18
正式に一門には所属していない。あくまで的場の預かりである明翠に当分の間は仕事を委託する話を各方面と詰めていたが、特段反発されることもなく、とんとん拍子に話が進んで行った。
「何を呆けているんだい、的場」
「正直、明翠をこうして動かすことに反発が起きることを想定していた分、拍子抜けで」
「何を今更、どっちかっていうと、明翠がいない4年間の方が、私らにとっては想定外だよ」
「……」
「大体のうちの連中は、的場の若様の成長を見てここにいる。こうなることが予想できないようじゃ、うちの力争いの中でやっていけやしない」
「それは、それで気恥ずかしいと言うかなんというか」
「上も認めてるんだ、今更明翠に文句を言う者もいないさ。それに誰もいない椿家が得をするということもないし、本家に影響は出ても一門内の力関係が変わることもない。随分と平和じゃないか」
「……」
「当分は黙って様子見してる連中もいるだろうが、あの娘は、そのまま力で黙らせるだろうから何も言えやしないよ。この前の祓いっぷりも清々しいものだったな」
七瀬の言うことは最もだ。明翠に後ろ盾がいないことが、ここまで上手く作用するとは思っていなかった。立場だけで言うのなら、都合がいい。それに、年長者からすれば、大学にでも通っていた者が地元に帰ってきたのと同じ感覚なのかもしれない。
「次の会合には、明翠も出るってことでいいのかい?」
「そのつもりです」
「そうかい、そりゃあ荒れそうだねぇ」
「不満がある者も見つけやすい、いい機会だ」
「そうだボス、明翠はスーツは持っていないのかい?場所によっては和装は悪目立ちする」
「…流石に、そこまでは把握してませんが」
「なら、1つ仕立ててやるといい。便利だからね」
「そうですね」
明翠の久しぶりの会合への参加は、予想通りの大荒れだったものの、本人は面白がっていたし、酷い暴言も、どこ吹く風といった様子だった。前までの関わりたくないといった威圧的な態度は改めて、少し柔らかい印象にもなった。すでに的場の取り巻きと接する場合も、穏やかで人好きのする態度を取っていたし、敵は作らないようにしたいらしかった。七瀬が「反抗期が終わったんだ」と言ったのを聞いて妙に納得した。
その後も、彼女は試されていると理解したうえで、多くの仕事を片付けていった。結局、椿の仕事は、明翠が関係者に4年ぶりに会うということを考慮して保留にしてある。
和装で出向く明翠を見ながら、七瀬からの提案を思い出した。仕立て屋を家に呼ぶ段取りを考えていたが、他にも買いたいものがあるという彼女に合わせて外出することになった。
『静司は、あんまりスーツ似合わないわね』
「見慣れないだけだ」
『なら、どうして私にスーツを仕立てろなんて言うのよ』
「七瀬の提案です。和装より、動きやすい時もある」
『それはそうね、スーツは持っていなかったし丁度いいのかも』
「商談に同席する際もスーツの方が都合がいいこともある」
『商談…、的場でも仕事を取って来たりするの?』
「ありますよ?従来の仕事だけではなく、勢力図がひっくり返らないように手を回さないと」
『他所の仕事に手を出したら、面倒なことになるじゃない』
「貴女のおじい様も、相当な方だった」
『…そうね、的場の得意先から話を貰ってくるような人だった』
「そういうお得意先からは、貴女に会いたいと、是非次は連れて来てほしいと言われます」
『……そう、なの?』
「あぁ。他にも明翠が関わって来た家からは、顔を見せに来てほしいと」
『……』
「やはり、着物を仕立てましょうか?」
『今日は、スーツだけで十分。着物なら、先に黒の紋付が欲しいわ』
「縁起が悪いな。まぁ、それは今じゃなくてもいいでしょう。黒ならいくらでも貸せる」
『でも、せっかくなら』
「うちの紋を入れてくれるなら、すぐにでも」
『……』
「あと訪問着は、今度、おれから贈ります。反物も見に行きましょうか?」
散々仕立てると言っていたのに、既製品を買うのではないと気づいた彼女が慌てた顔をしたが、そのまま採寸のために別室に案内されていった。椿家の邸や、彼女の元へ入る相続を考えたら、十分お嬢様だというのに、どうにも金銭感覚は一般庶民に近いところが客には受けがいいのかもしれない。
『静司、聞いて』
「ん?」
『背が、背がね』
「……言われてみれば、たしかに」
『背中の、肩甲骨の下あたりにあった痣がなくなったの』
「それで、背が伸びたと」
『えぇ!だって5cmも伸びたのよ!』
「呪いにしては誤差みたいなものでは?」
『何でもいいわ、5cmよ、あの痛みは成長痛だったわけね』
「…ふっ、そんなに嬉しい?」
『嬉しいに決まってるじゃない』
「そう、それは良かった」
『大体、誰よ、こんな呪いをかけたの』
「ふっ、…っ、そうじゃないでしょうっ」
『わ、笑いすぎ!!』
「今まで受けていた呪いが、アレに清算された結果、体の負荷が軽減されて背が伸びた」
