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椿家の惨事から1か月
本家が潰れ、明翠が行方不明となってもなお椿の血を引く人間が動く気配はなく、的場が全てを取り仕切ると聞いても、不満を言うのは椿に触れていない家ばかりだった。上に借りは作ったが、上手く治めてくれた。
椿の家が抱えていた仕事も、一通り確認した。祓い屋である以上、継続的な儀式や習わしを怠れば余計な災いが起きかねない。家に残されていた帳簿を頼りに得意先を確認して見れば、そこそこ名のあるものもあった。政治家に各種商売、神社仏閣に個人…幅広く相手にしているものの、このくらいの数であれば3人ほどで回すことができるし、実際そうしていたのだろう。過去をさかのぼれば切りがないが、大きな相手は帳簿が別に分かれていたし、1か月、年単位で訪問が必要な相手に対しても細かく日程が予定されていた。酷く見慣れた文字を指でなぞる。数冊遡りながら内容と日付を確認していく。4年ほど前から明翠の名前がある…もう一度、新しい帳簿を確認すれば、この1,2年の対応数は彼女が1番多い。それも片手間で済むようなものではなく、大口の仕事を片付けている。
彼女の祖父が亡くなった後、遠方は兄が、比較的近いものは明翠が対応しているのか。
彼女の部屋から出てきた、仕立ての良い見たことのない訪問着の理由がわかって来た。思っていたよりも多いと感じたが、こうして大口の客の元へ行くためのものか。帯や簪、高校生というには大人びた色味の化粧品も、そういうことかと納得がいく。
彼女が書いていた予定通りに、各得意先へ事情を説明しながら足を運ぶ。行方不明だと説明すれば、信じられないとばかりに驚き、心配のあまり涙を流す人までいた。高校生であることに驚かれたのは1回や2回ではなかった。どこへ行っても“明翠ちゃん”ではなく、“明翠さん”と呼ばれていることが、その証拠のようだった。祓い屋から距離のある客が多く、的場が踏み込んでも嫌な顔をされることは少なかった。
「明翠ちゃんは変わらず行方不明か…ただでさえ苦労の多い子だったのに、神様も酷いものだな」
「桝池さんは、彼女のことを明翠ちゃんと呼ばれるんですね」
「小さなころから知っているからね。うちに仕事で来るようになった時は驚いたな。随分と大人顔負けの出で立ちでね、所作から話し方まで10代の女の子とは思えなかったよ」
「他所のお得意先様からは、明翠さんと呼ばれていましたよ」
「そりゃあ、そうだろうね。でもまぁ、そうは言っても……そうか。静司くんは、いや、的場さんと呼ぶべきかな」
「静司でいいですよ」
「では遠慮なく静司くんと呼ばせてもらおう。昔ね、明翠ちゃんが小さい頃に家出をして、うちの境内の隅っこで一晩過ごしたことがあったんだ。朝になって、あそこの隅に子供が眠っていることに気づいた時は驚いたよ。声をかけたら、酷くがっかりした様子でね。その後、おじいさんとお兄さんが迎えに来てくれたんだけど、お母さんは?と言って私の後ろに隠れて、なかなか帰らなかったんだ」
「………」
「泣きぐずりそうな彼女を冬真くんが一生懸命おんぶして帰っていったんだけど、その数か月後に、梓美さんが亡くなられて……」
「よく、御存じなんですね」
「椿さんにはお世話になっているからね。的場さんところの君がうちに来るとは、少し意外だったよ」
「…彼女の父親には、3人姉がいたはずですが、どの家も動きませんでした」
「そうか…」
「何か、あるんですか?」
「椿さん…おじいさんには会ったことがあるね?」
「えぇ、豪胆で有名な方でした」
「そうだね。とても厳しい人だった、自分の娘たちにも役目を全うしろと言い聞かせて、彼女たちの意思をあまり聞かずに早くに嫁がせてしまったから、親子仲が良くなかったんだ。時々、うちに参拝に来てくれた時は子供たちも連れて楽しそうにしていたんだけどね。もうめっきり見なくなってしまった」
