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 晴れ渡る空、きらめく水面、照り返す白浜。


 ロケーションとしては最高のインスマ海岸で、○○は強すぎる日差しに目を細めながら手でひさしを作り一帯を見渡した。


 国内南東のトグア方面から蒼龍領に入り、マハマユリへと北上。

 そこから定期便の飛空艇を利用しミィコウに乗り付け、キザイア、アクヴィを巡視し、十日間程の行程を終える予定だったのだが、今朝クラサメから連絡があった。










『今どこだ。キザイア辺りか?』

「ミィコウだよ、これからキザイアに行くところ」

『キザイアの住人から気になる報告があった。インスマ海岸沖で雷を目撃したと』

「雷?」

『ああ。真昼に一度きり、だそうだ』

「う〜ん」

『証言は複数だ。無下には出来ない。中には外出が難しいほどの者もでているそうだ』

「みんな……怖い思いしたもんね」

『……ああ。安心させてやってくれ。何もないと』

「わかった。じゃあインスマ寄ってから帰院するね」










 そういったやりとりがあり、○○は今インスマ海岸を散策しているわけだが特に異常は見られない。


「落雷受けた木とかもなさげだしなあ。なんだろう……ただの青天の霹靂……? ただのってのも、変なハナシだけど」


 些細な異常に敏感になってしまっている。目撃者がひとりではないので勘違いではと安直に片付けられないが、何かしらの自然現象だったのかもしれない。


 異常はありませんでした。安心してください。


 いい報告が出来そうだ。


「それにしても、天気いいなあ……」


 海辺というだけでこんなにも体感が変わるのか。

 じっとしていると頭皮が焦げてしまいそうだ。
 額ににじむ汗を拭って、ポーチから随分温くなった水を取り出す。


 喉を潤した○○は樹木が身を寄せ合って群生している一帯を抜け、岩肌に手をついて開けた高台に登った。

 きつい日差しを鏡のようにそっくり反射させる水面と砂浜に、じわりと瞳に涙がにじむ。

 その悲鳴を無視して目を酷使した甲斐あって、○○は何かを見つけた。


「何? あの黒いの……」


 ○○が凝視しているのは、ここからくびれを挟んだ小島。

 寄せては返す波の花が美しい海岸線にはそぐわない異質な黒い物体を発見し、それを見て血の気が引いた。


 ウソ……! 人……!?


 物ではない。倒れている人だ。

 意識がないのか波に遊ばれる衣以外に動いている様子がない。

 まずい。これから満潮に向かうはずだ。あのままあそこにいては潮にさらわれてしまう。


 一抹の不安が頭をよぎるが、それを無視して○○は走り出した。
















 近づくにつれ、やはり人であることは確信に変わる。

 少年……男の子だ。

 途中、膝上までの波に足を掬われながらなんとかたどりついた○○は隣に膝をつき強く肩を揺すった。


「ねえ! ねぇってば!」


 声を掛けつつも強引に身体を仰向けに転がし胸に耳を当てる。

 動いている。呼吸も確認できた。


 生きてる!


 最悪の事態、漂着した死体ではなかった。


 と、ほっとしたのも束の間、ここにいては沖にもっていかれてしまう。

 陸続きであった○○が渡ってきた浅瀬はすでに潮が満ち、ここはもう離れ小島となってしまっていた。脇に腕を差し込み、少しでも高いところへ引きずるように移動する。


「服が……ッ水吸って……ッ重いッッ!」


 目指すは草が生えている場所。そこならば沈まないはずだ。

 さきほど転んだときに被った飛沫か汗が顎を伝い落ちる。


 この少年はいつからここにいたのだろう。水分も摂らせないといけない。

 上から下まで黒ずくめの服装では脱水症状を起こしてそうだ。

 海水を吸った服は温いを通り越して熱い。


「ここまで……来れば……なんとか……」


 上がった呼吸を整えつつ水を取りだした○○は、少年の後頭部を支えてペットボトルを口にあてがう。


「飲める……かな。あ、飲んだ」


 慎重に傾けていると喉が小さく動いたのを確認できた。

 少し零れてしまったが元よりずぶ濡れだし、この天気だ。すぐに乾くだろう。


「おーい、起きて。干からびちゃうよ? ……おぉ」


 黒ずくめの服装にばかり気をとられていたが、改めて顔を見ると切れ長の眉に通った鼻筋。

 かなりの美形だ。


「夜の空みたいな髪……。どんな声かなー。おーいって……ば?」


 肩を揺すっていたはずの手が支えを失い砂地につく。

 確かに目の前にいた。ここまで運んだのだ。幻ではない。

 いるはずのその少年が突如目の前から消え、○○は混乱した。


「は? え? ……え!? ってうわわわわナニナニ!?」


 そしてその混乱が収まりきらないうちに追い討ちをかけるかのような更なる出来事が。


 この天気の中でさえはっきりと殺気を感じ直感で飛び退くと、今しがたいた場所を光の残滓が通り抜ける。

 無害な光ではない。下生えの葉が裂けている。


「な、なに!? モンスター!?」


 立て続けに起こる怪現象に頭の処理が追い付かない。

 消え失せた少年も気になるが差し当たっての脅威の元を探して素早く視線を巡らせる。

 と、波打ち際に佇む彼の姿を捉えた。


「ねぇ! キミ!」


 危ないよ、と声を掛けようとして○○は息を飲んだ。

 突然目の前から消えた少年。

 立っている場所はその僅かな間に歩いて移動できる距離ではない。

 長い前髪で顔は窺えないが精気は感じられなく、その様は操られているか若しくは。


 バーサク!


 前髪の隙間から燃えているような赤い眼光が覗く。

 ○○を捉えた瞬間、それは尾を引いて消えた。


 攻撃手段が不明ではあるが的確に自分を狙っている。躱さねば傷を負う。


「なんッなのよ!」


 肌で感じる魔力の流れ。

 横っ飛びで転がると、黒い旋風と共にさきほど見られた光の残滓が通り抜けた。

 辿ると、光の軌跡は彼へと続いている。

 そこに立っていた。


 どうする。どうするどうする!


