で、彼が今どんな顔をしているのか分かりません。丘の頂上、まさに写真撮影スポットにも相応しい壮観な景色が目の前に広がるそんな場所で、並んでベンチに座り、白龍さんの次の言葉を待ちました。
「ええ、最初はただ本当に都合がいいからと、母上の厄介から逃れるために探していた手頃な娘としか見なしていませんでしたよ。多少殺しに関わっているのなら、十分興味を唆られましたから」
「……えっと」
「でも、いつからか、控えめに笑うあなたの笑顔に惹かれるようになりました。案外話も合うし、気楽に同じ空間にいられるし、思えば最初から……。これまでに何度か口にした褒め言葉の数々は、割と本心だったんですよ。綺麗というのもそうだし、他にも色々言いましたよね」
視線を下へ、反対へ逃がす私の頬を、そっと撫で、肩から徐々に下に滑らせ、ぎゅうと私の左手を握る彼の大きな手。普段から銃や包丁を握っているにしては、手入れが行き届いている綺麗な手。顔どころか彼の姿すら視界に入れることが出来なくて、すぐに視線をずらしては、じっと目の前のお花畑を見つめ困惑してしまいます。
「赤琉、あなたは綺麗です。たとえあなたが自分自身をどう見下していようとも、少なくとも俺の視界の中では、……誰よりも美しい女性です。何をするにも、何を考えるにも、まず第一にあなたのことを思い出してしまう。俺は既にもう、あなたのことを愛しているようです」
心臓が口から飛び出てきました。
「今は本心からあなたを妻に迎え入れたいと思っています。今日はそれを伝えるために、このような場所まで突然連れ出してしまい申し訳ありませんね」
彼の手の上に小さな箱が。
「手を」
「……」むり。
「ご安心ください。結婚指輪は、きちんとご希望のものをご用意するつもりですから」
湯沸かし器のように大量の湯気を出しながら何も言わない私に対して、白龍さんはそっと左手をとり、薬指にシンプルなデザインのそれをはめ込みました。まあ当然のようにサイズはぴったりです。測られた覚えなんてないのに、相変わらず用意周到というか。無抵抗にその様子を見守る私。
「赤琉。あなた、こんな時にまで俺に従順でいて……拒絶してもいいんですよ」
あんなとんでもないことを言って、現在進行形でとんでもないことをしているのに、白龍さんはとても余裕そうに笑っているようです。彼の顔は見えないけど、そんな気配を感じます。
……少し時間を置いたお陰で、ようやく事態を飲み込めそうになってきました。いやまだ全然落ち着いてはいられないのだけれど。これも何か私を騙すための方便なのでしょうか?この時の私は、そうは思いませんでした。
白龍さんは、最初の頃と比べて明らかに優しくなりました。私に対して明らかに態度が変わりました。私のことを大切に扱ってくれるようになりました。そのことに、私自身戸惑いもありましたが、それ以上に……どうしようもなく心が惹かれていくような感覚を確かに感じていました。分かりきっていたことです。知らぬふりをしていただけ。私も、いつからか白龍さんのことが……うん、そう、だったのかも。
図々しくしてもいいのでしょうか。彼の言うとおり、図々しく彼の隣にいても。家柄に囚われなくても、彼に対して引け目を感じなくても、いいのでしょうか。私のほうからも白龍さんの手を握ってもいいのでしょうか。許されるのでしょうか。それで、もし、どこかで彼の琴線に触れ、うっかり殺されてしまっても、……まあいいか。それでも、いいか。それはそれで、今の私なら幸せに思えるでしょう。彼に殺されてもいいだなんて今朝までは思っていなかったのに、たった今、そんなふうに思いました。この時の私は、きっと浮かれていたのです。白龍さんは言葉巧みだから、この瞬間に私がどうこう考える隙など与えてくれませんでした。
ゆっくりと目線をあげると、未だにこやかにしながら私を見下ろす彼と目が合いました。どうやらずっと私を見ていたようです。私の反応を楽しんでいたようです。私の答えなど丸わかりですとでも言うように、私の言葉を待っています。
「白龍さん、……」
それなら、少し奇想天外なことをしよう。そんな悪巧みが働いて、まずは白龍さんの手を握り返しました。私から彼に触れるのは、多分初対面の時以来のこと。
私は一旦彼の右手をその辺に避けると、両手でぺたぺたと彼の全身をまさぐり返します。別に変なことを企んでいるのではありません。探し物をしているのです。白龍さんは案外大人しくしながら私にまさぐり返されています。もしや私の考えなどお見通し?まったく、彼にはどんな場合でも適う気がしません。
ぺたぺた、服の上からは想像も出来ないほど鍛え抜かれた全身を触るうち、胸ポケットの中にようやく固いものを見つけたので、指を突っ込んで取り出してみました。予想通り、私の薬指にはめたものと同じ型の指輪。こうしてじっくり見るとやっぱり高価なものだと分かり、そんなものを直にポケットに入れる彼のことに少し凄みを感じてしまいますが、もう慣れたものなので気にしません。私はさっきとは反対の手を取るべく、彼の太ももの上に身を乗り出すようにして、左手を握りました。薬指に、指輪をはめました。
「粋なことをしますね」
「なんでバレバレなんですか。楽しくありません」
「あなたのことならなんでも知っているって、言いませんでしたか?」
「……ふーんだ」
「そういう顔も、好きです」
追い討ちをかけられた。
「正直、あなたのお気持ちなど俺にとっては関係ありませんが、」
「……それはどうかと思います」
「でも、あなた、俺のこと好きでしょ?」
白龍さんってとんでもない勘違い野郎なのかもしれません。私の薬指についた指輪を愛おしそうに撫でながら、それを口元まで持っていき、自信満々なことを言うその唇を柔く押し付けました。絵本の中のおうじさまみたい。彼の前世はおうじさまだったのかも、なんて。
「好きじゃありません」
「じゃあなんです?その顔は」
「好きじゃありません!」
白龍さんに向かってパンチをしたら、普通に受け止められました。こういうところで優れた反射神経を披露しなくていいです。ムキになって思うがままに……でもやっぱり恥ずかしいから小さな声で、だいすきなので、と呟いたら彼はほらやっぱりという顔をして、この期に及んで余裕しゃくしゃくで笑い出しました。笑い転げています。けたけた笑う白龍さんに殺意が湧きました。でも次の彼の言葉で一瞬でスンと落ち着きました。
「キスをしましょう」
「えっ、や、えっ、むりです」
「姉上の前で額にキスした時は動じなかったのに、変な人ですね」
「あ、あれはあの日いきなり婚約なんて言われて、それ以上の動揺があったからですっ!む、むりなものは、むりなんです……あ、待ってくだ、あ、」
「大人しくしないと、全身の血を抜きますよ」
逃がさないと言わんばかりに両肩をガッシリ掴まれた私はもうダメです。もったいぶるようにだんだん近づいてくる白龍さんに、ぎゅっと目を閉じて覚悟を決めました。怖すぎる。白龍さんは、モラハラ。