「それで、明翠のことを」
「可愛がっていただろう?」
「はい」
「それでも十分厳しかったけれど、明翠ちゃんは良く懐いていた」
「えぇ」
「明翠ちゃんは、両親と上手く行っていなかったから。お母さんも早くに亡くして、お父さんとは反抗期もあって余計にこじれているみたいだったな。おじいさんの看病も、お父さんに手を貸されるのが嫌で明翠ちゃんと、おばあさんでしていたと聞いたし。その間も、うちの仕事をこなしてくれてね、酷く疲れているようだったから声を掛けたんだけど、ご心配には及びませんの一点張りで。葬儀の時も、つらそうだったな」
神社の本殿を通り過ぎ、広い敷地内を椿家の昔ばなしを聞きながら歩いて行く。
「………ここですね」
「あぁ、先祖代々受け継いできた不思議な木でね。水やりの代わりに、定期的に酒類が必要なんだ」
「なるほど…」
「ん?」
「桝池さんは、見えないんでしたよね」
「あぁ、残念ながらね」
木の下に座り、おれへの不満をずけずけと言う上級の2匹の妖へ、注いだばかりの日本酒を手渡す。この依頼用のキープボトルが出てきたときは冗談かと思ったが、的場とわかっても不満を言いつつ受け取った盃で不愉快なくらいに楽しそうに飲む様子をしばらく眺めていた。
「随分と険しい顔だね、静司くん」
「明翠は、どうしていましたか」
「ほどよく合槌を打って、お酌をしていたよ。何かおっしゃっているのかい?」
「お前でいいから、飲めと」
「それはだめだな、未成年にはちょっと」
「…それなら、桝池さんに飲めと」
「私?」
予備の盃に酒を注ぎ、桝池さんがいい飲みっぷりを披露すれば、大層な喜びようだった。帰り際、2人の妖は、おれに声を掛けてきた。
“彼女が帰ったら、また酌を頼みたい。彼女の注ぐ酌は特別美味い”
“あぁ、あの味に慣れてしまっていたが、酒の違いではなく注ぎ手の問題だったとは気づかなんだ”
「わかりました、伝えておきます」
“いや知らなんだなぁ、清らかなものが注ぐよりも穢れた娘の方が味わい深いものだな”
“あぁ、その通りよ。戻って来た時には、どんな味になることやら、楽しみだなぁ”
“的場の子よ、お主も悪くはなかったぞ。その血も歪で味わい深い”
“そういえば前に1度来た、ひよっこはいまいちだったなぁ”
“あぁあぁ、あれはな”
悪趣味な話に舌打ちを我慢する。一升瓶に残る酒を直接木に全て注いでやりたかった。
「…桝池さん、過去に明翠の妹が来たことはありますか?」
「あったよ。彩季ちゃんだね」
「そう、でしたか。…この1年くらい彩季さんのことで気になることは、ありませんでしたか?」
「彩季ちゃんのこと?…そうだな、それこそ冬真くんに連れられてうちの依頼に来たのが、この半年内だったね。家業を継ぐのかい?って聞いたら、自分が強くなったら明姉が家にいてくれるかもしれないって」
「家にいる?」
「高校を卒業したら、明翠ちゃんが家を出て行ってしまうからって」
「それがいけないことですか?いずれは」
「まぁそうなんだけど。彩季ちゃんは明翠ちゃんのことを母親代わりみたいに思っていたから、離れるのが嫌だったみたい。冬真くんに、それくらいで考えを変えるような明翠じゃないだろって否定されていたけどね」
「………」
「…静司くん」
「はい」
「明翠ちゃんは、君には相談事をしたりしていたかい?」
「…家や自分のことは、ほとんどありませんでした」
「そうか……私も、もう少し気にかけてあげられたら良かったんだけど」
「桝池さんは勘違いをしています。今回のことは、明翠が起こしたわけじゃありません。彼女は逃げたわけじゃない。ただの犠牲者です。…では、おれはこれで失礼します」
得意先を回れば回るほど、知らない明翠の情報が出てくる。おれが知っている明翠は一体何なんだろうか。
妖も人も、理由は様々だが、“帰ってきたら、是非またうちに来てほしい”と口をそろえた
帰ってきたら?