 謎の少年から謎の攻撃を受け、○○は頭をフル回転させた。

 そもそも何故攻撃されているのかわからない。

 話も通じない。

 バーサクならば解除魔法はエスナだが、あいにく持ち合わせていない。

 かくなる上は。


「恨まないでよね」


 気絶させるしかない。


 ○○はサンダーSHGの所在を確かめるように右手を握りしめた。
















 ゆるりと首をもたげ、その慣性のまま振り返って○○を正面に捉える。


 その動きと瞳の赤い残光が人間味を損なっていた。

 意志が感じられない。機械仕掛けというよりは、操り人形のような。


 赤い眼光で自分の意志がなく、強い人物。


 たどり着いた一つの答えに晴天の最中でさえうすら寒くなった。

 それを無理矢理消し去るように頭を振る。


「ないない! ルシはもう……いないんだから!」


 彼がルシであるならば、理由は不明だが狙われている自分の命はないだろう。

 しかしもう、このオリエンスにルシは存在しない。


 はずなのだ。

 そう言い聞かせても不安が拭えない。


「大丈夫、ただの謎の美少年だよ。ちょっと見たことない攻撃方法だけ、ど……ぉ!?」


 ○○が自らを安心させている間に、謎の美少年は両腕を広げて背後に幾つもの様々な武器を召喚していた。

 長槍、大刀、銃剣、弓、銃、騎士剣……見たこともないものもたくさんある。


 全てに光の粒子が纏わりつき実体がないようでもあるが、喰らってみるような危険は犯せない。

 不安材料が多すぎる。一度退避した方が良策だろうか。


 じり、と後ずさるが、しかし大人しく見逃してくれなさそうだ。


 ○○の退く気配を察知したのか彼の右手が動き、その指揮に命じられるかのように背後の武器が一斉に蠢いた。


「いッ!?」


 飛び退いた地面に短剣が数本刺さり、中空の○○を追って長槍が風を切って飛来する。

 容赦なく喉元を狙うそれを蹴り返して着地したところに、まるで何かに振りかぶられたかのように大剣が降り下ろされた。

 その凶刃が○○を襲う直前、寸でのところで甲高い音が鳴り響き、空気にヒビが入る。


「……ウォ、ウォール張っといて正解だった」


 冷や汗が頬を伝う。

 が、安心している暇はない。

 頭上の大剣はウォールを切り崩そうという意志でもあるかのようだ。

 ちらりと少年に目を向ければ弓に矢がつがえられ、キリキリと引かれていた。

 彼の手を下すことなく。


「省エネルギーだな!」


 相変わらずの無表情に赤く揺らめく眼光。

 汗ひとつかかず、呼吸も乱さない様はやはりルシを彷彿とさせる。


 複数の武器が玄武のルシ、ギルガメッシュを。
 操り放つ様が白虎のルシ、ニンブスを。


「違う……! 違う! 違う!! 世界は人の手に渡った! クリスタルはもうない! ルシも……いない!」


 叫ぶと同時に頭上のウォールが砕け散り、それを好機と待ち望んでいた大剣は刃を煌めかせた。

 確実に○○を狙ってくる大剣をギリギリまで我慢して待ち、大振りを誘って最小限の動きで避け、深々と刺さったその柄を握る。やはり実体はあるようだ。


「言うこと……聞いて!」


 主が違うと嫌がるように鳴動するその大剣にサンダーSHGを撃ち込んで強引に服従させ、飛来する矢を弾き返す盾とした。

 全ての矢が地に落ち、あるいは刺さる。

 ○○に届かなかったのを確認した少年は、ついと顎を上げ、背後中天にある一本の長剣を手に取った。


 来るか。


 切っ先を下げ力なく立っている様は構えのようにはとても見えないが、○○はいつ来られてもいいように柄を握り直した。


 その上体がゆらり、と前方に傾いだかと思うと○○の眼前から消える。予想通りさきほどの瞬間移動に剣撃を合わせてきた。

 文字通り視界から消えているのだが動き自体は複雑ではなく直線的だ。


 しかし、純粋に早い。


 突き刺した大剣の束尻を支点に跳び上がり冷や汗をかきながらなんとか躱すものの、その先の岩を膝をバネのように使って蹴り返し間髪入れず追撃してきた。


 今度は避けれない。

 噛み合った刃と刃がキリキリと甲高い音を立てた。散る火花の向こうには爛と燃える眼光。


「見た目より……重いッ」


 押し負けそうになる寸前で剣筋をいなす。


 斬撃を受け、その間にサンダーSHGを叩き込もうという算段だったのだがそれもままならない。

 あの斬撃を躱し、最接近した瞬間にサンダーSHGを放つしかない。


 ○○は無用となった大剣を地に刺し少年から視線を外さず数歩離れた。


 攻撃を読みきれているわけではない。いつ喰らってもおかしくはない。

 できれば早々に気絶願いたいのだがそう簡単にはいかなそうである。


 ○○が最速でサンダーSHGを放てるよう魔力を高めると、それを察知したのか彼が初めて構えらしい構えを見せた。

 長剣を目線水平に持っていき、腰を落として足を広く開く。


 予備動作はそれだけ。

 重心移動は目視出来ずに少年は消えた。


 奇をてらった動きやフェイントはない!


「ここ!!」


 僅かな経験と直勘を頼りに○○はサンダーSHGを放った。


 が。


 くそ、外した!


 最速で放ったサンダーSHGだが手応えがない。

 姿が見えない状態はもしかしてブリンクも兼ねているのだろうか。だとしたらこちらの攻撃は届かない。エースのような一瞬の回避ではなく、かなりの長時間だ。


 まずい。

 ○○は口元を歪めた。


「逃げるが勝ち……って言っても逃げれるか? コレ……」


 彼が○○を襲う理由も判らないので無差別なのかも判別出来ない。

 安易に人がいる場所へは行けない。


「誰かに連絡を……!」


 逃げの一手が難しいならば応援を頼めば良いと逆転の発想をした○○は、近隣にいそうな人物を模索する。

 確かトグア辺りにエースがいるはずだ。

 そう考え手探りでCOMMを操作している最中も少年の猛攻は止まない。

 発信先を確認するために一瞬だけCOMMに目を向け、再び耳に装着する。身体が隠れる程度の岩を利用して少年と遮蔽物なしで対峙しないようにはしているものの、脅威はそれだけではないのだ。


「早く、出て……ッ」


 気が逸れたその一瞬。○○の頭上が陰った。


 竜騎士さながらのハイジャンプで襲いかかってくる少年の攻撃を、手のひらで岩を押し出し更にサンダーSHGを放つことで推進力を重ね、紙一重で躱す。

 全く容赦のない攻撃だ。

 一太刀でも受ければ素早さが落ち、それが死へと繋がりかねない。

 思案に耽る時間も与えられず、少年は○○に向き直った。足元に寄せ返す波の音を聞きながら鼓動が逸る。


「……困ったぞ」


 自分のスタミナが落ちてきているのか、攻撃のスピードが増しているように感じる。

 後ろには彼方まで続く大海、左右には白浜。そして少年との間に遮るものは何も無い。

 眼光の揺らめきが○○を捉え止まったかと思うと剣の切っ先を砂地に付けたまま、予備動作なく少年の姿が消えた。

 正体不明の攻撃に未だ打開策を見出だせないまま躱わすしかないのだが、右足に電撃が走ったような痛みを感じ○○は苦悶の呻きを漏らした。


 とうとう、躱しきれずに攻撃を喰らってしまった。出血こそないものの、裾が焦げ、痺れのような感覚がある。

 幸いなことに致命傷ではないが向こうにしてみればこれは好機。


 折れているわけでもない右足の痛みは無視して、来るであろう追撃に備え素早く体勢を立て直し、少年の姿を探して視線を巡らす。


「どこ……!?」


 前方のみならず後方や頭上も警戒するが姿が見えない。

 インビジを多様する敵はこれほどまでにやりづらいものなのか。


 小さく舌打ちをして神経を研ぎ澄ます。

 目視がかなわないのであれば魔流を感知すればいいと、いつでも動けるように膝を柔らかく曲げ少年の軌跡を辿る。

 感覚を研ぎ澄ますと次第に浮かび上がってくる光の残滓。


 それが流れではなく留まっている箇所は○○の正面、海の中だった。


 少年がそこにいるであろうことはわかる。

 が、これでは初動もわからない。


 焦りから荒くなる呼吸を落ち着けるように深呼吸をし、いつ飛び出されても対処できるように重心を低く保つ。


「落ち着け。冷静に、冷静に……」


 照り付ける太陽と極度の緊張で汗は止まらないが、それとは逆に手足は冷たく視界も白んできた。


 後手に回らざるをえないのが煩わしい。


 時間が長く感じる。


 額を伝って目に入りそうな汗を拭うことすら隙になってしまいそうで、○○は左目を歪めた。


 張りつめた緊張感が痛い、長い長い時間だ。


「………………ウソだよ」


 低い体勢をそのままに○○はぽつりと呟いた。

 長く感じるのではなく、実際に長い。

 発信し続けているCOMMの一律な呼び出し音が、○○の体感ではなく正しい時の流れを告げる。


「ちょっとぉ!?」


 少年が脅威かどうか。敵か否か。

 謎すぎる人物ではあるが、人は水中では呼吸は出来ない。


 まろぶように慌てて駆け寄る。


「バーサクって溺れるの!? なんなのよ!」


 浅瀬に漂う黒い衣服を掴んだ瞬間、意識が戻ったのか大量の空気を口から零した少年は四肢を暴れさせ派手な水しぶきをあげて立ち上がった。

 それに驚いた○○はバランスを崩し両手をつく。

 数回まばたきを繰り返す○○の頭上に水しぶきが降り注ぎ、次いで酸素を取り込もうとする乱れた呼吸音と咳が聞こえてきた。

 ぎこちなく顔をあげて少年を見ると、上体を屈めて苦しそうに喘ぎながらも何かを探しているようである。

 その視界に○○が映ると視線はピタリと止まり荒い呼吸だけを繰り返した。


 何故かとても睨まれている。


 ○○が発する第一声に困っているとCOMMの発信音が途切れ、エースの声が聞こえてきた。


『こちらエース。どうかしたのか? ……○○?』

「…………えっと……ゴメン、大丈夫。掛け直すね」


 無言を訝しんで心配してくれているような声音のエースに心の中で礼を言い、通信を切断した○○は口を開いた。


「こ……こんにちは」


 今まで戦っていた間柄に対してなんとも間抜けな挨拶をした○○だがそれには○○なりの理由がある。

 少年の雰囲気がさきほどまでと変わっているからだった。


 激しい息切れを起こして咳き込み、表情もある。

 危険は去ったと判断しCOMMの通信を切ったのもそのためで、憑き物が取れたというかバーサクが解けたというか、人外のように見えていた赤い眼光は鳴りを潜め今は深い蒼色だ。


