| メインストーリー第1話/石化前(中学時代) 私のファーストキスは、1つ下の幼馴染の男の子だった。 同じマンションに住む石神千空という少年は無類の科学オタクで、彼の好奇心と行動力には圧倒されるものがあった。二宮金次郎並に毎日分厚い本を食い入るように見ながら学校へと登校し、授業中も先生の話なんか聞かずに科学の本をひたすら見て1人でぶつぶつと楽しそうにしていたのを思い出す。皆は彼を”変人”と言うけれど、私から見た千空は”天才”だった。それもただの天才ではない、”努力の天才”だ。 「おじゃましまーす」 「おー」 私はよく彼の家に勝手に上がり込んでは、彼の部屋でよく寛いでいた。机に向かって今日も何かしらの実験をする彼の後ろ姿を見ながらベッドに座って、私も私で仕事の台本を読むのが日課になっている。小学生の頃に子役としてデビューしてからありがたいことに今では主役をもらうことも増えてきて、学生ながらに忙しい日々を送っていた。それでも千空は別に私を特別視しないし、どれだけ私がメディアに出ようとも彼の興味は全て科学だ。彼のそんなところが妙に心地よく感じて、私は忙しくても千空の部屋で過ごすことをやめなかった。今だって私が部屋に入ってきていることすら気づいていないのではないだろうか。 「ねぇ千空、相談があるんだけど聞いてくれる?」 「おー」 私は今日、彼に言わなければいけないことが2つある。手に持っていた台本をキュッと握りしめ、彼の背中に声をかけるも間延びした聞いているのかすらわからない返事が返ってくる。このままではなーなーに話を聞かれてしまいそうだと思った私は、少し思い切ることにした。スーッと息を吸う。 「私にキスしてくれない?」 「おー……………あ?」 どうやらある程度私が言っていることは聞いていたみたいだ。時間差でやっと気づいたという反応を見せて千空の手が止まったのがわかる。そして椅子をクルリと半回転させて千空の顔がこちらへと向いた。眉が寄っている。 「キス、して欲しいの」 「また道に落ちてるモンでも食ったのか?」 「またってなによ、落ちてるのなんて食べないよ」 確かに小学生の頃に道端に落ちていたお菓子を食べそうになったことはあるけど実際に食べてはいない。新品だったし公園のベンチに置かれてたから大丈夫かなって思っただけだし。そのことを千空は未だに突いてくるのでその度に私は不機嫌になるのだった。 「とにかく、今のは聞かなかったことに…」 「ちゃんと正気だしふざけてもいない、本気でお願いしてるの」 私と千空はただの幼馴染だ。私たちの間に愛だの恋だのといった浮いた話はない。そもそも千空という少年に恋愛という文字は、彼の言葉を借りるなら100億パーセント縁遠いものだった。恋愛感情なんてものは非合理的だ。それが彼の言い分だ。 「あのね、実は今度貰った映画の役にね……キスシーンがあるの」 「あ"ー…そういうことかよ、練習台になれってか?」 「ちがうよ、そうじゃなくて、このままだとファーストキスになっちゃうの」 「…………あ?」 まだ中学生な私だけれど、ついにこういった役が回ってきてしまった。元々売り出している路線がヒロインなどの王道タイプで、最近はそういった大役も増えてきた頃だった。けれど私はまだそれを経験していない。つまりこのまま本番を迎えてしまうと、私はそこでファーストキスを経験することとなってしまう。 「別に相手役の子が嫌ってわけじゃないの、むしろ今現役の人気イケメン俳優の子で感謝しなきゃいけないくらいなんだけど」 「おーおー惚気聞くつもりはねぇぞ」 「じゃなくて、その子とファーストキスになるんだったら、私は千空とがいいの」 そう言って千空の眼を見やれば、先ほどまで眉を寄せていた千空の瞳が大きく見開いたのが分かった。千空とはただの幼馴染だけれど、私は単純にファーストキスをするなら彼がいいと思った。例え今をときめく人気俳優だとしても、学校一のモテ男だとしても、肩書きだけしか知らないような人よりも気心知れた彼が私はいい。でもそれがどんな気持ちかまでは考えていなかった。 「でも無理にとは言わないよ?嫌だったら…」 「いや………分かった、いいぜ」 「ほんと?ありがとう!」 きっと千空ならOKしてくれるだろうなと思っていた。それは千空が私を好きだからとかではなく、きっと彼もそういったことの経験がないだろうから。好奇心旺盛な彼であれば、そういった未知の感触とかは経験したいと思うだろうっていう私の勝手な想像。でもやっぱり、当たってたみたいだ。 千空が座っていた椅子から腰を上げて、ベッドに座る私に近寄ってくる。その時なんだか急にドキドキしてきて、思わず体が強張ってしまった。ベッドに千空が軽く腰掛け、そして目が合う。左肩に手がかけられ、先ほどよりもグッと千空との距離が縮まった。あまりまじまじと千空の顔を見ることがなかったので気づかなかったけど、千空って普通に綺麗な顔してるんだよなぁ。インパクトのあり過ぎる癖毛と化学オタクっていう相乗効果できっと通常よりもモテ要素が落ちていると思われる。勿体ないなぁと思いつつも、それが千空なんだなと思うのだった。 「………目ぇ閉じろバカ」 「あ、ごめん、はいっ」 気づけばあと数十センチというところまで顔が近づいていて、すっかりガン見してしまっていた私は急いで目を閉じた。