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「勘解由小路無花果と、面識がありますね。テリトリーバトルの際に、貴女のことで声を掛けられましたよ。」
「急ですね」
「急、ではありません。あのバトルの際から本当は聞こうと思っていましたが観音坂さんの件を優先させましたので聞くタイミングを待っていただけです。過去の事件の際に貴女は直属の上司よりもさらに上の人間に報告をしている。相手は勘解由小路無花果ではないかと私は思っています。」
「つまり、私は間者や密告者かなにかと疑われているというわけですか?」
「いえ、そうは思っていません。彼女の口から貴女の名前が出たときは勘繰りましたが、そうである可能性は低いと思いました。」
「…本当、銃兎さん、私のこと好きですね」
「信用に足る人間だと思っています。だから、本当のことを話してほしい」

帰りの遅くなった彼女を車の助手席に乗せて、エンジンもかけず、シートベルトもせずに話を切り出した。椿は慌てる様子もなく、口を開いた。

「中王区に来ないかって誘われたんです。上層部の椅子を用意してやるからって」
「断ったんですね」
「ここにいますからね。一応、自分の身が可愛いので大人しく従った方がいいのかとか、断ったらどうなるんだろうとか、あのまま大した仕事もせずにいるよりましかなとか色々考えて。あんなに人生の選択で悩んだことなかったんで、2週間休み貰って実家でよく考えたんです」
「随分と偉い人から休みをもらいましたね」
「そうなんですよね。でも結局、中王区のことは手放しによくは思ってなかったので丁重にお断りしたんです。私1人乗り込んで変えられるようなものでもないですし。そしたら、いつでもいい、お前は有能だから希望を出せばすぐにでも椅子を用意するって言われました。褒めてもらえて少しは嬉しかったんですけど、気乗りはしなくて」

お偉い方が彼女に目を付けているのは、間違いなく彼女のラップのアビリティが理由だろう。携帯に付けているウサギのマスコット…ヒプノシスマイクを触りながら、考えるように椿は話を続ける。

「武力による戦争は反対です。兄もそうですが、うちの牧場で働いている人にも戦地に出向いていた方がいます。実家を出て驚いたんですよね、大戦なんて私の悪夢だったんじゃないかって思うくらい、無縁の時間が流れていて。政権が代わっても、武器がマイクに代わっても、虐げられている人間がいる。中王区で職についたところで、独裁にも似た今の状態を変えられるとも思えません。大体、ヒプノシスマイクの登場で変わったことって誰でも武器を取りやすくなったことだと思うんですよ」

薄暗い車内とはいえ彼女が笑っていないことはわかる。そして、言葉は怒りを含んでいるのに、彼女は落ち着いて話をする。女性警官も拳銃を所持することはもちろんある。だが、従来武器と呼ばれる多くの物は威力の高いものほど知識と体力がなければ扱いにくいものだ。そうだとすれば、彼女の言う通りヒプノシスマイクは男女平等に扱うことのできる武器になりうる。…こういう話を椿とするのは初めてだ。いや、そういう話ができるとは思っていなかった。

「…椿は、どうして警察官になったのですか?」
「世の中、良い人ってたくさんいるんですよ。そんな人たちを護れる仕事って何だろうってところからですかね。実家に、そういう職種に通ずる人が多かったのもあります。それから…さっきみたいな話を友人にしたら、あんたはいいよねそんなこと考える余裕があって、って言われたことがあったんです」
「………」
「これ、私が生きてきて1番ダメージを喰らった言葉なんですけど…」
「…貴女が能天気だとは思っていませんよ」

自分で思い出しておいて、見るからに元気をなくした彼女に思っていることを伝えた。ただ、その友人が言うこともわからなくもない。自分もそうだ、目の前のことで手も気持ちもいっぱいで、彼女のような憂いとはまた違う感情に占められている。

