日記

短歌も俳句も詩もない
「変数人間」を読んだ。

とあるきっかけから、SFに関心を持つようになった。
思えば両親はそこそこSFが好きで、私も幼い時分にはよくそんな親と一緒にSF映画を見ていたような気がする。

しかし大人になるまでに培ったのは、SFへの興味でなく無関心だった。たぶん、退屈だったか、恐ろしかったのだと思う。
SFの本を読んだという話をしていたら、フォロワーがこころがざわざわするからSFは苦手である、というような旨をつぶやいていて、わかるなあと感じた程度には。
SFというジャンルは、私が見させられた映画や読んだ本という狭い知見においての所感を語ると、恐ろしい。
(もちろん彼女と私の恐ろしさを同一視するわけではなく、私の感情で表すところね)

現代社会やルールを根底に持ちながら、全く別の社会常識とルールと倫理観や価値観に満ちあふれていて、読んでいるとまるで自分が異星人であるかのような感覚に陥る。

例えば、普段と何も変わらない通勤通学路をあるいていて、毎日歩いているはずなのにその道や外観ががらっと変わっているような、不気味さとでも例えればいいだろうか。そういった感覚に陥る。
宇宙や機械、構築された世界観への興奮とは全く別の部分で、私はそんな薄ら寒さをこのジャンルから感じる。

話は変わるか私はパニックホラーというジャンルが本当に苦手だ。
例えば、安全なはずの家に閉じ込められて、強盗が入ってきて、出られもしないし家族を強盗から守らないといけず、知恵を絞る、とか。母はそういったものを好んでいたと記憶するが、ともかく私は苦手だ。

安全だったはずの場所が突然安全でなくなる。
SFに感じる恐ろしさの要因は、おそらくパニックホラーへの苦手意識と通ずるところがある。

本の感想を言おうと思ったら、会社についてしまった。本についてはまた今度書こうと思う。


SFに感じる恐ろしさ




血縁に誕生日プレゼントを要求した。
ずいぶんと遅れた要求だが、まあ許されると信じている。

要求した内容はこうだ。
「この本とこの本、この本の計3冊を購入して読み、感じたことを私に報告せよ」
訝しまれているだろうか。意図を理解されないならそれまでだし、断られたらそれだけだ。今後、私が血縁を、血縁関係にあるという事実を持つ他人≠ニして認識するだけである。

これは私が一人っ子ゆえかもしれないが、血縁であるというだけで役割を担うのが、非常に面白い。
血縁であるか否かから細分化され、父であるか母であるか、子であるか兄であるか妹であるか、姉であるか弟であるか…。
種の反映のためかたちづくられたグループ内に、一定期間課される役割分担でしかないそれは、しかし、多くの場合人生そのものに大きく影響し、我々人間をとらえる。

端的に言うならば、血縁などは血がつながっており、役割を持つだけの他人に過ぎない。だから、それだけの理由で永久に血縁の人生に関わろうなどというのは、おこがましいことだ。
もちろん、上記は個人的な価値観であるが、主観として、血縁というものは、役割というものは、補助輪であってほしいと思う。人生を進むペダルを一人で、自分としてうまくこげるようにするための。こげるようになったら、補助輪はそっと外れてゆく。

話はそれるが、私は後輩になにか指示するとき、つい手癖で代わりに答えを提示してしまって、いつもそれを後悔する。
それは、後輩の代わりに私が自転車をこぐようなもので、後輩が一人で自転車をこぐ力をつけさせているわけではないから。
もちろん、時として代わりにこぐことも必要だとは思うが。

余裕があるときはよいが、ないときは、「これを任せることで相手にどんな力がつくか」「どんなところで転びそうか」「精神的なバランスは保てるか」などを考えられず、困る。これは自分自身の課題だ。

人に要求するならば、まず自分がうまくやれないことには、と考えているので、補助輪をつけるのが得意な人間になりたいと思う。

話を戻そう。
私が今回の要求で求めることの本質は、血縁の私への理解、私からの自立、適切な距離感である。そして、できるならば私も血縁に対し理解し、自立できればよいとも思う。それが、私がずっと希求してやまない、私の人生におけるたったひとつの愛のかたちなのだ。

だから、私がいったことはこういうことになる。
「どうか私のことをちゃんと見て、愛してはもらえませんか」と。

そんな風に、みじめったらしくも、最後の期待をしてしまっている。


20200606 雑記

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