キスするのだからされる側である私はやっぱり目を閉じないといけないんだね。台本のキスシーンにも私は先に目を閉じるって書いてあった。目を閉じたことによって聴覚が研ぎ澄まされ、より鮮明にすぐ目の前の千空の呼吸音が耳に入ってくる。そして微かだが、ゴクリと喉の鳴る音が聴こえた気がした。 「………いくぞ」 「うん…」 いつになく千空の声が静かで強張っているように聞こえた。私は閉じていた瞳をさらにきゅっと閉じ、これから来る未知の感触を待ち構える。このドキドキはファーストキスを迎える好奇心での高鳴りなのか、はたまた――そう思った時には、唇に柔らかい感触が伝わっていた。触れて、一…二…三……そしてゆっくりと離れていく。 「これでいいかよ」 「………う、うん」 薄らと瞳を開ければ、先ほどよりは距離を持った千空の顔が見える。やはり眉は寄っていて、でも怒っているでも不機嫌というわけでもない。もしかしてこの顔は…照れている?でもそんなこと言ったら怒られそうなので言わなかった。そもそも先ほどの感触が所謂”キス”というものなのか未だに実感がわかない。そして私は今さっき、そうたった今、ファーストキスを終えたのだ。それもまったく身に染みてこなかった。 「そのキスシーンっつーのは、どう書かれてたんだよ」 「え?えーっとね、お互いの唇を軽く合わせる…って書いてたよ」 まだ少し距離の近い千空の顔を見つめながら答えると、千空は小さく鼻で納得するような言葉にならない音を漏らす。わざわざそんなことを聞いてどうするのかと思ったけど、そこから何か言う事はなかった。 「キスって思ったより、あっけないんだね」 「ただ口と口合わせるだけだからな」 「ファーストキスはレモン味って言うけど、全然しなかったし」 「つーか、唇だけじゃ味もなんもしねーだろ」 「あ、そっか」 味というのは舌で感じるものなのだから唇同士では味がしないのは当たり前だ。なるほどなるほどと頷く私に千空から大きめのため息が漏れた。そしてポンと頭の上に彼の手が乗せられる。 「おこちゃまの名前ちゃんにはここまでだな」 「へ?ここまでってなに?なにか先があるの?」 「なんもねーよ、俺は作業に戻んぞ」 ギシ、とベッドのスプリングが鳴り、千空はそのまま元の自分の席へと戻っていってしまった。再びその後ろ姿を眺める私は、彼のさっき言った言葉を首をかしげながら考える。千空はいつだって私よりなんでも知っていて、それでもその都度説明をしてくれる。けれど今のはまるで先を知らないでいいと言われているようでなんだか腑に落ちなかった。 「もし私が大人になって…その先があるのだとしたら、その時は千空が最初に教えてくれる?」 「………ああ、いいぜ、その時まで真っ白だったらな」 それだったらいいやと私は口元を綻ばせる。気が付けば窓の外はすっかり日が落ちて暗くなっていた。こんな時間でも静かな石神家には今現在千空たった1人だけしかいない。彼の父である石神白夜はJAXAの宇宙飛行士候補生の採用試験に合格してからはここには住んでおらず、少しだけ寂しい部屋となってしまった。千空と違って明るくて調子のいい白夜は居るだけで部屋が賑やかになるようで私も好きだ。名前だって”白夜”と気軽に呼び捨ててくれと言われて、そのせいもあってかより親しみを感じている。今は同じマンションと仲良しのよしみでたまに千空のごはんを我が家がおすそ分けなんかしたりして私は度々ここへ訪れていた。でももう、そうすることも出来なくなってしまう。 「ねぇ千空、私志望校合格したよ」 「ああ、それは聞いた、自分で言ってたろ」 「うん…それでね、私春から高校の寮に住むことになったの」 「…………それは、聞いてねぇな」 「だからもうあまりここには来れなくなる。多分役者の仕事も忙しくなるから、会うことも…」 私は千空より一足先に高校へ行くこととなる。本格的に役者業に力を入れる為、忙しくて休みがちな芸能人でも単位を落とさず通えるという融通の利く学校に入学することにした。その高校には寮もあって、私は春から親元を離れて寮生活を送る予定である。きっと千空はその高校には行かないだろうから、こうして千空といられるのもあとわずか。 「千空の真っ直ぐなところ見てたらさ、私も夢に向かって頑張ろうって思ったんだよ。だから千空のおかげ、あと白夜も」 「クク、オマケにしてやんなよ、アイツが一番突っ走ってんだろ」 「ふふ、そうだね」 石神千空という少年は、私に色々なものを与えてくれた。純粋な好奇心、探求心、どれだけ失敗しても挫けず何度でも挑戦する。それは科学なんてまったく無知な私でも分かる、真っ直ぐな努力だった。だから心から”ありがとう”と、私は彼に言う。 「もしどれだけ絶望的なことがあっても、私は立ち上がるよ、だって千空を知ってるから」 「人を教祖様みてぇに大層なモンに仕立て上げんな…」 「それだけ私にとって千空は特別ってこと!」 「おーおー、持ち上げても水酸化ナトリウムしかでねぇぞ」 「うんいらない!」 住む場所も進む道も変わってしまうけれど、これが一生のお別れにはならないと私は思った。だからあまりしんみりとすることはなく、きっと引っ越しの時だって笑ってまたねって言うんだと思う。まずはお互いの夢に向かって、全力で突き進んでいこう。 |