 とにかく普通の少年に見えるのだった。


「……あんた…………だれ……」


 あいかわらずの険しい表情のまま、少年の第一声は○○の身分を問うものだった。


「えっと、私」
「しょっぱ……なんだこれ海水……?」

「う、うん。インスマ海岸の」
「は……? 海!? なんで……レスタルム郊外にいたはずなんだぞ!? どこだよここ!」

「レ、レスタルム?」
「そうだ……俺たちさっきまで……あいつらは! ……イグニス! グラディオ! プロンプトは!」

「お、落ち着いて!」


 混乱して取り乱す少年を宥めるために、○○は大声を発して少年の二の句を封じた。

 置かれていた状況が一変していることに対して困惑していることは理解できたが、わかったことはそれだけだ。

 ○○にも情報は伝わらなく、判断材料も得られない。


「深呼吸して、落ち着いて。……どうしたの? 何があったの? 名前は?」


 宥めるように優しく問い掛けられようやく平静を取り戻したのか、自分の身に起こったことを思い出すように頭をくしゃりとかいて口を開いた。


「俺……俺は……ノクティス……。ノクティス・ルシス・チェラム。……俺、は……?」

「え? ……えぇ!?」


 ノクティスと名乗った少年は、そこでふっと糸が切れたように膝の力が抜け、前に倒れ込んだ。


 慌てて○○が抱き止めなければ再び溺れるところだった。


「な、なんなの……?」


 少年も混乱しているようだが、○○も同様に困惑していた。


 腕の中の少年を見下ろす。

 眉間のしわは険しいまま、気を失ってしまった。


 とにもかくにも、このまま放っておくわけにはいかず街まで連れていくことになりそうだ。


「通信切らなきゃよかったかな?」


 乾いた笑みを浮かべた○○は、少年の背を岩に預けると手頃なチョコボを捕獲しにその場を立ち去った。


































「――と、いうわけなんだ。いい知らせだから直接教えてあげようと思ったんだけど、残念、まだ帰ってなかったんだ?」


 朱雀領の首都、ペリシティリウム魔導院内にあるクラサメの自室で、主の友人であるカヅサ・フタヒトは肩を竦めた。


「ああ。今日帰院する予定だ」


 本来なら○○は昨日戻っている予定であったのだが、クラサメからの連絡を受けてインスマ海岸に向かった○○は迷子を見つけたと知らせてきた。

 気絶してしまったというその少年を最寄りのトグアまで連れ帰り、意識が戻ったので話を聞いてみたところ記憶喪失だと判明した。

 ○○の性格上、そこで放っておくわけがなく、しばらくの間ペリシティリウムで預かることに話は落ち着き、本日帰院の流れになっている。


「さて。そろそろおいとまするよ。試験薬剤の品種改良の結果報告が上がってくるはずなんだ」


 眼鏡を外して白衣の裾でレンズを拭ったカヅサは、大きな欠伸をしながらのそりとソファーから立ち上がった。

 肩を回すと小気味良い音が鳴る。


 常に覇気のない男であったが、いつにも増して浮遊感に拍車がかかっていることがクラサメの口を開かせた。


「疲れているようだな。寝ていないのか?」


 扉に向かう背に掛けられた労いの言葉にカヅサは瞳を数回しばたかせた。くるりと振り返った口元にはからかうような笑みが浮かんでいる。


「驚いた。クラサメ君が僕を労る言葉を口にするなんて。ねぇ?」

「戻ってこなくていい」


 どんな顔をしてどの口が言ったのかと、わざわざ戻ってくるカヅサに失言だったと舌打ちをする。


「そうだねぇ。この頃研究所に籠りっきりだからあまり寝てないのは確か」


 飄々とした態度ではあるが、研究者としてのカヅサは優秀で指揮をとり纏める立場にある。

 人材不足もあいまって多忙なのだろう。


「椅子での睡眠は効果的ではない。……僅かな時間しかとれないとしても横着せずに部屋に帰れ」


 カヅサの職場には何度か足を運んだことがあるが仮眠室は記憶にない。

 あったとしても自室と職場ではやはり気の張り方が違うものだ。


「……なんだ」


 立ち去る様子もなく、なおも瞳を輝かせるカヅサに嫌な予感を抱きながら問い掛けた。


「いや、嬉しいなあ! 僕の身体を気遣ってくれるなんてさ! やっと僕たち両想いに」
「貴様が倒れて困るのは誰だ。甲斐甲斐しく働く部下だろう。倒れても変わらずに働くというのならば構わんが」
「ハイごめんなさい」


 椅子に座るクラサメに冷ややかに睨み付けられカヅサは降参の意を示して両手をあげた。

 軽口を叩いてクラサメに睨まれるのは昔ながらだ。こんなことではめげない。


「ねぇ、僕が倒れたらキミは困ってくれるかい?」


 扉に手を掛けながら興味本意で聞いてみると意外にも答えはイエス、と。

 ほう、と口端を上げたのも束の間、続いた理由は今のクラサメを思えば当然だった。


「……○○が気落ちするからな」

「デスヨネ。うん、知ってた。ハイハイ、またねクラサメ君、その彼女にもよろしく」


 そう言付けて扉が閉められ間もなく、廊下が騒がしくなった。

 何事かと耳を澄ませるまでもなく○○の声が聞こえてきた。丁度帰院したらしい。

 カヅサと鉢合わせしたのだろうが、○○の弾んだ声だけが聞こえる。


 一際大きく別れの言葉が聞こえ、○○が帰ってきた。


「ただいま」


 そう言った彼女に連れはなく、一人きりだった。


「てっきり連れ帰るものだと思ってたが?」


 ○○に続く者はいなく扉は閉められた。

 記憶喪失というから長い付き合いになるかもしれないと構えていたクラサメは、知らずに入っていたらしい肩の力を抜いた。


 記憶喪失は一過性で、○○からあった連絡の後にでもめでたく記憶が戻り無事親元に届けたのなら問題はない。

 クラサメの杞憂だっただけのこと。


 しかしながら、言いづらそうに言われた○○の言葉に呆れ返るはめになった。


「……さっきまでいたんだけど……はぐれたみたい……」


 手元をいじりながら小さく呟く。

 顔を上げなくてもわかる。いろいろ含んだクラサメの生暖かな視線が辛い。


「……重ねて迷子にさせるとはな……。記憶喪失の子どもくらい確保できるだろう……」

「おっしゃる通りです」


 我ながら情けない。

 溜め息をつかれ○○が返す言葉もなく縮こまっていると、過ぎたことを責めても栓無しとクラサメが話の流れを変えた。


「さっきまではいたんだな? カイハスか? 院内か? 探しだしてやらないと。今頃泣いてるんじゃないか?」

「泣いてはいないと思うよ……すっごい強かったし……」


 クラサメは首を傾げた。


「……強い? 子どもだろ?」


 最前線に立つ立場は退いたものの、自分たちは訓練を積んだ兵士だ。

 その○○が強いと評価を下したことにクラサメは興味を示した。


「うん、男の子なんだけど……なんていうのかな、バーサクかかってたみたいなカンジで……。ほら、ここ。コゲ跡」


 ひらひらと揺らしてみせた右足の裾は確かに焦げていた。

 負傷しているわけではなさそうだが、それは○○が攻撃を貰ったということになる。


「へえ、お前がな?」

「うん、キミはルシなのかってくらい強かったよ。冷静に思い返してみれば呼吸確認したじゃん私、って突っ込めるんだけど……。あ! 信じてないでしょ!」


 疑いの眼差しを向けられ○○は唇を尖らせた。


「実際、エースに応援頼もうって連絡したんだから」


 対峙したときのノクティスの瞳を思い出して○○は身震いをした。

 感情が窺えない、赤い瞳。あれは怖い。


「お前がそこまで言うくらいだ。使えそうだな。いい人材を見付けたじゃないか。是非とも魔導院に欲しいところだ」

「そうもいかないよ。本来の世界があるなら」

「……は?」


 言われたことの意味を飲み込むのに時間を要し、クラサメが聞き返すまで沈黙が続いた。


「なんだって?」

「あれ、そこ通信切れてた?」


 ○○は椅子に座るクラサメを横切って冷蔵庫へ向かい、取り出した飲み物に口をつけた。

 例の戦闘でCOMMを水没させてしまったらしく、トグアにノクティスを連れ帰ってからの報告はいつの間にか切断されていた。かけ直してもノイズが入るだけ。

 迷子を拾ってしまったことや明日には帰ると予定を伝えた前半はクラサメからの返事を確認してたから、どこで切れていたかはわからないがクラサメの意見は戻ってから聞こうと考えていた。