「私だって、いつもそうなわけじゃないですよ。でも、ふとした時に考えたりするんです。警察官を選んで、治安の悪いヨコハマを選んで、少しでも良い人の心にゆとりができたらな、なんて思ったからです。政権が代わって、あの部署から実務的なところへ移動ができたのは上層部が女性に代わったおかげとも思ってます。でも、このやり方には賛成できない。男性優位な国だとは思っています、中王区が上に立った今でも多くの場は大きく変わっていない。私が受けてきたハラスメントも忘れるつもりもない。それでも、不平等にふんだくった税金で壁を作って、やっていることは何かおかしいと思います。…なんだか、すいません、何もできないくせに、しないくせに口ばっかりで。話、脱線しましたね。何の話…してましたっけ」
「何もしていないは、間違っていますよ。貴女は、実家を出て、警察官として仕事をしています。何もしないというなら、貴女はここにいませんよ。」
「……」
「それで、勘解由小路無花果には、何と言って断ったんですか」
「自分には早すぎる仕事であること、まだ警察官として走り回っていたいことを素直に伝えました。もちろん、それだけで納得してもらえるとも思わなかったので、内部監査として上層部の任に新しく就いた女性が怪しいことをしていたら報告をする約束をしました。そういう目も必要ではありませんか?と、売り込んだわけです。まぁ、しぶしぶという感じではありましたけど、納得してもらえましたよ。」
「貴女の言う、上への報告ってまさか」
「もちろん、警視総監直通です」
「はぁ…貴女という人は」
「結構、気に入られているみたいなんですよ。その話の後、今の職場に不満はないのかと聞かれたので、ずっと持ち歩いていた移動願いを受理してもらいました。言ってみるものですね。一応希望も聞いてくれるんですよ。恩を売ろうとしているのかと疑いましたけど、心の底から悪い人ではなさそうだなって少し思いました。」
「そこでずっと欠員していると訴えていた、うちに来ることになったのか」
「そうだったんですか?私は初めから移動先をここにしていたので、すぐに、いいだろうって言われましたよ。うわぁ、偉い人の権限ってすごいって思いました」
「…ここを希望?」
「実務として仕事ができそうで、危険な奴を取り締まるところで、私が録り貯めたパワハラセクハラデータを1番有効活用してくれそうな人がいるところを移動先として色々と調べていたんです。証拠があっても、それを自分で上手く使いこなせる自信はなかったから苦労して探しましたよ。…それから、純粋な正義を掲げてリタイアした人間を身近で何人も見てきました。だから、銃兎さんが色々悪いことをしてるって知った時に、この人だって思いましたよ」
「……」
「というわけで、ここにいるのは偶然じゃないんです。銃兎さんに気に入ってもらえたのは偶然です。ここまで話すつもりなかったんですけど、結局言っちゃいましたね」
「貴女が私がやっていることを見ないふりをしているのは知っていましたが…」
「銃兎さんの先輩には、よく声をかけてもらったんですよ。髪も黒くさせられていたので、再会した時に銃兎さんは全然気づかなかったみたいですけど。今思えば似ていたのは、独歩さんじゃなくて、そのころの私かもしれないですね。不眠症で隈も上手く隠せてなかったので、酷い顔してましたよ」
「…貴女の方が、私のこと大好きじゃないですか」
「仕事ができる人は好きですよ。でも、悪いこともほどほどにしてくださいね。ちょっと心配になります」
「まったく…」

肩の力が抜けて、自然と口角があがる。
先輩が良く声をかけていた若い女性警官がいた。やけに黒髪の似合わない女で、いつも疲れた顔をしていた。目元の隈も隠しきれていないほど、いや隠すつもりがないくらいに化粧が雑で、随分と頼りがいのない様子に警察官としてどうなんだと思っていた。そのことを先輩に言うと、向こうにも色々事情があるのだと何か知ったようなことを言っていたのを思い出す。

「随分と可愛いことをしてくれましたね」
「可愛がってもらえて良かったです」
「…黒髪の似合わない女だなと思いましたよ」
「あ、思い出しました?」
「えぇ、随分と陰気な警官でしたからね」
「あの頃は、1人暮らしが寂しくて、全然眠れなかったんです。今は、ぬいぐるみで誤魔化せるようになったんですけどね。1人で眠るのは、あまり好きじゃなくて」

ぼんやりと見ていたフロントガラスの向こうから、助手席で話を続けていた椿に視線を移した。確かに、似ていたのは昔の彼女だったのかもしれない。あくびをしている様子からは、彼女の思考も行動も考えられなかった。

「ここまでちゃんと話を聞いてくれたのは、銃兎さんが初めてです」
「椿のような人が増えれば、世界は変わるんでしょうね」
「まずは、このヨコハマからですね」
「えぇ」
「あ、銃兎さん、記録更新じゃないですか?」
「?」
「私が話している間、1本も煙草吸わなかったですよね」
「…確かに、そうですね」
「あの、」
「?」
「今日はさすがに真夜中なので、マンションの前までお願いしてもいいですか?」
「えぇ、もちろんです」
「煙草、吸ってからにしますか?」
「せっかくなので、椿を送り届けるまでは耐えてみます」
「そんなことできるんですか?!」
「調子に乗ってると、その口塞ぐからな」
「忠告があることに優しさを感じますね」

小さく笑う声が聞こえた。この距離間が、この空気感が心地よい。話し疲れたのか、いつも送り届ける駅の近くまで椿は何も話さなかった。

「色々聞いてくれてありがとうございました。これからも、よろしくお願いします」
「それは、こちらのセリフですよ。長く付き合わせてしまって、すみませんでした。それでは、おやすみなさい」
「…はい、おやすみなさい。銃兎さん」

パタンと閉まった扉を確認して緩くアクセルを踏んだ。眠気をはらんだ声が自分の名前を呼んだ。それがこんなにも耳に残るとは思わなかった。彼女が話した内容を思い返しているうちに自宅に辿り着いていた。この安心感に浸っていたくて、結局、車に乗ってから1度も煙草に手を付けなかった。


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