『……体が軽くなったのも、そういうこと』
「当然。だが、そんな報告は、もらってなかったな」
『うっ…』
「全く、どれだけ呪われていたんだか」
『……』
「今度、確認しても?禊もしておきたい」
『禊は、昔からしてたし今も時々してる』
「……」
『的場が、それで安心するなら好きにして』
「そこは名前でいいんですよ」
『……』
「……」
『静司の好きにして』
「………」
『何、その信じられないものでも見るような目は』
「………」
こっちの気も知らずに、あんなに子供っぽく笑って怒ったくせに、真面目な顔をして、そんなことを言う。
仕上がったスーツを着た彼女に「お互い様だ」と言って機嫌を損ねさせたのは別の話だ。
背が伸びていたことが、そんなに嬉しいのか、いつになく上機嫌な彼女の買い物に付いて行く。今までなかったことはないが、プライベートらしい買い物についてくのは初めてのような気がする。…こうして見ると普通の、どこにでもいる女性なんだと思い知る。服を見て、生活品を見て、次は化粧品。4年で色々と流行が変わったせいか、化粧品売り場から動かなくなった明翠に、これが世に言う女性の買い物は長いというやつかと思い知った。紅の色で悩むのなら、全部買えばいいのにと思えてくる。肌に塗るものも、塗らずとも十分に色白で綺麗だと言いたい。少し様子を眺めていたものの、近くの椅子で待つことにした。
『ごめんね、待たせて』
「いいですよ、そのために今日は来たんだから」
『ありがと』
「それより、腹が減った。さっき通ったカフェが良さそうだったから、そこに行こう」
『うん』
メニューがなくなり広くなったテーブルを挟み向かい合わせに座ると不思議な感じがした。いつも隣り合って話すことが多かったし、何かをしながらということがほとんどだったかもしれない。
『…静司って、甘い物好きなのね』
「えぇ、知りませんでした?」
『知らなかった』
「だと思った」
『家の人が例外で男の人って、甘くない方が好きなのかと思ってた』
「それで、最後に渡して来たアレは甘さ控えめだったんですか」
『そうね、そうした気がする』
「おれを意識して、そうしたと?」
『………気にしてたの?』
「毎年甘かったものがそうでなくなったから、何事かと思ったんです。まぁ、そういうことなら」
『本当に知らなかったの』
「これだけ同じ時間を過ごしても、貴女は私のことを知ってくれない」
『静司だって、自分のこと話さないじゃない』
「見ていたらわかることもあるでしょう?」
『それは、そうだけど』
「おれは、明翠の好みについては知っているとは思ってますよ。例えば、シュークリームのようなクリーム系のスイーツ、フルーツは洋梨が好きでしょう?洋装が好きではあるけれど色の濃い和装も嫌いじゃない、動物は蛇やトカゲなどの爬虫類、あと男性は年下より年上が好みだとか。当たってますか?」
『あってるけど、最後のなに』
「昔小耳に挟んだので。今となっては良い条件だ」
『………』
「どうです?戸籍上は同い年でも4つ年上」
『仕事してる的場は、大人でかっこいいと思う』
「今は?」
『ナンパされてる気分』
「酷い話だ、どうしたら伝わるんだか」
『静司が私をどうのっていうのは、もう伝わってるでしょう?』
「全然」
『全然?』
「おそらく、2割程度」
『2割?』
「えぇ2割」
『………努力はするわ、だから本当に待っていて欲しい』
「…わかりました。理由があるのなら、聞きたいところですが」
『今は言いたくない』
「おれが傷つくから?」
『私が傷つくからよ』
不安そうな顔をするのは珍しいと思った。自分を卑下するような表情の理由は、幼少期の件と関りがある。椿の邸が襲われた件については、理由もはっきりしていて、今後についても考えられる分、明翠にとっては前に進みやすいものだったのだと予想ができる。内に抱えている怒りや悲しみを溜めこんでいることは気がかりではあるが…。
『まだ注文するの?』
「成人男性というのは、たくさん食べる生き物なんですよ」
『私は、健康面を心配してるのよ』
「今のところ特に問題ない。それより、明翠の食べているそれは美味しかった?」
『ん?美味しかったけど、残ってる分食べる?一口だけど。代わりに、静司が食べているのを少し頂戴』
「じゃあ、交換で」
追加注文分を口に運びながら、彼女が本屋で買ったばかりのファッション誌をめくっているのを眺める。時々交わす会話は妖とは関係のないものだ。それがとても新鮮に感じる。友人とは、こういう会話をしていたんだろうか。
『美味しい?』
「美味しいですよ?貴女にも最初にあげたでしょう?」
『うん。でも、フォーク止まってるから』
「明翠のことを見ていたら、つい」
『………』
「デートだなと」
『…違うの?』
「え、」
『え?』
雑誌から顔を上げ、きょとんとしている明翠と目が合う。つまり彼女は、今日は自分とのデートを前提に支度を?