「クラサメさ、“レスタルム”って聞いたことある?」

「いや、知らないな。なんだそれ?」

「レスタルム郊外……地名だと思うんだけど、そこにいたみたいなの」


 聞いたことのない地名はもしかしたら国外のものかもしれないが、魔法を使う少年。

 しかし、朱雀の子ではない。


「わかんないよ? 記憶喪失だから本人にも聞けないしさ。……わかんないけど……」


 対峙した感じ。

 戦闘をみる限りこなれている。

 あれには既視感があった。


 単純に強いというだけではない異質な力。根源からの違い。


「……女神の騎士様に……似てたの」


 戦時中、少しでも犠牲を減らそうと奔走していた○○の前に突如として現れた、輝く美しい女性。

 この世のものとは思えないほど神々しかった彼女はやはりこの世の人ではなく、女神の騎士と名乗った彼女は空を駆ける愛馬と共に○○を助けてくれた。

 彼女がいたから救えた命は多く、クラサメの命が今あるのもひとえに彼女の助力があったからこそで、ひいては○○が彼女に出逢えていなければ、世界の歴史はまた変わっていただろう。


「……わかんないけどね!」


 思考にふけいりそうになるのを無理矢理打ち切って、○○は両の拳を握りしめた。


「……お前の勘は当たるからな」

「考えてても仕方ないし、探してくる!」

「待て、俺も行く。お前一人に任せてたら日が暮れるからな。特徴は?」


 無鉄砲に飛び出していきそうな○○を言葉で捕まえて特徴を聞き出すと、探す場所を大雑把に分担し、二人は部屋を後にした。
















 その頃、当の本人ノクティスはといえば。

 迷子の自覚もなく、○○を探すこともせず、連れてこられたペリシティリウム魔導院内を当てなしに歩いていた。


 蔵書が数十万冊にも及びそうなクリスタリウムで、今は階下を見下ろしている。


「魔導院……学校みたいなもんか」


 小声でおしゃべりをしている二人は自分よりもいくつか若そうで同じ制服を着用していた。

 その二人は橙色のマントをつけているがその奥で本を選んでいる少女は紫色だ。クラスかランクなどを表してでもいるのだろう。

 髪をきっちりと結い上げているあちらの女性は教師といったところか。

 尋ねるほど興味を引かれることでもない。ノクティスは踵を返して歩みを再開した。


 クリスタリウムを出て真っ直ぐに進むと、右手にゆっくりと動く壮大な歯車。左手には入ってきた正面の門。

 中央に展開されているのは転移魔方陣らしくひっきりなしに人を排出していて、それと同等に人を飲み込んでいた。

 とりとめなく視線を動かしながら更に歩き進むと次第にすれ違う人も少なくなり、人気のない扉に突き当たった。

 しんと静まりかえっているわけではないが、ざわざわとした喧騒は遠い。

 背の高いその扉を一度見上げて開けようと手を掛けたとき、紅い光がノクティスの視界の端に映り込んだ。

 儚く、どこか弱々しいともいえる光は今にも消えてしまいそうな生命の息吹のようで目を奪われる。

 扉よりはノクティスの興味を引いたそれは、淡く明滅を繰り返すクリスタルだった。


「これもゲートか?」


 エントランスホールにあったものよりは大分コンパクトではあるが同系統のものであることは瞭然だ。

 触れるほど近づくと受け入れるかのように魔方陣が展開し、ノクティスのまわりをふわりと包みこんだ。


 わずかに、躊躇する。


 恐らくそこで移動先を選択するのだろうが、移動するために近づいたわけではないノクティスに目的地はない。

 行きたい場所も、行く場所もない。


「悪いな。……用事、ないんだ」


 静かに眠っていたところを用なく起こしてしまったようで気が引けた。

 自嘲し、小さく謝ったそのノクティスに応えたわけではないだろうが、中空に浮遊する陣の一文が強く輝く。


 え、と硬直したノクティスの身体に光の粒子がまとわりつくと、わけもわからずその場から強制的に転移させられてしまった。
















 時間にして僅か。

 頭を揺さぶられたような軽く短い浮遊感の後、地に足がつく。瞳を閉じていてもわかる明るい光源も、そこが先ほどとは違う場所だとノクティスに告げていた。

 強い光に目を痛めないようにゆっくりと瞳を開けると、足下から延びた道の先に巨大な本が鎮座していた。


 悠久の刻をきざむかのように刻々と回転する真円の中に、泰然と佇む分厚い本。

 本……といっていいものなのだろうか。

 規格外のその大きさは読み手を欲してそこにあるのではなく、ただ万物を記憶し続けているようにもみえる。


 この不思議な空間もそう感じさせる要因かもしれない。


 無数の柱が幾層にも連なり、天井無しに頭上遥か彼方まで続いている。

 柱と柱の間に壁はなく、ただどこまでも白んだ空間が広がっていた。


 縦にも横にも際限がないここは建物の中なのかすら判然としない。


 振り返るとノクティスをここへ連れてきた転移魔方陣があるだけで、この空間はこの巨大な本のためだけにあるようだ。


 改めて本を見上げる。

 中央には瞳ともとれる模様が描かれていた。


 見透かされているようで気分は良くない。

 睨みつけるように見ていると、模様に光が走りゆっくりと開き出した。


 思わず後退ってしまった自分に苛立ち、一歩だけに踏みとどまる。

 元より下がる道はないのだ。


 開ききった本が輝きを増す。

 手で庇い、その眩しさに瞳を細めながらも視線を逸らすことはせずに見極めんとするノクティスに、アルトクリスタリウムの叡知が降り注いだ。
















 強い光の照射は、それが質量をもっているかのようにノクティスの髪がなびかせた。
 耐え続けた甲斐があり、ノクティスが根を上げる前に光は収縮をみせたのだが。


「かッ……は……!」


 まるで激しい暴風を耐えたかのように数歩よろめき膝をつく。

 ほんの僅かの時間だったはずだが疲労困憊だ。肩を上下させて酸素を取り込もうと浅い呼吸を繰り返す。

 汗で張り付く前髪を頭を振って払い、今度は怒りを込めて開いたときと同様に静かに閉じようとしている目の前の本を睨み付けた。


「何が起こった……? 今のは……一体……!?」


 光っていた模様が逆巻いて消える。

 辺りは元の静寂に包まれたというのに鼓動が煩い。

 血流が加速して耳鳴りがする。


 ノクティスの脳内に送り込まれた映像。フラッシュバックしたいくつもの場面。


 攻撃をする仲間。攻撃をされる仲間。

 怒号が飛び交う平原を後退し、最後には。


「あいつら……ッ!」


 カッと頭に血がのぼり、ノクティスは思わず拳を強く叩き付けた。反響する壁などないこの場所で、それは鈍い音と痛みだけを生む。

 何度も何度も叩き付け痛みの感覚すら麻痺し始めた頃、やがてゆっくりと立ち上がった。


 ノクティスは逃がされたのだ。

 仲間たちによって。


 怒りと屈辱のあまり視界が赤く滲む。


「ありえねえ……! 何考えてんだよ馬鹿野郎が……!!」


 沸々と沸き上がる怒りだがそれをぶつける相手は目の前にいない。


