果てしなく愛しい奇跡の一瞬

「ほら、沙智。挨拶しなさい」
「う………」

隣に住む大きなお屋敷に住むおじさんの影に隠れるように、こちらを伺う涙目な女の子。身体が弱いらしく、お屋敷が建ってから、季節が1つ変わった頃にやっと会うことが出来た。
栗のような色のふわふわした柔らかそうな髪。甘い鼈甲飴みたいなきらきらした瞳。さくらんぼの様な小さな口、生クリームみたいな白い身体。幼稚園で色々な女の子を見てきたけど、この子は今まで見た女の子の中で、1番、

「か、かわいい…!」
「ひっ!」

俺が急に大きな声を出したせいで、女の子をびっくりさせてしまった。悲鳴も可愛いけど、怖がらせたい訳じゃない。慌てて口を塞ぐが、傍に立つお母さんから注意された。

「ごめん。おれ、かげやまとびお。おま、きみは?」
「し、しらさ、き……」

小さな声で名前を教えてもらった。沙智、沙智、沙智。忘れない様に何度も言葉にする。バレーボールに体育館の色と匂い、一与さんに姉ちゃん、父さんと母さんに柔らかい玉子を乗せたぶたさんのカレー。沢山ある好きな物、宝物の中に目の前の女の子、沙智が入ったのを感じる。大切に、大事に、ずっと一緒に、離れていかないように。俺のモノにしないと。

そのためにはどうすればいいんだろう。
あ、そうだ。幼稚園でせんせーに言っていた友達の言葉を思い出す。

「沙智ちゃん!」
「は、はい」

おじさん、多分沙智ちゃんのお父さんのズボンを掴みながら、こちらを見る。怖いならお父さんじゃなくて、俺の手を握って欲しくて、沙智ちゃんの手を掴む。小さくて柔らかい手。母さんや姉ちゃんとは違うふにふにした手だった。力を入れたら簡単に怪我させてしまいそうで緊張する。でも、この手を離したいとは思わなかった。

「ぼくと!」
「…?」
「けっこんしてください!!!!」
「け、こん??」

沙智ちゃんは結婚が分からないのか、首を傾げている。お母さんと沙智ちゃんのお父さんは、「おやおや」「まあまあ!」と笑っている。おかしな事、僕言ってないのに!。

「ずっといっしょにいてってこと!」
「……いっしょ?沙智と…」
「うん!ぼく、沙智ちゃんのことだいすきだから!」
「だいすき……。沙智も、沙智もとびおくんのことすき」
「っ!!!!」

ぽわっとお腹が熱くなる。
沙智が僕のこと好きって言ってくれた。これって両思いってやつなんでしょ!。
嬉しくて沙智ちゃんを抱き締める。まだ僕と沙智の身長はそんなに変わらないけど、大人になったら沙智ちゃんを守れるくらい大きくなろう!。

「うれしい!ずっとずっーーといっしょにいようね、沙智ちゃん!」
「……うん!とびおくんと、ずっといっしょ!」

夏に咲く黄色のお花のようににっぱと笑う沙智が眩しくて、忘れたくなくて、守りたくて、大好きで。

バレーボール以外で初めて一目惚れをした。初恋である。あの日から、お前が俺の1番の宝物になったんだ。



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「行ってきます」

俺の朝は変わらない。
目が覚めて、ロードワークをして、シャワーを浴びてから飯を食って、身支度をして、母さんから弁当を貰って、家を出る。そして、そのまま隣に建つ(隣と行っても屋敷が大きすぎて、門に辿り着くまで100m以上ある)屋敷に向かう。呼び鈴を押せば、もう何年も聞き慣れた男の声が聞こえた。

「はい」
「飛雄です」

返事はかえってこないが、門が自動で開いた。完全に開くまでじっとして居られず、1人分通り抜けられる程開いたので突っ切る。広い庭を通り抜けて、大きな玄関扉まで辿り着く。また呼び鈴を鳴らそうとしたが、先にガチャリと扉が開いた。

「おはようございます、飛雄様」
「おはようございます、竜胆さん。沙智は起きてますか」
「いえ、身支度は終わってるのですが…」
「ワン!」

竜胆さん。白崎家に使える執事の1人で、宮城で1人で暮らす沙智の世話を任されている人。沙智の父親と2人の兄は、沙智が小学校に上がる頃から東京で暮らしており、本当なら沙智も一緒に東京で暮らす予定だった。だが、東京の空気と環境に沙智の身体が着いていけず、東京より空気が綺麗で自然が多い、宮城で暮らすことになったのだった。そして、一人娘を一人暮らしさせるのは心配な為、白崎家で1番優秀且つ強いと言われている竜胆さんが残る事になったらしい。
実際こんなバカデカい屋敷に住む金持ちを狙う輩は多かったが、全て返り討ちにして警察に突き出しているのだから、この人は凄い人であり、勝てない人物だった。
そして、竜胆さんの足元で大人しく座っているサモエドのカヴァス。白崎家の番犬である。

