分かち合える喜び

「ひーくん、バレーやろ〜」
「おう?」

まだ誰も来てない朝の時間に沙智はそう言った。バレーをやろうって、今からやるだろと疑問も思ったが、ボールを抱えてにこにこ笑う沙智に水を差すのもなと我慢する。ネットやボールの準備は終わってるが、まだ俺らしか来ておらず、一人でやるとなるとサーブ練習くらいしか出来ない。的当てでもしようってことか?。持っていたペットボトルを床に置いて的にしようと準備していると、

「はい、ひーくん」
「お、おう……ん?」

沙智は俺にボールを渡すと、たったっとネット際に駆けていく。そして、

「トスあげるから、ひーくんが打ってね!」
「………はっ!?待て待て待て!」

ガっと沙智の肩を掴み、待ったを掛ける。
今、此奴、なんて言った??。

「聞き間違いかもしんねェ…。沙智、お前今なんて言った……?」
「私がトスあげるから、ひーくんが打ってね!」
「……………」

聞き間違いじゃない事に頭を抱える。何で急に突然、いやそれより此奴は自分が思った以上に弱い事知ってんのかボケ。心臓は勿論、そんな細い指でボールを触ったら、折れるんじゃないか……。そもそも

「何で急に…?」
「ひーくん、知らないの?。今日はね、8月19日で排球の日なんだよ」
「排球……あぁ、バレーボールって事か」
「そう!。バレー部員としてお祝い?みたいな事したいなぁと思って」
「ナルホド」

にこにこ笑う沙智は本気でやろうとしている。
俺も沙智が心配ではあるが、此奴が自分からやりたいって言っていることを辞めさせるのは、些か勿体なく嫌だなと思った。だから、

「ちょっと待ってろ」

沙智から渡されたボールを籠に戻して、倉庫に行く。確かアレがあったはずと探していると、倉庫の奥に仕舞われていたボールを見つけた。よし、これなら指にそこ迄負担は掛からねェ筈といそいそと沙智の元に戻る。

「ソフトバレーボール?」
「これでやるぞ。オーバーは出来んのか?」
「多分っ。ひーくんのを何時も見てるし、イメージトレーニングは完璧!」

こうでしょ!と頭上で親指と人差し指でおにぎりを作りながらドヤ顔している。昨日沙智の爪を整えたから折れる心配はないが、やっぱり俺の指とは全く違う細さが怖い。柔らかいボールを用意したけど、折れちまわないか、これ。本当に大丈夫か…?。
俺の心配を他所に、沙智は頑張るぞーとやる気満々だ。怖い、その言葉に尽きる。でも、折角のヤル気を無下にしたくない。ああ、クソ。

「や、山なりのトスを頼むぞ」
「任せて!」
「本当、お前のその自信は何処から来てんだよ…」
「ひーくんのこと何時も見てるとね、バレーをやりたくなるの。何時もは身体が追いつかないから辞めてたけど、今日は記念日だからできそうな気がする…!」
「っ…」

俺のバレーが沙智のやる気に繋がっている。バレーへの入口になれている。心が擽ったい。
沙智のことは心配で怖くて仕方ないが、本音を言えば幼い時から沙智とバレーが出来たらいいなと思っていた。だが、身体の事も有り、自分から誘う事は出来なかった。一緒にやりたいけど、沙智が倒れて傍から居なくなる方が嫌だったから。其れが今日、排球の日だからって俺の夢が叶う。怪我しないか、倒れちまわないかとか怖さはあっても、嬉しさが勝っていた。そして其れに追い打ちをかけるように、俺のバレーが沙智の心を、身体を動かしたことが何よりも嬉しい。

ふんわりと沙智がトスをしやすいように、動かさないように、彼女の真上に落ちるようにとボールを投げる。沙智は瞳を輝かせて、指を構えた。あぁ、やりたかった。一緒に大好きなバレーを、大好きな此奴とやりたかった。其れが今、

ボフンっと変な音をたてながらあがった沙智の初めてのトス。ちょっとだけ低いが、沙智が精一杯丁寧に上げてくれたトス。

「ナイストス」
「っ!」

バチンと打ったスパイクが、相手コートのアタックライン辺りに落ちる。よしっと小さくガッツポーズを取っていると横からトンっと衝撃を受けた。衝撃の招待は沙智で、俺の腕に顔を埋めている。

「沙智、ナイストス。初めての割には上手いな、嫉妬した」
「……ふふっ。ありがとぉ」
「次、やる時はもう少し遠くに上げてみろ。このアンテナに届くくらい」
「!。つ、次もやっていいの!」

俺が"次"なんて言うと思ってなかったのか、バッと顔を上げた。俺自身も思わず出てしまった言葉に驚いていたけど、もう1回、何度でもやってみたいって思ってしまった。

「沙智が元気な時だけ、な」
「う、うん!。嬉しい!」
「おう。俺も沙智と出来て嬉しい。とりあえず、今日は辞めな。手のマッサージしてやる」
「変な音鳴らなかったから、大丈夫だよ?」
「駄目だ。何時もやらねェ事をやったンだから、優しくしてやれ」

問答無用と沙智の手を取り、マッサージを施していく。俺の手より小さくて細い、守りたいと思った手。今日、この手であげてくれたトスを打った。及川さんとか菅原さんとか色んな人のトスを打ってきて、誰しもが打ちやすく、いいトスだった。だけど、沙智が上げてくれたトスが1番、

「好きだ」
「私もひーくんが大好きだよ。…またやろうね」
「おう。やろう、何度でも」

爺さん、婆さんになってもずっと。



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