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始まってしまった非日常

その日、赤西花撫は人間を助けた。

痛む身体を我慢して家に帰る途中。
花撫の心を写すように降り頻る豪雨の中傘を差し、濡れないようにスクールバッグを抱え、俯きながら帰っていた。
家であるタワーマンションの近くで、花撫は見つけたのだ。ずぶ濡れで倒れている人間を。
普通の人なら傍に駆け寄り、息をしているか等の行動を移すのだろうが、花撫は違った。

「……なんで」

零れ落ちた言葉。歪める顔。
彼女が倒れてる人間、男性にどうこうした訳ではなかった。唯何故こんな所で倒れているのか、巻き込まれるのが嫌なだけだった。

酔っ払いが寝ているだけならまだいい。
だが、男性が着ているスーツは所々破け、焦げていた。どう見ても何か事件に巻き込まれて、ここに倒れている様だった。
事件だとどうなるか。
警察が来て、自分の家に聞き込みに来るかもしれない。TVに私の姿が映るかもしれない。それをあの人に見られたら。

それに、助けてどうする。
彼が寝てる時にあの人が帰ってきたら。
痛む腕をそっと触れて考える。

助けるべきか、見て見ぬふりをするか。

「……なんで、私の………前に」

花撫には救急車を呼ぶという考えがなかった。
悲しい事に彼女は父親から虐待を受けていたのだ。幼い頃から罵声と暴力の中生きてきた。逃げ出したこともあった。逃げた先で病院に運び込まれた事もあったが、どう足掻いても保護者である父親に連絡は届いてしまう。その度連れ戻され、地獄に叩き落とされたのだった。
その教育のせいか病院に行く事は悪い事だと彼女の身に染み込んでしまっていた。だからこそ、彼女は救急車を呼べない。連れ込んでどうする。その連絡が父親に届いてしまったら、一時の平穏が地獄になってしまうから。

だから、彼女には男性を自分の手で助けるか、見捨てるかの2択しかなかったのだ。

花撫は男性にそっと近づいた。
彼女は虐待の他にも学校でいじめを受けていた。
彼女に優しくする人は誰もいなかった。だから、彼女は人間が怖くて仕方ない。優しくしても、同じモノが返ってきた試しがないからだ。
男性を助けて、その後は。
恩を仇で返されるのでは。
またこの人もお父さんの様に私を。

「………う゛っ…」

痛みに耐える声が聞こえた。

その時重なったのだ。思い出したのだ。
ずぶ濡れで風呂場に転がる私と男性が。
あの時私は誰かに助けを求めていたことを。

傘を閉じ、男性の身を起こして彼女は家に帰った。汚れた身体を洗うため風呂場に駆け込んだ。煤で汚れているだけかと思ったが、男性の身体には至る所傷があり、血でも汚れていた。
清潔なタオルで吹き、バレたら怒れる所ではないが素っ裸で放置もできず、父親の服と下着を借り、男性に着せる。

そして、この家で唯一安心出来る彼女の部屋に運び込み、ベットに寝かせ、応急処置を施した。皮肉にも彼女は病院に行けないせいで応急処置の類は身についていたのだ。
彼女と男性はかなりの体格差が有り、ここまでの重労働で彼女は力尽きており、そのまま床で眠ってしまった。




次の日、彼女が先に目を覚ました。
男性はまだ眠っており、寝息も一定で痛みも特になさそうであった。昨日施した応急処置は間違っていなそうで花撫はやっと胸を巣食っていた靄を吐き出した。

昨日男性を洗っている間に洗濯しておいた自身の制服と男性のボロボロのスーツを回収する。乾燥付きではあるが少々生乾きだった。着ることには問題なさそうだったため、彼女はそのまま制服を着る。その時に目に付いたのだ。
男性のスーツのポケットの中に入れてあったスマホと財布、そして黒い手帳。洗濯の際にポケットから出して、タオルをしまってある棚に置いたままにしてあったのだ。

「………」

人の貴重品を漁るのはいけないことだと分かってはいた。だが、彼女は登校しなくては行けなく、助けたと言っても身元が分からない人物を家に置いておくのは怖かった。唇を噛み締めて、一呼吸。震える手で黒い手帳に手を伸ばし、中身を見る。

「………けい、さつ……降谷…零?」

その手帳は警察手帳であり、手帳には『警備局警備企画課 降谷零』と書かれていた。