カヴァスの頭を撫で、竜胆さんに着いて行くと、リビングのソファで寝ている俺の宝物が居た。制服には着替えており、竜胆さんが着させたのだろう。竜胆さんは「1回お目覚めになられた時に歯磨き迄は済ませてますので、あとは頼みますね」と一言残して部屋を後にした。多分沙智の弁当の用意に行ったんだろう。沙智は朝飯食わないから。カヴァスはソファの下で伏せており、沙智が起きるのを待つ様だ。

「おい、沙智。起きろ」
「んん………すぅ」

沙智は睡眠薬が無いとすんなり寝れない。此奴曰く怖い夢を見る、寝たら起きれないかもしれない恐怖に飲み込まれ寝れないと。そのせいで夜は真面に寝れず、日中はウトウトするのに寝ることを嫌がり、最終的に体調を崩していた。竜胆さんと沙智の父親は良くないと分かっていながらも、少し強い睡眠薬を用意し、それを飲ませている。1度寝ると簡単には起きないが、これが無いと沙智が倒れてしまうから。

これは当分起きそうにないなと今迄の経験から答えを出して、沙智の身体を起こす。ソファに寄りかかる様に座らせて、机に置いてある櫛とヘアゴム、ヘアピン、髪飾りの白いリボンを手に取り、沙智の後ろに回る。今日はどうするか。体育は無かったから、固く結ぶ必要はねェ。ヘアメイクアーティストをやっている姉貴に教えられた髪型に挑戦してみるか。時間はあるし。
沙智が小学生の頃は竜胆さんもしくは偶にこっちに帰ってくる沙智の1番上の兄が、沙智の髪を結んでいた。中学になってからは竜胆さんがやるようになり、ずっと沙智の柔らかな髪を触れる事、上手に結ぶと喜ぶ沙智の顔とお礼が見れる、聞けるあの役割が羨ましかった。バレーボールのお掛けで手先は器用だと思うが人の髪を結ぶ経験はゼロのため、最初の頃は時間はかかる癖にボサボサで左右非対称の2つ結びが出来上がった。沙智は俺が結んでくれたってだけで喜んでくれたが、俺が許せない。宝物を更に輝かせるには、これでは駄目だ。姉貴に練習を付き合って貰い、2つ結び位なら左右対称に結べる所まで成長し、流行りの髪型を覚え、今では沙智の髪を結ぶ役割は完全に俺がやる事になった。独占欲が満たされる。心臓を鷲掴みにされた気分。でも、不快感は無い。寧ろ快感だった。

「よし。左右対称」

なんだったっけ。羊ヘアーって言うんだったか。三つ編みをいい感じに輪っかにして耳の上辺りに止めるだけだから、初めてにしては形になったな。リボンどーすっか。コレだけでも可愛いと思うが、崩れ落ち防止とヘアピン隠しのために巻き付けて置くか。……よし、可愛い。

「おや、丁度いいタイミングでしたね」
「ッス。竜胆さん、どーすか、これ」
「……合格です。お嬢様が更に可愛らしくなってますよ」

旦那様達にも見せましょうかとスマホで写真を撮り始めた。よし、竜胆さんのお墨付き貰えた。グッと小さくガッツポーズ。

「飛雄様、此方がお嬢様のお弁当と薬です。起きたら此方の薬を、昼は此方です」
「分かりました。後、今日から体験入部が始まるんで」
「あぁ。お嬢様が1人で帰られる際は連絡して下さい。お迎えに上がりますので」
「ッス。でも多分一緒に帰ると思うんで、遅くなったらすみません」
「大丈夫ですよ。お嬢様が楽しい学校生活が送れているのであれば。……あぁ、カヴァスは寂しいかもしれませんけどね」

と、足元を見るとくぅーんと悲しそうな声を上げていた。夜にはちゃんとご主人様を帰すから、それまでは一緒に居させてくれ。

まだ寝こける沙智を抱き上げ、自分のエナメルバッグと沙智のスクールバッグを肩に掛ける。やっぱり朝飯食わせた方が良くないか?軽すぎる。だけど、無理に朝飯食わすと真っ青な顔になるんだよな。

「お嬢様、飛雄様。行ってらっしゃいませ」
「わんわん!」
「ッス、行ってきます」

中学の時から変わらない登校の仕方。
小学校の頃は寝ている沙智の手を引っ張って登校していたが、体格に差が生まれだした中学からは沙智を抱えての登校の仕方に変わった。この方が早いし、筋トレになるし、沙智は俺のと周りに知らしめる事も出来る。沙智は寝てるから、普段どんな風に登校しているかは知らない。教えてもいない。聞かれても手を引いてるって答えてる。当たり前のように沙智を抱えて登校するため、周りの奴らも聞いてはいけないのでは??そういう関係なのでは??と思っているのか、俺は当然として沙智にも聞いてくる奴は居なかった。
俺の肩を枕にして、耳元を擽る寝息を零す沙智。いつも通り、宝物の沙智がそばに居る。

「行くか、沙智」
「……………ん」
「フッ」


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