『あの日は、柚晴たちとデートだったけど、今日は静司と、の、つもりだったんだけど。たぶん、七瀬さんも、そのつもりでスケジュールに口を出してくれたんだと思うわ』
「…………」
『ねぇ、的場の若様』
「やってくれるな」
じんわりと耳が熱くなる。ばつが悪く、思わず視線をずらした。
『食べないの?』
「食べる」
『ふふっ、ちょっと拗ねてる』
「……」
『怖いから睨まないで』
「ただの買い物に行くには、粧し込んでいるとは思った」
『………』
「バレンタインの時と同じで心臓に悪い」
ラッピングされたあれは、本当は別の人に渡すものだったのではないか、いつもと甘みが違う理由が他の誰かのためだったらと考えてしまったというのに、ふいに彼女から意識されると調子が狂う。そうだというのに、当の本人は何ということもない様子で釈然としない。
皿の上のものを全て口へ運び、食器を置く音で彼女が顔を上げた。
「あと、行きたい店は?」
『買いたいものは買えたから、十分よ』
「それなら、反物でも少し見て帰るか」
『筆はいいの?この前借りた時、ぼろぼろだったけど』
「あぁ、あれは、あれがいいんです」
『……..そう、それなら、私も帯留めが見たいから的場家御用達の呉服店に行きたい』
「そこだと少し距離がある」
『時間があるなら』
「いいんですか?おれが、貴女を連れて贔屓の呉服店に行く意味がわかります?」
『意味があるの?』
「明翠を紹介しにいくような形にならざるを得ないというか、向こうが勝手にそう思うだろうな」
『……』
「もう少し後の方がいい。とりあえず、適当に見て、明翠が好きそうなものを確認してから持ってきてもらえばいい。…それより椿にも御用達があるはずでは?」
『4年ぶりになるじゃない』
「まだ決心がつかない?」
『…うん』
「そうこうしているうちに、片桐さんが家に訪ねてきそうだ」
『そうしたらもう観念するわ』
近場の呉服店を物色してから、迎えの車を呼んだ。
店を出て彼女の荷物を持つと、本当にあの日のことを思い出す。もしも、あの時に余計なことを言わなければ明翠と距離を置くことにはならなかった。そうしたら、椿家の異変にも気づけたかもしれない。
『これから同じ家に帰るの、変な感じね』
「…ふふっ、」
『何よ』
「いや、そうだなと思って。世間一般では、同棲というやつだ」
『………居候でしょ』
「照れなくてもいい」
ふいっと顔を背けた明翠を見下ろす。
『……今日は、ありがと』
「………」
『こういうのもたまには、悪くないわ』
「なら今度は定番のデートプランを組むのも悪くない」
『…雑誌のぞき見した?』
「一生懸命読んでいたから何かと思って」
『…じゃあ期待しておきます』
「………、」
こちらを見上げ、ふんわりと笑った明翠と目が合った。深い意味など何もなく、また遊びに行こう程度の返事だとしても、次の約束をすることを嬉しいと思う。
「今日の明翠は、いつもより可愛らしいことを言う」
『…………そんなつもりはなかったのだけど』
「無自覚だから質が悪い」
『そういう静司くんは、今日は手を繋がなくて良かったんですか』
「….......」
『忘れたの?』
朝から粧し込んだ明翠に調子を狂わされていた、とは言えずに黙っていたところに迎えの車が丁度良く止まった。扉を開けた彼女に奥へ押し込まれ、運転席からの問いかけに答えた。動き始めた車窓から外を見ている明翠を横目で見ているうちに邸についていた。先に自分で荷物を持って降りて行った明翠に続いて、車から降りようとすれば、運転席から視線を感じた。
「報告があるならここで聞く」
「いえ、何も。ただ、ボスが明翠のことを見すぎだと思っただけです」
「……」
「明翠も気づいて、ずっと外を見ていたので面白くて」
適当に返事をして車を降りた。七瀬を含め一体何人がグルだったんだろうか。明翠を肯定的に受け入れてくれるのはありがたいことだが、こういうことが続くのなら一言物申したい。”的場の若様”ではもうないというのに、時折、受ける子供扱いは居心地が悪い。ことさら、明翠に関することは気恥ずかしさが消えないというのに。
『これ、静司の?荷物に混ざってたわ』
「あぁ、それは、明翠にあげます」
『…え』
「今日の礼だと思って」
『中身は?』
「部屋に戻って開けたらいい」
『…ありがと』
「どういたしまして」
不思議そうに部屋に戻っていった明翠を見送って自室に戻った数分後、問答無用に開けられた自室の扉から、渡したイヤリングを付けた満面の笑みの明翠が『ありがとう!それだけ言いたかったわ』と一言残して扉を閉めて去っていった。
慌てて閉じた右目に護符を付ける。眼帯を外したばかりのタイミングで慌てたが、この右目にも彼女の姿を映したことを少し嬉しく思う。悩んでいるなら買えばいいのにと思ったそれは、彼女によく似合っていた。左目に映った彼女の笑顔を思い出しながら、使い古した筆を撫でた。
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