マイナス地点


華の大学生活2年目を送っていた私は、大学と家の間にあるちょっと小洒落た本屋で週に3、4日ほどバイトをしている。そこの本屋の中にはカフェがあり、私の担当はカフェの方だった。
バイトが終わってロッカールームで着替えを済ませ、男女共用スペースのスタッフ専用テラスで、私はホットココアを飲んでいた。これはさっき上がり際にキッチンの人がくれたものだ。少し肌寒い秋の夜空の下で飲むと、より一層美味しく感じる。

「お疲れ様ァ」
「あ、荒北くんお疲れ様」

ふぅーっと一息ついていると、ガチャリとドアが開いて誰かがそう言った。視線をドアの方へ向ければ、そこには同時期に入ってきた本屋スタッフの荒北くんがいた。そのまま足を進めて私の座るベンチの隣に腰かけた彼は、まだ着替えてないみたいで少し寒そう。

「何飲んでんのォ?」
「ホットココア、荒北くんものむ?」

湯気の立ったホットココアを荒北くんのもとへもっていけば、彼は少しだけ目を開いて、口元のカップに口をつけてゴクリとココアを飲み込んだ。そして「甘ェ!」と乱暴に言葉を吐き捨てる。

「おいしくない?」
「不味くはねーけど、くそ甘ェ…ひと口でジューブンだわ」

そう言ってベンチの背もたれに体を預け、しばしボーっと彼は空を眺めた。私も同じく眺めると、数点の星が見えてとても綺麗だった。

「あー…俺、着替えてくっからァ」
「うん、待ってるね」

立ち上がると同時に頭を撫でる…というよりは抑えられ、そのまま彼はまた室内へと戻っていった。私はまた、夜空を見上げる。

荒北くんとは、つい先日付き合うことになった。
きっかけは、彼が臨時でカフェスタッフにヘルプに来たことから。普段カフェスタッフと本屋スタッフではどこか仕切られていて、あまり接触することがない。スタッフルームで会うことはあっても、やっぱり話す相手はいつもカフェスタッフの人ばかりだった。ある日、カフェスタッフが人手不足になってしまい、臨時で本屋スタッフの荒北くんがヘルプに来てくれた。荒北くんとはシフトはカブるけどお互い話したことはなく、少し強面なイメージもあったので最初は特に緊張した。けれど話すと意外にもちゃんと返事してくれて、しかも結構気遣いもできて優しい。聞けば同じ大学で歳も同じで、帰り道の方向も同じだった。その日から荒北くんがヘルプに来ることが増え、私たちはよく話すようになった。
そこからはあれよあれよという間に距離が縮み、ついこの間、彼から告白をされた。告白…というか、会話の流れ…というか、とにかく、彼が私のことを好きだということが分かった。そして私も、彼を好きだと思い、OKした。

「飯どーする?」
「うーん…まだ昨日の残りがあるから処理したいし、宅飲みでもいいかな?」
「おーイイヨ」

荒北くんが私の家に来るのは、今日が初めてではない。一度バイトの飲み会で酔いつぶれた荒北くんを任されてしまい、彼の家を知らなかったので私の家に上げたことがある。もちろんその日は何もなかったけど、次の日目が覚めた荒北くんに物凄く謝られたのを覚えている。今思えば、その日から彼との距離が一気に縮まったのかもしれない。私の家に来ることに慣れた荒北くんはよく家に宅飲みに来るようになり、告白されたのだって私の家でだ。お互いの家が近いこともあって、気軽に飲むことができてとても楽だった。

「ナマエチャン決まったァ?」
「えーっとね、うーん……」
「早くしねーと会計すっぞー」
「こ、これ!これがいい!」

二人で家の近くのコンビニへ行って缶ビールやちょっとしたつまみを買う。その時に荒北くんが「デザートいるゥ?」と聞いてきたものだから、お言葉に甘えてコンビニスイーツを物色してひたすら悩んでいた。プリンアラモードとスフレチーズケーキで悩んでいたのだけど、せかされて選んだのはプリンアラモード。荒北くんが持っているかごに入れれば、荒北くんはそのままレジへと向かった。

「明日は何時から?」
「あー…講義は昼からだけど、9時位にはチャリ部の自主練行こーかと思ってる。ナマエチャンは?」
「私は明日は授業取ってないから夕方までバイトして、終わったらサークルに顔出すくらいかな」
「そっか」

そんな明日の会話をして、二人少しだけ沈黙した。
荒北くんは自転車競技部という部活に入っていて、静岡の大学の中では結構有名だった。私は知らないけど、荒北くんは高校時に王者と呼ばれる箱根学園でレギュラーを取っていて、夏のインターハイでも活躍したらしい。今も、彼は愛車のビアンキというロードバイクを押して歩いていた。
実は、私たちは大学内で一度も会ったことがない。
バイトのシフトとは違ってこちらは全然合わないようで、学校内を歩いていても食堂へ行っても、彼とはまだ出会えていない。荒北くんは工学部で、私は理学部なので当然といえば当然なのかもしれない。高校と違って大学は本当に広くて時間も様々で、学部が違うと本当に会えない。そして会う約束も別にしたことがない。だから私は、大学での彼を知らないままでいる。

「今日泊まってっていー?」

荒北くんは見かけによらず甘えたなところがある。それは付き合ってから知ったのだけど、そのギャップに嫌だと思うことはなかった。むしろ、可愛すぎて悶えてしまうくらいには、そんな甘えたな彼が好き。今だって、あまり時間がないというのに、泊まりたいと言ってくれた。

「うん、いいよ」

そんな台詞に心は踊っているというのに、私は必至な平常心を装って、ニッコリと返事をするのだった。






 

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