ノボリ地点


次の日、私は早朝に家を出て学校へと向かった。荒北くんは結局家に泊まったけど、彼が目を覚ますことはなかった。目が覚めた彼と話す気にもなれなくて、私は早めに出て行ったのだ。その後、荒北くんから「昨日は悪かった」とメッセージがきていたが、私はいつものように「気にしないで」と、荒北くんに変な気遣いはされないようにと返事をする。本当は、少しでも連絡くれていいじゃないか…とか、どうして私よりあの人たちの方が大事なの?とか、ぶつけたい気持ちはあった。…でもそんなの、めんどくさい女って思われるに違いない。それだけは避けようと、必死で、必死で、なにも悟られぬ”イイ女”を意識して返事をする。
荒北くんだけには…嫌われたくない。

「あ、そっか……週末、レースだっけ」

私はスマホのスケジュール帳を確認して、週末の土曜日に予定が入っているのに気づいた。なんだったけとクリックしてみればそこには『荒北くんレース日』と書かれていて、そういえばそうだったと思い出す。昨日のこともあってまだ心は晴れないけど、荒北くんが必死に頑張っていた時間の成果が発揮される日なのだ。だったら、応援しなくちゃいけない。それに私はまだ一度も、レースという場で荒北くんの走りを見たことがない。たまに練習で道路を走っているのを見たりはするけど、きっとレースの時とは違うんだろうな。絶対に…かっこいいに決まってる。想像するだけで顔に少し熱が溜まるのだから、私って単純だ。色々あったけど、レースが終われば約束のデートもあるし……うん、こんなの全然辛くもないよ。荒北くんの彼女は…私だもん。

『昨日はマジで悪かった…断ったんだけど、アイツ等に無理やり…』
「うん、大丈夫だよ本当、気にしないで」
『でも…メシとか作ってくれてたろ……悪い』
「あんなのいつもの料理と変わらないよ」

その日の夜、家に帰ると勿論だが荒北くんは家にいなかった。いつものように夜ごはんを食べてお風呂に入ってボーっとテレビでも見ていた時、荒北くんから着信がきて少しだけ心臓が跳ねる。どうしようかと慌てる私だったが、出ない理由もなかったので思い切って通話ボタンを押した。「もしもし?」と少し声が上ずってしまい恥ずかしくなるけど、返ってきた荒北くんの声が落ち込んでいるのに気づく。そしてそのまま、昨日のことについて謝られた。そんな申し訳なさそうな声で謝られたら、やっぱり自分のわがままを言うことなんてできなくて……私は必死で気にしないでと返す。

『来週の水曜って空いてるか?』
「え?来週の水曜ってー……あ、祝日の?うん、その日はバイトも入ってないよ」
『良かったァ……じゃあ、その日ナマエチャンが行きてェって言ってたトコ行こーヨ』
「え!い、いいの!?」
『おう、約束だっただろ?』

瞬間、私のモヤモヤとしていた心は大快晴の如く晴れていくようだった。なんて単純なんだろう私。でも嬉しいものは嬉しい。ずっと行きたいと思っていた荒北くんとのデート…。それだけで気持ちが舞い上がってしまい、そこからの会話が上手くできていたか今はあまり覚えていない。とりあえず行きたいと思っていた場所の情報を後で送るねと伝えて、その日は電話を切った。荒北くんの声は少し疲れているようにも聞こえて、きっとこの遅くまで練習してクタクタになりながらも電話をかけてきてくれたのだろう。私は全力で、週末のレースを応援しようと決めた。

そして、レース当日。
私も私で今週はバイトを詰めていたので、気が付けばあっという間に週末の土曜日となっていた。会場は静岡の山の方で行われるらしく、私は一人その会場へと向かう。友達も誘ってみたけど普通に用事があると言われて断られてしまった。ロードレースの観戦なんてしたことないし一人じゃかなり不安だったけど、でも荒北くんの走っている姿を見れないのはもっと嫌だ。なんとかして会場にたどり着いた私は、思った以上の観客に驚いてしまう。そこまで大きくないレースだとは言っていたけど…もっと大きいレースだとどれほどの盛り上がりなのだろう。近くに参加者らしき人たちの姿も見えてうちの大学のユニフォームを探してみるけど、なかなか見つからなかった。

「あれ、荒北の彼女さん?」
「へ?」

会場をキョロキョロと歩いていると、突然そんな声が私にむけてかけらた。”荒北の彼女”なんて私のことを呼ぶのはもう限られていて、私はもしかしてとその方へ目をやった。するとそこには案の定、荒北くんの学校でのお友達が数人いたのだ。あの、女の子も。