「ここはどこなんだ!? そうだ○○……!」


 どうやら海岸に漂着していたらしい自分を見つけて介抱し、ここへ連れてきたのは○○だ。

 レスタルム近郊に海はない。

 ずいぶんと遠くまで逃げ、そしてずいぶんと遠くまで流されてしまったようだ。


 何も覚えておらず、思考も鈍かった自分は言われるがままついてきてしまったが。


「魔導院なんて国にはねぇぞ……! まさかここはニフルハイムなのか……!?」


 無知とは悪だ。恥と思いなさい。


 父親の言葉が脳裏に浮かぶ。


 ノクティスが知らないだけでここは国内のどこかなのかもしれない。

 魔導院という教育機関も存在するのかもしれない。


 しかし、今のノクティスには判別がつけられない。


 無知故に。


「くそッ!」


 怒りの矛先は、混乱させる記憶を与えるだけ与え今は瞳を閉じているかのような眼前の本に向けられた。


「なんとか言えよ! 力ずくでこじ開けるぞ!」


 怒りを伴い瞳が赤く紅く強烈に輝きを増す。

 今のノクティスには何も届かない。


 後ろから掛けた、クイーンの声も。


「どなたですか! ……ッ!?」


 手に持っていた本を流し読みしながら偶然立ち寄ったアルトクリスタリウムには予期せぬ先客……侵入者がいた。

 しかも、まさに今、アカシャの書に危害を加えようとしている。


「お待ちなさい!」
「……うるせぇ邪魔すんな! 俺はこいつに用があるんだ!!」


 文字通り吐き捨て、ノクティスはアカシャの書に斬りかかろうと高く跳び上がった。

 その手には長剣が握られている。

 普通ではないと即座に判断したクイーンも得手武器である細身のレイピアを召喚し、ノクティスを阻止すべく走り込んだ。


「く……っ!」


 立ちはだかり防ぐことは出来ないと知るや、クイーンはノクティスの長剣に突進を繰り出し軌道を逸らすことに注力する。

 その咄嗟の判断により、アカシャの書は凶刃を免れた。


 目的遂行を阻まれたノクティスは忌々しげにクイーンを一瞥し、腕を振りかぶるような動作をしてその姿を消す。


「なっ?! 消えた!?」


 驚きに目を見開いたクイーンだが、姿を捉えて次手に備えようと首を巡らさる。

 掠める魔流を追って視線を向けるが姿までは確認できない。


「ジャック! ナイン! アルトクリスタリウムに来てください! 急いで!」


 自分だけでは手に余ると感じたクイーンはCOMMを操作して通信回線を開いた。

 中庭に向かう二人と別れたのはつい先ほどのことだ。通信を切って間もなく二人は姿を現した。


「オゥオゥオゥ! すっげぇ久しぶりに来たぜここ!」

「ね〜。ちょびっと起動操作忘れてたくらいだし」


 軽口を叩きながらアカシャの書の元にいるクイーンへ歩みを進めるが、呼びつけた本人は二人を見ようともしなかった。

 ジャックが首を傾げる。


「ど〜したの?」
「敵襲です! 武器を!」


 二人は顔を見合わせた。

 クイーンは冗談などは言わないタイプであるが、肝心の敵の姿が見えない。


「テキシューっつったってよォ……?」
「アカシャの書が狙われているの! 早く!」


 ただならぬ剣幕に押され、二人はわけもわからないままそれぞれの武器である刀と長槍を召喚し、とりあえず互いの視界をカバーし合うように構えた。

 が。


「……あのぉ〜クイーンさん? 僕たちは何に備えてればいいのかな〜?」

「正直なところ……わたくしにもわかりません。しかし彼がアカシャの書を害そうとしていることは確か。ならばわたくしたちがとる行動は決まっています」

「野郎なのかよ? てこたぁ白虎の残党兵かゴルァ!」

「ずいぶん今さらじゃなぁい? なんでぇ?」

「わからないってば! 二人とも集中して!」


 一太刀交えたクイーンと違ってノクティスの姿を確認出来てない二人は緊張感に欠けている。

 白虎兵を探して目配せをしているがそれは検討違いだった。


「ナインッ! 上!」
「オォウ!?」


 クイーンに叫ばれ咄嗟に槍を構えれたその反応はさすがだ。

 ずん、と加重を受けてナインの膝が沈む。


「アァ!? ンだよコイツ!」


 槍ごと切り伏せようと力を込めるノクティスと視線がかち合った。

 その燃えるような瞳を間近で見てナインのうぶ毛が逆立つ。


「よいしょー!! ……ってあらぁ!?」


 力が拮抗しているところに斬り込んだジャックの刀はしかし空振りに終わった。


 ノクティスは再び姿を消す。


「また消えやがった! な、なんなんだよアイツは!? アァン!?」

「わたくしだってわからないってば!」

「白虎兵じゃ、なさそうだね〜」


 あの独特の鎧を纏っていない。

 戦闘スタイルからみても違うことは明白だ。


 むしろ自分たちに近似しているようにさえ思う。


「うう、ヤ〜なこと思いついちゃった……」

「……あの目か……?」


 ぽつりと呟いたジャックにナインが反応する。

 その言葉だけで二人は同じことを考えているのだと認識した。

 いや、不自然に沈黙しているクイーンもだ。


「……なぁ、アイツ……ル」
「やめて!」


 クイーンの悲痛な金切り声にナインは口をつぐむ。


「みなの力でフィニスを乗り越えたでしょう!? あり得ない……いるはずがないの! でなければわたくしたちは……なんのために多くの犠牲を払ったというの……!」

「だ、だよな! 俺もそう思うぜオゥ!」


 ヒステリックに叫び今にも泣き崩れそうなクイーンを宥めるため、ナインが慌てて同意する。


「オィジャック! 何バカなコト言ってンだアァン!? クイーンに謝れゴルァ!!」

「ぼ、僕ぅ!?」

「たりめェだろうがアァン!?」

「えぇえ〜?」


 口に出そうとしたのはナインの方なのに、とは賢明にも口にせず、場を収めるためにジャックはクイーンに向かって折り目正しく謝罪した。


「ご、ごめんなさい」

「……失礼。取り乱しました」


 鼻頭が少し赤いが、眼鏡を正したクイーンは努めて冷静に自分たちの身の振り方を考えた。


「わたくしたちのすべきことは最初から変わりません。アカシャの書をまもり、彼を排除ないし拘束する。……彼が何者であろうと」

「オゥ! そうだそうだ!!」

「僕らに会ったのが運の尽き、ってね!」


 いつもの調子を取り戻した三人は武器を構えて意気込む。どんなときも何が相手でも、スリーマンセルで切り抜けてきたのだ。

 負けはしない。負けるはずがない。


 作戦はこうです、とクイーンは人差し指を立てた。


「彼の攻撃は速いですが、癖があります。とても、直線的。そして姿は確認できなくても僅かに魔流がある。わたくしがそれを感知しますから、ジャックは初手を防いでください」

「任せてよ」

「彼の動きが止まったところでナインはセーフティガードを張ってください」

「……ごと?」

「えぇ、彼ごとです。最適なのは四人が入れる程度の大きさ。あれは人の出入りを制限することは出来ませんが、内からも外からも攻撃を遮断します。……まさか知らなかったのですか?」