そんなお気楽な言葉に乾いた笑いが出る
「片桐さん?こんな時間に、こんなところで…どうかしましたか?もう日が沈みますよ」
「的場くん、この前は掴みかかって、ごめん」
「あぁ、別にいいですよ。片桐さんの気持ちはわかるつもりです」
「ねぇ、………本当は、もう…………、明翠に会うことって、できないんでしょ」
「………どうして?まだ決まったとは」
「この前、的場くん、そういう顔してたから」
「…………」
「私、もっと明翠の話、聞いてあげられたら良かったのかな。家のこととか、妹ちゃんのこととか、悩んでるみたいだったのに聞いてあげられなかった。明翠と的場くんがギスギスしてたのも、一緒に遊びに行った後からだった。私たち2人のことで言い過ぎたかもって、明翠ちょっと嫌そうだったかもって、中学の時も………私、明翠のこと追い込んじゃったかもしれない、」
「……片桐さん」
「私、」
「片桐さん、落ち着いてください。噂が流れているだけで、明翠は自ら命を絶ったわけじゃない」
「………」
「事件に巻き込まれたのは本当です。だから、片桐さんが自分を責める必要はないし、明翠は片桐さんたちと遊んだことを楽しそうに話してましたよ。感謝もしていました。」
「………」
「追い込んでいたのは、おれの方だ」
「………」
「すみません、こちらの話です。とにかく、彼女は」
「…帰って、来ないんだね」
「………、」
「……….」
涙をギリギリまで堪えて話していた片桐さんは、おれと目が合うと心配するように眉をひそめた。しばらくの沈黙の内、彼女から躊躇うように差し出された小さな包みを受け取った。
「4人で遊んだ日に明翠が買ったの。家にあると的場くんに見られるかもしれないから預かってほしいって言われてた。……っ、遅くなっちゃったけど、これ、明翠から、的場くんへの誕生日プレゼント」
「…………」
「もし、もしもっ、明翠が見つかったら私にも教えてね。それじゃあ」
おれに遠慮するように、泣き顔を見せまいと俯いていた片桐さんが立ち去ってから一歩も動けなかった。受け取った包みへ視線を落とす。和紙に包まれた縦長の小箱の中には明翠お墨付きの筆が入っているのだろう。ここの筆を一度使ってみてほしいと言っていた。
「………、」
明翠は帰って来ない
一番自分がわかっているのに、一番自分が理解しようとしなかった
ひりつき苦しくなる喉の痛みに視界が歪んでいく
中身が透けるわけでもないのに、それを目線よりも上に上げる
おれが手を引こうとすると渋っていた明翠を思い出す。早くから大人として求められていた彼女が、おれの前で幼馴染でいたいと思っていたことが、彼女にとっての精一杯の我儘だったに違いない。
最後の日、楽しそうにはしゃいでいた姿も、おれに勝って嬉しそうに笑っていたのも、おれにだけ向けられた絶対の信頼そのものだった。もっと早く気づけていたら、こんな別れにはならなかったかもしれない。
吐いた息の白さに驚きながら、包みを握っている手の甲を目元に充てる。ほどよく冷えていて丁度いい。
「………、」
あぁ、好きだなぁ
と、声を出そうにもひりついた喉は音を出すことはなく
震えた息が白く消えていくだけだった
成人の年を過ぎて、自分の番がまわって来た
誰よりも祝いの言葉を言わないだろう彼女の姿がないことが不思議だった
昨年、二度目の邂逅で打ち損じた
残り3年で彼女の名を墓へ刻まなければならない
消化しきれなかった感情と少しずつ向き合えるようになってきた
あの頃の独占欲に似た幼い恋慕を完全に手放せたとは思っていないが
必要以上に思いを募らせることは減って来た
帰って来ないと理解しようとしては
探しに行ってしまう自分が愚かに思えて仕方がないが
あの妖を打ち祓うまでは折り合いがつきそうにない
どんな役目にも代わりはいるが、椿明翠に代わりはいない
それでも、二度打ち損じたことで諦めと言う言葉が少し浮かぶようになった
そんな折に右目のない彼女の姿を見た
湧きだった感情よりも
確認する前に“偽物”と、すぐに答えを出した自分に動揺した
もう、理解しているのだと知らされたようだった
「明翠さんは、まだ生きています」
自分ですら信じ切ることができなかった言葉を夏目貴志は生きていると言い切った。息が震えるほど腹が立った。あの場の絶望感を知らない者に何がわかるのかと当時の自分が戻ってくるような感覚だった。
「…………、」
そうだと言うのに、こちらの気も知らず、急に抵抗する力が弱くなった。まるで祓ってくれとでもいうような力の抜き方に合わせ、抜け掛かる懐刀を傷だらけの妖の腕が抜けないようにと抵抗する。水を掛けられたような気分だった。
「いじらしい.........まったく」
本当に、ここまで来て自分を犠牲にするというのなら、少しは残される側のことも考えてほしい、貴女は随分とそれを知っていただろうに。
あの日、部屋にいたはずの彼女だけが何一つ残っていなかった。腕1つ、脚の1つもない。部屋を出た形跡もなく、血痕も残っていないのは、そこで丸飲みにされた証拠だった。だから、生きている可能性を考えた。
「わかりました。君の言うことを信じます...周一さんとは、どうするつもりだったんですか?」
答えを聞かずとも封印する以外に方法はないことはわかっている
結果はわからない、生死はわからない、それでももし、また会えるのなら…
先日、出先で久しぶりに面白い者を見つけた
随分と愉快な猫を連れていて
あぁそうだ、貴女も、会ったことがあるでしょう?
「おかえりなさい、明翠」
ALICE+