「あ、どうも…」
「やっぱ彼女さんも応援来てたんすね!」
「はい……えっと、皆さんも?」
「そうそう、俺らも荒北の走ってるとこ見てやろーって思って!」

ニコニコ笑いながらそう話しかけてきたのは、先日荒北くんを家まで送り届けてくれた男性だった。どうやら彼らも応援に来ているらしく、本当に仲が良いんだなぁと思った。

「今から荒北のとこ行って一声かけてこよーってなってたんすけど、彼女さんはもう会いました?」
「え、いや私は…」
「あ、じゃあ一緒に行きましょーよ!」
「えっ?あの、」
「もうすぐしたら始まっちゃうんで、ほら!」

肩にポンと手を置かれて、そのままその男性がグイグイと私を連れて歩き出した。正直言ってこの人たちとあまり長くいたくはないのだけど…荒北くんのところへ行くのだったら付いていった方がいいのかな。とりあえず歩幅を合わせて彼らに付いて歩くと、途中で色々と質問をされた。どうやって荒北と知り合った…とか、告白はどっちから…とか、二人きりの時のアイツってどうなの?…とか。なかなか他人に言いにくい質問ばかりで、私は必死で苦笑いで過ごした。そうしている内に選手のテントに到着し、友達の男性はあたりを見回して洋南のユニフォームを探し出す。すると丁度すぐ近くのテントから荒北くんが出てきて、それに気づいたお友達が「荒北ー!」と彼の名を呼んだ。すぐにこちらへ振り向いた荒北くんが少し驚いた表情を見せるのだけど、視線がすぐ私の方に向いてそれはさらに驚きを見せた。

「ハァ!?何でオマエ等とナマエチャンが一緒にいるわけェ!?」

荒北くんの反応はやっぱりで、目をかっぴらいて声を張り上げながらこちらへと近づいてくる。よく話しかけてきたお友達の彼が事情を説明すると、荒北くんはなんだか腑に落ちない顔をして頷いた。

「あのさァ…」
「靖友ー!応援してるから頑張ってねー!」
「っ………。アーハイハイ、あんがとねェ」

荒北くんが私に向かって何か言おうと口を開いたとき、あの子の声がそう割って入るように甲高く響いた。彼女が荒北くんのことを”靖友”というだけで何だか胸が締め付けられ、歪みそうになる顔を必死で我慢していつものように笑顔を作る。

「ナマエチャンちょいこっち…お前らは来ンじゃねぇぞ!」

何か話そうにも荒北くんのお友達がガッツリと私たちに視線を向けているのでお互い気まずくなってしまい、しびれを切らした荒北くんが私の肩を抱いて彼らから距離をおいた。それでも視線は若干突き刺さるけど、ここだったらさすがに会話は聞こえないだろう。私はやっとの二人の時間にどこか緊張してスゥーっと息を吸い込んだ。

「あの!えっと、荒北くんの走り、目に焼き付けるね…!」
「ハッ……あァ、スピードに追いつけなくて見逃すんじゃねぇぞ?」
「そんなに早いの!?じゃあっ、が、がんばるね…!」
「ナマエチャンが頑張んのかヨ」

そう言って私の頭にポンと手を置き荒北くんはくしゃりと笑った。確かに、応援に来てるはずなのに私が頑張ると意気込むのは何かオカシイと気づいてハッと顔を赤くさせる。でも荒北くんは何だかツボに入ったみたいで、「じゃあ俺も頑張んなきゃなァ」と言った。

「じゃあもォ時間だから行くわ」
「うん!楽しみにしてるね!」
「おォー」

よかった、何もギクシャクなんてしていない。私がちゃんと普通に接すれば、荒北くんもいつものように返してくれる。私の我儘で亀裂を作るのは絶対に嫌だから、だからこれでいいんだ。
その後私は荒北くんのレースを観戦するべく観戦場所へと向かうのだけど、どうしたことか例のお友達グループが「一緒に観ましょうよ」と言って付いてきた。やんわり断ろうと思ったのだけど上手くかわすことができず…結局彼らと一緒に観戦することとなる。あの女の子はあまり私の方には近寄ってこなくて少し安心したのだけど、逆にそれが余計私を孤立させた。だからもう彼らはいないものと思って必死で荒北くんのレースを観戦することにして、私はひたすらに道路を眺めた。