「オ、オゥ!? もちろん知ってるし!! たりめぇだろコラァ!」


 そういえばセーフティガードの中から打ったファイヤROKが跳ね返ってひどい目にあった苦い記憶がある。

 そういうわけだったのかと一人納得し、自分の技の特性を知らなかったわけはないと全力で嘘をついた。


「ならいいのですけれど。閉じ込められたと思った彼がとる次手はガードの破壊。それを封じるのですから、一瞬の隙が生まれる。彼は出られない。そこを、わたくしが」


 クイーンは愛剣に視線を落とした。

 一片の曇りもないそのレイピアはまさに気高い彼女を現しているかのようだった。

 映し出されたその中でもクイーンは厳しい表情を浮かべている。


「あぁうまくいくのでしょうか?」

「ダメならそンときに考えようぜ! 覚えらんねぇしな!」

「そうそう。僕だって大変なんだよ? 構え捨てるんだから」


 足首をほぐしながら、からからと笑ったジャックは刀身を下ろした。


「宜しく……お願いしますね」

「こっちのセリフ」


 短く息を吐き出したジャックの唇は緊張感から上がっていた。

 ジャックの身体が自然体になったのを見たクイーンとナインは心得て傍に片膝をつく。


 無の体。


 それは本来であれば防御を捨てカウンターで相手を屠(ほふ)る一撃必殺の構えであるが、いつもと勝手が違うのは相手の刃を受け止めるということ。

 どこから攻撃がくるか、ジャックにはわからない。

 死角である背後? 急所である頭部? 避けづらい脚? 裏をかいて真正面。


 先入観を排除し、勘に頼らず、クイーンの言葉に純粋に最速で従うまで。

 その判断が遅くても誤ってもジャックは貫かれてしまうのだから、クイーンに掛かる重圧も生半可なものではない。

 そして神経を研ぎ澄ます二人の傍で、ナインも初動を今か今かと待ち構えていた。


 勝負は、一瞬だった。


「左手後方! 目線!!」
「よいしょー!!」


 クイーンの指示通り一分の無駄もなく流動したジャックの迎撃は思い描いていた結果を産んだ。


「……うっしゃ! ナイン!」
「オゥ! くらえ!!!」


 そして今しかないタイミングでナインがセーフティガードを展開する。

 展開速度も大きさも問題なしだ。


「「クイーン!」」
「ハッ!」


 驚きに目を見張り狼狽するノクティスにクイーンの突きが届こうとしたまさにそのとき。


「そこまでだ」


 アルトクリスタリウムに身を切るような冷気と、それに付随するに相応しい声が響きわたった。
















「騒がしいと思えば……」

「総隊長!」


 新たに転移してきた彼らの上官であるクラサメ・スサヤの介入によって、熾烈だった一瞬の勝負は決することなく動きを止めた。


「アルトクリスタリウムで何をしている。クイーン、ジャック、ナイン、……ノクティス」
「何ってテキだよテキ!! 見てわかンだろうが! アァン?!」


 クラサメの言葉尻に噛みつき歯茎を剥いて唸るナインにクラサメは溜め息をついた。


「双方武器を収めよ。諸君らは敵同士ではない」

「ですがッ!」


 敵同士ではないと言われたところですんなり従うほど子供ではない。

 アカシャの書に攻撃を加えようとしていた現場を見ているクイーンは、あと僅かで本懐を遂げようとしている切っ先に力を込めた。

 突然現れたクラサメに注意を向けていたノクティスもその怒気を感じて眼前のクイーンを睨み付ける。


「……オイどーするよ?」

「う〜ん? 敵じゃないって言われてもね〜……」

「もう一度言おうか。諸君らは敵同士ではない。無駄な血を流すな」


 従ってやらんでもない、といった態度の二人とは違い、クイーンは歯噛みしていた。

 しかしいくら全力で押しても身体は微動だにせず、忸怩たる思いだけが広がる。やがて、根負けしたように長いため息をついた。


「……わかりました」


 強制的な膠着状態はノクティスの頭も冷まさせたようで、瞳は元の色に落ち着いて思考力を取り戻していた。

 全員の動きを的確に停止させたクラサメに視線を向ける。


 この男……何者だ?


「結構。では武器を収めろ」

「……収めさせろっつーの」


 ナインが口端を歪めて不平を呟く。

 というのも、動きを制限しているのはクラサメ自身なのだ。

 ジャックとノクティスが剣を交え、その傍でナインがセーフティガードを出現させ、膝のバネを最大限に活かしたクイーンがノクティスに向かって突きを繰り出している。


 映像のワンシーンを一時停止したかのようなその場面が、クラサメによって各自の足下と主要関節だけを無駄なく凍らされて切り出されていた。


 彼らに戦う意志がなくなったのを確認したクラサメは前方に向かって突き出していた腕を下げる。

 すると身体に纏わりついていた氷塊は溶けるというより消失し、クイーンたちは数歩たたらを踏むはめになった。


 敵ではないと言われても危険人物には変わりない。

 距離を取ろうと構えるが、間近にいるはずのノクティスの姿はそこにはなかった。


「また……ッ! どこへ……!?」


 ナインとジャックは先の一戦で神経をすり減らしたのか、苛立ちながら姿を探すクイーンを座り込みながら見上げた。


「なんなんだよアイツよぉ……」

「わかりません!!」

「お、俺に当たるなよ」

「クイーンってば相当お冠だねぇ〜」


 眦(まなじり)を吊り上げて姿を探す最中、視界に入ったクラサメが注視している視線を辿って首を巡らすとノクティスの姿を発見することが出来た。


 そこはアカシャの書の上だった。


 真っ赤だったクイーンの顔が真っ青に染まる。


「お、降りなさい! 今すぐに!!」


 真下でキャンキャン吠えるクイーンを無視してノクティスは真っ向から視線をぶつけてくるクラサメを見下ろしていた。


「ノクティスだな」

「ここはニフルハイムか。あいつらはどうした。俺をどうする気だ」


 クラサメの問いには答えなかったが、それは答えるまでもないということだろう。

 それよりも疑問をぶつけてきたことの方にクラサメは眉根を寄せた。


「記憶喪失と聞いていたが」

「その方が都合が良かったんだろうけど? コイツのお陰でな」


 ノクティスが鼻で笑って踵を二度鳴らし“コイツ”を指し示すと、いよいよクイーンの声が甲高くなり、貧血を起こしたようによろめいた。

 慌ててナインが抱き止める。


「疑問の答えだが、ここはニフルハイムとやらではない。後の二つは……分かりかねる」

「信じると思うか?」


 酷薄な笑みを浮かべて言葉を即時否定するノクティスにクラサメは溜め息をこぼした。


 何やら一悶着あったようだがそれがまずかったようだ。

 いつもは冷静なクイーンが先陣を切っているところからアカシャの書を侮辱でもしたのだろう。

 記憶が戻ったようだがタイミングも悪い。

 ニフルハイムとは彼の敵対勢力か何かだろうか。

 手負いの獣のように周囲に耳を貸さないノクティス。

 宥めるのは不得意だ。


 こういうのこそお前の役目だろうが。責任持てよ馬鹿野郎。


「なんで俺が……」


 小さく舌打ちをし、拉致があかないと嘆息したクラサメは言い含めるように口調を強めた。


「信じる信じないは勝手だが、このままでは何一つ進展はしない。再三言っているが聞こえていないようだな。我々は敵ではない。……しかし、貴君が何者であろうと、そこは人が立つべきではない場所だ」


 降りろ。


 すう、と瞳を細めたクラサメにナインは思わず身震いし、ジャックはこわ、と天を仰いだ。


 ノクティスは言葉の真偽を確かめるように身動ぎせずクラサメを見下ろしていたが、聞き入れてくれたのかやがてクイーンたちとは少し離れたところに降り立った。

 それを見たクラサメはレリック端末を起動して半身振り返る。


「ついてこい。現状判りうる情報を開示しよう」


 アカシャの書からは降りたものの、ノクティスはクラサメを信用したわけではない。

 それでもノクティスの歩みを進めさせたのは、例えナニカがあっても切り抜けられるという自負。

 ここにいてもクラサメの言う通り何もわからないのは確かだ。

 今は情報が欲しい。


「お待ちください」


 ちょうどノクティスが通路半ばまで来たとき、ナインからの助けを必要としなくなったクイーンが後ろから声を掛けた。

 ノクティスに、というよりはクラサメにだ。


「わたくしたちも同席させていただきます。立ち会ったのですから知る権利はあります」

「おう! お立ち会いだぜ!」


 ナインの少しズレた賛同は無視してクイーンはノクティスの挙動を窺っていた。

 敵ではないというのなら一体彼は何者なのか、納得のいく答えを貰わねば腹の虫が治まらない。


 しかし憤るクイーンに返ってきたのは素気無(すげな)い言葉だった。


「ならん。因果が判るまで関わることは許さん」

「んだよそれ? いつわかんだよ!」


 最初から決めていたかのような即答にクイーンは絶句したが、そこはナインが反射的に反応した。


「さぁな。追って○○に説明させる」


 更には説明責任をここにはいない○○に転嫁しクイーンたちの文句に蓋をする。

 重ねて来いと言うクラサメだがノクティスは動かずにいた。横暴だと憤慨する彼らに情が移ったのか、全く意に介さず一蹴するクラサメに反発心が芽生えたのか。

 だが。


「どうした。そこにいても何も変わらんぞ」


 無知な自分に選択肢はない。

 くそ、と吐き捨てたノクティスは不愉快さを隠しもせずクラサメの後に続き魔方陣に消えた。
















 ノクティスを従え自室に向かう途中、運よく○○にも遭遇したため探す手間を省くことが出来た。

 トグアからペリシティリウムに来るまでのどこか望洋としていた様子とは違い、意識的に距離を取るノクティスに○○は首を傾げた。


「記憶が戻ったそうだ」

「え? よかったじゃん!」


 じゃあなんで二人ともそんなに眉間にしわ寄せてるの? と疑問に思いつつ、先の一件を知らない○○は満面の笑みでノクティスを手招きする。


「おーい。入っていいよ? 座りなよ。聞かなきゃならないことあるし。ほらほら」


 ぽんぽんとソファーを叩くがノクティスは扉の前に立ったまま室内を見回していた。

 警戒しているようなその様子に、ふぅ、とため息をついた○○は口元に手を当て一歩一歩近づく。


「ノクティース。ノクティスー。ノークー」

「……聞こえてる」

「そ? じゃ、おいでよ。そんな怖い顔してると、あの人みたいになっちゃうよ?」


 こそりと耳打ちした○○は隣室から出てきたクラサメを目で差す。

 手には畳まれた紙を持っていた。


「……ね?」


 くすくすと可笑しそうに笑う○○に小さく返事をしたノクティスは眉間のしわを拳で擦る。

 反応があって更に笑みを深めた○○はノクティスを引っ張ってソファーへ導いた。


「……落ち着いて、聞いてね」


 何を聞かされるというのか、そう前置いた○○はノクティスの隣に座った。

 頷いたクラサメは畳まれていた用紙をテーブルに広げる。


 それは、どこかの地図だった。


「世界地図だ」

 ……どこの?

「今我々がいるのが朱雀領ルブルムの首都にあたる、魔導院ペリシティリウム朱雀。ここがミリテス皇国。コンコルディア王国。貴君がいたのはここ、インスマ海岸だ」

 知らない国ばっかだな……。俺はこんなに物を知らなかったか……?

「鴎歴845年」

 ……ちがう。

「我々の生きるオリエンスだ」

 違う……。違う! 違う!!

「何か、知っていることはあるか」


 知っているも何も……。


 自棄気味に口を開いたノクティスの声は掠れていた。


「知ってるも何も! ……冗談だろ? 俺の国はルシス! 王都はインソムニアだ! あとは……えぇと! オルティシエとかテネブラエとか! ……ニフルハイムとか! オリエンスってなんだよ……! どこだよそれ!?」

「オリエンスとはこの世界。住まう世界の名を知らない者はいない」

「だったら……だったら俺は何だっていうんだ!?」


 知らない。そんなものは知らない。

 混乱し、声を荒げて前髪の隙間から睨み付けてくるノクティスを見上げながら、○○はまっすぐに受け止めて答えた。


「……キミは、ビジター。他の世界から来た人」


 困ったように笑って○○は小さく頭を下げた。


「ごめん。さっき言ってた国も、私たちはわからない。聞いたこともない」


 怒りの矛先がない。

 言っていることがにわかには信じられない。


 どういうことだ? 自分の身に何が起こったというのだ?


「ビジター……? 来訪者って何だよ……。冗談キツいって……」


 目の前が暗く閉ざされたような感覚に陥り、ノクティスは力なくソファーに沈んだ。

 しかし弾かれたように頭を上げ○○に掴みかかる。


「あいつら! そうだ、プロンプト! イグニスやグラディオは!?」

「私が見つけたのは……キミひとり」


 ごめんねと○○は再び謝った。

 仲間はいない。

 それが良かったのか悪かったのかすらわからない。


「なんだよそれ……なんの冗談だよ……」


 ○○は俯き悲嘆にくれるノクティスの肩を優しくさすった。


「そんなに絶望的にならないで? 大丈夫だよ。なんとかなる。なんとかするから」
「○○」


 制止しようと名前を呼んだクラサメを、逆に○○が目で制する。

 安請け合いを……と、クラサメは溜め息をついた。


「……貴君は真昼の雷の目撃例と共に現れた。似たような報告が上がってきている。……連れの可能性もあるだろう」

「ほら!」


 覗き込んでみるがいまいち反応が鈍い。

 それもそのはずだ。こんな異常に順応出来る方がどうかしている。


「じゃあ明日、そこに行ってみよ。ゲストルームあるから、こっち。お風呂入る? お腹空いてない?」


 手を引いてバルコニー付きの寝室に案内したが、立ったまま上の空なノクティスをベッドに座らせ○○は腰に手を当てた。


 考える時間が必要だ。

 逃避するためではなく、自分の置かれた状況を理解しこれから進むべき道を見付ける時間が。


「モグモグ、付いててあげてね」

「了解クポー! ノクティスよろしくクポー」


 短い手を曲げてビシッと敬礼したモグモグはノクティスに声を掛けて目の前を浮遊する。

 が、放心状態で気付かれず、しょんぼりしたように頭上のポンポンを垂れ下げた。


「おやすみ」


 最後に一度だけノクティスの頭を撫でて、○○は部屋の扉を閉めた。
















「全く、とんだ迷子だな。トラブルばかり持ち帰りやがって」


 扉が閉まるや否や、辛辣な言葉が○○の背中に投げ掛けられた。


「わ、私のせいじゃないでしょ。クラサメから連絡あってインスマ行ったんだし」

「引きの強さは相変わらず、か」


 物陰でおとなしくしていたトンベリがクラサメの元に進み出、同意するようにランタンを揺らした。


「トラブルなのは否定できないけど……。それでも私は、見つけてあげられたのが私で良かったと思ってるよ?」


 他の人が発見していたらどうなっていたのか。

 今となってはわからないが、他の世界から来た人ということもわからずこのままオリエンスで生涯を終えたかもしれない。

 なんとか出来るかもしれない○○を引き寄せたのは彼自身の強運だ。


「まさかこんな大事になるとはな」


 クラサメは頭痛を感じたようにこめかみを揉みほぐした。

 半日前には思いもしなかった。


 ○○から聞いたCOMMでの最初の報告は、迷子の男の子を確保したからちょっと帰院が遅くなる、だ。

 手を引いて家を探し、無事送り届けて帰ってくるのだろうとあまり気に止めていなかった。


 二回目の報告では、迷子が記憶喪失だと判明したため魔導院に連れ帰ると告げられ、少し厄介なことになったかと溜め息をついたがそれでもペリシティリウムで保護すればいいかと考えていた。


 それがまさかビジターで。そして青年だとは思わなかった。


 魔導院内でノクティスを探す際に○○から聞いた特徴は、真っ黒い服装の異世界の少年。

 付け足された補足として、切ってあげたいくらい前髪が長く、鼻筋が通ったキレイな顔立ち。


 アルトクリスタリウムでクイーンたちと敵対してたからとりあえず制止したが、俺が探しているのはこいつか? と実は思考が停止していた。

 自分の腰ほどの背丈の少年を想像していたため、クラサメの中で探し人とは一致しなかったのだ。


「あれのどこが男の子だって? 立派な成人じゃないか」

「年齢的には大人かもだけどさ、私たちよりだいぶ年下でしょ。エースたちと同じくらいじゃないかな? あってるじゃん。男の子」

「……そうかよ」


 まとめて一緒くたに子供と括る○○だが、端から見たら自分も括られているのだという自覚を持ってほしい。


「大人か子供かは置いといて。今ひとりぼっちだよ。大人でも子供でも迷子は迷子。心細いよ、わかるでしょ?」

「生憎、迷子になったことがないからな」

「クラサメ……」


 そっぽを向くクラサメの背中からは不機嫌オーラが滲み出てる。

 その理由がわかるだけに○○はクラサメを宥めるしかなかった。


「心配してくれてありがと。大丈夫。それより、ノクティスに優しくしてあげてよ。ね?」


 ソファーの背に体重を預け顔を覗き込むと、クラサメの顔にはありありとした不満が広がっていた。


 右も左もわからない別世界で頼れる者もいない。

 ついててあげないと。


「クラサメー」


 拗ねた子供のご機嫌を取るかのように髪の毛を引っ張られ、クラサメは溜め息をついた。

 自分の許容範囲が狭いのは認める。


 しかし寛容になるしかない。クラサメがどれだけ関わるなと言ったところで、○○は一度繋がった縁をほどいたりはしないのだ。

 自分の器の小ささに腹立たしくなり、○○の後頭部を引き寄せキスをした。


 虚を突かれた○○は顔を真っ赤にしてすぐに離れる。


「な!? ノ、ノクティスいるんだよ!?」

「来ねぇだろ。あの様子だと」

「にしても! な、なに急に!!」

「隙あり。……俺以外には見せるな」


 忠告、とクラサメは○○の腕を掴んで引き寄せようとするが。


「き、気象部行ってくる!! 何か判るかも!」


 COMMもメンテナンスしてもらわなきゃなあ! とわざとらしく宣言してギクシャクと部屋を出ていこうとする○○に、クラサメは残念、と肩を竦めた。




























 違う世界?