レースが始まってしまえば、私はもう周りなんてまったく見えずにただその光景に全神経すべてを奪われた。凄い、なんて凄いんだろう…。まるでジェットコースターというように、彼らの走りは目まぐるしく壮絶だった。今回のコースは周回コースと言って何度も同じ場所をぐるぐると回ってくるコースで、最初走っているところを見たときは「いつもの練習の時より少し速度が速めかな?」というくらいの感じで見ていた。けれどここぞという時に、まるでリードを繋がれていた猛獣が放たれたかのような壮絶なるスピード勝負に、私は開いた口が塞がらない。そしてなんといっても、ラストゴールの少し手前でエースを引っ張って走っていた荒北くんの真っ直ぐでガムシャラな走りに……私は心臓が激しく鼓動したのが分かった。こんな荒北くんは見たことがなかった。まだまだ私の知らない荒北くんがいる。そしてロードに乗って走る荒北くんの姿は……誰よりもかっこよかった。

「お、お疲れ様!!」
「オー…ナマエチャン、どうだったよォ俺の走り」

レースは無事、我が洋南大学の優勝となって幕を閉じた。表彰式も無事終わり、ゾロゾロと観客も帰っていく頃。私はどうしても荒北くんに今の気持ちを伝えたくて、あのお友達グループから一人抜け出して荒北くんのテントまで駆け寄って待っていた。携帯で連絡を入れてはおいたからもし時間が大丈夫なら気づくはず…。そう思って待っていると、片手に携帯を持った荒北くんが出てきてニヤリと笑ってみせた。私はとにかく今日の感動を伝えたくてまず最初に「おめでとう!」と伝え、その声は完全に上ずっている。そして続けるように言葉を紡いだ。

「もう、あのっ…上手く言えないんだけどっ…すごく、すごく…かっ…」
「靖友おめでとぉー!!いやー凄かったー!普通にかっこよくてビビったんだけど!」

私が言葉を最後まで伝える前に、明るく甲高い声がそれを掻き消してしまった。私も荒北くんもその方を見ると、にこやかに笑って近寄ってくる数人の男女。そして先ほどの声は勿論、あの子だった。

「おい邪魔してやんなよ」
「えーいいじゃん!それに私らもう帰るからさー!」
「アー…まァ、お前等もサンキュなァ」

私はなるべく邪魔しないように数歩引いて距離を置き、彼らの会話をそれなりに聞きつつ黙って見つめた。荒北くんは小声で「もうちょっと待ってて」と言って彼らに向きやり背を向ける。やっぱり中心にはあの子が居て、私はもう何度目かわからない自己嫌悪にぱちぱちと自分の両頬を叩いた。だめだ、あの人たちはただのお友達で…わざわざ荒北くんのために応援に来てくれたとてもいい人たちなのだ。こんな感情、抱いちゃだめだ。

「んでさぁ、優勝したら焼肉って言ってたじゃん?あれ、来週の水曜でどーよ!」
「ア?」
「実は優勝するだろうって思って予約困難な超いい焼肉屋の予約既にとってあるんだよねぇー!」

”来週の水曜”
そのワードに、私の思考は一時停止した。え……それって、私と荒北くんの初デートの日で…えっと、つまり…。

「アー……悪ぃケド、その日は用事あっから無理なんだわ」
「えーーー!?」
「ほらな、相手の予定聞かずに予約すんなって言っただろ?バカだなお前は…」
「えーだってだって!その日しか取れなかったんだもん!この先ってなると来月以降になりそうだったしぃ!」

じたばたと泣きわめくように見せるあの女の子の姿に、私はキュっと胸が痛くなった。どうしよう、荒北くん困ってる…。勿論断った理由は私との約束があるからだ。っていうことは、私が荒北くんの邪魔をしている……?

「あっ、荒北くん!あの、行ってきなよ!」
「エ?」
「あのね、実はその日私も用事できちゃって、行けなくなったって伝えようと思ってて…!」
「ハァ?ちょ、ナマエチャン…それ、マジで言ってんのォ?」

言ってしまった。そして言ってから、私は何をしているのだろうかと絶望した。なんで、こんな気を遣ってしまってるんだろう…。でももう言ってしまったのだから、今更引き戻すことなんてできない。

「あの、えっと、私もう帰らなきゃなので…えっと、だから来週は気にしないで!じゃあ、お疲れ様っ…!」
「ハァ!?おい、ちょッ…!」

もう居てもたってもいられなくて、私はその場から逃げた。本当にバカなことをした。というか言ってしまった。でも、これでいい。やっぱり荒北くんのお荷物にはなりたくないし、私のせいで彼を縛りたくない。だから精一杯笑って、私は彼らに背を向けた。

「私って……ほんと、バカ」






 

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