 時空を越えた?

 なんだそれ。


 視界を腕で覆い隠したノクティスは、通された静かな部屋でずっと同じことを考えていた。


 ちょっと見知らぬ土地に来てしまっただけだと。思い出せるかぎりの最後がモンスターと魔導兵の乱戦というのが心配の種ではあるが、すぐにイグニスたちと会えるものだとばかり思っていた。


「あいつら……怪我とかしてないよな」


 のそりと傾けた視界に窓が入り、星空を観ようと緩慢な動きでベッドを降りる。窓を開けると空気が僅かに動いた。暑かった昼間の太陽は姿を消し、無風ではあるが過ごしやすい気温になっていた。

 見上げてみるが上階が邪魔をしていてすっきりと見えない。身を乗り出して登れそうな箇所を探す。


 出窓。外灯。雨樋。


 戦闘中にもみせた特有の移動方法で屋根に降り立ったノクティスは建物を見下ろした。

 小さくはない街。

 当然だ。名前すら覚えていないが首都と言っていた。

 魔導院という大規模な施設。

 知らないわけがないのに……知らない。


 改めて夜空を見上げた。


「マジで全然知らない空でやんの」


 見える星が違う。決定打だ。

 自分が無知というだけでは説明がつかない。


 乾いた笑いが出た拍子に膝の力が抜けた。

 わけがわからなさすぎておかしくなりそうだ。


 俺が何をした?

 一体どうなってるんだよ!


 くしゃりと頭をかいて傾斜の激しい屋根にへたりこむ。


「ウチに……帰りてぇな……」


 こんなにも帰宅することを望んだのは初めてかもしれない。

 自分の帰りを待っていてくれる人がいる、なんてロマンチックなことはないが、それでも帰りたい。


 こんなどうしようもない事態に陥ってやっと、恵まれた環境にぬかるんでいた自分に気付かされる。


 目の前に靄がかかっているような、進む方向すら不確かなのに更に道があるのかもわからず足を踏み出せない。


「俺は……」


 これからどうすればいいのか。


 絶望、という言葉が脳裏をよぎったとき、同時にさすられた左肩の温もりも思い出した。


 大丈夫。なんとかなる。なんとかするから。


 異世界から来たのだと教えてくれた○○。

 そう言えるということは、もしかして前例があったのではないだろうか。


 そしてそういえば命の恩人だ。


「……まだ礼も言ってなかったな」


 長く息をはき出して立ち上がったノクティスは、先程からしきりに光で合図を送ってきている○○を見下ろした。

 見下ろしたといっても、夜なのにもかかわらずよく見えたなと感心するほどかなり遠い距離である。

 ○○がいるのは噴水があった場所だ。


 呼吸を整え、構えた次の瞬間には、


「わっ!」


○○の隣にいた。


「びっくりした〜」

「呼んどいてなんだよ」

「よ、呼んだわけじゃ……」


 普通に考えて呼びつけるような距離ではない。遠い距離で姿を見つけたから手を振ったまで。夜だから見えないかもと思い、外灯の明かりを鏡で反射して代わりとしただけだったのだが。


「よく見えたな」


 自分のいた場所を振り返ってみるとここからではやはり遠い。

 加えて明かりのない屋根の上だ。


「その光が見えたから」


 ○○はノクティスの周りを漂う青白い光をさして微笑んだ。
















 クラサメが言っていた真昼の雷の目撃例の詳細を聞きに気象部に赴き、故障したCOMMをメンテナンスに出した、その帰りである。

 魔力を感じて首を巡らせると、記憶に新しい魔流の筋道があった。

 自室方面。ノクティスだ。


 ジグザグと軽々壁を登って行く様を眺めながらどんな仕組みなんだろうと考えに耽っていたが、到着したノクティスは屋根から動かない。

 魔力の粒子は消えてしまったが、目を凝らせばその場いるのは確認できた。


 そこでふと思う。


 ……何故屋根へ……?


 ひとりぼっちで、見知らぬ世界に渡ってきてしまった男の子が、夜の屋根にひっそりと。


 よろしくないキーワードがてんこもりだ。


 声も届かない距離で昼間でもないからジェスチャーも効果がない。注意を引かないと、と、慌てて鏡を取り出した○○は外灯の光をうまいこと反射させ、それは功を奏した。


 帰れるように頑張ろ。

 一緒に探そ。

 ひとりぼっちじゃないよ。


 そんな思いを込めつつ、そこへ行く最短ルートをなぞっていたのだが、驚いたことに向こうから来てくれた。

 最短も最短、一直線で。


 良かった。考えすぎだったようだ。行動する気力があるなら大丈夫。

 絶望、無気力が何よりの敵だ。


「どうしたの? 眠れない?」

「……星を見ようと思って」


 そう言って真上を見上げたノクティスは目を細めた。

 知らない星空は、ここが知らない世界であることを告げている。


「異世界なんだって……実感した」

「そっか」


 ○○もノクティスに倣って空を見上げる。

 もちろん、○○にとっては見慣れた星々だ。


「今ね、気象部っていうところに行ってきたの。私がキミを見つけるきっかけになった雷が他にもあったみたいだから。国内のメロエっていうトコなんだけど、明日行ってみよ? きっと仲間だよ。えっと……ブロンプト、だっけ」

「……あんたも来てくれるのか?」


 地図を渡し、いってらっしゃいと送り出すだけではなさそうで、大きく頷いた○○はそれからいたずらっぽく笑った。


「もちろん。あ、クラサメの方がよかった?」

「……あいつ嫌いだ」


 端正な顔立ちに苦虫を噛み潰したような苦渋が広がる。


 総隊長と呼ばれていたか。

 高位の人物であるということは実力からしても窺えたが、あの高圧的な物言い。


 若干、覚えがある。


 ぶすっとそっぽを向くノクティスに○○は苦笑した。


 本当に、初対面マイナスから入るなぁ。

 笑顔がないからというだけではなく、クラサメは人から誤解されやすい。そしてその誤解を解こうともしないから○○がいらぬ苦心をするのだ。


「道に……この世界に明るくないでしょ。行くよ、一緒に。ひとりにしない。放り出したりしないよ。キミに出逢ったのも何かの縁だしね。私の出逢い運は強力なんだよ?」

「なんだそれ」


 根拠のなさそうなその主張に、思わず口元に笑みが浮かぶ。

 手を差し伸べてくれる人がいるということは、いかなる状況であってもありがたいことだった。


「ほら明日は朝早くに出るんだから、もう寝よう。私朝弱いんだよぅ……。キミもでしょ?」

「ノクト」

「ん?」

「ノクトでいい」


 瞳をしばたたかせて停止した○○に気恥ずかしさが込み上げてきたのかノクティスは先を歩きだした。

 ハッと我に返った○○は頬を上気させてその背中を追いかけながら、初めてトンベリが足元にすり寄ってきたときと同じくらいの感動を噛み締めていた。


 あだ名呼びを許してくれたっていうことは、気を許してくれたってことだよね?


「よし! ノクト、帰って寝よう! 明日のために!」

「腹へった」

「じゃあごはん食べてから!」




 と、意気込んだ二人だったが、しかし翌日クラサメに叩き起こされたのは太陽が中天に差し掛かった頃だった。